■2009/2月 3月
■2008/1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
■2007/1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
■2006/4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
Seattle経由でMauiに到着です。観光客で賑うカアナパリは避け、さらに先のKahana地区が定番の研修場所です。日本人が少ないこともあり英語研修には絶好の環境です。母国語が使えない環境さえあれば驚くほど短期間にコミュニケーション能力を身につけることができます。上手に話すことよりも即座に意思を伝え合う(quick response)ことが大切です。オロオロせず言いたいことをズバッと言い切る姿勢、これが今の時代に求められているのです。
滞在先はコンドミニアム、ホテルのようなサービスは期待できませんが部屋の大きさが魅力です。一部屋(unit)で200平米を超える環境に驚嘆の声が上がります。最上階の部屋(penthouse)は天窓からの日差しのためエアコンなしでは少し暑いかもしれません。今回の反省点でした。
レストランに入って日本語のメニューが出された際には疑ってみる必要があります。同じ料理でも日本語のメニューのほうが高く表示されていることがあるからです。団体で店に押し寄せ大騒ぎした上にチップも置かないで去っていく日本人が少なからずいます。表示の違いは差別(prejudice)ではなく、予めチップも含めた額をメニューに上乗せした一種の「工夫」なのです。
アメリカではウェイターの給与が非常に安く不足分はチップで補う(compensate)ことになっています。チップがなければ生活は成り立ちません。サービスが悪ければチップは必要ありませんが、総額の15%~20%は置いて返るのがマナーです。訪問する日本人の態度がそのまま日本のイメージとして反映(reflect)されるわけで、その意味では旅行者は民間大使だと私は思っています。床に落ちてしまったフォークをそのままテーブルに置かれたことがありました。20年以上も前のことです。その時はもちろんチップを置かずに帰りましたが、何が理由でそんな非常識な対応をされたのかはいまだに謎です。
マウイ島のシンボル、ハレアカラ山頂まではドライブです。舗装道路が山頂まで続きます。ガードレールがない箇所も多いため気を抜けば即、転落しそうです。厚い雲の層を抜けると頂上が見えてきます。海抜3055メートル、気温は8℃。空気も薄く小走りするだけで息がきれそうです。
頂上付近は植物が生息するには過酷です。唯一、銀剣草(silver sword)だけが異彩を放っています。ハワイとヒマラヤのみで生息する高山植物で、剣のように鋭い草が銀色に光ることか名前の由来です。寿命は約10年、枯れる間際に背丈2メートルに成長、無数の紫色の花を咲かせるそうです。過酷な環境下でも力強く生き続ける銀剣草の姿に勇気づけられた気がします。
日本の英語学校ではRやLの違いを力説するようですが、ハッキリ言ってあまり意味がありません。「米」はrice、「しらみ」はlice、確かにRとLとでは意味が全く異なります。ただ、会話には前後の流れがあります。レストランで「米」のつもりでliceと発音しても「しらみ」だと思う人はいません。文脈で通じるわけです。より良い発音を目指す姿勢は大切です。しかし現地に来たら、臆することなくドンドン発話することが大切です。発音を気にしている間に会話のタイミングを失ってしまいます。
声の大きさも大切です。車の音や雑音に負けない音量がないと相手に聞こえません。ボリューム不足は日本人共通の弱点ですね。
もう一つ日本人に注文です。日本人はexcuse meを使いすぎます。学校英語の弊害かもしれません。ニュアンス次第では相手を非難する際にも用いられる表現です。無表情にボソッと言うと「コラお前、いったい何やってんだよ」という意味にもなってしまいます。excuse meはこの際、封印して使わないのも会話を円滑にすすめる方法の一つです。
中世ヨーロッパ調のプチ・ホテル、Plantation Innの一階にGerard’sがあります。高級レストランでありながら気軽な料金でフレンチが楽しめます。ワインの選択にはいつも悩まされます。リストを見ながら四苦八苦しているとギリシア系の美しいウェイトレスがメニューにライトをあててくれました。店が薄暗く(dim)見づらいと思ってくれたのでしょう。料理はどれもあっさりしていて日本人好みの味に仕上がっています。
私たちの世代は子供の頃、「黙って食べなさい」とよく叱られたものです。その後遺症でしょうか、会話を楽しみながら食事をすることが上手ではありません。研修期間中は日本語禁止のルールです。しかし今晩だけはその禁を解きます。それでも私たちのテーブルだけが異様に静かです。笑いが絶えない隣のテーブルには上品な白人四人が座っています。羨ましいと感じる自分が悲しくなってしまいます。
滞在先のKahana地区から西のNapili、Kapalua近辺には美しいビーチが広がります。ビーチ沿いには格安で宿泊できるコンドミニアムが立ち並び、家族連れの白人客で賑っています。
今日は全員でオーラルリサーチ(oral research)*を行います。私がドライバーになって皆さんをリサーチ場所までお連れします。携帯メールが使えるため10年前と比べるとピックアップも楽になりました。携帯画面は英語版にているため皆さん使いづらそうです。
オーラルリサーチはアポ無しで行うインタビューですから交渉力も求められます。声の大きさも大切です。いきなりwhy?と聞かれて固まってしまうとリサーチはうまくいきません。英語の勉強のためにリサーチをしていることが最初に伝われば協力してくれる人が大半です。
(*オーラルリサーチ:予め決めたテーマに関して現地の人100人にインタビュー調査をする。調査内容をレポートにまとめ一人30分のプレゼンテーションを行う。弁塾自慢の伝統イベント)
Wailea沖にぽっかりと浮かぶのはMolokini島です。火山のクレーターが斜めに隆起して出来た島で、水面から出ている部分が三日月状になっています。今日がスキューバ・ダイビングの最終日、天候にも恵まれ片道40分のセイリングが始まりました。
スタッフは皆ローカル、英語から逃げられない環境です。やさしい英語は使わないようあらかじめ現地スタッフに依頼してあります。アメリカ人はジョークが大好きです。「今日はサメがいるから潜れないかも」と言われても「じゃあ、福澤先生を餌にしちゃおう」くらいの返答が出来れば会話が弾みます。
島のバックサイドは崖(drop)になっており上級者向けですが、内側のクレーターは荒波から守られていて珊瑚(coral)や魚たちの宝庫となっています。透明度(visibility)は60メートル、空を飛んでいるようにすら感じます。魚の群れ(school)に囲まれます。亀もいます。泳ぎ方が優雅です。浦島太郎が竜宮城に行く姿を想像してしまいます。タコがマスクに絡んでなかなか取れません。今日は珍しくマンタも見ることが出来ました。
今日は「料理自慢コンテスト」の日です。各自20ドルの予算で食材を購入、一人一品ずつ料理をつくり味を競います。正体不明の巨大な魚をそのまま油で揚げる兵もいたりします。意外にそんな料理がいちばん美味かったりします。私はパイナップル炒飯を作ります。カリフォルニア米を硬めに炒めて味付け、半分にくり貫いたパイナップルに盛れば出来上がりです。/プレゼンの準備に皆、夜遅くまで張り切っています。日本人のプレゼンは面白みに欠ける傾向があります。そこで、気の利いたジョークや笑わせるつぼを指導します。真面目な人ほど完璧を目指そうとしてメモを棒読みします。各自、自分の言葉で乗りのいいプレゼンができるよう今晩の指導は早朝まで続きそうです。
町中のコーヒースタンドでのトラブルです。ラテのダブルショットを注文したのですが味が違います。日本でもラテをダブルショットで飲んでいるので舌には自信があります。お釣りもレジに$2.10とあるのに2ドル分しか渡されません。レシートを見るとただのgrandeとなっています。サイズも違っていました。
二重にも三重にも間違えた上に態度も悪かったので私は怒りました。ギャラリーが私たちを取り囲みます。大音量で相手を「口撃」します。私に非はないのですから当然です。相手に話す隙を与えてはいけません。結局は相手がapologizeという言葉を使って詫びてきました。私も大声を出したことを詫びて一件落着です。相手が女性だったのでやりすぎかなとも思いますが終わったことは仕方がありません。
怠慢な店員やお釣をごまかす人がアメリカにはいます。単なるケアレスミスに噛み付く必要はありませんがアジア人蔑視を平然とする人も中にはいるのです。黙ったら負けです。毅然とした態度で言うべきことは言う、これが大切です。
「アバクロ」はご存知でしょうか。正式にはアバクロンビー(Abercrombie)、2005年に大ブレイクを果たした衣料ブランドです。全米に356店舗を展開していますが日本にはまだ直営店がありません。60ドルのポロシャツが日本の通販では13,000円前後で販売されているようです。
アバクロの歴史は意外に長くジョン・F・ケネディーにも愛用され、現在ではハリウッドスターなどのセレブたちが好んで身につけているそうです。選べる古着といった印象の洗いのかかった生地感が特徴です。帽子から草履までアバクロ一色の若者も時折見かけます。
アバクロを今回初めて知った私です。ポロシャツを買ってみました。生地がしっかりしています。体にフィットするつくりなので体型がモロに出てしまいます。シェイプアップするには良い機会だと思いました!
Rowan大学のSuzanne.S.Fitszerald教授は「アガリ」と「食生活」の関係について興味深い研究を発表しています。教授によれば満たされた食生活をおくっている人ほどプレゼン等で緊張しやすいということです。満腹感がアガリを招くとういうのは私自身も体験的に感じていたことでした。腹八分目でやや睡眠不足のときのほうが舌が滑らかに動きます。カフェインの過剰摂取も(excess intake)もダメ、ミルクも緊張には味方しないようです。
教授はまた、自分のこれまでの人生の中で成功した体験を振り返る重要性についても触れています。以前には出来なかったあるいは不得意だったり不安だったりしたことが、今では出来るようになった、そんな成功体験を日々瞑想することにより自信を深めるというわけです。自分がアガル姿を思い浮かべても不安を招くだけで得なことは何もありませんね。
アガリを克服する学校に通うような愚だけはくれぐれも犯さぬように!
(from Great Presentation Skills)。
スキューバ・ダイビングを中心にサーフィン、パラセイリング、フィッシング等々、あらゆるマリンスポーツを英語オンリーで乗り切った皆さん、お疲れまでした。スキューバ・ダイビングのライセンスを英語で取得できたことは大きな自信(confidence)となったことでしょう。海難救助の免許を英語で取得したお二人にはとくに敬意を表したいと思います。
多少、文法が間違っていても発音がよければ通じること、正確な表現が使えても声が小さければ通じないことを痛切に感じられたと思います。
英語しか使えない環境に身を置けば誰でも話せるようになるのです。シンプルな言語だからこそ英語は世界語になっているのです。アメリカ人の厚かましさも参考になったかと思います。
合宿最終日はマウイからホノルルに移動です。皆さん日焼けしていて日系アメリカ人のようです。
10年以上お世話になっている日本ソバ屋がワイキキにあります。味は日本の立ち食いそば並みですからハワイの日本食にしてはイケテます。ビーチに面した絶好のロケーションですが家賃を聞いてビックリです。保証金別で月の家賃が18,000ドル、黙っていても一日7万円が家賃で消えていきます。日本で500円前後の天丼セットが15ドルするわけですから気軽に家族で押し寄せるわけにはいきません。一時期は一日に200人を越した客も今では100人~150人と減少、とうとう店を手放すことにしたそうです。
ロケーションだけで集客できた時代は終わりました。ハワイとて例外ではありません。場所が悪くとも多少汚いお店でも味が抜群であればお客は必ずやってきます。そんな中、東京の恵比寿で成功した焼肉のトラジャがワイキキでも人気です。やはり日本人の好物は焼肉、ラーメンなのでしょうか。福澤先生も老後はハワイで焼肉屋でもやりましょうかね!
成田から箱根に直行です。箱根弁塾館の近くに定期的にお世話になっている合宿所があります。Neroという犬が合宿所の人気者でしたが、大きくなりすぎて友人に譲ってしまったそうです。我が息子もNeroを可愛がっていたため残念です。代わりにやって来たのはなんと孔雀とニワトリです。/
三週間日本を離れていたため日本食をほとんど食べていません。海外セミナーでは世界の料理を食べる暗黙のルールがあるため仕方ありません。久々の炉端焼きで舌鼓、至極の一夜を過ごしました。時差(time lag)ボケにはいつも悩まされますが箱根の露天風呂に入ると気分もすっきり、一気に爆睡した私です。
ヤンキーズ松井選手の離脱が日米に衝撃を与えています。個人的には7月中旬には復帰してもらいたいと思っています。というのも7月17日からヤンキースタジアムでマリナーズとの三連戦があるからです。松井選手、ICHIEO選手、城島選手を一度に応援できるということで観戦ツアーを予定していた日本の旅行業者はたいへんです。
ニューヨーカーにとってマリナーズとの一戦は人気カードではありません。シアトル(Seattle)はアメリカでありながら「異国」の地なのです。日本の業者にとってはまさにビジネスチャンスです。定価以下で入手した席を日本人観光客に高値で売りつけます。某旅行業者の観戦ツアーでは定価18ドル相当のチケットを28,000円で販売しているから驚きです。
完治まで三ヶ月を要する、という報道に観戦ツアーをキャンセルする日本人が後を絶ちません。松井様仏様と祈る業者の気持もよく分かります。
何を隠そう、私も7月17日からの三連戦のチケットを購入した一人でした!合掌。
Wisconsin大学のStephen E.Lucas教授の”The Art Of Public Speaking”第9版が手元に届きました。コミュニケーション論の研究は米国が最も盛んで弁塾に最も影響を与えた学者がこのLucas教授です。最新版には506頁に及ぶテキストに加えワークブック、CD-ROMが2枚、CDが6枚セットになっています。弁塾の膨大なテキストも若干の加筆・訂正を加えていくことになります。新刊が届く度に若いスタッフに徹夜をさせることになりますが仕方ありません。最初は速読ができない人も自然と速読の習慣が身につきます。読む量に比例して話すことも上手になるから不思議です。
スタッフが徹夜で整理してくれた新しい資料に今から目を通し、午後からは指導に入ります。
ジェスチャー(gesture)に関する質問がいつも寄せられます。ジェスチャーをしようかどうか迷っている時点でジェスチャーはしないよう日々指導しています。話し方(delivery)の原理原則は「自然さ」にあります。普段通り(Being yourself)のアナタでいいのです。Talk like a humanbeing(人間のように喋れ)という言葉通り、不自然なジェスチャーはロボットが喋っているようで滑稽です。ジェスチャーを考えながら日常生活をおくっている人はいませんね。プレゼンテーションの際にも同じことが言えます。
ジェスチャーを巧みに操る欧米人を真似る(mimic)必要はありません。強調したい場面やどうしてもジェスチャーを使いたい場合は「手を大きく使う」ようにしましょう。話し手と聞き手の間には一定の距離がありますね。チマチマした手の動きは聞き手には目障りです。大袈裟だと感じるくらいで丁度いいと思います。「
「手の動き」と「言葉」の一致も大切です。どちらが先でも後でもダメです。大きな声で話すペースを少し落とすと誰でもうまくできるようになります。練習してみてください。
McCartney夫妻の離婚(divorce)が正式に発表されました。慰謝料は2,000万ポンド、今日の為替で42億円弱の計算です。この時期にどうして慰謝料の額が分かるのでしょうか。離婚を想定した慰謝料の額を予め取り決めているためです。まさに契約(contract)社会です。
婚前の契約は欧米ではごくアタリマエに行われるようです。日本には馴染まない習慣ですね。結婚式のスピーチでも「分かれる」「切れる」「去る」など口にしようものなら不謹慎のレッテルを貼られ社会から即刻、追放されてしまいます。
おそらく日本では「討論」することも不謹慎なのでしょう。党首討論を観る限りそう感じました。
「討論」とは本来、相手の考えや提案を検証し、場合によっては反論する知的なスポーツです。昨日の党首討論は討論ではなく「協調」と「和」の精神を尊ぶ究極の儀式でした。黒船に乗ったペリーもビックリしています。
明治維新はまだ終わっていません。江戸の時代から脈々と受け継がれるDNAは日本を世界から孤立させてしまいます。この際、永田町丸ごと遺伝子治療が必要かも知れません。
昨日の日記ではないですが日本ハム新庄選手の「不謹慎?」な行為が話題になっています。縦ジマのユニフォームを着てグラウンドに登場、虎ファンを驚かせました。移籍した選手が前チームのユニフォームを着て登場したのは初のことだと思います。
日本は変わらなければならないと新庄選手自身、思っているはずです。「最初に何かをヤル勇気を持ってほしい」というファンへのメッセージを自ら実践してみせているのです。軽率そうに見えますが実は違うのです。
集団を好む島国の民族は最初の一歩がなかなか踏み出せません。他人からの批判が怖いからです。野茂選手がメジャーに移籍した際、日本は彼を非難しました。最初に何かをヤル人に日本は冷たいのです。
自分で良いと思うことは「不謹慎」と言われてもヤルべきです。日本の真の国際化はここから始まります。スポーツの分野だけ国際化がドンドンすすんでいます。
小泉首相は「自民党を壊す」と言って総理大臣になりました。次期総理には「日本を壊す」と言って総理になってもらいたいと私は思います。こんなことを言うと私自身「不謹慎」と言われるかもしれません。でも、そんなことは気にせず発信し続けようと思います。
OA機器販売の営業マンの方が頻繁に事務局を訪れます。いわゆる飛び込み営業です。格安のOA機器が量販店で入手できる時代ですから訪問販売は激戦(highly competitive)です。好意的(favorable)に話を聞くよう心掛けていますがプレゼン以前に失敗している方がほとんどです。以下、その例を列挙します。
①パンフレット以上の商品説明ができない②「お願いします、買ってください」の一言がない③その場で見積もりができない④他社の類似商品との違いを明確にできない⑤プレゼン中に携帯が鳴る、等々です。
他人にモノを売るからには商品に自信がなければダメです。自信のない様子はプレゼンにハッキリあらわれます。顔も泣き顔。だから売れません。これぞ究極の悪循環(vicious circle)です。
英会話教材のテレアポ販売が流行した時代がありました。営業マンの熱意に押されて渋谷の喫茶店まで出向きます。「それほど良い教材ならあなたも使っていますか?」と私が聞くと、「はい。日常会話ならペラペラですよ~」と自信タップリです。「それでは今から英語で話をしましょう」と私が言うと彼は脂汗を垂らしながらついには泣き出してしまいました。
意地悪なことをしたと今では反省していますが、でも仕方ありません。モノを売るとはどういうことか、日々考えさせられます。
私のいとこがフルート奏者をしています。福澤佳子の本名でCDも発売しています。楽器を使って聴き手とコミュニケーションをする点は弁士と同様です。腕は確かです。でも、大枚を叩いて演奏会に足を運ぶ気にはなれません。
ズバリ、化粧を厚くするようアドバイスしました(ダルマンマの法則52「厚化粧、距離置き眺めりゃ、晴れた富士」)。至近距離ではケバイと思えるような化粧でも、遠くから見ると目立たないものです。会場後方から演奏している彼女の顔はクッキリ見えません。結果、聴衆とのアイコンタクト(eye contact)を失うことになるのです。
日本の音楽界は保守的ですから、化粧を厚くすることにも積極的にはなれないようです。比較的目の細い東洋人ならではの工夫が大切です。中国の京劇を真似るには勇気が必要かもしれません。ただ、舞台から自分がどう見えるかに関しては、弁士にとっても研究価値のある大切なテーマなのです。
日中間の政治摩擦(political friction)が毎日のように報道されています。経済関係の盛り上がりに反して政治的冷え込みばかりが目だっています。
石原都知事が中国の悪口を言うと中国のメディアは大いに報道します。日本が中国を褒めても中国メディアはなかなか報道してくれません。
グローバル的な経済競争の中、中国進出に失敗した日本企業ばかりが中国ビジネスの難しさを指摘、中には騙されたと叫ぶ企業もあります。そんな企業を同情的に報道する日本のメデアがある一方で成功した例はあまり紹介されません。
日本人が「中国人に騙された」と言えば、中国人は「騙される日本人がアホなだけ」と言い返してきます。
互いによいニュースは隠し、悪いニュースばかり報道する傾向も見受けられます。これでは相互理解(mutual understanding)は望めません。
日中関係は単なる日本と中国だけの問題ではなく世界の中での日中関係だという認識をお互いに持たなければ現状は何も変わらないのではないでしょうか。
問題行動を起こした小中学校生を厳格に処分する報告書を文部科学省と関係センターが公表しました。悪いことをしたら叱る、これが教育の基本だとは思いますが、処分だけで問題が解決するとは思えません。
手に負えない悪ガキほど純粋です。独断かも知れませんが少なくとも私の経験からはそう言えます。彼らはダメな大人に反抗しようと必死です。ハレンチな大人、ウソをつく大人、差別をする大人は徹底的に軽蔑します。英語が出来ない先生も同様です。
準1級に合格していなくとも先生になれてしまいます。誤解のないように申し上げますが、「1級」ではなく「準1級」です。今や9歳で1級合格者が出る時代です。先生より生徒のほうがデキル逆転現象すら珍しくないのです。そんな先生に教わってもヤル気は起きないでしょうし、叱られても言う事は聞きません。
大学時代の話です。英語音声学の授業は必修科目でした。先生の発音があまりにも悪いので反抗したら留年してしまいました。後悔はしていません。ダメなものはダメなのです。発音が悪い先生が発音の授業をするなんて、汚物を垂れ流すようなものです。
たしかに教職という分野は奥が深く、英語の実力だけがクローズアップされてはいけません。ただ、英語ができない先生が英語教師になれてしまう現状だけは受け入れられません。
問題行動を起こす子供たちの多くは立派な大人には耳を傾けてくれます。英語が抜群に上手く、人間的魅力がある人は生徒に信頼されるのです。
子供を処分する報告書よりもダメな教師を処分する報告書のほうが先決ではないでしょうか。
(日本全国の善良で良識のある先生方を否定する意図ではございません)
例年より梅雨入りが早まりそうな気配です。湿度(humidity)が弁士を苦しめます。私も汗をかくタイプなので上着を脱いだり、ノーネクタイの誘惑に駆られます。でもガマンします。
弁士の名前がコールされ、実際に話が始まるまでの3秒間が勝負です。聞き手は弁士の姿を見た瞬間に一定の判断を下します。専門的にはイニシャル・イメージ(initial image)と呼ばれます。否定的なイニシャル・イメージを覆すことは容易ではありません。「だらしない」「ウザイ」「変!」「ウソっぽい」など、聞き手は様々な印象を抱きます。弁士にとっては迷惑な話ですが、それでもイニシャル・イメージは大切です。Richard M.Perloff教授はThe Dynamism of Persuasionの中で「悪いイニシャル・イメージは10対0から野球の試合を始めるようなものだ。これほど不利なことはない」と説明しています。
イニシャル・イメージに最も影響を与えるのが弁士の外見(appearance)でしょう。服装が大切です。場にあった清潔な服装であれば問題ありません。着慣れていないジャケットよりも普段から着慣れているものがいいでしょう。華麗に着飾るとイニシャル・イメージを悪くすることがあります。聞き手の妬みを誘発しては逆効果です。
好意的な反応(favorable response)を得て初めてスピーチが成功するという原理原則を忘れないでください。
100万円を日本の銀行に普通預金で1年間預けると10円の利息(interest)がつきます。預かった100万円は中小企業には貸さず、高利で運用するわけですから儲かるのはあたり前です。それでもみずほ銀行の前田彰伸社長は手数料の引き下はしないとコメント。驚きです。「利便性の高い商品を提供することで顧客にお返ししたい」との前田社長の発言は「お前ら頭が高いぞ!金を預かってやってるんだから文句は言うな!」と言っているように私には聞こえます。江戸時代の悪代官にも劣る発言に今こそ日本人は怒らなければなりません。
預金者あっての銀行です。預かった預金を最大限に運用し預金者に還元する、これが銀行のあるべき姿ではないでしょうか。私は経済の専門家ではありませんがそう思います。
大手の銀行は小口の融資をしません。安全パイである費者金融に莫大な融資をして確実に利益を確保してきました。こんな二重構造の被害者は常に一般国民なのです。
みずほに恨みがあるわけではありませんが、好きになることはありません。個人的には外資の銀行にもっと頑張ってもらいたいと思っています。
子供を巻き込んだ(involve)事件、事故が多発しています。我が家にも息子がいるので他人事ではありません。
息子が小学校入学前のことでした。桶川の親戚(relative)を二人で訪問、大宮駅に着いた直後のことです。扉が開いて私がホームに下りると背後から悲鳴が聞こえてきました。振り返ると息子がホームと列車の間に落ちているではないですか。頭だけ見えます! 終着駅だったこともあり息子は無事救出されました。列車が少しでも動いたらたいへんなことになっていたでしょう。
それにしてもあり得ない「事故」です。列車とホームの隙間は僅か15cm程度、どう考えても落ちる幅ではありません。でも落ちたのです。
「一瞬、何が起きたのかわからなかった。ホームのコンクリートが目の前にあったのでびっくりした」と息子は説明してくれました。
そんな息子ももう三年生。元気に電車通学をしています。ホームの扉が閉まるシステムを導入している都営三田線を利用していますが、それでも心配です。危機管理の重要性を日々息子に教えています。
結婚式のスピーチを代筆(vicarious writing)してほしいという問合せがあります。指導は行いますが代筆のみのオファーはお断りすることにしています。
他人に代筆を依頼すること自体問題です。他人が書いた原稿を使ってスピーチがうまくできる人ならわざわざ代筆を頼む必要もありません。
恥をかきたくないという気持は理解できますが、スピーチで大切なのは聞き手中心 (listener-oriented)の精神を貫くことです。恥ウンヌンではなく聞き手に喜んでもらう姿勢がが大切なのです。緊張してもいいですし言葉に詰まってもいいのです。プロのようなカンペキなスピーチは誰も期待していません。祝福の気持から遊離したスピーチは迷惑オヤジの独り言に過ぎません。
それでもカンペキを目指したい方にはトレーニングが必要です。指導をしている私自身、結婚式のスピーチにはいちばん時間をかけ準備します。①品のよい「笑い」があること②「感動」があること③ネタが「新鮮」なこと、の絶対条件に加え2分以内にスピーチが完結するよう心掛けています。原稿は頭の中で準備しますが、当日のアドリブも含めどんなことがあっても2分以内にスピーチを終わらせることにしています。
結婚式に招待された日は精魂尽きてしまいます。仕事はしないことにしています。弁力研究に終わりはありません。
景気のよい年は巨人が優勝するというジンクス(jinx)は今年も通用するのでしょうか。巨人が首位の座から陥落、筋金入りのジャイアンツファンとしては不快です。ストレスが溜まります。
大衆娯楽(mass entertainment)が多様化している昨今、野球場に足を運ぶ人の数が激減しています。東京ドームの1階席は埋まりますが2階席はガラガラです。本場のMLBを越えないまでも他のスポーツにはない魅力が必要です。
大相撲はさらに深刻です。取り組み以前の問題として狭い桝席に四人座らせること自体、間違っています。同部屋対決がないことや茶屋の古い制度にも改革が必要です。
一方、競馬の人気は上々です。お金を賭ける(bet)娯楽は不滅なのかもしれません。今日は年に一度のダービー、日頃競馬をしない人も含め今日だけはお祭り騒ぎです。午前中に指導は終了、今から勝馬の予想をしようと思います。走るか走らないかは血統が命だと私は思っています。東京コースならグラスワンダーを父に持つサクラメガワンダーが頑張ってくれると信じています。9番を絡めた三連復でポケットの小銭は大金に化けてくれるでしょうか。
『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)が話題になっています。著者の早坂隆氏は世界のジョーク収集がライフワークだけあって、著作には興味深いネタが満載です。「日本人ジョークは日本に対するイメージの発露であり、日本人独特の普遍性を含む結晶のようなものだ」(著書まえがきより抜粋)。たしかに日本にいると日本がなかなか見えてきません。地球の真裏から見た日本が実は真の日本だったりします。
「日本を怒らせる方法」と題したジョークを本書より抜粋(extract)させていただきます。(P187~P188)。怒らない日本人の姿が面白おかしく表現されています。
///中国の政治家が言った。
「我が国は潜水艦で日本の領海を侵犯した。それでも日本は潜水艦を攻撃してこなかった」
韓国の政治家が言った。
「我が国は竹島を占領した。それでも日本は攻撃してこない」
ロシアの政治家が言った。
「我が国はもう長きに渡って北方の島々を占拠している。それでも日本は攻撃してこない」
それらの話を黙って聞いていた北朝鮮の政治家が笑いながら言った。
「そんなこと簡単ですよ。我々が核兵器を日本に使いましょう。そうすれば、さすがに日本も怒るでしょう」
すると、アメリカの政治家が首を横に振りながらこう言った。
「無駄だね。それ、もうやったもの」///
怒らないのは農耕民族のDNAなのでしょうか。あまりに怒らないと近い将来、日本人は狩猟民族の餌食になってしまうかも知れません。
我が家では昨日、今年初めてスイカを買いました。味はイマイチでしたが満足です。
今日は夏みかんのお話です。///もともと夏みかんは秋に実がなる果物。酸味(acidity)が強烈です。食べられません。そこで、酸味が和らぐのを待ち、初夏から夏にかけて食べごろに。
最近では薬品を使って酸味を抑える技術が発達したため、取り入れ時期が早まって春に食べられる果物になった。///以上、静岡のミカン農園を経営している友人の話です。
彼から送られてくるみかんは「不気味な顔」をしています。スーパーで売られているような代物ではありません。大きさもバラバラ、表面は虫くいの跡ダラケ、触るのにさえチョットした勇気が必要です。小学生の息子が「オバケだ~!」と、大騒ぎをしています。
農薬(pesticide)をまったく使わない果物は見栄えが悪く売れません。そこで、余った果物は我が家に郵送されてくるのです。味はいいので問題はありません。でも「顔」が怖いので目をつぶって食べます。
今日から「ポジティブリスト制度」が始まります。食品中の残留基準が制定されていない農薬等が一定量を超えて残留する食品の販売等を原則禁止する制度です。
友人の話では「果物」以上に「野菜」が危険だということです。海洋汚染で小魚以外、「魚」も危ないと聞き、何が安全な食べ物か分かりません。「肉」はどうでしょうかBushさん!
///厳しい試合だった。足がついていかなかった。準備途上なので仕方ない。本番にはピークにもっていく。まだ10日ある///(ドイツチーム、キャプテンのミヒャエル・バラック(Michael Ballack)選手談) 日本チームを評価するというより自分たちの準備不足を強調するあたりゲルマン民族らしいコメントです。
それにしても日本は健闘したと思います。USA TODAY紙ではスポーツ欄トップページで「ドイツが日本に苦戦の末引き分け」と大きな見出し付で報道しています。見出しの主語は「日本」ではなく「ドイツ」となっています。些細なことですがよくある話です。日本はまだまだ「述語」なのです!USATODAYドットコムでは「日本が一次リーグを突破する可能性は低くはない」と評価しています。6月12日のオーストラリア戦は圧勝を期待しましょう。
国際舞台で活躍する日本人選手は真に日本のリーダーだといえます。国際舞台のルールに従って黙々とプレイする姿は言葉や文化の違いを乗り越えて人々に感動を与えてくれます。
スポーツの分野だけではありません。芸術・文化・経済の分野で日本は確実に国際化を果たしつつあります。昨晩、政治資金パーティーが開催されました。どうでもいいことですね。
日本の将来を心から危惧するならウソやゴマカシに塗れた旧態依然の政治手法を絶つべきでしょう。世界の人々をリードし感動を与えるような政治家はいつになったら登場するのでしょう。