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息子の担任から私の携帯に電話が入ります。作文コンクールで入賞? そんなはずはありません。悪い知らせに決まってます。どうやら大の仲良しと取っ組み合いの喧嘩をしてしまったようです。
喧嘩は日常茶飯事。私は気にしていません。でも今回は少々厄介です。相手の前歯が抜けてしまったのです。背後から抱きつかれ逃れようとするうちに息子の肘が相手の顔面を直撃。これは痛っ。親御さんも理解ある方で一件落着。永久歯でなかったのが救いでしょうか。
そもそも原因は何なの? 聞けば喧嘩をしているうちに2人とも理由を忘れてしまったとか。
“喧嘩はするな”。こんなことを言っても通じる子ではありません。“怪我をさせるな”。これは息子も理解してくれました。
血気盛んな男の子の教育。弁力教育よりも難しいかも知れません。
事業主としての心得を私は亡き父から教わりました。その1つ“決めた通りに事をすすめよ”。もう少し詳しく。
一旦立てた計画は淡々と遂行せよ。
途中で変更したり悩んだりするな。
どんな逆境にも怯むことなく冷静であり続けよ。
ゴールが見えたと思ったら注意せよ。
成就する前に喜ぶな。
中日・落合監督のビックリ采配を見てふと父の心得を思い出しました。監督の“たてた計画”、それは山井投手に5回まで投げてもらうこと。5回で降板させてもよかった。それがたまたま8回までパーフェクト・ピッチング。最後は岩瀬と決めていたはずです。落合監督は”途中で変更“したり”悩んだり“しないのです。コンピューターのように”冷静“です。9回を迎え、“ゴールが見えたと思ったら注意”する。そして"成就“。
賛否は様々ですが男落合は監督として最高の仕事をしたことだけは確かです。
高タンパクで低脂肪。血圧やコレステロール値を下げてくれるタウリンが豊富。皮はコラーゲンの塊。私にピッタリの食べ物です。さあさあ、フグの季節ですよ。
東京でフグを食べるなら銀座のやま祢さんですが、僕の小遣いが1日で無くなっちゃいますね。でも大丈夫。西麻布にやま祢本店の味をカジュアルな形で頂けるお店『西麻布・露地・やま祢』があるのです。ここは穴場です。
“コース料理を全ていただいても800キロカロリーなんですよ”。3年ぶりに店主の慶一さんとお会いすることができました。毎日食べても太らないけど、毎日来たらたいへんだなどと冗談を言い合いながら至極の時を過ごすことができました。
超一流店はやはり接客が違います。自信に満ち溢れていながら控えめな態度。言葉数は少なめですが無駄がない。精進した人はそれだけで弁力に秀でているのです。
“次回はぜひ女性とお越しください”? 失礼いたしました。
718年制定の『養老令』の医疾令第24。針博士や按摩(あんま)博士などの官職が設けられていたことが記されています。この時代の按摩師は外科・整形外科およびその後療法としての処置等、総合的に取り扱ったその道の専門家だったようです。
江戸時代に入り大阪の太田晋斎『按腹(あんぷく)図解』を著し“元気の溜滞を活発にし、臓腑を和らげ、気力を盛んにする”と、按摩の効果を詳しく紹介しています。この時代は主に目の不自由な人が按摩を行っており彼らは座頭と呼ばれていました。
その後、按摩術は明治維新とともに漢方医学の一科として別道を歩みヨーロッパ流のマッサージと総合されて現在に至っています。
弁塾目黒ラウンジの周辺には各種マッサージ店が乱立しています。僕がいつも元気な理由のひとつ。それはマッサージにあるのです。
日本語には“腹”を使った慣用表現がたくさんあります。「怒る」ことを“腹を立てる”と表現すること自体ユニークな発想ですね。
探せばいくらでも出てくる“腹”。 “腹に一物”があるなんて人から言われたら、それこそ“腹”を開いて見せなけりゃいけないのかな。開いてみたら“腹が黒かった”りして。
平和な日本なのに“腹が減ったら戦(いくさ)に行けぬ”などと平気で言ったりもします。ダイエット中に食べてしまういい訳にもなる? 戦になんか誰も行かないのにね。
英語に訳そうと思ってもなかなか難しい表現もあります。“腹の虫が収まらない”、“腹を割って話す”、“腹が見え透く”。直訳したら凄い英語になりますね。経費節減で日本の企業戦士が“自腹を切る”?。 誤訳されたら大変です。 “腹切り”大国日本。
さてさて、“腹の探りあい”は自民党と民主党、“腹が煮えくり返る”のが国民。福田vs小沢。“腹が据わっている”のはどっち? この国で起きていることは“腹”だけで全て語れそうですね。
箱根新弁塾館の工事が着々とすすんでいます。外部給水や配水管埋没工事は完了、柱や梁、ヘーベル版の大枠での工事もほぼ終了しました。1000平米強の森の中にお洒落な建物が間もなく誕生です。
5メートル超を超える南傾斜向きの吹き抜けは総ガラス張り、床はイタリア製の総大理石、内装は間接照明が映えるドイツ生まれのルナファーザー等々、一流ホテルのノウハウを取り入れた設計です。旭化成と弁塾のコラボが生み出した傑作だと自負しています。
建物1階のパティオ部分には箱根の温泉を引き込んだ足湯スペースとウッドデッキを設置、リラックスした気分で指導をうけることも可能です。生徒さんが宿泊するお部屋も完全な独立設計、セキュリティ面でもじゅうぶんな配慮を施しました。温泉付のバスルームも室内に設置しています。
一般にも開放するソフトオープニングは12月26日午後5時。お越しいただいた方にはお酒と軽食を無料にてお出しします。遠慮なくお問合せください。
子どもに勉強をさせるにはどうしたらいいのか? 電話相談でよくある質問です。“長時間ダラダラ作業させる”。これが私の回答です。
ダラダラ”では効果がないのでは? 長時間はチョット? 短期集中させたほうがいいのでは? 反応は様々です。
シンクロの選手は一日10時間以上、水の中で“生活”します。栄養補給も水の中で行います。何事もドップリと水に浸かる(immerse)ことが大切です。
「時間」は「集中」に勝ります。「1時間集中」よりも「10時間ダラダラ」が勝るのです。私は"勉強“ではなく、あえて“作業”という言葉を使いました。子どもには書き込み式のドリルで“作業”をさせるのが効果的です。6年生であれば5年生向けのドリル、5年生であれば4年生のドリル、というふうに気楽に解ける喜びを感じさせる。ココがポイントです。作業がすすめば自ずと集中力も身についてくる。1冊のドリルを1日でやり終えた子どもの目は輝いています。”ダラダラ勉強法“をぜひお勧めします。
「2大政党制ができなければ死んでも死に切れない」とは民主党”新“代表の小沢氏。政治家とウソはワンセットなのでしょうが、前言撤回だけは避けるべきでした。
“2大政党制”なんて簡単ですよ、小沢さん! 民主党を解党して自民党を2つに分ければいいんです。政治家の数も減って国民は大助かりですしね。
大連立計画ですか。成功させていればある意味凄いことになったと思いますよ。でもこの提案を党に持ち帰ってみたら幹部に一蹴されたんですよね。そして逆切れ辞任。サルのように一晩反省してからの前言撤回。これで小沢氏は死亡です。
“不器用”だとか“口下手な東北気質”ですって。東北の人に失礼じゃないですか。不器用な人はそもそも政治家になってはいけないのです。口下手な人はなおさらです。
昨晩のテレビ番組。病気の筑紫氏のほうが小沢氏よりもずっと魅力的に見えたのは私だけでしょうか。
日本の真南3000キロ、北緯7度30分の太平洋上の約300の島からなるパラオ共和国。珊瑚礁内海の複雑な地形はダイビングのメッカとしても知られています。
アメリカ軍は戦況を有利に運ぶためパラオに進軍、1944年9月ついに島は戦場となりました。敵の300艘の戦艦に対し日本軍は12000名の兵士があるばかり、もとより乏しい武器・弾薬・食料を補給する術すらない文字通りの玉砕戦でした。
中川州男大佐率いる日本軍はパラオの原住民を別の島に疎開させ持久戦に持ち込みますが同年11月末、“サクラサクラ”の電報を発し玉砕したのです。パラオの人々が日本を愛する気持は今でも不変です。
ぺリリュー神社には米軍二ミッツ元帥による日英2文が記されています。
“Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.”(この島を訪れるもろもろの国の旅人たちよ。あなたが此の国を通過することがあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を…)
七五三? お祝いをしてもらった記憶がないので母に聞いてきます。「ああ、そうね。七五三、してないわね」。当時の我が家はそれどころではなかったようですが、私、無事に千歳飴のように“太く長く真直ぐに”成長することができました。
自分の息子も気づいてみれば今年で10歳。お祝いをした記憶がないので息子に聞いてみます。「ああ、そうだね。七五三、してないね。」
思い起こせば、そうそう、お受験でしたね。忘れもしないアノ出来事。わざわざ授業を休講してお受験の付き添いをした私でした。私の母校なら受かるかな?
面接を終わってスキップして帰ってきた息子。服のボタンが外れ髪がボサボサです。どうしたの? 聞けば、前に座っていた友だちと取っ組み合いの喧嘩をしたらしい。仲良く遊ぶのが試験なのに! やってくれました。両者、不合格。当然ですね。“喧嘩っぱやい”のは私のDNA?
ショックで七五三をする気力が無くなっていた私でした。
どうやら我が家と七五三は縁がないようです。
“オヤジ越え”。この関門を通過しない限りガールフレンドとのコンタクトは叶わない? 私が学生時代の話です。ボーイフレンドから電話がかかってくると日本の“オヤジ”さんはなぜだか機嫌が悪いんですよね。“娘は留守にしています”、ガチャン。こんなのアタリマエ。“娘にどんな用事ですか!”などと低い声で囁かれると小心者の私なんて超タジタジ。“バカ野郎”と言われて切られちゃったこともありましたね。凄いですね。“オヤジ越え”は高~い高~いハードルだったのです。
大概、相手のお母様は僕にやさしかった。“こうちゃん、11時頃だったら大丈夫よ”、なんて言われた私はホイホイ電話しちゃうわけですね。で、電話するとその日に限って酔っ払った“オヤジ”さんが電話に出たりするわけ。いきなり“コラ、お前”ですよ。タイミング悪っ。 こんな時代ですから一発で相手が出てくれた夜なんか、もうアドレナリン大放出。嬉しさのあまり朝まで長電話なんてこともしばしば。
今の時代、“オヤジ越え”など一切不要で問題解決?かと思いきや事態は思わぬ方向に転じているようです。内閣府の調査によれば「恋人がいる」「過去にいた」と答えた258人のうち、男性の53.1%、女性の44.6%が携帯電話に絡む被害を経験していというから驚きです。“オヤジ越え”よりも新種の“デートDV”のほうが根が深いようです。
治療不可能な難病に苦しんでいる人がいます。私の昔の生徒です。数ヶ月毎に私の携帯に電話をしてくれます。私と話すことが“癒し”になるようです。
ステロイド系の薬を投与することで症状は治まりますが副作用(side effect)の頭痛が待ち受けています。頭痛の恐怖から薬の投与を躊躇してしまうこともあるそうです。
徹底的に無関心な親、不登校の弟、10年以上引きこもる兄。そんな環境の中で彼女は看護士になる夢を抱き続けています。
私が彼女を“癒し”ているかどうかはわかりません。ただ、“先生、ありがとう。頑張れそうです”と言われ安堵します。いつも1時間以上話をします。
人生の理想形は人から好かれること。嫌われることも取り合えずはOK。最大の敵は“無関心”だと彼女と話していると強く感じます。
“癒し”の正体は私にはよくわかりませんが、“アナタに関心がありますよ”という感覚と"癒し“は大いに関係がある気がします。治療に無関心な精神科医。彼女を治療することも”癒す”こともできない現実があります。
教員のフリーエージェント(FA)制」が導入されるようです。大賛成!
教員の側から自分の得意分野をアピールし希望校へ転勤できる。これが新制度の骨子です。
魅力ある学校づくりを推進する校長のもとに意欲ある先生が集まるのですから現場の質は高まるはずです。
“教育に競争原理はそぐわない”という意見もあります。だとすれば塾や予備校は成立しないはずです。ダメな先生ほど言い訳は一流なのです。
私は予備校で講師をした経験があります。講習や合宿の申込みは選択制ですから講師は徹底した創意工夫が求められます。テキストに沿ったオリジナルプリントを作成するのはアタリマエ、オリジナルの単語集や復習テスト等の準備まで自前で行うのです。
競争に敗れた先生、つまり生徒が選ばなかった先生はどうするか。翌年の契約はなし。これが塾や予備校の現実なのです。
落ちこぼれた先生のフォローよりも子どもたちのフォローのほうが今の日本には大切です。
夏から始めたダイエット大作戦ですが体重は94キロ台で安定、夢の90キロが見えてきました。
“アメリカ人を弁力で笑わせる”をテーマにコンテンツ作成の準備をすすめてきました。福澤先生のアメリカデビュー最大のハードルは体重です。醜く太った体はテレビ映像とは無縁、現地ニューヨークのT.J.ウォーカー塾長からは最低でも200ポンド(90キロ強)まで減量するようアドバイスされています。ネタがよくても体重制限でオーディションに合格できないこともあるのです。
“笑わせる”とはいってもコメディアンになるわけではありません。私は弁力の分野で日本文化の素晴しさ、奥深さ、普遍さを世界に発信したいのです。
世界標準のモノサシから見ると奇異に映る日本文化を世界の人々に笑いを織り交ぜながら紹介すること。これが私の残された仕事なのです。
弁塾の経営母体である㈱フロントローではスタッフの英語力向上と以前から行っていた海外英語研修セミナーをドッキングさせた社員研修を毎年グアムで開催してきました。今年は少し足を伸ばし乾季を迎えたパラオで社員研修を行います。
日頃は休みもなく頑張ってくれるスタッフです。現地では徹底的に英語力に磨きをかけてもらいたいという親心から、本年から外部スタッフを募り本格的な研修旅行にしようと考えています。興味のある方は奮ってご応募ください。現地では我々スタッフに同行していただきレポートを提出していただくだけです。日常会話がお出来になれば大丈夫です。健康で明るい方を希望します。
さて、箱根新弁塾館のソフトオープニングまであと45日、外装部分は終了し、いよいよ内装部分に着手です。今日、自慢のバスタブが搬入されました。HPのムービーでは紹介していない秘密の部分は完成してからのお楽しみです。12月26日のオープニング・セレモニーは先着順にどなたでも参加可能です。お早めにご連絡ください。
「幸ちゃんって鈍感なのね。嫌い!」。10代の福澤先生はふられてばかり。せっかく仲良くなっても最後は嫌われしまう連続でした。好きな女性に「鈍感ね」と言われると男は凹みます。ネガティブ・ワードを突き刺されたショックで貝のように口を閉じてしまうのです。どうしたらうまくいく? こんな経験が弁力研究を芽生えさせたのかも知れません。
今の私? 女性に何を言われようが気にしません。「鈍感ね」という言葉を発した相手の真意(true intention)は何なのか? 言葉イコール真意とは限りません。仮に「鈍感ね」の真意が「もっと私のことを理解して」だとすれば凹む必要もなければ貝のように口を閉ざす必要もないのです。言葉のみを追いかけるのではなく、相手の目、動作、態度に注目する。このほうがずっと大切なのです。
私はなぜふられ続けたのか。それは「鈍感ね」と言われたその後の対処に原因があったのです。会話の中断です。男女の性差はありますが多くの女性は会話が好きです。会話は楽しいものでなければなりません。会話が中断すればそれこそホンモノの鈍感男になってしまうのです。「鈍感ね」という矢を男がどう撥ね退けるのか、女性はそれを冷静に観察しているのです。
2007年流行語大賞。渡辺先生の『鈍感力』は私の中での流行語大賞です。
フロントロー前身の㈱バイリンガル・ジャパンで開催していた『海外英語研修合宿』。
『オペラ座の怪人』や『ミス・サイゴン』の台詞を全部暗誦してブロードウェイミュージカルを楽しむ、という今では考えられないような合宿でした。
当時の合宿に参加していた生徒さんも今では一児の母。子育ても一段落つき、”先生、チケット取って“などと元生徒さんから連絡をもらうこともあります。
ニューヨーク劇場街が揺れています。大道具さんたちが加入する組合(union)がストライキを始めたのです。年末からクリスマスにかけては多くの観光客がニューヨークに訪れますが劇場が閉鎖されてしまうとニューヨークの魅力は半減してしまいます。
CNNの報道によれば組合員の年収は日本円で800万円~1000万円。その年収を30%近くカットしようとする経営者側と組合側の話し合いが決裂、ストライキは長期化しそうな勢いです。
自己主張を始めたら止まらないアメリカ人。ストライキが年を越さないことをただただ祈るだけです。
謝罪を迫る側と謝罪する側。弁力と弁力が弾ける瞬間です。
謝罪を迫る側に立ったアナタは既に勝利は約束されたも同然です。厄介なのは謝罪する側にたった場合です。
①黙らない:一気に攻め立てられると誰でも発話のタイミングを逸します。謝罪の場面ではなおさらでしょう。しかし、ここで沈黙してしまっては相手の攻撃は増すばかりです。シドロモドロだろうが何であろうが口から言語を発すること。意味不明な擬声語が効果的です。
②連呼しない:“申し訳ございません”を連呼する。これこそ地獄への最短距離です。言葉を連呼するよりも態度で謝罪する。肩を落とし目は空ろ。手先がブルブル震えていればOK。小刻みに震えていれば満点です。
③議論しない:“でもですね云々”、“お言葉ですが云々”。謝罪の場面にディベートはご法度です。相手の弱点が鮮明に見えるまで議論に持ち込むことは得策ではありません。
④言い訳をしない:謝罪を迫る側は弁力の塊です。言い訳をすれば2倍返しでヤラレルだけ。言い訳を“披露”するときが来るまでじっと我慢しましょう。怒りくるった相手もじきに喋り疲れる、そのタイミングを待つのです。
⑤携帯には出ない:こんなときに限って携帯が鳴ったりするものです。モジモジしているアナタに相手はさらに怒り狂います。携帯には意地でもでない。握った携帯を握り壊すくらいの握力が形勢を逆転させてくれるかも知れません。
山中湖のハーヴェストクラブをチェックアウト、富士山まで車を走らせます。富士スバルラインの終点は標高2,305m、眼前には山頂、眼下には5つの湖と南アルプス、雲のじゅうたんが広がります。ここから頂上まではゆっくり歩いて7時間、近そうで遠い山頂は弁力の頂のよう?
空気の薄さを体感しつつこんな場所で発声練習をすれば肺活量が増えるかな、などと考えてしまうのは職業病でしょうか。素晴らしい景色を前にすると素直に自分が表現できるような気もしてくるから不思議です。
山小屋風の休憩所では大声で話をする中国系の観光客の姿、比べると日本語は静かな言語なんだとあらためて感じる福澤です。
“富士に1度も登らないバカ、2度登るバカ“という名言があるそうです。来年の夏には私も”2度登るバカ“になりそうです。合掌。
弁塾動画版の進行が遅れ担当の米(よね)ちゃんがヘソを曲げちゃいました。“箱根囲炉裏屋で待つ”のメールが届きました。絵文字が入っていないメールだ。かなり深刻?
山中湖から東京に戻りネタを仕込みます。明日までに100個のショートドラマを作成するのが私の仕事、多少は書きためていますが徹夜覚悟で残りの原稿作成に取り掛かります。
やればできる、と思ったらほんとうに出来ちゃいました。背中の痛みは男の勲章と自分を言い聞かせ相棒の大ちゃんと箱根に向います。
“100個書いたよ”の言葉に米ちゃん上機嫌。ヤレヤレ。でも、ここからが凄かった。“原稿に目を通すのは後でいいかよね?”なんて言ったのは誰? 打ち合わせと称した大宴会の始まりです。ビールを浴びるように飲み男3人カンペキに泥酔状態、さらにワインを数本、炭火焼焼酎まで空けてしまいました。ビラに戻ったのは深夜12時、皆、大爆睡。何のために徹夜した?
日記の動画版、ダルマンマDVD。年内に完成する?
衣服を緩め、安静に寝かせる。嘔吐したものが気管に入り窒息を起こすこともある。顔は横に向け。頭部は水平位に保つ。救急車の出動を待つ”。これが脳梗塞の一般的な応急処置。揺り動かしたり顔を叩こうとする行為は危険です。
脳梗塞患者の治療は一刻を争います。オシム監督の場合は言葉の壁が原因で119番への連絡が遅れました。監督の体が大きく担架に乗せるのに手間取ったことも時間的なロスを招きました。
緊急ダイアルの番号は日本、韓国、台湾、中国では119番と末尾が9の数字です。最後に9を回すことによって落ち着いて話すことができるという考えが背景にあるようです。ちなみに英国は999、アメリカは911と最初に9を回します。
119番と言語の問題。国際化時代を迎えた日本が抱える新たな問題です。
“成吉思汗”と書いて“ジンギスカン”。煙がモクモクと立ち込める店内で黙々と食べ続ける雰囲気は独特のものがあります。此処は札幌の『成吉思汗ダルマ』です。
炭火の上にズラッと並ぶ鍋。カウンターに座ると店のおばさまが手際よくマトンの脂を乗せ肉を焼いてくれます。肩ロース、バラ、モモがバランスよく盛られた小皿は気軽に食べれる1人前。お店の最高記録は17皿だそうです。
つけダレは自家製なのでしょう、甘さ控えめで濃い口の醤油味です。程よく焼けたお肉によく合うのです。福澤先生思わず“旨いっ”と叫んでしまいました。学生時代に歌舞伎町で食べていた臭いマトンは一体何だったの。羊に対する考え方ががらりと変わった瞬間です。お好みでタレの中にニンニクと赤唐辛子を入れてみるとコレまた旨い。ビールを水がわりにご飯も頂けてしまうのです。
ダイエット生活で大好きな焼肉を控えていた私にとって忘れられない夜になりました。店を出ると雪が降っています。積もりそうな予感? 明日の移動は大丈夫かな。
古来から存在する日本の美意識のひとつに“風情”があります。定義が難しい非常に曖昧(ambiguous)な言葉ですね。
ヘーベル板で囲まれた箱根の新弁塾館。工夫がなければ単なる平凡な住宅です。ここが建築士の腕の見せ所でしょう。敷地の中にある小さなパティオ。ここに足湯を設けライトアップする。なんと“風情”のある光景でしょう。私が選んだ一級建築士はやはり一流でした。室内のどの場所からも箱根の森が一望でいるレイアウトは斬新です。一見、無味乾燥な板の塊を使いつつ水と光の演出で風情を醸し出す。これぞ一流の証。男が男に惚れた瞬間です。
小樽に来ています。小樽運河の両側に敷きつめられたパウダースノーこそまさに“風情”そのもの。綺麗なガラス細工にお洒落なカフェ。数10万個の御影石を敷きつめた散策路。夕暮れとともに灯る63基のガス灯。
久々に“風情”という言葉を体全体で堪能した福澤です。
凍結した交差点で転倒、左手の甲を痛めてしまいました。着ていたセーターとコートがクッションになってくれたので骨折せずに済んだのかな。それにしても恥ずかしいですね。痛いのに痛くないふりをしてスカスカ歩いて行く人の気持がよく分かります。ホテルに戻り横になりますが痛みがひどく寝つけません。寝返りをうつ度にズキンズキンと痛みが走ります。
痛みを堪えて東京に戻ります。久々にANAに搭乗、連休の谷間で機内は満席です。座席が広い。毛布も大きい。私の体をスッポリ包んでくれます。ドンピシャのタイミングで靴ベラを渡されたのには感激しました。国内線に限ってはANAに軍配が上がります。
羽田に着くと息子からのメール。四谷大塚の模試で好成績を上げたようです。前回の模試で私に落ちこぼれ“と言われたことがよほど悔しかったのでしょう、今回は頑張った? 明日からは北陸出張。雪かな? 凍結に注意注意!
即興(impromptu)スピーチが大好きな人は少ないと思います。まったくの準備なしで“それなりの”スピーチをすることに不安や恐怖心を抱くのは自然の心理です。そこで多くの人は前もって原稿を書き、覚え、本番に臨むことになります。
大相撲九州場所千秋楽。北の湖理事長が”今場所も力士が熱戦を展開“と挨拶、聴衆の苦笑が広がりました。千代大海が休場したため不戦勝で優勝が転がり込んできた白鵬でしたが結びの一番で屈辱的な黒星。それでも白鵬の優勝です。千秋楽にこれほどシラケタ展開になるとは理事長自信、想像もしなかったのでしょう。
前日に推敲を重ねて練り上げたスピーチもこれでは台無しです。一旦暗記してしまったスピーチを当日になって変更することは至難の業です。用意されたスピーチの落とし穴はここにあるのです。
札幌が雪かと思ったら金沢はポカポカ陽気、冬物の背広にコート&マフラー姿は大袈裟でした。
仕事を終えて部屋に戻ると何やら風邪のような症状、体の節々が猛烈に痛むのです。熱を計ると39度2分、フロントで紹介された病院に駆け込みます。
“扁桃腺は問題ないですね。顔色も良好。単なる疲労でしょう”。ビタミン剤を処方していただき早めの就寝です。
喉への負担を考えて喋ることなどホンモノの指導だとは思っていません。大地をも唸らす迫力で指導に専念することが私の天命なのです。声のインパクトなくして人を動かすことはできないからです。
越後湯沢経由で東京まで戻ります。夜の面接がキャンセルになったため自宅へ直行、久々に息子と夕食を供にすることができました。
おそらく日本でいちばん値段が張るステーキを提供する新橋のあら皮。雑居ビルの地下、しかもトイレは共同。高級店とは思えないような時代遅れの内装。でも味は天下一品。あら皮に優るステーキ店はないと断言できます。
値段も尋常ではありません。ステーキだけで6万前後。オードブルや魚まで入れれば10万円コース。ワインにこだわれば20万コース。メニューはないためお会計が幾らになるかはその日の運試しです。
ミシュラン東京版が発売されました。あら皮は星ひとつ。価格の問題が星の数を減らしたのかも知れません。価格と味のバランスも評価の基準だからです。1回の夕食で月給分が飛んでしまうのですから当然かもしれません。
久兵衛のすしも美味しい。うかい亭の内装もカンペキ。やまねの河豚も文句なし。それでも僕が最後の晩餐として選ぶのはあら皮さんのステーキなのです。
居酒屋で語られている日本人の本音。これが公の場で堂々と議論されるようになれば世の中ももう少し面白くなるのではないでしょうか。意見の対立を避けたり、議論自体を好まないといわれている日本人ですが、お酒の席ではなかなかの雄弁です。
私はこれを“居酒屋パワー”と読んでいます。ベルトを巻いた仮面ライダーがブルーンと音を立てた瞬間に寡黙な人から雄弁な人に変身する。難しいディベートの理屈を教えるよりもチョイトお酒を飲ませてあげればドンドン発言する。これが日本人の姿です。
人前では言いたいことがなかなか言えない日本人。面子や体面を気にし過ぎることや伝統的な上下関係も一因だと思います。
宮崎県の東国原英夫知事が「徴兵制があってしかるべき」と発言、波紋を呼んでいます。“徴兵制”という言葉が日本人には少々、刺激的なのでしょう、賛否は大きく分かれています。
人の意見を真摯に受け止め正々堂々と議論ができる国。これが民主国家だと私は思います。斬新な発想に対して集中砲火を浴びせるだけでは日本のためになりません。
八王子うかい亭。知る人ぞ知る“うかい牛”は脂身が苦手だった私にロースの楽しみ方を教えてくれました。鉄板の厚みがお肉の味に大きな影響を与えるということも、うかい亭に教えていただきました。料亭のような雰囲気と2名でも個室を用意してくれる方針は今でも変わりありません。
うかい亭のお肉に私が変化を感じたのは4年前の12月、銀座日産ビルの裏手に銀座店がオープン、グループ全体の総売り上げが9億を超した頃です。
前菜からデザートまでの完璧な接客とパフォーマンスは銀座店を訪れるであろうカップルには満足でしょう。でも、私のように本来の“うかい牛”を愛し続けた人には少々複雑な心境です。うかい亭はうかい牧場を保有しています。しかし店舗数が増えすぎたため肉の供給が間に合わないと聞き、お肉の質が変わったことにも納得しました。
ミシュラン東京2008で好評価を得たうかい亭。昔のうかい亭を求めるのはもう無理なのでしょうか。
“相手を理解するためのツールとして言葉があり、手段として話し方がある。話し方にメロディーとハーモニーをプラスするのが感受性だ”。詩人八坂裕子先生の言葉です。
“メロディーとハーモニー“という表現は私の心を揺さぶります。私の口から発せられる言葉が心地よい”メロディーとハーモニー“になり得ているのかと思うと少々ゾッとしてしまう私です。
弁力という言葉を提唱し話し方の指導をする私です。その私自身がカンペキな話し手ではないという事実は私を悩まし続けてきました。
誤解や思い込みをも乗り越え、友人、知人、愛する人を包み込むのは話し手である私の人格であり感受性なのです。
八坂先生の著書『幸運の99%は話し方できまる』はおすすめです。