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引越しから一週間が経過、ダンボールの箱が部屋に残ったままです。思い出の品々が捨て(discard)られず、新居まで運んでしまいました。
カーテンの取り付けが今日やっと終わりました。思い切って赤柄にします。正解でした。元気が出ます。母は当惑気味です。旧世代の人には少々刺激的だったようです。
お風呂(tub)が小さく息子と一緒に湯船に浸かることはできません。賃貸ですから仕方がありません。箱根に行けばいつでも巨大風呂に入れます。ガマンガマン。
起床時間が6時半。以前の5時半と比べるとラクラクです。冬場の日の出前出勤とはもう、お別れです。
16年生活した杉並の家を売りに出しました。バブル当時に父が建てたくれた家です。古びた見積書の額を見ると倒れそうです。当時の価格にこだわるといつまでたっても手放せません。ボロ屋になる前に泣く泣く売却です。
多摩川から吹いてくる風が心地よく、この地が気に入りそうです。
指導がお休みの日は学校を休ませて息子とキャッチボールでもしようかな。
単位未履修という言葉を耳にすると辛~い辛~い学生時代を思い出します。
授業にはほとんど欠席(cut)していました。当然単位は落とします。今では時効ですが替え玉受験やカンニング(cheating)などは日常茶飯事。レポートはガールフレンドに任せていました。
英文科の学生でありながら文学にはまったく興味なし。それもそのはずです。駿台予備校で出会った筒井先生を慕って英文科に入学しただけの私でした。学部は何でもよかったのです。
1年留年して大学生活5年目の秋。学研の編集部に就職が内定しました。何千人も応募して12名しか採用されないのですから最難関です。弾みでもマグレでも何でもOK。落ちこぼれの私が一部上場企業に就職できちゃったのです。
ところが、です。英語学だか何だか忘れましたがT教授が単位をくれないというのです。就職が決まっているのよ、アンタ何すんねん、という気持です。母は泣き、父は怒り、友人は笑います。人生どん底です。
父からもらった十万円を握り締め、銀座の千疋屋(せんびきや)の木箱入りの最高級メロンを購入、T教授宅を訪問します。「受け取ってくれ~」と心の中で叫びながら木箱を手渡します。「やった!受け取ったゾ」。さすがメロン効果。
卒業式の前日、妙な書類が大学から届きます。「貴様は単位不足により卒業できません」T教授にはめらちゃいました。
普通であれば就職は取り消しですね。でもさすが学研です。週に1回、大学に行くことで入社を認めてくれたのです。
筒井先生、元気かな。
宮城野からすぐの場所に箱根強羅公園があります。全国紅葉絶景150としても選ばれている紅葉の名所です。まだ色づき始めですが中旬頃には燃えるような鮮やかな紅葉が楽しめるでしょう。
葉の細胞(cell)には葉緑体という光合成をおこなう器官があります。この葉緑体の中には緑色のクロロフィル(chlorophyll)と黄色のカロチノイド(carotenoid)という色素があるので、光合成を行っている夏のあいだ葉は緑色に見えます。落葉前になるとカロチノイドは残りますがクロロフィルは壊れ葉が黄色く見えてくるのです。
紅葉する葉では落葉前にカロチノイドに加え細胞中の糖分がアントシアン(anthozyan)という赤色の色素に変わります。
アントシアンが出来るには8度以下の低温と十分な光が必要だと考えられています。空気が澄んだ冷え込みの厳しい山あいで鮮やかな紅葉が見られる訳はこうした気象条件が整っているからなのです。
今日はあえてタブー(taboo)に触れてみます。
息子が通う小学校ではいじめ(bullying)がないそうです。聞いてもいないのに「この学校はいじめがないんです、だから安心です。いい学校なんです」と、校長自ら私に説明してくれます。
不思議な学校です。程度の差こそあれ子供たちはいじめたり、いじめられたりしながら成長していきます。大人から見るといじめに見えても子供たちにとっては仲が良いこともありますし、仲が良さそうに見えても実はそうではないこともあります。子供の目線と大人の目線は違うことだけは確かです。
子供たちは団体生活を通じてバランス感覚を身につけていきます。大多数の子供たちは死を選択することなく力強く生きているのです。
今すぐやれること。それは命の尊さを説くことです。民間の大人たちを学校に招くこともひとつの方法です。人生の素晴しさを説き、夢と希望を与える、これこそが本来の教育ではないでしょうか。自ら命を絶つことが最も卑怯な選択だということを説き、叱咤・激励することが肝要です。
アメリカのホーム・スクール制度の採用もいじめ問題を解決する一つの方法かもしれません。陰湿ないじめに我慢することなく義務教育を終えることのできるシステムです。
日本の教育は最大の転換期を迎えています。
自動販売機(vending machine)の歴史は意外に古くルーツは古代エジプトにまでさかのぼります。アレキサンドリアの科学者ヘロンが著した「気体装置(pneumatika)」に硬貨を入れると水が出てくる記述があり、これが自動販売機の起源です。エジプトの神殿に「聖水」を販売するために設置されたといわれています。
日本では明治時代に菓子、たばこ、切手等の自動販売機を中心に展開され、大戦後の1957年、10円を入れると紙コップに一定量のジュースが出る販売機が開発されました。機械上部にアイキャッチ用の噴水が取り付けられていたことから「噴水型ジュース販売機」と呼ばれ約1万台普及し爆発的な自動販売機ブームをもたらします。
1960年代、米国企業が積極的に日本市場へと進出、コカコーラ飲料の自動販売機が登場します。当初はビンの販売でしたが、その後、缶へ以降したことは周知の通りです。
今日ではその数は550万台を超え、年間売上金額は七兆円、日本は世界一の「自動販売機大国」なのです。
歌手のマドンナさんがアフリカ南部マラウイで養子縁組(adoption)したことが話題を呼んでいます。善意か偽善かという論争(dispute)です。
外国人との養子縁組の増加はハリウッド特有の現象ではなく全米の傾向です。国の支援で組織されたNAC(National Adoption Center)が窓口となり年間13万人以上の子供達が養子として受け入れられています(2006/9/10塾長日記)。外国からの養子は2万~3万ドルの費用がかかるにもかかわらず、約2万3000件に達し15年で3倍に増えています。
欧州では外国養子縁組の数は多くはありません。それでもフランスやスペイン、ドイツなどでは年間1000人を超えます。受け入れ態勢の不備が指摘される英国でも約300人。出身地はアフリカ、中南米、アジアのほかロシアや旧東欧など。
世界には1億4300万人の孤児(orphan)がいるという現実があります。孤児として生活するよりは経済力がある里親が育てるほうがいいのではないでしょうか。幼時虐待(abuse)や育児放棄などが当たり前の時代、マドンナさんの行動を私は支持したいと思います。
さて、国際社会では「ハーグ国際養子縁組に関する子の保護及び国際協力に関する条約」があります。日本はこの条約を批准(ratification)していません。国内法も整備されていないのが実情です。
ツイスター(Twister)は10年前に公開された映画で、竜巻を追いかける特異な人々を描いた作品です。コンピュータ・グラフィックによって迫力ある竜巻がリアルに再現され話題になりました。ご覧になった方も多いと思います。
アメリカでは年間1000個以上の竜巻が発生しています。サクラメント(Sacrament)出身の英語の先生が竜巻について教えてくれたことを覚えています。牛や馬が空を飛び交う話は当時小学生の私には信じられないことでした。
日本の学校では地震の避難(evacuation)訓練をします。アメリカでは竜巻の避難訓練をするそうです。
マニュアルによれば地下へ逃げることがいちばんです。アメリカでは建物の多くに地下があります。地下がない場合、1階に行きうつ伏せの状態を維持します。立っていると竜巻に巻き込まれますがうつ伏せになると助かるかも知れないそうです。
車に乗っている場合はとにかく逃げることです。橋があったら橋の下に隠れます。
温帯地方を中心に発生の多い竜巻。無防備は危険です。
15年前の夏、月刊誌グローブ・プレス(globe press)の創刊号の取材でニューヨークを訪れたときのことです。当時ブロードウェウイで話題のミュージカル『ミス・サイゴン』の一般公開が始まったばかりでした。
ネタ探しでも、という気持で観たこのミュージカルに一目惚れした私は創刊号の目玉記事として『ミス・サイゴン』を取り上げることを決断、涙を誘う結末が日本人にウケルと直感したからです。
翌年、帝国劇場で日本版『ミス・サイゴン』の公演が始まります。ベトナム人女性キム役を演じたのが歌手の本田美奈子さんでした。彼女の気迫ある演技に私も心を打たれたひとりです。『ミス・サイゴン』の成功で日本のミュージカル熱は一気にあがったといえます。
急性骨髄性白血病で美奈子さんが他界してからはや一年がたちます。未発表曲がこのほど見つかり追悼アルバムが発売されることが決まりました。
ブロードウェイの『ミス:サイゴン』は同時多発テロ以降劇場が封鎖されてしまいました。再演が待ち遠しいこの頃ですが美奈子さんの歌声でしばし心が和みそうな12月です。
私の人生に欠かせないモノ、それは「熱さまシート」!
熱さまシートを額(forehead)にあてると仕事の効率がいいのです。徹夜には慣れているので眠気に襲われることはありませんが、額を冷やすことで気分よく仕事ができます。長時間のデスクワークで頭に血が上っているのでしょう。深夜に仕事をするときにはまずは熱さまシートの“在庫”を確認します。ジェル状の熱さまシートは苦手です。粘着力が弱いためすぐ取れてしまうからです。お気に入りは小林製薬の熱さまシートです。
海に“逃亡”するときは熱さまシートを大量に買い込みます。マウイの浜辺でうっかり寝込んでしまい熱中症になったことがあります。深夜、ベッドの上でもがき苦しみます。極度の日焼けで顔面に激痛が走ります。氷で冷やしたタオルではままったく効き目なし。結局、バスタブに水と氷を入れて朝方まで顔と体を冷やし続けました。翌日には痛みは緩和されましたが顔がおせんべいのようにパリパリになりました。
生まれつき扁桃腺(tonsils)が大きい私です。風邪をひくと扁桃腺が腫れ高熱がでます。そんなときにも熱さまシートが活躍してくれます。おでこに貼り付けても熱は下がりません。脇の下や首の付け根など「太い血管が皮膚の近くに走っている場所」を冷やすのがベストです。日本では昔から「氷枕」が使用されていますが、「氷枕」で熱はさがりません。
弁力向上の影の立役者、それが熱さまシートなのです。
世界117カ国の中で日本は7位。堂々の入賞?
国連開発計画(UNDP)が生活の豊かさを比べた「人間開発報告書」を発表、ベスト3はノルウェー、アイスランド、オーストラリアの順、7位の日本をはさみ米国、スイス、オランダまでがベスト10にランキングしています。日本は前年の11位から7位に順位を上げました。
豊かさが7位にランキングのこの国ですが学校ではいじめ(bully)が横行し、家族同士での争いや殺人までが後を絶ちません。豊かさからは程遠い状況です。
人の豊かさは国内総生産や平均寿命(span of life)だけでははかることはできません。目に見えな部分が大切です。
松田聖子さんが主演した『野麦峠』の一場面です。「たみさんは野菊のような人だ」の台詞が私は大好きです。純愛の中に「奥ゆかしさ」や「恥じらい」があるからです。
豊富なモノに囲まれ、セックスはもはやスポーツと同様に考えられる時代。私の豊かさの定義は古臭いものなのかも知れません。
今日は1が4つ並び縁起の良さそうな日です。明日は富山へ移動、大好きなカニが楽しみです。
4時に指導を終え箱根から空港に向います。ANAの富山行き最終便は8時、余裕で羽田に着くはずですが用賀から3号線の渋滞(jam)で身動きが取れません。空港に着いたのが7時40分。乗り過ごしてしまいます。飛行機がダメなら列車があるさ。23時3分上野発金沢行き寝台列車「北陸」に乗れば翌朝には富山に到着です。
事務局に戻り車を駐車場に入れようとしたそのとき自宅から電話がなります。息子が学校から帰宅していないというのです。いつもなら5時前には戻るはずですが8時を過ぎても戻る気配がありません。学校へ電話しても繋がりません。
警察に連絡を入れます。私も自宅に向います。そのとき携帯がなりました。息子からです。帰りの電車で爆睡、終点の浦和美園まで行ってしまい今目黒まで戻ってきたというのです。
警察に電話を入れ状況を説明します。急いで息子を自宅まで送り上野に向います。時計を見ると10時半。まずい!山手線になぜ急行がないのか、などと考えても時間は刻々と過ぎていきます。何という偶然でしょうか、上野に到着したのは11時11分でした。
最後の手段は車です。長野経由で北陸まで一人6時間のドライブが始まりました。
翌朝5時23分、無事富山に到着です。しばらく車中で仮眠とります。寒っ!
富山県氷見の雨晴(あまはらし)に来ています。
雨晴の地名は鎌倉時代に源義経一行が奥州へ落ちのびる途中この地で突然の雨にあい、弁慶が大岩を持ち上げて岩屋を作り、雨宿りをして雨が晴れるのを待ったという伝説に由来しています。
海には女岩、男岩など奇岩が点在して美しい景観を形成しています。海岸をへだてて見える標高3,000m級の立山連峰の眺めは絶景です。白い砂浜に沿って約1万本の黒松が連なり、日本の渚百選にも選定されています。
越中国司だった万葉歌人、大伴家持は雨晴の地をこよなく愛し多くの歌を残しました。
馬並めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)に寄する波見に
(『万葉集』巻十七)
渋谿というのが現在の雨晴海岸のことです。
この海岸で発声練習をする我々の姿を見て地元の人たちが集まってきました。漁師のお兄さんが練習に加わります。
富山県入善町。私の祖父が生まれ育った町です。
国道8号を海に向かうと、かやぶき屋根の「椚山(くぬぎやま)いろり館」が見えてきます。同館は9代続いた地元長島家の住まいでした。大正時代、火災で家を失った同家が民家を買い取り、3分の2を現在の場所に移築、それを1994年に町が譲り受け、一部改装後、翌年4月にオープンしました。土間から板の間の座敷に上がると囲炉裏(hearth)が出迎えてくれます。1メートルはあるように見える太い柱が家全体を支えます。屋根裏部屋ではかやぶきの屋根の構造を間近に見ることもできます。
同館の管理人長島嘉子さんは「昔は川が家の中を流れていてそこに台所があったんですよ。当時は夏のお盆前に畳を干すのが大変でね、全部で81枚もありましたから」と振り返ります。春は桜、冬にはツバキといった季節の花を絶やさず、訪れる人たちをもてなしてくれます。
田舎の親せきの家に里帰りしたような懐かしい雰囲気を求め、いろり館には遠く関東から訪れるリピーターも多いそうです。
タウンミーティングの歴史は古くアメリカ植民地時代までさかのぼります。ニューイングランド地方で最初に始まりました。タウンミーティングでは全会一致(unanimous agreement)を旨とし多数決(decision by majority)に頼らないのが最大の特徴です。会合での決定が住民全体の総意であるとされました。役職は選挙で決定され無報酬で職務が全うされたそうです。
さて、日本のタウンミーティング構想は2001年に行われた小泉前首相の所信表明演説で初めて打ち出されました。民主国家でありながらタウンミーティングがそれまで行われなかったこと自体不思議です。
元来、寡黙な日本人。パブリック・スピーキング教育がこれまであまり盛んではなかったこともあり、日本人は公での発言に消極的です。最初に質問をする人、つまりアイスブレーカー的な人がどうしても必要になってきます。
「やらせ質問者」に謝礼を手渡したことは問題ですが、「やらせ」がなければミーティングすら成り立たない哀しい国、それが日本なのです。
どうしてアメリカに行くのか?かんたんです。MLBのほうがより魅力があるからです。
「巨人・大鵬・卵焼き」。日本の高度成長期を象徴するフレーズです。巨人は1965年から73年、川上監督の下、王と長島を擁し9連覇を果たします。私が幼稚園年少から小学6年まで毎年巨人が優勝していたわけです。下校するとランドセルを玄関に放り投げ野球三昧の日々でした。
テレビの視聴率は20%、プロ野球人気の絶頂です。大鵬は、62年から67年にかけて6場所連続優勝を2度達成している。そういえばジャイアント馬場も絶大な人気がありました。
あれから40年。今シーズンの巨人は79敗、2年連続で最多敗戦を記録。「巨人・楽天・ハルウララ」の時代、プロ野球の視聴率は4%にまで低下しました。
銀座の久兵衛で大トロを食べた人は回転寿司の暖簾をくぐることはできません。スポーツも同じです。一度MLBに魅せられると、もはや日本の野球に魅力は感じないのです。
東京ドームで松坂vs松井のパブリックビューイングを楽しむ時代が到来か?
巧みな口上や様々な芸で人を集め少しずつ値下げしながらバナナを売りさばく、これが「バナナの叩き売り」です。
発祥の地は北九州市の門司。日本では当時栽培されていなかったバナナが貿易港として発展した門司に輸入(import)されたのがきっかけです。日持ちしないバナナ。冷蔵倉庫がなかった当時は口上売りが必要だったのです。
「さあさあ、そこのお兄さん、お姉さん、せっかくだから寄っといで。お代は見てのお帰りだい、見るのはタダ、タダの0円だよ。叩き売り、見るもん、聞くもん、笑うもん、お代があって、お代なし。バナナを買わなきゃ、お代はいらないときたもんだ」。
なんとリズム感溢れる日本語でしょう。話しかけているかのような人情味溢れる語り口は聞き手を魅了(lure)します。瞬時に判断しなければ買い手は買うタイミングを逸してしまいます。かるたや百人一首の札を取るときの緊張感、これが買い手をのめり込ませていくのです。
弁力の王道がここにはあります。
宿泊代がべらぼうに高いニューヨーク。出張する度にホテル探しに悩まされます。狭い、汚い、暗いはもちろん電気が切れていたりシャワーのお湯がでない等は当たり前、それでも1泊で最低200ドルは請求(charge)される、これが現実です。
東京並みの環境を求めれば400ドル前後は覚悟しなければなりません。週末にはビジネス客が少ないため価格が落ち着きますが、平日は予約を取ることさえ難しいニューヨークです。
石原都知事の出張無駄遣いが報道されています。規定では知事の宿泊費用は1泊4万200円だそうです。高いか安いかは別として意外な印象を受けました。これでは日本の都知事でさえニューヨークに宿泊することはできません。世界標準に合わせた規定の見直しをするべきでしょう。
規定によれば都知事が航空機で移動する際はビジネスクラスです。日本の首相はチャーター機で都知事が民間機のビジネスクラス。この違いは何なのでしょうか。首相と都知事の間にそれほどの差があるとも思えません。
談合や役人の不祥事が後を絶たない今の時代、無駄遣いはいけませんが危機管理(risk management)を実行するにはある程度の予算が必要だと私は思います。
江戸幕府は家康によるキリシタン禁令(1612年)や秀忠によるキリシタン禁令の高札設置(1619年)など度重なるキリスト教の禁止を経て「踏み絵」を導入します(1629年)。
踏み絵は幕府が禁止していたキリスト教の信者を発見するための手法です。キリストや聖母マリアが彫られた木製や金属板の板が用いられていました。現在、その踏絵19枚が東京の国立博物館に保存されています。
自民党中川幹事長は報道番組で郵政民営化に反対して離党した造反組の復党について、「希望者には踏み絵を踏んでもらわなければならない」と述べ、党の方針に従うと確約することが条件になるという見解を示しました。
政治家にとって信条(creed)は命です。その信条をコロコロ変えてしまうような政治家は日本には必要ありません。復党する面々がどんなコメントを残し踏み絵を行うのか、注視したいと思います。
初の総二階建て旅客機、エアバス380が成田にやって来ました。バーやラウンジはもちろん、スポーツジムやショッピングセンターなども設置され、空飛ぶオフィスに相応しい時代の到来です。
飛行機との出会いは6歳、小学校1年生の夏のことです。羽田から札幌まで一人で搭乗、それ以来、航空機の虜(fanatic)す。
テレビがまだ白黒の時代です。飛行機に乗ったことのあるクラスメイトは誰もいませんでした。プロペラ機が全盛の時代、DC10のジェット機に乗る感動は記憶にハッキリと刻まれています。
当時、一人で搭乗する子供は珍しかったのでしょう。アテンダントのお姉さんが頻繁に座席まで来てくれました。飛行中のコックピットに入り操縦かんを握ることなど、今の時代にはあり得ないことだと思います。“ハイジャック”という言葉すら存在しない遠い遠い1967年の思い出です。
私にとって飛行機は単なる移動の手段(means)ではなく特別の空間なのです。狭い座席に押し込められる苦痛が心地よく感じられるのは一種の病気でしょうか。
観月ありささん主演の『CAとお呼び!』を見ていたなんて恥ずかしくて誰にも言えません!
自宅付近にもちらほらとクリスマスツリーの飾りつけがお目見えし始めました。
宅配のお兄さんがサンタクロースの格好で我が家にピザを配達したときのことです。当時3歳の息子が「ニセモノのサンタだ! 何でお金を払うの?」と皆を笑わせたことを思い出します。
私自身、サンタの格好で講義をしたこともあります。ウケは上々ですが意外にヒゲ(beard)が邪魔なのです。
ツリーの飾り付けの習慣は1419年、ドイツのフライブルク、パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾ったのが最初だとされています。日本では1860年、プロイセンの使節オイレンブルグが公館に初めて飾ったのが最初です。1874年には原胤昭(はら たねあき)によって明治学院の前身、築地大学で行われたパーティでツリーとサンタが初登場します。
ニューヨーク、ロックフェラーセンターのツリーも有名です。
3万個の電球で飾られる22メートルのクリスマスツリーの点灯式は今月の28日。ツリー下のアイススケートリンクで思いっきり滑ってみたいと思うのは私だけでしょうか。独りじゃ、寂しいかな?
マイコプラズマ肺炎が流行の兆しを見せています。
マイコプラズマ肺炎は、マイコプラズマ(Mycoplasma pneumoniae)という微生物によって引き起こされます。マイコプラズマはウイルス(virus)のように他の生物の細胞の力を借りて増殖するのではなく自力で増殖します。ペニシリンなどの抗生物質では完治しません。
マイコプラズマ肺炎が認識され出したのは1930年代です。当時よく見られた肺炎球菌による肺炎とは明らかに違った種類の肺炎であるということから、非定型肺炎(atypical pneumonia)と呼ばれました。肺炎球菌による肺炎が主に老人たちに見られたのに対し、非定型肺炎は寮制の学校の寄宿生や軍隊の新兵たちといった若い人たちで多く見られました。
マイコプラズマ肺炎の患者の気道の分泌物が咳によって飛沫となります。この飛沫を吸い込むことによって人から人へと感染するのです。有効な抗生物質による治療を行った場合でもマイコプラズマの増殖の邪魔はしてもマイコプラズマを殺すわけではありません。そのような患者が感染源となり、家族や学校等での感染を起こしてしまうのです。
博徒とは一家の支配する地域内を“シマ”と称し、親分は“シマ”内で賭場の支配権を総括しテラ銭等の利益を収得します。親分はまた身内のそれぞれの貸元親分に賭場の支配権を分与し、随時「盆」を開かせてテラ銭等の収納にあたらせていました。得た利益は階級に応じて分配したり、組織の維持費にあてられ“シマ”はその一家の専有するものとして、他団体の侵害は絶対に許されません。
新宿・歌舞伎町で12月からみかじめ料の不払い運動が始まりそうです。「この辺りは、うちの組が取り仕切っている」、「誰に断って商売しとるんや」などと言い、みかじめ料を要求します。断られれば集団の威力を示して威嚇し、あるいは要求が容れられるまで執拗な嫌がらせ行為を繰り返すなどがその主な例です。
区民税や都民税、それから所得税や消費税等など、我々はたくさんの“みかじめ料”を払わされています。役人や政治家たちは“みかじめ料”をごまかしたり無駄遣いをしてばかりです。我々一般庶民が恩恵をうけられる日はいつやって来るのでしょうか。
馬は賢いと同時に非常に臆病(timid)な動物です。視界は人間より広いのですが背後が死角になるため馬の真後ろに立つと危険です。
馬の顔に遮眼帯というマスクをかぶせることがあります。背後から忍び寄る馬の視界を遮る工夫です。レースでなかなか実績を残せなかった馬がマスク着用をきっかけに勝てるようになったケースは少なくありません。
競走馬は前の馬を追い抜こうとします。これが競走馬の本能(instinct)であり遺伝子です。抜かされそうになっても抜かされない、抜かされたら、また抜き返す、これが闘争心です。
日本の競走馬史上、間違いなくディープインパクトは最強です。直線に入ってからゴールまでの破壊力は他馬を圧倒します。
凱旋門賞でディープインパクトは他馬に“差され”ました。生まれて初めて追い抜かれてしまったのです。賢い馬だけに“負けた”経験がどんな影響を与えるのか興味があります。
26日東京競馬場で行われるジャパンカップ。最強ディープがもし惨敗するとすれば、ジャパンカップ以外には考えられません。
競馬予想が下手な福澤先生の“心の叫び”(heart’s cry)でした。
日本全国各地の大鳥神社では霜月の酉(とり)の日に市が開かれます。一の酉、二の酉、年によっては三の酉があります。
酉の市は日本武尊を祭神とする特殊神事です。古代、熊襲(くまそ)や蝦夷(えみし)を平定した尊の戦勝記念と尊が焼津で向火(むかいび)に遭ったことに由来する火難除(よ)けの神事であったと伝えられています。
大鳥神社酉の市の歴史は天保六年(1835年)11月、初の酉の日に下目黒の造り酒屋、大国屋與兵衛が浅草から熊手を取り寄せたことに始まります。もともとは、付近の農民が野菜や実用品を売るために開かれていました。
毎年にぎわいをみせる酉の市です。は日本武尊の武勇にまつわる八つ頭や熊手はいつのころからか縁起ものになっていきます。八つ頭は人の頭に立つように出世できる、熊手は家の中に宝をかき込む、という言い伝えです。
今年は三の酉まであり、それが今月の28日、日ごろは前を通るだけの大鳥神社ですが足を運んでみようと思います。
1990年代、白人社会を中心に日本食がブームになりました。すしが認知されたのはこの頃でしたが好んで美味しく食べるというよりもあくまで健康志向の流れに沿ったブームでした。
今は違います。すしは完全に認知されアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで大ブレークしていま。
オーストラリアのアデレードで回転すしを始めた友人の話は以前、日記でも紹介しました。笑いが止まらないほど儲かっているそうです。
さて、中国人はすしを食べません。中華料理では生(raw)の魚を遣わないからです。などと思っていた私は認識不足でした。ここ数年で状況は一変したのです。人口13億人。中国の水産物輸入の伸びは尋常ではありません。2004年の輸入量は世界最大の日本が350万トンに対し、中国は300万トンの2位。1984年には日本と中国は約7倍の開きがあったが、04年は1・2倍まで縮小。実質的には既に逆転されているとの見方まであります(FUJI SANKEI BUSINESS)。マグロの価格の決定権は今や中国にあるのです。
高級食材として名高い上海ガニ。今が旬ですが2月から日本への持ち込みが規制されています。生態系をかく乱する恐れがあるというのが理由のようです。
上海ガニは揚子江河口周辺の湖を生息地としています。中でも水の都、蘇州郊外にある「陽澄湖」で獲れたものがいちばん人気です。高価な食材だけにニセモノも多く出回っているようです。私自身、ワタリガニと上海カニの区別はつきません。上海に何度も行ったことがありますが騙されていたかも知れませんね。
甲羅は青黒く、つめは毛で覆われ、足にも金の毛が生えています。 200g以下がほとんどですが1万匹に1匹といわれる250g以上の上海蟹は、「蟹皇」と呼ばれ非常に重宝されています。 生きたまま紹興酒に漬け込んでいただく「酔っ払いカニ」は珍味です。
規制はあくまでも国内での繁殖を危惧するための措置で、既に死んでいる上海ガニの持ち込みは適用外だとか。
布団から出るのがつらい季節です。皆さんは電気毛布派ですか、それとも私のような湯たんぽ派でしょうか?
湯たんぽの起源は中国の唐の時代。当時は「湯婆子」や「湯婆」と呼ばれていました。「婆」とは「妻」を意味し、妻の代わりに抱いて寝ることからついた呼称です。「湯婆」で「たんぽ」と読みます。「たんぽ」では意味が通じないため日本ではもう一つ「湯」がついて「湯湯婆(ゆたんぽ)」と書くようになったそうです。
日本へ伝わったのは室町時代頃とされています。江戸時代に一升とっくりを使ったのが今の湯湯婆の原型です。
日光輪王寺には徳川綱吉が使用したという犬型の湯たんぽが伝わっています。寒い冬の季節には昔から欠かせない存在だったのですね。
湯たんぽはヒーターの類とは異なり皮膚が乾燥しません。喉を痛めずに済むため弁士には都合のよい暖房器具です。最近問題になっている電磁波とも無縁です。
ほかほかと自然な暖かさのある湯湯婆を試してみてはいかがでしょうか。
今月の11日に発売されたプレイステーション・3。徹夜で並んだ方も多かったのではないでしょうか。62,700円は世のお父さんたちのお小遣い(allowance)以上の“おもちゃ”ですが飛ぶように売れる時代です。
中国ではコンピュータ・ソフトは舶来品です。プレステ3を持っていることが一つのステイタスになっているようです。上海での流通価格は10,000元~12,000元、香港や台湾では20,000元~22,000元で取引されています。日本で購入したプレステ3をそのまま中国で販売すれば約120,000円の儲けになります。今月だけで数百万儲けた人もいるそうです。
中国の富裕層は総人口の1%以下。それでも1000万人ですから大きなマーケットです。一人しかいない子供がオネダリすればプレステのプレミア価格など気にしない、それが上海など大都市富裕層の生活レベルです。
中国経済の今後は意見が二分しますが北京オリンピックまではイケイケのバブルが続きそうです。
日本人選手のMLB移籍で盛り上がっています。松坂は逃したもののヤンキースは井川を落札、不足する先発陣の仲間入りを果たしてくれそうです。
4月25日から行われるヤンキースvsレッドソックス三連戦では井川と松坂の日本人対決の可能性もあります。翌週末の4日からはイチロー、城島を率いるマリナーズとの交流戦が行われます。多くの日本人観光客がニューヨークを訪れることになりそうです。
ニューヨーカーには不人気なマリナーズですが日本人が経営する現地のチケットブローカーの間ではマリナーズ戦のチケット争奪戦が繰り広げられています。12ドルで購入できる外野席(bleachers)が80ドルから120ドル以上で売れるからです。普段なら試合当日でも購入できる外野席ですがマリナーズ戦だけは例外のようです。
ヤンキースタジアムの外野席を日本人が独占する光景は滑稽ではありますが、これもまた一つの時代の始まりなのかも知れませんね。