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長年お世話になったツーカーの携帯ですがまだ名義変更ができていません。別会社の名義で契約した電話なので手続きのヤヤコシイこと。
先ずは所轄の法務局まで足を運ばなければなりません。既に解散した組織なためそれを証明する書類が必要です。実印も用意しなければなりません。全て揃えて AU ショップに足を運びます。
恵比寿の AU ショップは大混雑。番号札もらって待つこと50時間。カウンターで書類に記入します。“少々お待ちください”と言われて更に20分待ちます。
“お客様の免許証と現住所は異なりますので、現住所を証明する書類が必要になります”。
アレアレ、まだ書類が必要なの? 免許証の住所は確かに以前のままでした。現住所を証明する書類が無ければ法人名義を個人名義に変更することができなことが判明、今日は泣く泣く退散です。携帯電話はいくつか持っていますがこのツーカーの番号がいちばん“有名”な番号です。私を知る人はたいてい大概この番号にかけてきます。
“どうにかなりませんか?”福澤先生の弁力が虚しく響いた3月31日、この日は私37歳の誕生日です。いや、47歳でした。
最近は褒めることがブームのようです。書店に並ぶ褒めるテクニック本の数々。私もそのような書籍には目を通します。“正しいこと”が綴られています。
V - 8エンジンを開発したヘンリー・フォード (Henry Ford) は部下を扱うプロだったといわれています。“褒めまくること。励まし続けること”、これが彼の部下を操るテクニックでした。
このテクニックを普通の人が真似るとどうなるか? 何も起きないのです。
褒めたり励ましたりされて人が動くには一定の条件があります。信頼している人、尊敬している人、好意を寄せている人、そんな人に褒められ励まされて初めて人は行動を起こすということです。これが人間関係のキモ中のキモです。嫌われている上司がいくらテクニックを駆使しても何も起きないのです。
フォードの戦略をもうひとつ。それは彼が“つきっきりで部下の面倒を見た”ということです。時間を惜しまず時間無制限で愛情を注ぐ。なかなか出来る芸当ではありませんね。
“将来を恐れるものは失敗を恐れておのれの活動を制限する。しかし、失敗は成長に続く唯一の機会である。まじめな失敗は、なんら恥ではない。失敗を恐れる心の中にこそ恥辱は住む。” フォードの言葉です。
褒めることは大切です。でもそれ以上に大切なこと。そのヒントがフォードが残した言葉の中に隠されているような気がします。
アメリカの発明家エルマ・ゲイツ (Elmer R Gates) 博士は人間の息を使った実験を行いました。人間が吐き出す息を液体窒素で冷却し、取り出された沈殿物が感情の状態によって様々な色に変化するというものです。
通常は無色透明、怒っている人の沈殿物は栗色、悲しみや苦しみを感じている人は灰色、後悔の念を抱いている人は薄い赤になったそうです。
これら色のついた沈殿物を分析してみるとかなり強い毒性が検出されました。栗色の沈殿物を水に溶かしネズミに注射したところわずか数分で死んでしまったのです。人が1時間怒りの感情を維持し続けると80人の人を殺すほどの毒物が発生するというから驚きです。
100年以上も前の実験です。信憑性は定かではありませんし 賛否両論もあるかと思います。ただ、過度のストレスによって、体の免疫力を低下させ、リンパの流れが悪くなりことは事実です。
私たちは“人前でため息をついてはいけません”などと教えられてきました。気分が落ち込んでいる人や怒っている人のため息は見ていて気持ちいいものではありませんよね。“笑う門には福来る”。これだけは確かなようです。
さあ、今日も皆さんどんどん笑いましょうか。
“お茶漬けでもいかかどすか”? “やったぁ。僕、お茶漬け大好きなんです”。福澤先生は京都では生活できない?
“お茶漬けでもいかがどすか?”。この日本語はもともと祇園で飲みお茶屋で茶漬けを食べてから帰ることから使われるようになったとか。夜遅くまで飲み食いをしてそろそろ酔いもさめる頃にはお腹も減る。そんな時間だからせめてお腹にやさしいお茶漬けでも食べて帰ればという、相手を気遣った表現らしい。お茶漬けイコール“帰れ信号”というわけではなさそうです。
相手の面子を潰さず、気遣い、そして思いやる言葉。こんな風情ある日本語の感覚を日本だけで独占するのはもったいないのでは? 最近、こんな感覚が私の中で芽生え始めてきました。以前の私なら“分かりにくいなあ。曖昧だなあ”などとバッサリ切り捨てたところでした。
日本語と英語はそもそも水と油ですが、日本的な、日本語的な風情を英語という言語に取り込むことができれば何か新しい“文化”が生まれそうな、そんな気がしてなりません。
来月のニューヨーク滞在では日本語的感覚の”輸出“にトライしようと考えている最近の福澤です。
”ホットドッグでもいかがどすか?“ ”Souds great“ アレっ!
ガソリンの価格はその国の石油自給率や割合などによって大きく異なります。日本は石油の自給率はほぼゼロ、中東地域からの輸送もかかるため高いのは仕方ないのかな。
それでもイギリス(248円)、ドイツ(224円)、フランス(219円)などと比べると安い。これが意外でした。 ただ、日本のように道路財源オンリーという考え方ではなく一般財源や温暖化対策、社会福祉にも税金が使われている点が日本とは異なります。アメリカ(94円)は先進国の中では破格です。
7年前の原油価格は1バレルあたり17ドルでした。いまは当時の6倍近くにまで跳ね上がっています。その一方でガソリン価格が1 . 5倍にしか上がっていないこと自体が異常なのかも知れません。
中国やインドなどの新興国での原油の需要も拡大しています。とくに中国の需要が激増、日本を抜いて世界第2位の石油消費国になっています。
一度石油を消費するようになると元に戻るのは難しい。ガソリンが高くなれば食費も高くなります。
箱根の土地に野菜を植え自給生活をするアイデア。ますます現実味を帯びてきました。
私が新人研修に参加したのは今から25年前、時が経つのは早いものです。就職を決めたのはハウスメーカーのミサワホームでした。当時絶好調だった会社です。ところが研修に3日参加しただけでさっさと辞めてしまったのです。
研修で見せられたのがモデルハウス2棟。ひとつはものすごくお洒落な建物。もうひとつが典型的な住宅。前者は5000万円、後者が2000万円の家でした。
研修担当者曰く“どちらも原価はほぼ一緒なんですよ。豪華に見えても実は安い材料を使ってるんです。これがビジネスの秘訣ですよ、皆さんいいですか~”。
この説明を聞いて私は幻滅してしまったのです。“インチキだ”って思ったんですね。質の高い材料を使って質のよい家を高く売る。これは OK.。 でもどっちも原価が同じなんて、それってごまかしてるわけでしょう? 10年たったらボロボロになっちゃうのかな?
今思えば、“ケツが青い”福澤青年だったわけです。でも“インチキだ”って思っちゃったらもうダメ、人生を賭ける気持ちが失せてしまったのです。
何がホンモノで何がインチキか、その線引きが難しい。言えることは1つ。見る目を養うことです。
プレゼンと同様に大切なのが“企画力”です。企画がなければプレゼンもできませんね。考えても考えても良いアイデアが浮かばない。悩む。そして自分を責める。真面目な人は頑張れば頑張るほど仕事がうまくいくと思っているかも知れません。実は“頑張らない”ことによって開けてくることも多いのです。
私にとって企画力を生む最高の場所、それはパチンコ屋さんです。仕事を忘れフィーバーすることに集中する。企画のことは一切考えない。“当たった”と心の中で叫んだその瞬間に浮かんだ企画やスピーチネタは数知れません。箱根弁塾館には本物のパチンコ台が置いてありますが遊ぶためだけではありません。
系列のニューヨークチケット com や結婚式招待状のビジネス。これらはみなパチンコをしているときに浮かんだアイデアなのです。よいアイデアが浮かばない。あきらめてベッドに横になった瞬間にアイデアがひらめいたこともあります。映画館で思いついたアイデアもあります。
要は仕事からいったん離れてみること。意識的に仕事を忘れる環境に身を置くこと。これが企画力を生み出すコツなのです。独りになってみることも大切です。仕事仲間と一緒だとどうしても仕事のこと考えてしまうからです。
“いい企画がないかな”と悩んでいるアナタ。ときには会社をサボってみるのもいいかも知れませんよ。
世田谷から目黒、品川を通り天王洲アイル付近から東京湾に注ぐ延長8キロメートルの目黒川。830本のソメイソシノが壮観です。
弁塾目黒ラウンジ前付近の川の両側から眺める桜。これがとくに素晴しい。去年は強風で一気に散ってしまった桜でしたが今年は雨の日と好天の日がバランスよく続いたため“長持ち”しています。桜の季節に生まれた私は幸せです。
『目黒川を豊かな環境にする会』が主催する桜祭りは毎年恒例の行事です。川岸に設置された提灯も雰囲気を醸し出してくれています。目黒の桜は散っても箱根の桜は今週が本番です。
散る桜 残る桜も 散る桜(良寛)
良寛和尚の時世の歌ともいわれている桜を詠んだ有名な句です。『平家物語』冒頭文に通じる生きるものへの哀れさを歌っています。
アヒルが10メートル先のかごの中に瞬間移動する。信じられないようなこの光景を私は2度目撃しています。1度目はただただビックリ、2度目は私自身、空のかごを抱え舞台の後方で待機。すると一瞬にしてアヒルが移動してしまうのです。かごの蓋は閉じたまま。自分で持っているかごですから間違いありません。近くにいた息子も唖然、“パパ、サクラじゃないよね?”。
イリュージョニスト・J・ストームのマジックです。種はいまだに謎です。アヒルが移動する瞬間をライブで見せ付けられる衝撃。“種も仕掛けもない”と言われればただただ脱帽するしかありません。でもマジックには必ず“種も仕掛けもアル”のです。
スピーチも同様です。話が上手い人は生まれつき上手いわけではありませんし、人を笑わす人もその場でネタを考えているわけではありません。マジック同様、“仕込み”があるのです。僅か2分のスピーチのために2ヶ月の”仕込み“をできるかどうか、これがプロとアマチュアの差です。
私は最初の指導で“僕を笑わせてみて”と生徒さんにリクエストします。どの生徒さんもギブアップしてしまいます。私が面白い話を次から次へと披露すると皆さん”凄い“と言ってくれます。
私が凄いのではありません。凄いのは私の“仕込み”にかける情熱とその量、ただそれだけなのです。
私のプライベートを知っているこの世の数名は私自身が実は内気で口下手であることをよく知っています。生徒さんには信じられないかも知れませんね。
マジックと同様、上手なスピーチには“種も仕掛けもアル”のです。その“種”を明かし共にマジックの練習をする。これが弁塾の指導なのです。
“また一緒に食事をしてみたいです”。渦中の本田医師のコメントです。ああ、情けない。相手から“ダメ男”の烙印を押されてるのに、こんな優等生みたいなこと言ってちゃダメ。
なりふり構わずってわけにはいかないのかな。でもガツンと言ってやればいいのにね。ガツンと言い返してスッキリする。散るときはパッと散る。ダラダラしない。これぞ日本男児の心意気。
“人生を歩むパートナーとしては無理がある”、“スッキリしました”、“ともだちでいましょう”。こんなこと言われて黙ってるの? ガツンと言ってバッサリ切り捨てればいいんだよ。“結婚しないで俺もホッとしてる”くらい言ってもいい。
『とくダネ!』の番組に緊急出演して「私もスッキリしました」なんて言ってましたね。スッキリするわけないでしょう。婚約を一方的に解消されたんでしょう。ほんとうは煮えくり返ってるんですよね。頭にきてるんでしょう? だったらガツンと言ってやればいいいのに。どうして冷静さを装うのかな。吠えてみるのもまた人生。
それにしても理恵さんの言葉は辛辣でしたね。メディアを通じての発表ならもう少しオブラートに包んだ言葉を選んでほしかった気がします。言葉は鋭利な刃物にもなり得るのですから。
修理に出したノートパソコンが明日仕上がります。でも前日の連絡がありません。なぜ?
富士通の修理部門に電話します。なぜか明確な返答をしてくれません。“折り返しご連絡差し上げますから少々お待ちください”。
“折り返し”や“少々”とは便利な日本語です。僕の感覚では10分から30分程度でしょうか。今回待ったのは2時間半。それでも先方からの連絡はありません。再度、僕から電話することにします。
“お待たせしました。明日修理が上がる予定でしたがあくまで予定ということでして。実は修理の際にお客様のパソコンに傷をつけてしまいまして部品が入荷するのに1週間ほどかかりまして。今回、特別に修理費の割引をさせていただくことでどうか了解していただきたく”。
要するに“8万数千円の修理費を5万円にするから待て”。これが先方の趣旨です。
中にはこの条件をのむ人もいるでしょう。延々と文句を言う人もいるでしょう。怒って電話を切ってしまう人もいるかも知れません。僕の要求は“予定通り納品せよ”。
ノートは翌日午前中に宅配便で届けられ修理費は無料。怒ることも脅すこともせず時間無制限で淡々と冷静に相手を追い込む。これだけで状況は一変するのです。
“英語のネイティブ・スピーカーと口喧嘩ができて、啖呵をきり、なおかつ論破するにはどうしたらいいでしょうか”。現役で活躍されている卒業生からの質問です。
いくつかポイントがあると思います。
①英語を母国語としている人と我々が言葉を交わす時点で“対等”ではない。
②“英語力”という観点から考えれば我々は不利。
③私自身、欧米人と喧嘩をした経験がある。
④自分から売った喧嘩は負けたことがない。
⑤英語力で勝ったわけではなく別の力で勝った。
⑥別の力とは堅い言い方をすれば交渉力やディベート力。
⑦でもそれ以上に決め手となる要素がある。
⑧それは押しの強さ、粘り強さ、声の大きさ、話すスピード。
⑨欧米人はとかく“まくしたてる”、“煙に巻く”ことでノン・ネーティブに対抗してくる。
⑩それをさせないことが大切。
そこそこの英語力プラス磐石堅固な弁力。これが今の時代を生き抜く道具なのではないかと私は思います。
メ ールや電話を通じた生徒さんとの“会話”。これも私の日々の楽しみです。
18 P 3 =18×17×16=4896。コレって何の計算?
18頭立て競馬の3連単、この組み合わせの計算方法です。100円ずつ全通り購入すると48万9600円。こんな買い方をする人はまずいないでしょうが、阪神競馬場で行われた桜花賞。その配当はナント700万2920円。超穴馬券でした。全通り購入しても651万3320円のプラスになる計算です。凄いっ。
“強い馬がくる”のではなく“来た馬が強い”。これが穴馬券を取る秘訣です。終わった後にアレコレ言うのは簡単です。だから競馬は当たった人がいちばん偉い!
競馬の賭け方で人の性格が見て取れます。亡くなった父は本命に大金をドンと賭けるタイプ、母は武豊専門で僕は小銭で3連単。小学生の息子もかなりの競馬通でよく当たります。
宝くじはすべて買ってもお金は半分しか戻ってきません。その点、夢があるのが競馬です。私の家族にとつて競馬はコミュニケーションを円滑にする潤滑油のようなものなのです。
初対面の人との名刺交換。“初めましてドウモドウモ”。名刺を整理していると同じ名刺が出てきてビックリ。挨拶した人とは先週会ったばかり。
こんな笑い話を生徒さんが披露してくれました。相手も彼の顔を覚えていなかったのでしょうか。
渡す方も渡される方も緊張するのが名刺交換です。名刺交換は大切な儀式なのです。名刺を渡すことにエネルギーを使いすぎ相手の顔を忘れてしまう。ありがちですね。
名刺を交換するときに頭を下げて挨拶をします。これが盲点。相手の目や顔を見ないで儀式が終了することも珍しくありません。
相手から名刺を渡されたら先ずは相手の名前を音読してみる。私が実践している習慣です。声に出して音の響きを確めてみるのです。“いい名前ですね”、“珍しいですね”、等など、ひと言添えて相手の顔を見る。これだけで相手は嬉しいものです。相手の笑顔を引き出したらその表情を脳裏に記憶させる。無表情な顔よりも笑顔のほうが記憶に残りやすいのです。
名刺の裏には①会った日②場所③相手の服装、を必ずメモします。その夜には名刺を見ながら相手の”笑顔“を思い出す。何事も復習が大切なのです。週末には集めた名刺を机に並べて総復習。ほんの5分で終わる作業です。
その人と次に会った際には自分から声をかける。相手よりも自分が先に挨拶をする。こんな積み重ねが仕事以上に大切なのです。
スピーチや会話のスパイス、それが比喩 (metaphor) です。込み入った内容やイメージが沸きにくい事柄などは比喩を使ったほうが分かりやすいこともあります。抽象的なことを具体的に、曖昧なことを明確にすることが得意な人、これが比喩の使い方が上手な人なのです。
比喩なら何でも OK というわけではありません。聞き手にピンと来る内容かどうか吟味検討しましょう。聞き手を不快にさせたりネガティブなイメージを連想させる比喩は NG です。
議論が割れるたとえ話は危険です。“愛とは空気のようなもの”。そう思わない聞き手もいるはずです。比喩やたとえはあくまで隠し味だということを覚えておきましょう。迷ったら比喩は使わないのが賢明です。故事成句や諺も同様です。
“難しい話は分かりやすく・分かりやすい話は面白く”。これが弁力のキホンです。比喩、故事成句を披露することがスピーチの目的ではないのですから。誰も知らない故事成句は横綱の昇進挨拶だけで十分です。
筆とタバコはワンセット。 GAKKEN のロゴが入った鉄製の灰皿は編集室の名物でした。タバコを吸いながら原稿にチェックを入れる上司の姿をみて“オレもいつかは編集長になってやるゾ”と気を吐いたものです。今では学研の編集部も完全禁煙だとか。時代は変わるものです。
昨年頃から禁煙を売りにしたパチンコ屋さんが続々と登場、煙のない環境が多くの顧客に支持されることを証明してくれました。
ニューヨークのバーでも数年前に禁煙条例が施行されています。店の前の戸外ではグラスを片手に立ったままタバコを吸っている人の姿を見かけます。ヤンキースタジアムでも以前は座席でタバコを吸ったりお酒を飲む姿を見かけましたが今では完全に禁煙化されています。
さて、神奈川県が不特定多数の人が利用する施設での喫煙を禁じる条例の基本構想を発表、喫茶店や居酒屋、パチンコ店など喫煙が常態化している場所も含めたのが特徴です。規制する場所には駅や野球場など屋外も対象となっています。まさかホテルの室内も禁煙になってしまわないかと心配している私です。
言葉は生き物です。時代とともに使い方も文法も変化する。これが言葉の宿命であ り自然な姿です。
“とんでもございません”。褒められたときなどに恐縮して使うことも多い言い方です。でもこの言い方は正しい日本語ではないらしい。実は私も使ったことがあります。
”お世話様でございます“。使ったことはありませんが言われることはあります。違和感はあまり感じません。”ナニナニさせていただきます”、”ナニナニしたいと思います”。これらも間違いだとか。
多くの人が使っていると何が正しいのか間違っているのかその境界線が見えてきません。間違いに無頓着ではいけませんが神経質になりすぎるのはどうでしょうか。
国語学者や国語の先生は”正さ”を追求することが仕事です。一般の人にとって言葉は意思疎通の手段。お互いに気持よくコミュニケーションができればいいのではないか、そんな気がします。
英語では最近、主語のI(私)を省略するメールが増えています。Would like to join the event.などのように使います。これも一種の間違いですがメールをもらって不快な気分になることはありません。
間違いに神経質になるよりも相手を不快にさせない配慮のほうがもっと大切な気がします。こんなことばかり言っていると国語の先生からクレームのメールが来そうでヒヤヒヤしている福澤です。
東京の大手私鉄で最悪の混雑率を記録した東西線。僕も高校3年間はこの東西線を利用していました。降りることができなかったこと数回、靴がなくなったこともあります。胸が圧迫され恐怖を感じたことも。30年経ったいまでも状況は変わっていないのでしょうか。
悪名高い東西線がユニークな作戦を開始しました。早起き通勤者に特典を与える“混雑分散作戦”です。対象は浦安から東陽町までの5駅。午前6時半からの一定時間ICカード定期券で改札脇の専用端末にタッチ、20回以上の記録があれば1000円分、40回以上なら2000円分の商品券と引き換えることができる試みです。実験期間中20回に到達したのは約4500人。早く起きた人に特典を与えるとはいい作戦だと思います。
早朝5時前に1ヶ月乗車したら10000円分の商品券をあげちゃうなんて作戦はどうでしょう。“日の出割り”かな。勤務時間が早朝の6時から午後2時までの会社があれば僕ならチョッピリ考えちゃいます。
政治家の皆さんもこういうことを考えてくれればいいのになあ、と思うのは僕だけでしょうか。民主党のスローガンは”生活者の立場にたった政治“です。満員電車に乗ったことのない政治家にはこういう発想ができないのかな。
“ちいさな命を失いほんとうに身も心もペシャンコになった。死にたい・死にたいと毎日考え何も食べられずにやせ衰えていった。そんなときに一縷の望みにしたのが代理出産。それを支えに生きようと思った”。タレントの向井亜紀さんのコメントです。
日本学術会議は代理出産を「原則禁止」とする一方で、限定的な試行を認める報告書を法相と厚生労働相に提出しました。限定的の意味が私には分かりませんが代理出産で子供を授かりたいと考える人にとっては厳しい内容のようです。
今回の最終報告書も最高裁の決定に沿って向井さんではなく「代理母」を法的な母とする内容になっています。
医学の進歩は人類を幸福にしてくれたそれと同時に残酷さも与えたような気がします。“天からの授かりもの”と考えられていた時代から自ら命を“つくり出す”ことが可能になった今の時代、それに見合った法の整備が急務です。進歩と法のバランスは大切です。
死刑執行の是非が話題になっていますが新しい命を生み出すという大切なテーマもタブー視せず活発に議論することが必要なのではないでしょうか。
ボストンを舞台にした1970年のアメリカ映画 LOVE STORY (ある愛の詩)。主人公オリバーと和解した父親との短い会話 ” Love means never having to say you are sorry ” 「愛とはけっして後悔しないこと」は当時日本でも大ブームになりました。
でも、この日本語訳、どうもピンときません。それもそのはず。この映画が大ヒットするとは思っていなかった角川出版はその翻訳を新人翻訳家に依頼、なんとなく訳してしまった「愛とはけっして後悔しないこと」が独り歩きしてしまったのです。
訳した本人は私の師匠筒井正明先生。だからこそ知りえた事実です。“福澤君。あれね、誤訳なのよ。 Sorry だから素直に「ゴメン」の意味なんだけど妙に工夫して「愛とはけっして後悔しないこと」なんてやっちゃったんだよね。映画を見てから確信したよ。角川に訂正するって言ったけど断られた(笑)。印税にしてれば今頃大金持ちだったかもな”。
「愛とはけっして後悔しないこと」。日本人にウケル言い方なのかも知れません。実はもっと単純に「愛とはゴメンなさいと言わないこと」の意味が正しいらしい。これなら僕にもシックリいきます。ほんとうに愛があるならば「ゴメンなさい」という場面をつくらない。これって簡単なようで難しいですね。
“ Love means never having to say you are sorry. ” 僕が好きな言葉です。
雨の日の教室での出来事。野球少年だった私は友人と野球ごっこをしていました。掃除のモップがバットのかわりです。女子生徒たちが静止しても無視。教卓の花瓶を割ってしまい叱られたことを思い出します。
木製の机を彫刻刀で彫り込み、消しゴムのカスで作ったボールと定規でゴルフゲームをする。これもよくやった遊びです。机は穴だらけ。放課後、別の生徒の机とこっそり交換したことも思いです。
どちらも私の小学生時代の話です。ダメと言われてもついついヤッてしまう。アレは危ない・コレも危ない。言われれば言われるほど悪さをしてしまう。これが子どもです。
息子が通う小学校では休み時間のボーリング・ゲームが禁止になってしまいました。紙で作ったボールを使う遊びです。
事故が起こればすべて学校側・教師側の責任が追求されます。危険回避のためには子どもたちを“縛る”。学校側の意図もわからないではありません。
傘が目に刺さる事件やハンマーが頭に当たる事件が起きてしまいました。このような事故は今日にも繰り返される可能性があります。
駅のホームでパンと牛乳を食べている社会人を見て“あんな大人になりたくないなあ”と思っていた高校時代の私です。自分が社会人になると同じことをしていました。朝食は抜き起きたらすぐに会社に向かう毎日。
仕事が好きなのではなく、休むことに恐怖を感じていた、そんな自分だった気がします。日曜返上で働くことはアタリマエ。深夜まで働くことが美しい。有給休暇を消化しないことが男の美学。こんなイメージを膨らませ月に1度の給料日を心待ちに過ごす。今から20数年前の私です。
不幸は突然やってきます。私が慕っていた先輩が結婚式の1週間前に突然死したのです。享年35歳でした。過労死です。仕事は常に完璧、私の相談にもよくのってくれた人物です。ジャーナリストでした。
何のために働くのか? 誰のために働くのか? 会社のために働いて命を落とすことにどんな意義があるのか。
人類が最後に直面する問題、それは“余暇の過ごし方”だと言われています。今日25日は朝から晩まで仕事をしないと決めた日です。早朝4時起床。全てを忘れてひたすら遊ぶことにします。
“休みたいなら辞めればいい”。日本電産の守永社長の発言が波紋を呼んでいるようです。
たしかに刺激的な発言ではあります。乱暴といえばそうですし、暴論かも知れません。時代錯誤という言い方もできるでしょう。私個人としても好ましい発言だとは思いません。別の言い方を選択する余地もあったのではないかと思います。
本音をポロリと漏らす。すると一斉に糾弾される。ネットの掲示板や2ちゃんねる等でたくさんの意見や感想が書き込まれる、今はそんな時代です。
ネット上で書き込みをする人の多くは匿名です。守永氏の面は割れていますが、匿名の主はどこまでも匿名です。これが果たしてフェアーな議論なのかどうか、私には疑問です。
顔が分からない相手からの批判には発言した本人にとっては不気味に映るのではないでしょうか。正々堂々と表に出て議論を尽くす。ネットでのディベートがこんな風に成熟したらいいのになあ。こんな印象を持つのは私だけでしょうか。
腰痛と発熱のダブルパンチでダウンしてしまいました。真っ直ぐ立てない。コレってぎっくり腰なのかな。熱は8度2分、クシャミをすると腰が痛い。腰・熱・鼻水の三重苦、ああ、こんな姿は誰にも見せられません。
早朝5時、宮君に詫びのメールを入れるとすぐに返信が来ます。彼も僕と同様あまり寝ないタイプ、24時間いつでも交信ができる妙な“仲”が何年も続いています。
彼には忙しいスケジュールを空けてもらっていました。今日は起き上がれそうにありません。“先生、声が凄いですね。ほんとうに大丈夫ですか”。
彼の声を聞いた途端、仕事のプレッシャーから解放された気分になりました。僕が逆の立場だったら宮君と同じように対応できていたかなあ。いきなり怒鳴りつけたりするのかなあ。病気のときに人から優しくされると妙に反省モードになってしまいます。
息子も起きてきました。“パパが病気になるのはイヤだけど嬉しい気持もある”。僕が不在にすることが多いため、たまには家にいてほしいのでしょう。腰を揉んでくれたりお粥をつくってくれたりと父親孝行をしてくれました。
気持が萎えてしまうと弁にも影響します。今日は一日、ゆっくりして明日からまた走るぞっ。
あっ・腰が痛い! こりゃダメだ。
スピーチには大きく分けて3つのモードがあります。 Speech to inform (情報提供型)、 Speech to persuade (説得型)、 Speech to entertain (楽しませる型)です。とかく安易に考えられがちな情報提供型ですがこれを舐めると厄介ですゾ。
聴衆がその情報を欲しているか。心の底から知りたがっているか。この点を先ずクリアーしなければなりません。
話し手自身が情報に精通しているかどうか、この点も大切です。ただし“事情通”だということを強調しすぎると聞き手の反感を買うこともあるので注意が必要です。
クレディビリティー (credibility) を上手に表現すること、これが最も大切です。クレディビリティーの高い話し手はそれだけで説得力が上がります。日頃から体験を積んで情報の引き出しを増やす。これぞクレディビリテーの真髄です。
①聞き手が欲している情報②豊富な情報量③クレディビリティー。この3つが情報提供型のスピーチを成功させる秘訣なのです。
自己紹介で戸惑う方は以上のポイントを整理してみましょう。たかが自己紹介、されど自己紹介。自己紹介は究極の情報提供型スピーチなのです。
味もグー。盛り付けもグー。料金もグー。でも何かが足りない、そんな鉄板焼きレストランで食事を取りました。自由が丘の海山というお店です。
前菜3品から始まりポタージュスープ、蝦夷あわび、車海老、季節の野菜、フォアグラのソテー、グリーンサラダ。そしてメインは前沢牛のシャトーブリアン。食事はガーリックライスにデザート、コーヒー。完璧なディナーです。銀座で食べたら幾らになるやら。
ほんとうに美味しかった。それでも何かが足りない。なぜ? 満足したなら“また来よう”と思うはずなのですが、“もう来ないだろう”。こんな風に感じてしまったのです。
あえて”タブー“に触れることにします。肉を焼くシェフの”顔“が気に入らなかったのです。高級な前沢牛に相応しくない”安っぽい顔“。ああ、こんなことを書いていいのでしょうか。不謹慎ですね。でも、これが私のホンネなのです。
高級なお肉を焼く人は“それなりの顔”でなければなりません。こんなことを私は求めてしまいます。“どんな顔?”と聞かれても困るのです。とにかく前沢牛を焼くのに相応しい“それなりの顔”としか言いようがありません。話し方や立ち居振る舞いもあるかも知れません。綺麗な制服を着ているのに清潔な印象は感じなかった。ああ、こんな風に思ってしまう自分が嫌になりそう。
座ったカウンター席から洗い場が見えちゃったのも影響を与えたのかも知れません。ああ、海山さん・ゴメンなさい。変なのは私?
貯蓄などやめてパーっと使う。日本人全員が持っているお金をバンバン使えば景気なんてすぐに回復してしまう。経済学者でもない私がこんなことを言うのは少々乱暴でしょうか。
毎日のように年金問題ばかりがニュースで流されると将来の不安は増すばかりです。20歳台の若者が貯蓄に走る気持もわかる気がします。
ある意味、旅行は究極の無駄遣い。旅行に行かない若者が増えるのも当然でしょう。日本人の出国率を 2000 年と 2006 年で比較した法務省のテータがあります。 20 ─ 24 歳の男性は 12 ・ 4 %から 11 ・ 5 %に、女性は 27 ・ 4 %から 22 ・ 5 %に、 7 年間で大きく減少、 25 ─ 29 歳では、男性は 20 ・ 1 %から 17 ・ 3 %に、女性は 31 ・ 5 %から 25 ・ 0 %に減少しています。
所詮お金は道具のはずですが、今の日本にあっては貯めこむことが人生の目的になってしまいます。こうこうなったらどうしよう・ああなったらどうしよう。夢や希望を持つことが制限され、現実直視を強制される社会。これが豊かさなのか私には疑問です。
年金問題一発で日本人の夢を打ち砕いた政治家の責任は重大です。