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箱根宮城野地区は国立公園に指定されています。樹木の伐採(fell)には許可が必要です。屋上設置や3階建て以上は全面禁止、建物の高さ制限や外壁の色にも様々な制限があります。箱根の自然は規制(regulation)です。
漫画家の楳図かずお氏が建築中の住宅をめぐり近隣住民と対立しています。壁面が赤と白の縞模様で塗装され屋上には巨大な「まことちゃん」の像が設置されるといいます。「住宅は周囲の景観とまったくそぐわないばかりか景観を破壊する」。東京地裁に申し立てを行った住民側の主張です。
東京の宅地では「景観」に関する取り決めやルールがありません。対立するのも当然です。どんな結末になるのか、見守りたいと思います。
本場所命(いのち)、巡業などどうでもいい。こんな考えが朝青龍にはあったのかも知れません。仮病を使っての“ズル休み“。誰にでも経験がありますよね。でも、相撲界最高位の横綱であればバレナイようにやってほしかったというのが私見です。
国技やら相撲道など、難しいウンチクはもう御免です。100キロを超える大男がガチンコでぶつかれば怪我をするのはアタリマエ、それを15日間続けることなどできるはずがないのです。八百長がなかったら皆、故障して休場に追い込まれてしまいます。
年間で90日も相撲をとらされた挙句、巡業にも参加しなければならないお相撲さんは大変です。これまでプレッシャーの中で一人横綱を演じ続けてきた朝青龍。罰金(fine)だけで許してあげるのは甘い(spoil)でしょうか?
話し手と聞き手の間には様々なギャップがあります。コミュニケーション理論ではこのギャップをノイズ(noise)と呼びます。
戸外から聞こえてくるサイレンの音、文化・習慣の違いや世代間の差、互いの価値観(values)の違い等はすべてノイズです。この、ノイズがコミュニケーションを阻害する大きな要素となります。
日本には“遠慮”という文化があります。菓子折りをもらって「はいどうも」と言う人はあまりいませんね。「そんな気になさらなくてもいいのに」と、とりあえず遠慮のポーズをとる、これが日本社会の暗黙のルール(unspoken agreement)です。“遠慮”の習慣を無視したまま日本語でのコミュニケーションを成立させることは難しいのです。
ノイズを軽減する努力を怠らないこと。話し手の責任は重いのです。
昨日、笑顔が印象的な営業マンとお話をする機会があり、ついついプライベートまで立ち入ってしまいました。
聞けば結婚11年目で待望のお子さんが誕生、女の子だそうです。娘さんが将来、結婚をしてしまうと考えただけで涙が出てしまう、そんなお話をされていました。
幸せな人は幸せな表情をする。内面が充実している人は輝いています。表情も笑顔も“幸せのオーラ”を放っているのです。
家庭やプライベートが満たされている人はそれだけで仕事がうまくいくはずです。“幸せのオーラ”は周りの人をも和ませてくれるのです。つくられた(artificial)笑顔ほど醜いものはありません。
話題の『大人の顔DSトレーニング』は画期的な商品だと思います。表情に乏しいといわれる日本人。試す価値のあるソフトだと思いますが、大切なのは自分の人生を輝いたものにすることです。ホンモノの笑顔の源は“幸せのオーラ”だということをお忘れなく!
着工間もない箱根弁塾館。内装のデザインも最終的な段階ですが、ここに来て問題が発生です。バスルームの処遇です。
ベッド・ルームとバスルームが一体化したお部屋はアタリマエ、バスルームは全面ガラス張り。このレベルは維持しているのですがいま一つ物足りないのです。
大手メーカーのいわゆるユニットバスは数年前とは比べ物にならない程の進化を遂げています。TOTOのスーパーエクセレントバスなどは新車のメルセデスが買える価格です。そんな高級バスルームでもなぜか私にはシックリしないのです。
私がいちばん追求したいのは“質感”です。“重量感”と言ってもいいかも知れません。最近では天然の大理石に似せた人工大理石やタイルもありますが、触ったり、踏んだりするとホンモノとは違うのです。限りなくホンモノに近いけど、ホンモノとは大違い、これが私が物足りないと感じる原因です。
妥協の誘惑に駆られましたが、バスルームに更なる自己資金を投入することを決定しました。近々、ホームページで館全体の紹介を行います。ご期待ください!
石垣島、グアム、サイパン、パラオ、マウイのダイビング・ショップから続々と暑中見舞いの葉書が届きます。スキューバ・ダイビング大好きの私としてはストレスが溜まるこの夏です。
最も綺麗だったのはパラオの海でしょうか。肉眼でも海の底が見えるほどの美しさはナンバーワン。石垣島は私が人生初の熱中症になった場所、帰りの機内でダイアナ妃の事故死を知らされたのが10年前の夏でした。グアムは私のダイビングの師匠ポール先生がいるところ、サイパンには息子の親友、ゆうき君が住んでいます。マウイで潜るならやっぱりモロキニ島が一番。三日月型の島の周辺には魚の大群が目の前に広がります。
月末には海外出張が待っています。帰りにホノルルに寄って潜れるかな。
お馴染みの映画『フーテンの寅さん』。マドンナに惚れては振られるを繰り返し、そして旅に出るというストーリー。日本人の心に残る名作だと思います。寅さんはマドンナをライバルの男性と争うことになると自分から身を引いてしまいます。
“身を引く”という行為は東洋人の美学なのでしょうか。ミュージカルの名作『ミス・サイゴン』の結末では母親役のキムが最後に身を引き自ら命を絶ってしまいます。
さて、安倍首相の退陣を求める声が上がっています。「一度、“身を引いて”何が悪かったのか議論しなければこれからの自民党は難しい」とは中谷元・元防衛庁長官の発言です。
“身を引く”という言葉を英語に訳すとどんな言い方になるか少し考えてみました。どうしてもネガティブな表現になってしまいます。“身を引く”という行が勇気ある行為なのか少々疑問に感じ始めている私です。
「腹を割って話す」。文字通り(literally)解釈するとチョッピリ怖い表現ですね。日本語には「腹」を使った表現が多いことがわかります。「腹がすわっている」、「腹に収める」、「腹をさらけ出す」、「腹にしまう」、「腹黒い」等々。日本語は「腹」だらけ。「腹を立てる」もよく使う日本語です。
脳が人間の行動を制御しているのは事実かも知れません。でも、人の精神の中枢が脳だとは私は思いません。生理学などの研究が今ほど進んでいなかった時代、我々の祖先が精神の中心が「腹」にあると考えたのだとすれば驚くべきことです。切腹は日本人独特の習慣です。「腹」を切る行為は日本人にとってはと特別の儀式なのです。
ヘソの裏側あたりに群がる無数の神経の先端。放射線状にヘソをとりまく形になっています。生命の総司令部が脳ではなく「腹」にあり、という考え方も無視できません。「腹」は凄いのです。
“脳で話す”よりも“腹を割って話す”。このほうが人の気持は伝わるような気がします。皆さんはどうお考えになるでしょうか。
貯めたお小遣い(allowance)をすべて叩いて望遠鏡を購入した高校時代。“悪友”3人と伊豆達磨山や清里高原、奥多摩の小屋を借りて天体観測に出かけたものです。炊事当番はなぜかいつも僕の役目。これが今日まで続くカレー研究の始まりです。美味しいと皆におだてられたのもですが、山の水で炊くご飯は誰が炊いても美味しいのです。
人里離れた静かな山で星を眺める。無限の宇宙の広がりを体で感じる感覚は新鮮でした。勉強などそっちのけです。早大に進学することだけが唯一の目標。そんな錯覚に陥っていた我々“4人組”は早稲田中学の落ちこぼれでした。勉強よりも酒を交わしながら星を眺めているほうがずっと充実感があったのです。
我々落ちこぼれを心から可愛がってくれたのが当時の担任、江川先生でした。「おい、お前ら。また勉強サボってるのか。バカヤロー。でも楽しいのはいいことだな。立派な大人になれよ」。今でも心に残る先生です。
稲作の伝来とともに東南アジアから伝来したお餅。「餅」という字が初めて記録に出てきたのは奈良時代です。『風土記』には「大昔、白い鳥が飛んできて餅になり豊後が豊かな国になった」と記されています。『養老令』の中では菓子を作る“主菓餅”という仕事の名称があった記録が残っています。
平安時代になると餅は各行事のお祝いの食べ物として天皇や貴族の間で食べられるようになりました。庶民が餅を食べるようになったのは江戸時代中期頃からといわれています。
さて、この餅。究極の食べ方を発見しました。箱根の集中特訓ではバーベキューを行います。小田原で仕入れた新鮮な魚介類やスペアリブ、餅豚を炭で焼く自慢のパーティです。バーベキューの最後は焼きそばや焼きおにぎりが定番ですが、たまたま、佐藤の切り餅を焼いて食べたところ、これが美味いこと。これまで食べた餅の中で間違いなくイチバン!炭の火がかなり落ち着いたところで焼く餅は究極です。ぜひお試しアレ。
“不登校”の定義が年間で30日以上の欠席、だとは知りませんでした。
私の息子は神奈川県の私立小学校に通っています。昨年の通知表を開いてみると欠席日数は総計で55日。明確な不登校児ということになります。
息子が学校嫌いだということではありません。これまで海外出張には必ず連れていきました。弁塾の箱根合宿に参加させたり、ゴルフの練習のために欠席したこともあります。もちろん本人とよく話し合った上での決定です。
休まず学校にいくことも大切でしょう。ただ、息子に父の働く姿を見せ、海外での体験をさせるメリットも大きいと私は思います。
“可愛そう”だとか、“身勝手”ウンウンの声が聞こえてくるのも事実です。そんな声に翻弄されるようでは子どもなど育てられません。自分の子どもを自分が好きなように育てて何が悪いのか。“開き直り”かとも思いますが、それでいいのです。公教育と家庭教育のコラボ、これが私の方針(principle)なのです。
「自分はさぞかしオドオド話しているのだろう」、「ビクビクしている様子に皆、私のことを笑っているのだろう」。このように考えている方も多いと思います。
“あがり”を敵視しているアナタに朗報です。あがらない人よりも適度にあがる人のほうが好感度はアップするのです。本当です。「あがったからダメだった」、「ビクビクしているから彼女に振られた」等々は全てアナタの思い込みなのです。私自身、プレゼンで意図的(intentionally)に“あがり”を演出することさえあります。驚きましたか。これがプロの弁力なのです。
“あがる”ということはアナタが真剣だということです。“あがる”アナタはそれだけ真面目なのです。真剣で真面目なアナタを弁力の神様が放置するわけはありません。
楽天的(optimistic)すぎますか? 大丈夫。気にする必要はありません。人はアナタの話をそれほど真剣には聞いていませんから。今日から大いにあがり、大いに緊張しようではありませんか。
トレンチコートに黒いカバン、右手で傘をさしながら携帯電話(cell phone)は左手に。何やら怪しい男ですが実は15年前の私の姿です。
携帯電話を持っているだけで若い学生にモテモテだったなんてウソみたい? ドコモの携帯だったと思います。アナログ方式のドデカイ電話です。
当時の携帯は電話オンリー、今の時代のような便利な機能は一切ありません。大事なことはすべて“手帳”にメモをしていた時代です。手帳を無くせば即アウト、とくに電話番号帳は命より大切でした。
数年振りに“手帳”を購入しました。“手帳”のメモは消えずに残ります。この、“残る感覚”は今の時代にはかえって新鮮です。
何色の手帳? もちろん赤です。当時は赤のスポーツカーに乗っていました。赤が好きな福澤です。
接客でよく使われるに日本語です。丁寧な(polite)言い方ですが“少々”が何分なのか考えさせられます。
考えてみればコレって命令文ですね。“いやだ”と返答しても相手を“論破”することは難しそうです。“少々、お待ちください”に限っては話し手優位にコミュニケーションが進むからです。
ウェスティンホテルのラウンジでのこと。コーヒーのお代わり(refill)を注文してもなかなか注いでくれません。5分ほど待ったでしょうか。たまたま目があったウェイターを呼ぶと、お決まりの、“少々、お待ちください”。コーヒー大好きな私も黙っていません。「早く持ってきてよ。何やってんのよ」と大きな声を出してしまいました。ああ、すっきりした。
後で請求書を見ると2杯分の代金がチャージされています。ウェスティンはお代わり無料じゃなかったの? それともイジワル?
“少々、お待ちください”と言われた人はおとなしく服従したほうがよさそうです。
6日以上日持ちのする食品に使われるのが“賞味期限”の表示です。“賞味期限”とは「美味しく食べられかつ食べきってほしい日にち」という意味。多少、期限が過ぎても食べることは可能です。
我が家では賞味期限にイチバンうるさいのが息子です。冷蔵庫に保管したあらゆる食べ物の賞味期限をチェックしてはブツブツ文句(grumble)ばかり言っています。一方、ズボラなのがお婆ちゃん。賞味期限などお構いなし、目で見て食べられそうならドンドン口に入れてしまいます。
「白い恋人」の賞味期限改ざん問題。期限切れの商品を破棄し新たに製造するのがもったいなかったのでしょう。期限が過ぎても食べることに問題はないのでしょうが、バレなければいいという発想はNGですよね。企業倫理に欠ける日本。お隣中国の批判はできません。
さて、今日は私にとって最も大切な人の誕生日です。私の“白い恋人”には“賞味期限”などありません!
小田原から湯河原に抜ける旧道沿いにサドル・バックというカフェがあります。断崖絶壁から見下ろす相模湾の景色はまさに絶景です。私のお気に入りは海鮮ビビンバ、小田原の海の幸とサラダ仕立ての野菜が特徴です。かなりボリュームがあるのでこれだけでお腹がいっぱいになります。テラスでのバーベキューが出来なくなったのは残念!
今日は箱根強羅大文字焼が開催される日です。第一画目の「一」が108メートルもある「大」の火文字が星ヶ岳の頂上近くに点火されます。点火と同時に色鮮やかな「スターマン」や仕掛け花火「ナイアガラの大滝」など花火も打ちあがり夏の夜空を鮮やかに彩ります。
午後7時、箱根ビラ一行と合流しますが雨で中止になりそうとの報告、東京に戻ります。首都高速に入った頃、息子から電話が入ります。「バ・バ~ン。ほらほら花火の音が聞こえるでしょう」。
ああ、今年も大文字焼きを見逃してしまった福澤先生です。
ダイエット断行して数週間、マイナス8キロまで減量することができました。久々の二桁台に満足している私です。夕食を食べない、なんてことは私にはできる芸当ではありません。そこで今年は“スイカ大作戦”。夕食はスイカを徹底的に食べる、がテーマです。
夜の指導は7時から。その前にスイカを丸ごと一気に食べるのです。就寝前には息子とともに多摩川まで走る・走る・走る! 福澤先生もヤルじゃん。
今晩は新宿のヒルトンに宿泊です。コンビニで買ったスイカを部屋に持ち込み、さてどう食べるかな。部屋にはスイカを切る道具がない。そこで客室係りにナイフを注文しますが、セキュリティー上、ナイフの貸し出しはしていないだって。 さあ、どうしようかな。スイカ割りでもしちゃうゾ、などと思っていると客室係りのお姉さんがスイカを綺麗に盛って部屋まで持ってきてくれました。ヒルトン最高。ゼロ円のルームサービスだあ。
ダメな授業はすべてカット、英語に関係ない授業や出席を取らない授業はすべて欠席する。これが私の学生時代でした。英語大好き少年の私は朝から晩まで英語サークルの活動と英語の“自学自習”に燃えていたのです。
レポート提出も人任せ、筆跡だけはごまかせないので友人に書いてもらったレポートをひたすら写したものです。
専攻は米文学ですが、卒論はスピーチ・コミュニケーション。ヘンテコな話ですがこれが真実です。さすがに卒論は自分で書きました。そういえば当時のタイプライターは手動でしたね。
今、世間では卒論を請け負う代行業者が登場し、波紋を広げているようです。何でもお金儲けになってしまうオモロイ時代です。
聞き手の信頼感(credibility)を引き出す重要な要素、それは“溌剌さ”(enthusiasm)です。聞き手は“溌剌さ”に満ち溢れた人に耳を傾けるだけでなく、同時に信頼感も寄せるのです。
“溌剌さ”といえば「大きな声」、「活発な印象」、「明るい感じ」を連想しがちです。中には静かでおとなしい“溌剌さ”もあります。見た目は地味でも心の中で燃えている“溌剌さ”もあるのです。
“溌剌な人”は未来を見ています。“ヨクヨしません。
”溌剌な人“は楽観的(optimistic)です。
さらにもうひとつ。“溌剌な人”は笑顔が綺麗です。
そして最後。”溌剌な人“はみな美男美女に見えます。
一体、どうすれば“溌剌な人”になれるのでしょうか? その答。そういう質問をしない人になることです。
自身の反省も込めて。
ノートパソコンのACアダプターが消えてしまいました。弁塾にはノートパソコンが何台もありますが、1台だけHP(ヒューレット・パッカー)製のノートがあります。そのアダプターが無い、どこを探してもない・ない・ない!量販店に問い合わせ。しかし、ナ・なんと、その機種は既に生産中止。電圧は超マニアックな17.5ボルト。電圧が異なる別メーカーのアダプターは使えないのよね。アタリマエか。メーカーに問い合わせるとアメリカ本土に発注すると納期まで3週間。ああ、こんなのNG。ダメダメ、待てないよーん。
“捨てる神あれば拾う神あり”とはこのこと。生産中止になった後継機のアダプターが使えるとの情報を入手。さっそくスタッフの黒ちゃんと渋谷のナントカカメラに向います。アダプターをゲットするのにノート本体を買うアホらしさ。でも、“これでいいのだ”。バカボンのパパみたい?
ヤレヤレ。これで一安心。赤坂の中華料理屋でスタッフと祝杯です。あんまり嬉しくて北京ダックも注文しちゃいます。福澤先生、今日は太っ腹じゃ。
黒ちゃんの目に涙。オイオイどうしたんじゃ。「先生スイマセン。アダプターの大きさが微妙に違います」。ひょエ~。
スピーチは主に1=「情報提供型」、2=「説得型」、3=「行動に訴える型」、の3つに分類されます。話し手にとって扱いが最も難しいのが「情報提供型」です。
聞き手がその情報を欲しているかどうか、これが第1のポイントです。聞き手は自分が欲している情報には敏感に反応しますが、興味のない情報には無頓着(indifferent)です。第2のポイントは、その情報が聞き手にとって重要な情報かどうかという点です。この2点を満たして初めて「情報提供型」のスピーチが成り立つのです。どちらが欠けても聞き手を満足させることはできません。
学校や塾での授業は「情報提供型」だと考えられています。果たしてそうでしょうか。モーティベーションの高い一部の“ガリ勉君”を除いて、教師が発信する“情報”に子どもたちは無頓着なものです。
授業を「情報提供型」ではなく「説得型」、「行動に訴える型」だと発想を変えてみる。一方的に“情報”を垂れ流す授業ではなく、生徒を鼓舞・激励するスタイル、これこそが今の時代に求められている授業のスタイルです。
最近、指が痺れ(numbness)ます。左手の小指と人差し指の痺れがとくにひどく心配です。
思い当たる原因、それは私の寝かたです。日常の睡眠時間は2~3時間を心掛けているのですが睡魔に襲われてしまうと目覚まし時計の音では起きることができないことがあります。
そこで“編み出した”のが肘や手を不自然に曲げて眠り、痺れを誘発する眠り方です。痺れがひどくなれば自然に目が覚める、こんな寝かたをしているうちに不自然な姿勢で眠るクセがついてしまったのです。
最近のパターン。それは手の指を胸の下辺りに置いてうつ伏せに眠るやり方です。数時間も経てば指が麻痺して自然に目が覚めるのです。
それにしても、左手の小指と薬指だけ痺れが治らないのは不思議です。病院嫌いの私ですが検査が必要かも知れません。
毎度毎度のNW22便でホノルルに向います。夏休みだというのに空席が目立ちます。座席はアパー・デッキの73A、最近はここが私のお気に入りです。
今日のフライトは揺れがひどく少々不安です。中華航空の火災事件が頭をよぎります。狭いトイレの中でガタガタ・ゴトゴト。閉めたカギがなかなか開きません。狭い空間に閉じ込められるのは恐怖を感じます。
お酒は強くない私ですがシャンパンとビールを飲み干し爆睡開始、目覚めた頃には朝食の時間です。窓からカウアイ島が見えてきました。30分でホノルルに到着です。
1日ホノルルに滞在して本土に向います。ホノルル在住の友人へは連絡はせずコンドミニアムで静かに過ごします。フードランドで仕入れた野菜にトマトとリンゴを入れて自家製のサラダの出来上がり。巨大なアメリカ産のキュウリを細長く切りサルサにつけていただきます。夕食はコレダケ。福澤先生のダイエット作戦はまだまだ続きます。
ニューヨークの地下鉄のあちらこちらで演奏するミュージシャン。日本では考えられない光景ですね。彼らは駅の構内や通路だけでなく、走行中の車内にも現れ陽気なメロディーを奏でます。ミュージック・アンダー・ニューヨークと呼ばれている彼らは皆、オーディションに合格し許可をとって演奏しているのです。この町の芸術家たちへの懐の深さを感じます。
この国はオーディションの国です。地下鉄で演奏するためにはまずテープ審査をクリアーしなければなりません。その後、毎年5月、グランドセントラル駅で行われるライブ・オーディションに参加できる数10組が選ばれます。最終的にはその中から選ばれた20組が今年のミュージック・アンダー・ニューヨークとして追加が許されるのです。
私も近々、別の分野ですがオーディションに参加する予定です。日米の架け橋となる“話し家”としてまた“弁士”としてアメリカでのデビューを真剣に考えているところです。
地区優勝を逃してもプレーオフ、ワールドシリーズに参加できる可能性があるMLB。レギュラーシーズンで1位になった6チームは自動的にプレーオフに進みます。加えて2つのリーグ2地区の2位になったチームの中で最も勝率が高いチームがプレーオフに参加できるシステム、これがワールドカードです。
アメリカンリーグのワイルドカード争いは熾烈です。マリナーズが1位、2ゲーム差でヤンキースが追いかけている状況です。マリナーズには地区優勝の可能性もありますがヤンキースはレッド・ソックスに7ゲームの差をつけられているため何が何でもワイルドカードに進出しなければなりません。28日から始まる対レッド・ソックス戦が最大の山場。
イチロー選手のファウルボールをゲットして以来、私の息子はマリナーズファンに“墜ちて”しまいました。マリナーズを応援するならニューヨークには連れていかないぞ、なんて少し可哀想だったかな。
メディア・トレーニング・ワールドワイドが主催するニューヨーク・ライブ・セミナーには毎回多くの方々が全米から集まります。生のT.J.Walker塾長に触れパブリック・スピーキングの醍醐味を体験できる絶好のチャンス、次回の開催は9月12日午後6時開始、詳細は「弁塾NY」をご覧ください。
さて、今夏から始めたスイカダイエット。アメリカのスイカは日本のように美味しくはないためストレスが溜まります。ナイキのジョギング用ウェアーとTシャツ、ニューバランスのシューズを購入しました。総額で99ドル。日本では考えられない価格ですね。チョット得した気分です。
ミッドタウンのホテルに宿泊すると食事はどうしても外食になってしまいます。そこで今回はアパートメントに宿を取り久々の自炊生活。昔とは違い味噌も醤油も手軽に入手、アメリカに居ながらにして日本食を堪能できる時代です。
あさ、明日から新しいウェアーを着てマンハッタンでジョギングを開始します。目指せ夢の90キロ。
ニューヨーカーたちが話す英語の特徴。それはスピードです。プレイン(plain)な表現を使ってドンドン会話を進めます。この速さに怯まないでついていければアナタもニューヨーカーの仲間入りです。
大切なのはズバリ、“度胸”と“声の大きさ”です。英検2級レベルの人でも怯まずに大きな声で自己主張ができる、これが今の世界で求められている英語力なのです。
NHKの会話番組や英語教材。それなりに効果があると思いますがニューヨーカーたちのスピードについていけるかどうか疑問です。“ぬるま湯体質”の英語ではダメなのです。
アメリカは移民の国です。ニューヨーカーの英語はけっして上手くはありませんが、“度胸”と“声の大きさ”だけは皆合格です。日本人だけがチマチマした英語を喋り、しかも相手にされていない。こんな現実を見る度に哀しい思いをする私です。
白人がカッコ良く見えて、東洋人が貧相(shabby)に見えるのは私の思い過ごしでしょうか。夏のマンハッタンでは綿パンにシャツ姿で歩く私です。この格好でこれまでいい思いをした経験がありません。
混んでもいないレストランで隅の席に追いやられたり、ショッピングで店員に“シカト”されたりした経験も少なくありません。極めつけは飛行機のチェックイン。「ここはファーストクラス専用ラインでございます。お客様はあちらにお並びください」などと言われたこともあります。全ては私の外見(appearance)の成せる業?
一方、ネクタイにジャケット姿の場合。この格好姿で不快な気分になったことはありません。予約無しで訪問した一流レストランでもウェイターはニコニコ顔で対応してくれます。ショッピングではお得意様専用のクーポーンを分けてくれたりと、ラッキーなことばかり。
同じ人間でもこれだけ相手の対応が変わるのです。 時に、外見は中身よりも大切なのです。
米国内を頻繁に移動するうちにマイルが貯まります。主に利用するのはUAとNW。どちらも数10万マイルの残高があるためマイルを使ってエコノミー(Y)クラスからファースト(F)クラスにアップグレードしています。
この国の格差社会は機内の差を見れば歴然です。ファーストクラスは座席がフラット、つまりベッドの状態になります。前の席までは150インチと足元も楽々です。機内食は国際線並みに2種類からのチョイス。アルコール類やデザートも好きな時間にすきなだけ頂くことができる贅沢さです。一方国内線。機内食は一切無し、お酒もすべて有料、狭い座席に押し込められた常時間のフライトは過酷です。
ちなみにニューヨークからホノルルまでのファーストクラスの往復料金は4000ドル強、エコノミーの場合は600料金はドル前後、差は歴然です。
マイルの貯蓄に感謝感謝。明日はデトロイト、シアトルを経由してマウイに向います。
ラガーディア空港からデトロイト、シアトルを経由してマウイに向います。計12時間を越えるフライトですが熟睡できたため疲れはあまりありません。
午後4時半、マウイ島カフルイ空港に到着、家族連れの観光客で大混雑です。マウイ島の足はレンタカーのみ、カウンターは大混雑、私も行列に並びます。せっかちなアメリカ人も列に並ぶときは意外に静かです。白のポンティアックを借りて目的地のカパルア(Kapalua)へ向います。
10数年前に始めて訪れて以来、私はカパルアの虜になってしまいました。ワイキキとは全く違う本当のハワイを感じることのできる町です。
リッツ・カールトンはリノベーション中で閉鎖、旧カパルア・ベイのホテルは取り壊されて新家屋が建築中です。来春にはさらに多くの観光客が集まるはずです。静かなカパルアを満喫できる年内が狙い目。福澤先生一押しのカパルアです。
ヨーロッパ人として最初にオーストラリア東海岸に到達したことで知られる探検家ジェームス・クック(James Cook)。庶民から海軍の大佐の地位まで登りつめたこと、ハワイ諸島を発見したことはあまり知られていません。
キャプテン・クックがハワイ島に到着したのは1779年。上陸した時期はちょうど原住民たちが新年の祭りマカヒキを行っている最中でした。クックたちを歓迎する宴は連日催されました。収穫神であるロノ神は島を周回し海上からやってくると信じられていたのです。島の人々はクックを神と思い込んだのです。船のマストの白旗がロノ神のシンボルの布を思わせたことも誤解を招く原因でした。
盛大な歓待を後に出発したクック一向でしたが4日後に嵐に出遭いやむなく島に引き返すことに。嵐に負けないはずの“神”が戻ってきたことで原住民たちは混乱し抗争が起こります。クックをはじめ数人の船員が惨殺されてしまったのです。
その後、全島を統一したのが有名なカメカメハ大王でした。