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“あっ、鳩だ”。何処からともなく鳩が出てくる。“えっ。どうして?”。聴衆を釘付けにし魅了する。これがプロのマジックです。“種も仕掛けもありません”には実は“種も仕掛けもアル”のです。見ている側には分からない。だから面白い。それがマジックです。
スピーチも同様です。“どうしたらあんなに素晴らしいスピーチが出来るのだろう?” 実は誰にでも立派なスピーチが出来るのです。種を仕掛ける方法を習っていない。ただこれだけのことなのです。
スピーチは“急発進”で始まります。出だしの7秒、長くとも18秒以内にアッと思わせる。これが鉄則です。“掴み”の部分が最初の勝負処です。でもここで失敗している人が実に多い。
“皆さんはビルの9階から飛び降りたことがありますか? 私は飛び降りたことがあるんです”。“掴み”としては効果的なイントロですです。聞き手はドキッとしますね。 もしかして自殺? 何なの? こう思わせるだけで成功なのです。これはバンジージャンプの楽しさを説明するスピーチでした。生徒さんのスピーチです。“バンジージャンプについて説明します。ボソ・ボソ“。これではダメ。
出だしから最後の最後まで聞き手を飽きさせない工夫、ハラハラ・ドキドキを次から次へと演出する。自分自身の経験、実績、知識を総動員して聞き手を魅了する。情熱も大切です。この4要素のひとつでも欠けるとスピーチは成功しません。経験もある、実績もある、知識もある。そして情熱もある。この条件を満たして初めて聞き手に受け入れられる最低の条件がそろうのです。
スピーチを成功に導くための種と仕掛け、それが『ダルマンマ110の法則』です。その核となる部分はHPで公開しています。フルに活用していただきたいと思います。
相手に気持が届かない。だとすればこの原因は一体どこにあるのでしょうか。気持を汲んでくれない相手が悪い? このように考えればストレスが発散されるかも知れません。あえて快楽に溺れてみる方法もあります。それでも根本的な問題が解決されることはありません。
“どうせ上手に喋れないから”、“もともと話し方が上手くないから”。“所詮ダメ人間だから”。こういう言い訳をしているうちはまだまだ大丈夫。表情は歪んでいても心は歪んではいないからです。でもそれが口癖になってしまうと厄介です。口癖がアナタの人格の一部になってしまう。切ない気持に苛まれる自分に満足してしまう。被害者役を一手に引き受けてしまう。 こうなると抜け出すのは大変です。
運命というものがあるのかどうか私にはよくわかりませんが、運命以上に人の未来を左右するのが気持を届ける能力だと私は思います。
気持が届かないと誰でも不満を覚えます。不満を感じることが悪いのではありません。悪いのは不満の矛先を相手に向けることです。核心から逸れた言葉が思わず口から出てしまう。矢のような言葉がついつい出てしまう。でもそれはけっして本心ではない。だから悩む。“やっぱり気持は届かない”。自己の存在を相手にしらしめる術すらすすんで放棄してしまう。最後には相手の言葉を聞き入れる(hear)ことすら辛くなる。目の前の相手には黙り込む。でもひとりになると身についた口癖が顔を出す。相手を否定して自分も否定する。これが孤独地獄の始まりです。
稚拙な言い方でもいい。語彙が豊富でなくてもいい。下手でもいいのです。気持を届けようとするチョットした熱(zeal)さえあればいい。話し方に巧みである必要はないのです。
妙な口癖がアナタの人格の一部になってしまう前にすべきことがあります。それは身も心も裸になって表現してみることです。言いたくても言えなかったイライラ感を相手にぶつけるのではなく表現してみる。届かないと感じていたことが単なる思い込みだった。そのことに気づくのにそう時間はかからないはずです。
“肯定側(affirmative)に甘く、否定側(negative)に辛く”。これがディベートの一般的な採点方法です。多少のボロを出してもどうにか逃げ切れば肯定側の勝ち、矛盾点を突き相手を降参させれば否定側の勝ち、これがディベートです。
予算委員会で繰り広げられる年金問題、これもディベートです。与党の隠蔽、怠慢、矛盾が明らかになっている状況ですから野党が圧倒的に有利なのは当然です。
長妻氏らの奮闘で年金制度自体が“イカサマ”だったことが判った。もしかしたら年金問題は解決できないのかも知れない。このことも判った。ならば、次にすべきことは何なのか? それは与野党が一丸となって問題解決の道標を国民に示すことです。長妻氏の年金問題に対する知識と情熱。これを問題解決に使う方法はないものかと感じるのは私だけでしょうか。
言葉攻めで与党を叩きのめすこと。これが野党の仕事です。叩いた先に求められるのは与党案をはるかに凌ぐ建設的な対案の提示です。そしてその対案を与党に受け入れさせること、これが出来て初めてディベートに勝てるのです。長妻氏に不足している決定的な要素、それはディベートの力量です。
長妻氏だけが問題なのではありません。日本の政治家のほとんどがディベート力、スピーチ力が決定的に不足しているのです。このことが世界の舞台で日本が停滞するいちばん大きな原因になっているのです。
フィニックスの生徒さんたちが繰り広げる巧みなディベート。彼らが日本の政治舞台で活躍する日が来なければならないと痛感した福澤です。
“聞き上手が会話を制する”。たしかに当たっています。世の中を上手に渡り歩くには使えるテクニックだと思います。それでも私が気になるのは“制する”という言葉の響きです。会話は制するものなの? チョット違うんじゃないの。そんな気がしてなりません。
相手が“私の話を聞いてね・オーラ”を発しているとき。こんなときは私も聞き手に徹します。楽しそうに話を続ける相手の様子を見ているだけで私も楽しい。そんな空間にいるだけで私の心は満たされるのです。
聞き手に徹して相手に好かれようなどという気持は微塵もありません。だから、私は“制する” という言葉に抵抗を感じるのです。相手が私に話したいと思って話しかけてくれる。それだけでじゅうぶん満足です。テクニックも何もいらない。私も相手も極めて自然体、これがお互いにハッピーなのではないかと思います。
さて、相手が“話を聞きたいなあ・オーラ”を発しているときもあります。“何か面白いことない?” こんなときに聞き手に徹していては会話は盛り上がりません。相手が男性なら猛スピードで会話を盛り上げます。相手の呼吸が止まってしまうくらいの迫力と情熱で攻めて・攻めて・攻めまくるのです。相手が女性ならば少しペースを落とし、間を置きながら話すようにします。目を見る度合いにも気を配ります。男ワールドのウンチクは避けあくまで笑いで勝負します。
相手が男性であろうと女性であろうとほんとうに会話が盛り上がれば話し手と聞き手の境界線は消えてしまいます。これが会話の醍醐味。だから会話は“制する”ものではないのです。
聞き手に徹すること。これを義務感で行っているかのような人がいます。これでは皆疲れてしまいます。もっと自然体で自分を表現する。”制する”という感覚を捨ててみてはいかがでしょうか。
右脳だとか左脳だとか、最近はガタガタ文句を並べ立てる人が多いですね。何とかメソッドだとか独自の理論だとか色々な謳い文句で生徒を集める。こんな学校が“増殖”しています。
英語とはおよそ無縁な人たち、たとえば巣鴨を闊歩するおばさま方までをも巻き込んで NOVA が集めた生徒さんは30万人。物凄い営業力です。“講師はみな外国人”。どんな外国人なのかしら? 一体どんな理由で日本に来たの? そんなに日本が好き? だったら母国で仕事が見つかったという理由でどうしてすぐに戻っちゃうの? 不思議です。
“努力しなきゃダメですか?” いやいや・英語の勉強に“努力”は似合わない気がします。でも、英語に“のめり込むこと”、これは大切だと思います。映画でもニュースでも雑誌でも何でもいい。エステでもファッションでもいい。自分の好きなことでいいから、“のめり込む”。これが英語に開眼するいちばんの近道です。
“忙しいから効果的に学びたい”。ごもっともな意見です。こういう人に“効果的”な方法を教えます。するとどうするか。やらないのです。“効果的に学びたい”という質問をする時点で初めから“のめり込む”気はないのです。
レッスンが終わったらはいバイバイ。そんな学校ではダメです。“のめり込む”ことができないからです。レッスンが終わっても先生がいてくれて“のめり込む”ことに付き合ってくれる、そんな学校で勉強するのです。 仕事もも恋愛も人生も英語も“のめり込む”度合いが大きければ大きいほどそれに見合った成果が現れる。そういうものなのです。
突然、その人が嫌いになる。これまでうまくいっていたのに何だ関係がかギクシャクしてしまった。そんなときは少しだけ距離を置いて会わないようにする。関係が致命的(critical)になってしまうような言葉は絶対に吐かない。これが賢明(sensible)です。
突然、その仕事が嫌いになる。これまでどうにかやっていた仕事なのにリズムが狂ってきた。そんなときはきっぱり辞めてしまう。これが賢明です。
人との関係はあっさり終わらせる。でも仕事はなかなか見切りをつけることができない。こんな人が多いような気がします。
仕事を続けること。これ自体素晴らしいことです。“今の仕事が天職だと思いなさい”。私が以前運営を任されていた塾のオーナーの言葉です。
後先のことに思い悩むと仕事はなかなか辞められません。不満があってもダラダラとその仕事を続けることになるのです。今の仕事が天職だと思うなら続ける。迷いは無用です。少しでも疑念の気持があれば決断は早いほうがいい。これが私の体験値から言えることです。
あまり電話をかけてこない人から突然の電話です。“仕事、辞めちゃった!”。上司とやり合ってスパッと辞めたようです。
今の仕事が天職かどうかは簡単に識別することができます。天職であれば辞めることを考える“余裕”はないのです。辞めることが少しでも頭をよぎったその時点でその仕事は天職ではないのです。
私にとって弁塾は天職です。両手を縄でつながれ剣を突きつけられたとしても私は弁塾を辞めることはありません。
チョッピリだけ“後悔モード”になっていた彼女でしたが私が一喝します。“おめでとう。素晴らしい。これでキミの天職を見つける第一歩を踏み出したんだね”。 明日は久々に祝杯をあげようと思います。
皆さんの今の仕事は天職ですか?
噂(rumor)はどうして広まるのでしょうか。
第一の条件、それは話題性があるテーマであること。第二の条件、それは曖昧(ambiguity)さです。真実がベールに包まれる。人はそれを暴きたくなります。核心部分が見えるようで見えない。これが興味をそそるのです。モザイクがかかるとどうしても中身が見たくなる。これが人の常なのです。
ネット上で噂を広めるのは実に簡単です。話題になっていることを終始、曖昧に表現すればいいのです。これだけです。どちらとも取れる、どうにでも解釈ができそうな言葉を使う。そして読み手を煽る。2チャンネルの書き込みがこの典型例です。
批判的な者、擁護する者、中立の者が入り乱れホットな議論が交わされる。実は書き込んだ張本人は皆同一人物だったりするの。いわゆる“自作自演”です。
A:弁塾って酷くない? パフレット請求したら塾に来いだって。
B:今時そんな塾があったのか! 電話の対応も横柄だった。
C:先生は熱い人だよ。親身に指導してくれた。元気かな。
A:塾に行ってみたら体のデカイ男が出てきた。あいつが塾長か?
B:たしかにアイツ体でかいな。
D:いい塾なのか?
E:話し方教室なんてどこも一緒じゃねえの。
C:やる気のある人にはいい塾だと思うけど。
A:お前塾の回し者だろ。
架空の書き込みです。登場するのはA~Eの5人。実はどれも福澤先生が書いたもの。これが自作自演です。あえて批判的なことも書いてみる。肯定的な人物も登場させてみる。そこに実際の生徒が登場、曖昧さを表現しつつ塾の核心に迫る。あくまで迫るだけで核心に触れる具体的なコメントは控える。そして読み手の興味を引く展開を演出する。意図的に。これで噂が広まる土壌が完成です。
2ちゃんねるの“噂の公式”を巧みに使いお客を集める水商売の世界。福澤先生はついつい噂に飲まれてしまうタイプのようです。
“面白くないかもしれないけど云々”。こういう“無駄なプレビュ”ーを省く。それだけで会話はグーンと引き締まります。面白くないと思っていることでも“面白くない”とは絶対に言わない。無理やりにでも面白いと思い込む。背筋をピーンと伸ばして一気に語る。これだけでアナタのイメージはアップするはずです。
腹をかかえて笑い転げるような話は滅多にあるものではありません。大切なのは話のネタではなくアナタ自身の語り口調(delivery)なのです。
“女性の前で面白い話ができない”と悩んでいる男性。こういう人は話のネタで勝負しようとして失敗してしまうタイプです。
A:バードウォッチングなんて興味ありませんよね。
B:えっ。
A:マニアックな話ですいません。
これではせっかくの会話も台無しです。“興味ありませんよね”。この一言が面白くない話をさらに面白くなくさせてしまうのです。
目の前に話す相手がいる。実は、これだけでかなり有難いことなのです。アナタをアピールする最大のチャンス、これをぶち壊してしまう最大の敵が“無駄なプレビュー”なのです。
“女性を楽しませるテクニック”。こういう本に興味を示す男性はこの段階で失敗しています。女性を会話でリードする本質はテクニックやネタではありません。
バードウォッチングに興味ある女性は少ない。だからその話はしない? こういうアナタだからモテないままなのです。アナタからバードウォッチングを取ったら何が残るのか、考えてみてください。
話のネタはバードウォッチングで大いに結構。本来ならば面白くないであろうバードウォッチングのネタ、これだけで会話のきっかけを掴むことはできるのです。ありのままのアナタを素直に表現する。その姿勢を貫くことがアナタ自身を輝かせる唯一の方法です。
“英語だとなかなか上手く言えないんです”。こういう人に“日本語でもいいですから言ってみてください”。すると日本語でも言えない。アレアレどうしたことか? つまり英語だろうと日本語だろうと言えないものは言えないのです。
弁塾の採用面接は実にシンプルです。“What do you want to do at Benjuku?” “Why?” これだけの質問に明確に答えれば第一段階はクリアー。たったこれだけです。What?で聞かれたらその内容をスパッと言う。そして理由を述べる。英語で説明するのが恥ずかしければ日本語でもOK。それでもなかなか上手く言えない人が多い。これが実情です。
“いきなり言われても困ります”では面接をする私の側が困ってしまいます。“いくらでも待ちますからどうぞお考えになってください”。けっして意地悪だとは思いません。待てと言われれば私は何時間でも待つのです。
“私はお買い得ですよ。いま買わないと経営者のアナタは損しますよ。どうしますか。決断してください”。これを上手にしかも品よくアピールできるかどうか、それが採用面接を乗り切れるかどうかの分かれ目です。上手なだけでもダメ。品がよいだけでもダメなのです。
服装のセンス、髪型、雰囲気、容姿。この4要素は外せません。男の私を誘惑し、一目惚れさせてしまうような気品と迫力を持っているどうか、これが女性の講師に求められる要素です。私を一瞬で吹き飛ばせるだけの気迫と情熱を醸し出すことができるかどうか、これが男性の講師に求められる要素です。
私は年末から英会話学校の経営の仕事にも携わることになりました。弁塾と英会話が合体した新たな教育機関が今年の年末、都内に誕生します。
今この瞬間、このひと時が楽しければ人生に満点をあげてもいい。終わったことを後悔する、あるいはこれから起こるであろうことに不安を持つ。いまこの瞬間が過去と未来に汚染(contamination)され、結果として不安に苛まされる。ナンセンスな生き方だと思います。
会話をする相手が不安になる。“そうだよね・不安になる気持・わかる・わかる”。こんな反応では相手の不安は増すばかりです。これでは立派な聞き手にはなれません。不安に思っている人が欲しがっていること、それは不安を一掃する愛情溢れる一言です。笑顔がその役割をすることもあるかも知れません。不安の定義を迫ってみたり、原因を追究してみたりすることは無用です。そんな話は弁護士とすればいい。聞き手であるアナタに求められていること。それは相手の不安を一掃するマジックパワーなのです。
将来設計は大切です。でも設計通りにはいかないのがまた人生です。ならばいまこの瞬間を力強く生きる。これが幸せを運んでくれるシンプル・ロジックです。目の前の料理を笑顔でいただく。その瞬間をともに共有するいまこの瞬間を最大限に享受する。過去と未来をつなぐいまこの瞬間を心から楽しむ。この喜びに素直になれる人だけに与えられる天からの贈り物、それが幸福感なのだと私は思います。
“いまが楽しければいい”。日本の社会はこういう思いを否定的に捉える風習があります。でもそれでいいのです。10年度の未来を憂い今この瞬間を犠牲にする。これほど愚かなことはありません。楽しい・楽しいいまこの瞬間の連続、それが明るい10年度へと綱渡しをしてくれる。それが人生なのです。
“巣鴨駒込・駒込巣鴨・親鴨小鴨・大鴨小鴨”。黙読ではなく音読してみてください。 “すがもこまごめ・こまごめすがも・おやがもこがも・おおがもこがも”。 けっこう難しいですね! 早口言葉(tongue twister)はアタリマエ、筋トレやボイトレまで導入して徹底的に鍛える。たかが話し方にこれだけ努力をする必要はあるのでしょうか。
滑舌が悪いと思っている人は実は滑舌が悪いのではなく、発音しづらい言葉を自分で勝手に選んでいるのです。巣鴨の早口言葉のような単語、フレーズを選択し自らを窮地に追い込む。ゆっくり話せばいい。それをすすんで早口で話そうとする。だから滑舌の悪い話し方になってしまうのです。
“早口言葉で鍛えてみても・弁力虚しく響くだけ”。ダルマンマの法則です。滑舌とはそもそもプロのアナウンサーを養成する際に用いられる専門用語(jargon)、一般の人間が気にする必要はありません。滑舌を鍛えるのではなくアナタ自身が精進して魅力溢れる人間になる。これが本筋です。
人真似(mimic)ではない自分だけの個性を存分に表現する。聞き手の五臓六腑にズッシリ響く言葉を選びそれを素直に伝える。これが話し方の極意です。60億の人がいれば60億通りの話し方があるのです。アナウンサーのような華麗な話し方に憧れ自分を卑下する必要はありません。
不動産価格の下落と株価の暴落。“控えよっかな”という雰囲気が頭をもたげます。これが実にまずい。不況(depression)をもたらす真の立役者は消費を渋ろうとする人の気持だからです。財布の紐がきつくなればなるほど状況はさらに悪化、この悪循環(vicious circle)が更なる不況を招くのです。
さて・さて・若手の企業家同士が集う恒例の八曜会、日頃は大騒ぎをする兵(つわもの)も今日ばかりは物静かです。愚痴が更なる愚痴を呼び込みお酒もなかなかすすみません。私が場を盛り上げます。“先生だけですね・元気なのは”。どうせ飲むなら楽しくやりましょう。銀座の街が泣いてますよっ! 私はいつも楽天的なのです。
NOVAの倒産以降、英会話産業は冬の時代に入りました。英会話をファッションのひとつと捉えルンルン気分で駅前留学。こんな時代はもう終わりです。
教育に古いも新しいもありません。生徒はお客様であってお客様ではないのです。生徒に迎合しお金だけはしっかり頂戴する。教育の効果は補償せず次なる“顧客”を取り込もうとする。こんな業界に明るい未来はありません。
銀座の女性たちを口説くその前にやることはたくさんあるはず。情熱を生徒に向ける。目の前の生徒におもいっきり愛情を注ぐ。時には泣き、そして時には笑う。これが古くて新しい教育の原点なのです。
不況の中にあって頭角を現している企業もあります。いま進行している私の仕事もそんな企業でありたいと願っています。
話し手の頭の中にある概念、それを言語に変換する作業がエンコード(encode)です。聞き手は話し手の言語をキャッチしそれを自分の概念に変換します。その作業がディコード(decode)です。話し手と聞き手はエンコードとディコードを相互に行いコミュニケーションを行っています。
具体例で考えてみましょう。
花子:星がキレイね。
太郎:そうだね。(沈黙)
花子:太郎さん・何を考えているの?
太郎:キミと同じことだよ。
花子:あら・太郎さんてエッチなのね。
太郎:えっ。
こんな具合に会話は進行します。コミュニケーションの面白いところは概念と言語は必ずしも一致(identical)しないということです。頭の中で考えていることと口から発せられる言葉。それらの間には常に微妙な差(gap)が生じるのです。この差がコミュニケーションをより刺激的で不安定なものにしてくれます。
愛し合う男女双方に求められること、それは“安堵感を表現する技術”です。刺激的で不安的なドキドキ感を楽しみつつ互いが最終的に辿り着きたい着地点、それが愛し合い愛されているという“安堵感です。安堵感さえあれば会話の中身は何でもいい。これが男女のコミュニケーションです。
太郎:週末は空いている?
花子:あのね・今週末はチョッピリ忙しいかな。あまり時間取れないかも知れない?.
太郎:そっか。じゃあ・次回にしようか。
花子:そうね。またね。
今一度復習しましょう。頭の中で考えていることと口から発せられる言葉は必ずしも一致しないのです。太郎さんは今一度このことを認識する必要がありそうです。
より崇高な安堵感を求め女性は時に大きなハードルを男性に課します。それを見事に乗り切きろうとすること、その凛々しい姿を見せることで女性はより大きな安堵感を得ることができるのです。安堵感を得た女性の姿に男性もまた安堵感を得る。これが安堵感の法則です。
太郎さん・頑張れ!
“お客さんが来ない”、“モノが売れない”。こういう嘆きをアチコチで耳にします。しかも事業主である社長連中がこんなことを口にするのだから情けない。景気がよければ何をやってもうまくいくのです。景気がよければ誰がやってもうまくいくのです。今こそ事業主の手腕(competence)が試されるときなのです。
お客さんが来ないから値引きをする。モノが売れないから値引きをする。これでうまくいけば上等です。“値引きをしたら売り上げが伸びないんだよね”。大企業の社長がこんなことを言っているのですから笑えます。
値引きは一種の“詐欺”だと私は思います。20万円で購入したコートが10万円で売っている。しかも同じ店で。皆さんならどう感じますか? 私なら暴れます(笑)。売れないから値引く。値引いて売りさばく。あまりにも傲慢です。定価で購入した顧客の信用と真心は打ち砕かれる。大袈裟ですがこれが“騙された”側の本音でしょう。
“入塾金は2万円。オータム・キャンペーン中につき今なら入塾金が無料”。これも“詐欺”。1年中キャンペーンをしているのですから。そもそも入塾するのにどうしてお金が必要なのでしょうか、私には疑問です。居酒屋のお通しも同様。注文しないのに小鉢が出てきて“さあ。食べろ”。ナンセンス。“生ビール1杯無料”。1杯だけ飲んで帰ったらさぞ怒るんでしょうね。
“お客さんが来ない”のは要するに魅力がないから。“モノが売れない”のはいらないモノだからです。不況だからではないのです。
“ビジネスに王道あり”。これが私の結論です。オンリー・ワンの要素を取り入れていかに差別化を図れるか、これが競争に打ち勝つ古くて新しい原理原則なのです。価格も大切。もっと大切なこと、それは他にない魅力で顧客を釘付けにする心です。
話し方にも通じるところがありそうです。