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テレ朝の昼番組、『ワイド・スクランブル』に来日中のアニータさんが出演、コメンテーター等と激論?を交わしました。事件の是非は別として“弁力対決”はアニータさんの圧勝です。
アニータさんは一貫して「夫の横領は知らなかった。ダカラ私には責任はない」という“理屈”で話を展開、一方、日本側は「知らなかったでは済まされない」と“感情論”で話をすすめました。
“理屈”で武装する人を”感情論“で論破することはできません。「私は悪くない」VS「ふざけるな!」の対決では話が噛み合わないのも当然です。
アニータさんを論破する方法、それは彼女が横領を知っていたと結論づけるに十分な材料(事実)を突きつけることです。日本側はそれすら出来ていませんでした。
女性1人に対して日本側は4人。これもフェアーではありません。苛め(bully)です。獏さん&大下さんのコンビは中立で司会に徹すべきでした。中立の司会(議長)を挟んで肯定側(affirmative)と否定側(negative)に分かれて討論をするディベート」。日本人が最も不得意とする分野です。合掌。
民主党の新CM『生活維新』。ご覧になった方も多いと思います。
このCMがパロディーかと思っていましたよ。東さんのThink Funnyに“刺激”をうけた民主党がユーモアのある一面を国民に示したゾ!なんて考えていました。実は本気だという話を聞いて椅子から転げ落ちそうになりました。
どう考えてもパロディーですよ、これは。小沢、管、鳩山の三兄弟が嵐の中をさ迷っていますよね。これはOK。今の民主党をあらわしています。波に飲まれそうになって小沢船長が舵取り不能に。これもOK。今の小沢さんをよくあらわしています。そしたら突然、嵐が去ってしまう? 民主党は何もしてないじゃあないですか。まさに他力本願、嵐が去るのをただただ待つのみ。
船に国民が乗っていないのも笑えます。国民不在の船に乗って一体何をしようというのでしょうか。『生活維新』ってもしかしたら嵐が去るのを待つのみ? ヤダヤダ。
民主党さん、これってパロディーでしょう? パロディーなら許してア・ゲ・ル。
新型肺炎SARSや鳥インフルエンザ、エボラ出血熱等を国ぐるみで隠蔽(concealment)していたのが中国です。自由な市民活動やマスコミの告発などはありません。日本にも一時大量の中国野菜が輸入(import)されていました。そういう危険な野菜が日本から無くなったわけではありません。加工(processing)や冷凍(freezing)されて日本に輸入されているのです。
コンビニ弁当に入っているシイタケ、レンコン、人参、サトイモ等々の野菜のほとんどは中国から輸入されています。水資源が少ないため野菜の洗浄には何度も同じ水が使われているそうです。
上海など都市部の富裕層は中国産の野菜はもちろんウナギやエビ、緑茶すらも口にすることはありません。香港では内陸部で生産された野菜を「毒菜」とすら表現します。
農村部と都市部の格差がますます進む中国と比べると我が日本の「格差社会」はそれほど大問題のようには思えません。皆さんはどうお考えでしょうか。
「もっと女性の声が大きくなると思っていた(民主党小沢代表)」。小沢氏はさらに「なかなか日本人は行動にでない」とも発言しました。
一連の「産む機械」発言に対して賢明な日本人は皆怒っています。優柔不断な安倍総理に対しても国民は歯がゆい思いをしているはずです。心から信頼できる野党の登場を皆、待ちわびているのです。しかし今の民主党ではダメ。これが一般国民の本音なのではないでしょうか。
かつて、大旋風を巻き起こした新自由クラブや細川日本新党のような魅力は民主党にはありません。
小沢氏の「なかなか日本人は行動にでない」という発言は気になります。まさか、「産む機械」問題を契機に国民が民主党支持にまわることを期待しての発言だとすれば、それこそ愚か(stupid)です。嵐が去るのを待つ他力本願ではホンモノの野党にはなれないのです。今となっては旧社会党が自滅してしまったことが悔やまれます。
一瞬だけでもいいからアメリカのような「夢」を抱かせてくれるような選挙はできないのでしょうか。
1880年アイルランドのボイコット大尉(Charles C Boycott)は反抗する農民を権力で押さえつけようとします。これに対し村人総出でボイコット大尉との関係を絶とうと団結、追い込まれた大尉はついに農民らの要求を受け入れました。これが「ボイコット」の語源です。
「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」は有名です。1955年米国アラバマ州都モンゴメリー、バスで白人に席を譲らないアフリカ系アメリカ人が逮捕されたことをに端を発しバス乗車をボイコットします。これがモンゴメリー市に大きな経済的打撃を与え連邦最高裁はバス車内での人種隔離(segregation)は違憲であると認定、判決の翌日にはボイコットが終焉します。
ボイコットを指導したキング牧師はこれを期に全米各地で公民権運動を展開、数多くの抗議運動を通し人種差別撤廃に尽力したのです。
さて、「産む機械」に端を発した野党の審議拒否。キング牧師のような命がけの“ボイコット”なのかどうか、はなはだ疑問です。ボイコットも色々です。
Vシネマの帝王と呼ばれた元俳優の清水健太郎。深夜に仕事をする時は彼の“極道モノ”をよく観たものです。ホンモノよりも貫禄があるといわれる演技力、迫力。個人的には哀川翔や竹内力よりも好きでした。
映画の世界とはいえ私が“極道モノ”に惹かれるのには理由があります。ストーリーには必ず良心の葛藤(conflict)が描かれています。いわゆるチンピラとは一線を画したロマンがあるのです。日本人好みの義理・人情もがうまく表現されています。若い衆が夜の街に繰り出す際に財布(wallet)ごとポーンと渡すシーンなどは大好きです。もちろん“God Father”も大のお気に入り、何度観ても飽きません。
さて、麻薬、売春、用心棒代を資金源としてきたヤクザも“しのぎ”が厳しくなってきたようです。ヤクザの社会でも“格差社会”は着実に広がりつつあります。
堅気の人間には手を出さないという暗黙のルールだけは守ってもらいたい、抗争は人里離れた山奥でやってもらいたいものです。
1980年代、アメリカで新しいライフスタイルとして始まったDINKS(Double Income No Kids)は「収入2倍で子供無し」の意味です。共働きで子供をもうける意思がなく高収入で高消費型ライフスタイルを持つカップルを指します。このブームは長続きしませんでした。年齢が上がるにつれ自分たちの親の介護や自身の老後に対する懸念からDINKSを支持する風潮は消え去りました。80年台当時、1.8を切ったアメリカの出生率は今では2.1前後で推移しています。
さて、日本の今。2006年の日本の出生率は1.25。東京都の出生率は遂に1を切って0.8となりました。週百年後には日本人は“絶滅”してしまいます。
メディアは働く女性の増加や出産、育児への支援不足を原因としてあげていますが、理由はそれだけなのでしょうか。日本は生きていて本当に楽しい国なのでしょうか。
少子化問題の本質は日本人の幸福論と大いに関係があるような気がします。
神奈川歯科大学の斎藤滋教授は弥生時代の日本人の食事を再現、当時の人々が1度の食事で何回噛んでいたかを調査しました。弥生時代の食事では3990回の咀嚼が必要で、食事を終えるまでに51分かかっていた計算になるそうです。一方、我々現代人が1回の食事で噛む回数は620回、わずか11分で食べ終えてしまうことになります。戦前の日本でも咀嚼の回数は1420回だったことを考えると現代人の噛む回数がいかに少ないかがわかります。
咀嚼の回数が多くなると唾液が出ます。唾液の中には身体に有効な働きをする成分がたくさん含まれています。ムチンという成分は食品の刺激を抑え胃の負担を軽くします。アミラーゼはでんぷんを分解、ガスチンは味覚を敏感にし食事を美味しくしてくれます。リゾチームは体内に侵入した細菌を退治してくれます。EGF(表皮成長因子)と呼ばれるホルモンは新陳代謝が活発になり体が若返るのです。
噛むことにより性痴呆症の予防にもなります。それだけではありません。記憶、認識、思考力、判断力、集中力までもが高まるのです。
やわらかいものを食べながら「脳を鍛えるDSトレーニング」をしてもダメ?
/クリスティーヌの幼なじみで恋人のラウルは彼女をオペラ座の屋上に連れ出し怯えるクリスティーヌを優しく包む。愛を確かめ合う二人。怪人はその光景を深い悲しみの眼差しで見つめていた。/ミュージカル『オペラ座の怪人』の第一幕のクライマックスの場面です。怪人にとってラウルはまさに恋敵、その怪人の哀しい胸の内をこのミュージカルは見事に描写しています。
/地下室にクリスティーヌを監禁する怪人。恋敵のラウルを誘き寄せるもクリスティーヌの抱擁に怪人は二人を解放する/第二幕のこの場面は理屈抜きに心を打たれます。
NASAの宇宙飛行士リサ・ノワク被告が恋敵と思い込んだ女性を襲撃した事件。胸が痛くなります。彼女の行動は決して許されるものではありません。しかし長期化する厳しい訓練が彼らを精神的に追い込むのも事実。夢の宇宙体験ができるチャンスは多くて2回だと聞きます。宇宙に人を運ぶ訓練が完璧でもその後の教育が不十分であればこのような事件が起きても不思議ではありません。
例年なら雪が積もる箱根宮城野ですが今年はポカポカ陽気が続きます。湯本周辺では今にも桜が咲きそうな気配です。これも温暖化(global warming)の影響なのでしょうか。
アメリカの大統領戦は民主党のオバマVSクリントンが話題になっていますが未だに温暖化問題は争点にはなっていません。それがアメリカです。冷暖房の細かな調節など所詮アメリカ人にはできないのです。
オゾン層が破壊されるとどうなるのかはオーストラリアに行けば体感することができます。気温が10度を切った冬の時期でも日差しは強く日中には海水浴をしている人もいるほどです。ノーハット・ノープレイ(NO HAT NO PLAY)を合言葉に帽子をかぶらない生徒の遊びを禁止している学校もあるほどです。オーストラリア大陸の南半分ではすでにオゾンレベルが通常以下になっているのです。
京都議定書から早10年。地球の温暖化は確実にすすんでいます。
落選した対立候補を副知事に迎える---斬新です。敵をも巻き込む奇抜なアイデアは新知事の”Think Funny”の発想でしょう。それに対し「しらがみのなさ」を強調して当選した知事が政党の支持を受けた人物を起用することに県民は反発、持永氏の副知事就任は見送られることになりました。
世論に鈍感ではダメですが世論に振り回されるのはもっとダメです。談合まみれの前知事は鈍感なタイプ、振り回されているのは現知事です。
もともと保守的(conservative)な発想をする土地柄です。斬新な発想を支持してもらうには覚悟が必要でした。副知事を決めるのは県民ではなく知事本人なのです。民意とは何なのか? 「しらがみのなさ」は大切ですがそれ自体が宮崎県の目的ではないはずです。持永氏を起用することによって明るい宮崎を創造できるということを弁力で県民に訴える、これがThink Funnyの真髄のはずです。
日本の社会では腰の低さも大切ですがそれだけではリーダーとしての信頼感は生まれません。宮崎県は“そのまんま”で終わるのか、非常に不安です。
日本の食文化を語る上で河豚(ふぐ)は欠かせません。江戸時代も元禄・文化文政の頃になるとふぐ食文化が広まってきました。俳諧、浮世絵、落語などにも多くの記録が残っています。
ふぐ食わぬ奴にはみせなふじの山(小林一茶)
一茶もふぐが好きだったようで、ふぐを題材にした句を多数残しています。
江戸時代にはあまりにふぐの中毒事故が多かったためふぐ禁止令が出ました。毛利藩ではふぐを食べるとお家断絶という厳しい掟があったそうです。
東京は久々の雨、20数年ぶりに五反田の割烹三松の暖簾をくぐります。当時、お世話になったご主人が出迎えてくれました。普段はあまりお酒を飲みませんが今日ばかりは昔話に花が咲きチョッピリ顔が赤くなった私です。
居酒屋感覚の値段でほんとうに美味しいふぐを食べさせてくれる店が少ない中、三松さんはお勧めです。
日本は世界に類を見ない検定試験大国です。語学の検定試験はもちろん「地図力検定」や「時刻表検定」などの“マニアック”な検定試験も行われています。昨年の6月に行われた「第1回世界遺産検定」では3352名の方が受験されました。
12日のゴールデンタイムに放映されたテレビ朝日『人間関係力テスト』。2003年にネットやデータ放送を活用した双方向番組としてスタート、昨年は110万人がオンラインで参加したそうです。
「成績が悪かったので心配です」「私は大丈夫でしょうか」といった“まじめな”問合せも弁塾に寄せられていますが深刻に考える必要はありません。あくまで娯楽として楽しめばいいのです。私自身オンライン受験をしましたが全問正解ではありません。
番組では“世界初”を謳っていますがこれは間違いです。とくにアメリカではコミュニケーション能力や対人関係を含めた数多くのテストのオンライン受験が可能です。
いずれは『萌え検定』なんて始まっちゃうのかな?
ジェンダー・ハラスメント(gender harassment)、これは性に関する固定観念や差別意識に基づく嫌がらせを指します。『産む機械』発言は“完璧な”ジェンダー・ハラスメントです。また、女性だかという理由でお茶汲みや買い物を強制することなども代表的な例といえます。
さて、今日はチョコの日。義理チョコの習慣が立派なジェンダー・ハラスメントだと聞かされビックリしている私です。“私費による好意のプレゼントを女性だけに強要していること”が理由らしい。こんな理屈が通るんでしょうかね。私はもう時代についていけません。息苦しい世の中になってしまったものです。
ハラスメントにあたるかどうかはあくまで相手の受け止め方次第だそうで、これがなかなか厄介です。言葉を発する側の感覚では判断されるものではないのですね。
「チョコ待ってるよ」と、ひと言、言っただけですよ。軽いノリですよノリ。それが“嫌がらせ”だなんて。“私費”だとか“強制”だとか、そんなの大袈裟過ぎませんか?
男性らしさ、女性らしさを説く弁塾の授業内容はもしかしたらジェンダー・ハラスメント?などと考え始めたらもう眠れません。
今日からアメリカで新1ドル硬貨の流通(circulation)が始まりました。紙幣の耐久年数が2年以下なのに対し硬貨は30年と、違いは歴然です。年間で約5億ドルの経費節減になるそうです。
アメリカはチップ社会です。1ドル紙幣は重宝します。ホテルでのベッド・メイキングやポーターへのチップなどには1ドル紙幣がなくはならない存在です。チップが硬貨では拍子抜けですし相手失礼です。
アメリカの造幣局(mint)ではコレクター用に様々な“商品”を販売しています。32枚綴で断裁前の1ドル紙幣や流通量の少ない2ドル紙幣が人気です。1ドル紙幣の表面に自分の顔を印刷することも可能です。プリクラ感覚で「マイ1ドル札」が簡単に出来上がり! ワシントン大統領もビックリ。ホンモノの1ドル紙幣として使えるのがアメリカらしいところでしょうか。このほか表面がカラーの1ドル紙幣も手に入ります。
新1ドル硬貨の裏面のデザインは自由の女神。In God We Trustの文字が刻まれています。
“Princess Masako”の日本語版の出版は中止になるようです。宮内庁の渡辺允侍従長は著者のBen Hills氏に“抗議”の所管を送付しましたがHills氏は「謝罪の必要は何もない」と発言、両者の溝は深まるばかりです。
英語で記された書簡の内容が問題です。宮内庁の意図、それは「著書の内容に重大な誤りがあり、それらの訂正と謝罪を求める」というものでした。書簡の英語はそれらの意図がストレートに伝わる英文ではないのです。書簡を受け取ったHills氏には宮内庁が意図する1%も伝わっていないはずです。
書簡で訂正と謝罪を求めることの是非はともかく、日本の外務省役人の英語下手は目を覆うばかりです。噛み付くことなく真摯に丁寧に相手に意図を伝えること、それは日本古来の美徳ではあります。しかし日本的な思考をそのまま英語にしても伝わらないことを日本人は学ばなければなりません。日本語と英語では弁力の回路が180度異なるのです。
Hills氏が謝罪しないのも当然です。謝罪を求める書簡ではないからです。
日本の食文化を語る上で河豚(ふぐ)は欠かせません。江戸時代も元禄・文化文政の頃になるとふぐ食文化が広まってきました。俳諧、浮世絵、落語などにも多くの記録が残っています。
ふぐ食わぬ奴にはみせなふじの山(小林一茶)
一茶もふぐが好きだったようで、ふぐを題材にした句を多数残しています。
江戸時代にはあまりにふぐの中毒事故が多かったためふぐ禁止令が出ました。毛利藩ではふぐを食べるとお家断絶という厳しい掟があったそうです。
東京は久々の雨、20数年ぶりに五反田の割烹三松の暖簾をくぐります。当時、お世話になったご主人が出迎えてくれました。普段はあまりお酒を飲みませんが今日ばかりは昔話に花が咲きチョッピリ顔が赤くなった私です。
居酒屋感覚の値段でほんとうに美味しいふぐを食べさせてくれる店が少ない中、三松さんはお勧めです。
今日2月18日は旧暦のお正月を祝う春節です。本場の春節は何年もご無沙汰しています。
中国などでは逆さまの「福」の字をよく見かけます。中国語で逆さまは「倒」。「到」(来る)という漢字が同じ発音なので「福が来る」という意味になるそうです。
カウントダウンに続く爆竹音も圧巻です。四方八方の空が真っ赤に染まります。夜空が数キロ先まで真っ赤に染まる様子は戦時下のようです。上海では爆竹を鳴らすことは禁止されていますがこの日ばかりは取り締まる術がないようです。爆竹音は早朝まで続き夜が明けると花火の残骸が街を埋めつくすのです。今年の上海での爆竹の残骸は1400トンだったと報道されています。
日本同様、お年玉の習慣もあります。お年玉は「圧歳銭」と呼ばれ魔よけの意味があるそうです。
初詣は日本以上に大混雑、10元の入場料を求める人々が長蛇の行列をつくります。並びたくない人はダフ屋から80元で購入、即、入場ができます。今晩は横浜中華街で春節の体験をすることにします。
昨年、東京を訪れた外国人観光客の数は約449万人、前年比7.4%増と順調な伸びを示しています。それでも香港、ロンドン、パリ、ニューヨークには遠く及びません。外国人にとって東京は魅力に欠ける街のようです。
東京には香港やニューヨークのような高層ビル群による圧倒(overwhelming)な迫力はありません。高層ビルと雑居ビルと民家が乱立しているのが東京です。高速道路の橋脚、広告、電柱・電線などが都市景観を破壊しているのです。
慶応大学の竹中平蔵教授は東京の魅力のなさに関して①国際空港から遠い②通信・移動コストが高い③英語を話せる人が少ない④国際会議が少ない、をあげています。
東京マラソンの開催は大成功でしたが逆に東京の魅力のなさをアピールしてしまったのではないかと心配しています。
成田空港のラウンジで東京を経由するだけのアジア旅行者と知り合いになる度に魅力ある東京について考え込んでしまう私です。
「首相たるものの資質は?」という質問に中曽根康弘元首相は「凄みと教養」と回答しました(2月6日スーパーモーニング)。
政治家は政治力を鍛えるだけでは十分ではありません。政治力と同時に表現力に磨きをかけなければ支持されない時代です。無難なことを無難に言う政治家では国民が振り向きません。「凄み」を感じないからです。日本の政治家には「凄み」が足りないようです。大衆の嫌がる改革を大衆に支持されつつ行うには「凄み」が必要です。
相手を威圧することが「凄み」の本質ではありません。弁力の世界ではこの「凄み」のことをdynamismやenthusiasmと呼びます。体全体から涌き出る「凄み」と「言葉」が一致したときに大衆は動くのです。これが説得(persuade)の真髄です。石原都知事は「凄み」のある稀有な日本の政治家でしょう。
安倍首相の支持率が40%を切る“勢い”です。「凄みと教養」。中曽根氏の言葉がズシリと響きます。