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今日から福澤先生の電車生活がスタートしました。忘れもしない小田原厚木道路でのスピード違反。それも2日連続。“当たり目に祟り目”、“泣きっ面に蜂”とはよく言ったものです。“2度あることは3度ある”だけはゴメンです。今月の末までテクテク歩くことにします。違反講習とオーストラリア出張が重なったため、4月に繰り越して受講する予定でした。指定日には北の大地札幌へ行くことに。結局、違反講習は受けることなく免許停止1ヶ月を命じられることになったのです。
定期券すら持ち歩くことが苦手だった私です。今風のパスモやらスイカなんてどう使っていいやら。サッパリわかりません。券売機に並ぶ福澤先生です。
とことで改札の機械はどうしてどれも右手仕様なのでしょうか。左利きの私にはチョット面倒かな。
深夜11過ぎの東横線。こんな時間でも車内はほぼ満員です。酔っ払っている人、眠っている人、意味もなく怒った顔をしている人等々、車内の人間ワッチングは意外に面白い! 駅から自宅までは急坂の上り下りが2回、最後は馬坂を下ります。ダイエットにもいいかな。
トンカツでもハンバーグでもナポリタンでもどんな料理にもパセリがそえてあった学生時代。野菜が大好きな私はパセリもパクパク食べていました。
“こうちゃん・何でパセリ食べちゃうの?”
“えっ。パセリ食べちゃダメ?”
“パセリは使い回しされてるから食べちゃダメ。こうやって千切ちゃえば使い回しできなくなるでしょう”
当時の友人からから教わったことです。
汚い爪で寿司を握る寿司職人。ゴキブリの死骸が落ちている中華料理屋。トイレに行って手も洗わないまま生のそばを触るそば屋職人。昔の東京ではこんな光景をよく見かけたものです。渋谷の恋人横丁や新宿のガードしたには汚いながらもそれなりに流行っている店がありました。衛生管理やモラルが向上した今ではそんな店は少ないと思います。
まさか・まさか・吉兆でも使い回しが行われていたとはショックです。偽装はある意味予想の範囲内でしたが使い回しまでしていたとは驚きです。“知りたくなかった”というのが私の実感です。
外食をして食べ残すときにはパセリはもちろん、すべての食べ残しに箸を刺し、ぶった切り、グチャグチャにする。こんなことを考えなければならないなんて・何か寂しい気分です。
“鋤のうえに鳥類をやく也、いろかわるほどにてしょくしてよし”。
享和元年の料理書『料理早指南』の記述です。肉食が禁止されていたのは表向きで庶民の間では肉類がひそかに食されていたようです。すきやきの起源は諸説ありますが鋤(すき)を鉄板の代わりにして焼いたというこの説が有力です。
ビールを飲みながら同時にご飯も食べることのできるすき焼きはダイエット最大の敵、昨夏以降、食べていません。
東京に戻り銀座をブラブラしていると見えてきたのがらん月の看板です。亡くなった父によく連れていってもらった老舗です。ついつい暖簾をくぐってしまいました。
らん月のお肉は仔牛を出産していない雌牛だとか。雄牛に比べて脂の融点が低く舌の上でまろやかに溶け出します。ビールとご飯がすすむ理由はここにあります。
“お飲み物はいかがですか”、“ご飯をお持ちしましょうか”、“おかわりはいかがですか”。 “たまごもどうぞ”。ダイエットのことは忘れ、今日ばかりはすき焼きを美味しくいただくことにします。
パンパンになったお腹がきつい。明日からまた節制しようと思いつつ、電気とテレビをつけたまま汐留の宿泊先で爆睡してしまいました。
“相手の目の前で言いたいことをズバッと言う。言うべきこと、言いたいことは全て言い尽くす”。これが外交の基本だと私は思います。相手が中国ならなおさらです。交渉上手な中国を相手に日本は黙っているだけ。これでは中国の思うツボです。
来日中の胡錦濤国家主席を招いた朝食会が中曽根元首相の主宰で開かれました。
日中間のわだかまりを超えた「暖かい春の旅」が演出の狙いです。和やかなムードは大切です。だからといって言いたいことを言わないのでは会の意味がありません。これではチベット問題も餃子問題も油田の問題も何も進展しないのです。進展どころか全てが中国の意のままに事が進んでしまいます。パンダと引き換えに全てがチャラ。これでは日本の外交が無能と言われても仕方がありません。安倍前首相は死んではいなかったようです。 “ 私が小学生のころに日本で東京五輪があった。そのときの高揚感、世界に認められたという達成感は日本に対する誇りにつながった。 中国 も今、そういうムードにあるのだろう。その中で、チベットの人権問題について憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、同時に、五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならない。そうなることを強く望んでいる”。
安倍氏のこの発言はなかなかの“名演説”だと私は思っています。
立ち読み禁止がアタリマエだった時代、書店の中にソファーが用意されていることに感動した記憶があります。初めて渡米したときのことです。
日本のジュンク堂書店。店内に椅子を配置して”座り込み“を公認したパイオニア的存在です。日本の書店さんも徐々に変わりつつあるのは好ましい傾向だと思います。
新宿三越アルコット館に昨年オープンしたジュンク堂書店に来ています。老舗の紀伊国屋書店はすぐ目の前です。狭い紀伊国屋よりもこちらのほうがゆったりと買い物ができそうです。
私が書店に出向くとにはきまって息子がついてきます。書物に限っては私の財布の紐が緩むことを彼はよく知っています。“好きな本買っていいよね”。
彼はドラえもんマニア、寝室は関連本で溢れています。ドラえもんのことなら彼に聞けば何でも分かる? 身長は129.3cm。胸囲も同じ! 体重は129.3kg。ネズミを見て驚いて逃げる速度は129.3km。ドラえもん『ひみつ大百科』の隅々まで暗記しているのにはただただ驚くばかり。勉強もこれだけすれば天才になれるのに。
今日おねだりされたのは『テーマ別傑作選』と『宇宙大地図』。ご機嫌の坊主。明日のクラス分け試験は大丈夫かな?
『ビルマの竪琴』は私の心に残る名作です。
/時は1945年夏、ビルマ戦線の日本軍はタイへと苦難の撤退を続けていた。主人公の水島上等兵は抵抗を続ける日本軍に投降を勧めるために隊を離れ行動する。 小隊はオウムを肩に乗せた水島そっくりの僧とすれ違う。彼らは僧を呼び止めたが、僧は一言も返さず歩み去って行く。水島は道々、無数の日本兵の死体と出会い自分だけが帰国することに心を痛めていた。日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地に留まり巡礼の旅を続ける。小隊は水島と一緒に帰国することを切望するもの水島のオウムは「アア、ヤッパリ、ジブンハ、カエルワケニハ、イカナイ」と叫ぶのだった/
サイクロン被害に見舞われたミャンマー。ヤシの木に登って難を逃れる男たちの目の前で女性や子どもたちの多くが犠牲になったそうです。軍事政権の下、援助活動もスムーズではありません。
温暖化の影響とサイクロンの因果関係が少しでもあるとすれば日本を含めた先進諸国の責任は重大です。
ささやかながら yahoo のポイントを援助活動に寄付させていただいました。合掌。
成田のヒルトンに来ています。ゴールド VIP カードから今年はシルバーに格下げになってしまいました。
アップグレードが無料、ラウンジも無料、ジムやプールも無料。朝食までもが無料。これがゴールド VIP の威力。ただし年間36泊以上宿泊し続けることが条件です。“ヒルトン以外は使うな”ということですね。ツインで1泊 12000 円の成田ヒルトンを利用してもカウントされます。今年は”浮気“をせずにゴールドを目指します。
ロビー奥のバーからカントリー・ミュージックの歌声が聞こえてきます。いつもここに長居してしまいますが今日は1杯だけ飲んで部屋に戻ります。
高校時代の親友から突然のメールが入っていました。国語が不得意だったのに彼も僕も出版社に就職、不思議です。集英社で MARISOL という女性誌を編集しているそうです。女性のことなら彼に聞けばいいのかな?
ニューヨークの TJ ,マウイの Kim 、グアムの Paul 、サイパンの南さん一家。ご無沙汰してしまった皆さんと今年は会えるかな。
私のミュージカル好きは皆さんご存知の通り。系列の ny-com の仕事を始めたのも、そもそも私自身がミュージカルフリークだからです。定期的にミュージカルを観ないと禁断症状に襲われるのです。大袈裟ではありません。ニューヨーク出張が6月に延期になったこともありもう我慢の限界です。
連休の後半を利用して劇団四季の『マンマ・ミーア』を観に行ってきました。わざわざ名古屋まで。私も相当な“好き者”ですね。
ブロードウェイの Mamma Mia! は何度か観ていますが四季版は初めてです。英語の翻訳をどう処理しているのか楽しみです。
開演前のアナウンス。“紳士淑女の皆様”。アレアレ、アナウンスまでそのまんまの直訳? ミュージカルが始まってからは少し安心しました。原作の英語を日本語で表現すること自体難しい。それに音楽をあわせるわけですからミュージカルの翻訳は大変なのです。映画の字幕のようにはいきませんね。
散る桜 残る桜も 散る桜(良寛)
良寛和尚の時世の歌ともいわれている桜を詠んだ有名な句です。『平家物語』冒頭文に通じる生きるものへの哀れさを歌っています。
“必ず値上がりします。うまくいけば数千万円になるでしょう。”
新築のマンションの価格が日本円で約800万円。広さは約100平米。今からちょうど12年前、中国上海の話です。
英語を話す業者の案内で不動産を見に行ったことがあります。新空港がある浦東地区。当時はペニンシュラやオフィスビルがあるだけの広大な土地でした。“将来はここが上海の中心になります。投資をするなら今ですよ。”
建築途上のマンションを見て私は絶句しました。レンガを積み上げるようにコンクリートを流し込んでいるだけ。鉄筋が無い! 私もアマチュアではありません。建築物に関する多少の知識はあります。鉄骨はおろか鉄筋1本すら見当たらないのです。“上海は地震がありませんから No problem ですよ。必ず値上がりしますから”。
たしかに中国を訪問して地震に遭遇したことはあリません。誰に聞いても地震の話にはなりません。それにしてもこんなずさん工事をしていては地震がきたらたいへんだ。これが当時の私の印象でした。結局、私は800万円の物件を購入しませんでしたが今ではそのマンションが数千万円するそうです。
四川大地震で命を投げ出し園児を守った女性教諭。胸が引き裂かれる思いです。高度成長のツケを払わされるのはいつも正しく生きる庶民です。合掌。
原稿を書く。暗記する。本番に臨む。そして失敗する。“だからスピーチはイヤなんだ”。 よく耳にする話です。
前もって原稿を準備すること。悪いことではありません。文章を推敲することでより的確な言葉を選択することができるからです。プロとアマチュアの差はどこで出るのでしょう?
暗記を終えるとホッとしまう、この油断が厄介者です。“ああ、やっと暗記できた。明日はこれで安心”。
“あれ? 昨日はちゃんと覚えてたのにどうして本番で忘れちゃったんだろう。やっぱり緊張しちゃダメだなあ。”
空からヤリが降ろうが雷が落ちようが完璧にリサイト (recite) できる。これが“暗記した”という状態です。自分で暗記したと思った時点で登山が始まったくらいの感覚で丁度いいのです。スピーチのプロとアマチュアの差はこの感覚の差だといえます。
暗記した後のリハーサル。これに前エネルギーを集中させる。暇さえあればブツブツと唱えてみる。歩いているときもお風呂に入っているときも寝ているときでもブツブツと文章を唱えるのです。演台に立って大きな声を出す練習も大切です。
リハーサルは最低でも1000回。これが最低の数です。練習し過ぎることはないのです。
私はリハーサルの最中であっても原稿に手を加えます。途中で原稿をボツにすることもあります。
原稿を書くこと以上にリハーサルに命を賭ける。これが一級弁士のあるべき姿なのです。
”明日のスピーチが心配なので電話で指導しろ。カネは払う“。昨日、こんな電話が事務局に入りました。指導が終わってから折り返しの電話を入れると”もう遅い“と冷たい返事。こんな方の指導など私のほうから願い下げです。
“センスが良いですね”。万人に喜んでもらえる褒め言葉でしょうか、こう言われてイヤな人は少ないと思います。
英語の sense はもう少し幅広い意味合いを持ちます。 sensitive は「敏感な」、 sensible は「分別のある」、 common sense で「常識」等々、学生時代に勉強した方も多いでしょう。 sensational は“皆で感じる”ことから「大評判」、 consensus は“共に感じる”から「共感」、 sentence は“感じて述べるもの”で「文章」、 scent は“鼻で感じる”から「香水」。
“センス”が天性のものなのかは議論がわかれると思います。長い間、スピーチを教えてきた経験から言えること。それはセンスの良し悪しは明らかに存在するということです。
技術は巧みではなくても“何となくさまになっている人”がいます。教えている私自身、羨ましいと感じる人です。1を教えて10学んでくれるので実に教えやすい。容姿・服装・話し方のバランスが取れているこのタイプの人は技術さえ習得すれば確実に伸びる可能性があります。唯一の問題点は”努力“を惜しむ傾向があることです。実にもったいない。
一方、大きな問題点はないのに“何となくドンくさい人”がいます。こういう人はいったんきっかけを掴むと見違えるように伸びてくれます。謙虚な人が多いので努力を惜しみません。生徒を“激変”させること、これも私の楽しみのひとつです。
“福澤先生! 恋のアイ・エヌ・ジーってご存知ですか?”。宮崎先生から突然の質問です。正解は Feeling&Timing&Happening 。なるほど! そんな気がしてきました。
弁塾では“3分割法”を使ってスピーチの練習を行います。“3分割法”? 要するにモノゴトを3つに分類して説明せよ、ということです。
“複雑なことは簡単に・簡単なことは面白く”。これはスピーチの鉄則です。複雑で難しそうなことには誰も耳を傾けてくれません。無理やりにでも3つに分類することでシンプルな説明が可能になるのです。
東京という場所を説明する。真面目に説明すればするほど話は長くなりばかり。シンプルにパッパッパッと説明してみましょう。六本木&歌舞伎町&その他。これでいいのです。理屈よりもシンプルさが大切です。リズムを刻んでサーッと説明しちゃう、そのスピード感がスピーチを分かりやすいものにしてくれるのです。
宮崎先生は日常の会話で“三分割法”を使ってきました。“恋のアイ・エヌ・ジー”というフレーズで私の関心を引き、ズバッと説明しちゃう。リズムが良いから聞き手もそんな気になってくるのです。たしかに恋にはフィーリングもタイミングもハプニングも大切ですよね。ああ、もっと早く知っておけばよかった~ナンチャって。
今から41年前の夏、羽田発千歳行きの飛行機に搭乗して以来、私は大の航空機ファンになってしまいます。今は亡き祖父母に会うための“一人旅”でした。アテンダントに手を引かれドキドキしながら搭乗したことを鮮明に覚えています。
20代はもっぱらエコノミー専門、大きな体を丸め狭い機内でそれなりに旅を楽しんでいました。暇さえあればハワイ、ロス、ニューヨークまで飛んでマイルを貯めていた頃です。早くからマイレージプログラムを導入していたのがユナイテッド航空です。
初めてビジネスクラスに搭乗したのが福澤30歳の夏、成田~ニューヨーク間です。アテンダントから ” Sir ” と呼ばれる快感、エコノミーとはまったく異なる機内食。体験するとエコノミーにはもう戻れない体になってしまいました。空港内のラウンジにいるだけでモーティベーションが上がるから不思議ですね。
次なる夢はファーストクラス。“一生乗れないかなあ”などと思っている間もなく、その日はやって来ました。福澤35歳春。上海から帰国する便でした。当時の中国はディスカウントがなくすべての航空券がノーマルチケットでした。ビジネスクラスとの差額は日本円で8000円くらいだったでしょうか、迷わずファーストクラスに切り替えました。
そして現在、次なる目標が私を誘惑します。明後日から就航するシンガポール航空A380機のスイートクラスです。成田~シンガポール往復で8200ドル。完全個室型のキャビンはフランスの豪華ヨット設計事務所がデザイン、座席幅はナント90 cm 、もちろんベッドは完全にフラット。“ああ、早く乗りたい”。考えるだけでドキドキする福澤です。
私が自分らしく生きるきっかけを与えてくれた言葉。それが“ Be yourself. ”です。自分は自分であることには変わりないはず。でもこれがなかなかの厄介者なのです。会話やスピーチになるともっとややこしい。
上手に喋りたいという理想とそれができていない現実。このギャップを埋めようともがき苦しんでいたのが25年前の私でした。英語のスピーチがなかなか上手くいかなかった私にとって恩師である Wilkerson 先生の言葉はズッシリと響いたのでした。
聞き手が私に求めていること。それは巧みな話術や発音ではありません。時に心暖まる話であり、笑いであり、またあるときは熱い語りなのです。基本はあくまで自然体、自分らしさをソノママ表現すること。それがスピーチの醍醐味なのです。
自分らしく生きること、自分らしいスピーチをすること。それにはチョットだけ勇気が必要かも知れません。失敗したらどうしよう。嫌われたらどうしよう。緊張したらどうしよう等々、悩み始めたらキリがありませんね。
これらの悩みを敵に回してストレスの溜まる人生をおくるか、それとも勇気を出して“ Be yourself ”を貫くか。どちらが居心地がいいのか、それは自然体で生きることを始めた万人に与えられた天からの贈り物なのです。
成田空港が開港30周年を迎えました。22年開業予定の新高速鉄道を利用すると都内から空港まで最速36分ですが起点は日暮里駅です。利便性が高まるのかどうかは疑問です。
香港、上海、シンガポール、仁川(韓国)はアジア拠点としての役割を果たしています。成田は既にグローバル化する世界の流れから取り残され (left behind) てしまいました。
そもそも成田が国際線、羽田が国内線という線引きに無理があります。ニューヨークではJFK,ラガーディア、ニューワークと3つの空港を使い分けています。住民の騒音問題を抱えるため24時間運用が出来ない点はもはや致命的でしょう。汐留周辺から天王洲、そして羽田間の地下に首都高速をつくる案もあるようです。国土交通省は羽田の発着回数を年間3万回から6万回に増やす計画を発表したばかりです。
成田空港はアジアのハブ (hub) 空港となることを目指して高度経済成長期に着工されました。地元住民は一方的な建設工事に対し空港反対同盟を結成し徹底抗戦、反対の理由は遠いアクセス、狭い空域、騒音問題、地元との合意の未形成などでした。政府は札束による買収によって簡単に住民を追い出すことができると考えていたようですが反対運動は今なお続いているのです。
“大学テキスト界に革命を起したい。学生の学力に見合った教材が必要だが、実際に使われている入門書は難しい”(渡辺利夫拓殖大学長)。イラストを満載したテキスト、記録が残せるノート型、文体はですます調等、学力が低下したと言われている最近の大学生に対応しようとするのが狙いです。
難解なテキストを平易にすることには私も賛成です。ただ、テキストが平易だからといって学生が理解できるとは限りません。
大学で学ぶのは専門領域に立ち入った立派な学問です。内容はもともと難解なのです。大学教授自身の指導メソッドにメスを入れることなくテキストだけを改定してもどうなのか、この点が私には不安です。
教授たちの多くは旧態依然の一方的な講義をしています。これが実情です。メディアに頻繁に登場する雄弁な大学教授はあくまで一部の例外です。
難しい入門書、専門書、これらの書物を繰り返し読みこむことは実は非常に大切です。読書を通じて脳を鍛える。時間無制限で考え抜く。高校までの”お勉強“とは大きく異なる点です。
時間をたっぷりかけて、ジワリジワリ脳に染み込ませるような感覚。これが大学教育の真髄なのではないかと私は思っています。
“事情が変わればおのれも変わるような愛、
相手が心を移せばおのれも心を移そうとする愛、
そんな愛は愛ではない。とんでもない。
愛は嵐を見つめながら、揺るぎもせず、
いつまでも、しっかりと立ち続ける灯台なのだ。
すべての小船をみちびく星なのだ。
その高さは測れようとも、
その力を知ることはできない。“(シェイクスピア)
文学のセンスがまったくない落第生、シェイクスピアの言葉がまったくピンとこなかったのが30年前の私です。
そして今、書斎で独り、私はこのシェイクスピアの言葉を再び読み返しています。言葉の意味が少しだけ、ほんの少しだけわかってきたような気がします。
今にも崩れそうな軟な絶壁に佇むちっぽけな灯台。激しく燃える生命の輝きからは程遠い、小船を導くどころか、自分さえも導ききれない無力な灯台。
嫉妬、嫉み、驕り、物欲に惑わされ続け、“しっかりと立ち続ける灯台”からは程遠い今の自分。ああ、何と恥ずかしい人生なのか。
自分の人生が終焉に近づいたとき、このシェイクスピアの言葉に大きくうなずくことができる人生、そんな人生をおくると、私が心から愛する人に誓った日、それが今日です。
最近、弁塾に不可解なメールが届くようになりました。嫌がらせにしてはどれも稚拙で幼稚な内容です。 ハレンチなアドレスが貼り付けられているものや、中には私のプライベートを示唆するかのようなものもあります。不思議です。
さて、弁塾の指導内容の屋台骨はアメリカのコミュニケーション論です。このことを快く思わない人たち、真実が公になると困る人たちも少なからずいるのでしょう。
私は彼らと対決しようとは思いません。間違った指導をせざる終えない彼ら指導者たちも迷える子羊だからです。
私が弁塾を運営する意図。それは日本に多くある話し方スクール全体の底上げです。これまでの間違った指導や思い違い、幻想を取り除くことが私の使命だと思っています。指導者集団を正しい方向に導き、一緒に手を取り合って日本全体のレベルを上げたいのです。
2年前のことです。他塾の講師の方が私に連絡をくださいました。素性は明かさずに弁塾で学ぼうとする生徒さんのひとりとしていらっしゃった方です。その方は既に卒業され、別の話し方スクールで指導をされています。
話し方教室で真摯に指導されている方ならば、これまでの指導法に疑問を持つことがあるはずです。“緊張しなくなる?”、“誰でも大丈夫?”、“声を変える?”等々がその例です。
メールの“犯人”が誰であるか。そんなことはどうでもいい。私の存在が邪魔な方、嫌いな方、そんな方こそ私は大きな心で迎えてあげたいと思います。
500年後の日本が明るく楽しい国になるために共に頑張ろうではありませんか。
赤ちゃんを寝かせるコツ。それは優しい声で、ゆっくりと一定のリズムでお話をしてあげることです。心臓の鼓動にリズムを合わせ、絵本でも読んであげれば赤ちゃんはすぐに眠ります。
これまで多くのスピーチを聞いてきましたが、ダメなスピーチ第1位は眠気を誘うスピーチです。眠っては失礼だと思いつつ、どうしても眠くなる。そんなスピーチにこれまで何度、出会ったことでしょう。
内容さえよければスピーチは上手くいく。これは大きな誤解です。内容3に対してデリバリー (delivery) 7。内容以上に“語り方”が大切なのです。
リズムよくトン・トン・トーン、と話しつつ、適度に間を使う。これが理想なスピーチ・リズムです。
“語り方”は人それぞれです。日頃の自分を変える必要はありません。普段、ゆっくり話す方はほんの少しだけスピードに変化をつけてみてください。それだけでインパクトのある“語り方”になります。私のように早口の方はあえてスピードを落とすことは避け、間に気を配ってみます。これだけで印象は大きく変わります。
聞き手を眠らせない、飽きさせない。それには内容よりも本番での“語り方”が大切なのです。
赤ちゃんがなかなか眠ってくれないそこのアナタ。もしかしたら名演説家の才能があるかも知れませんネ。
出版社が新しい英語辞書をつくるときにすること。既存の辞書をすべて並べ、それらに盛り込まれている要素は新たに編纂する辞書にも盛り込む。要は“美味しいところ取り”。出版社同士が互いにパクリあうのです。これが日本の辞書編集の歴史なのです。学研と旺文社がこれで裁判になったこともありました。
編集の実働部隊は外部の編集プロファクションです。経費を抑えて利益を上げるためにはパクリなくして編集は不可能、これが実情でしょうか。
編集の仕事をしている者の心の片隅にある罪悪感、それがパクリです。私が編集者駆け出しの頃、毎日のように飲みに連れていってもらった先輩がいました。コツコツ真面目に仕事をする職人です。世の中でいちばん好きなものはお酒:嫌いなものはパクリ。パクリを嫌いますから仕事は遅い。50を過ぎてヒラの編集者。
“あんな負け犬と飲んでいると君もダメになっちゃゾ”と回りから言われ、その先輩とは一時付き合いを絶った私でした。その後。先輩は静かに郷里の熊本に帰ることになります。以来、その先輩とは会っていません。
私の心の中にはいつもその先輩がいます。真っ直ぐ生きることの大切さ。心が通うことの大切さ。自分に嘘をつかない潔さ。彼から学んだことは計り知れません。
日記で使う写真はパクリ? さてどうする福澤!
“10歳になったらスキューバのライセンスを取ろうね”。息子と交わした約束です。
半年前の成田空港第1ターミナル北ウィング。“パパは来ないの”。目に涙を浮かべた息子が私に訴えかけます。息子たち一行はグアムに、私は東京に戻りました。 以来、息子と私の間にできた“微妙な溝”。
母親不在の我が家にあって息子と私の信頼関係は絶対でした。海外出張の度に小学校はスルー、マンハッタエンターテインメント社との交渉、ニューヨーク TJ Walker とのビジネス・ミーティング、思えば、マウイ島在住の画家、 Kim と出会ったときにも息子と私は一緒でした。
そして今日。1月に破った約束を守る日がやってきました。“ぼくは大丈夫だからね。ダイビングはいつでもいいよ。パパ、あまり無理しないでね”。この言葉が私の胸にズシリと響きます。
NW 82便でグアムに向います。前夜に40度の発熱、そして午前中に抜歯。ほとんど口が開かない私を息子が気遣ってくれます。小さな手ながら足裏マッサージが上手な坊主です。ウトウトしたその瞬間、“ドッカーン”。異様な爆発音とともに機体が急降下、揺れの強さは尋常ではありません。エンジンからは真っ赤な火が出ています。“私の人生はここで終わるのか?”とさえ思うくらいの数秒間でした。 機長の説明がないのは事態が緊迫していた証拠?
午前1時13分。無事、グアムに到着です。
前売り券は advanc(ed) ticket 。当日券は何というのか? 正解は“ At the door ”。面白いでしょう。”当日、入り口で払う“という感じでしょうか、英語らしい表現ですね。
英語を教えている私自身、実はこの言い方を知ったのはつい数年前です。ニューヨーク校TJ .Walker 塾長のトークショーを開催したときのことでした。
英語圏を訪問するたびに痛感すること。“今の自分の英語では足りない”。これが私の本音です。
“そこそこの英語力プラス磐石な弁力が日本人には必要だ。” これが弁塾の信条 (creed) です。私にもそこそこの英語力はあります。英語で困ることはありませんし、不便を感じることもありません。 それでも私の体の中でウズウズする何かが私を刺激 (stimulate) するのです。“もっとヤレー、もっとヤレー”と私に問いかけてくる。 何かとは何か? いくら考えても答えは出てきません。とにかくウズクのです。昨年からのウズキは今や私の心臓近くまで迫ってきています。”黙れ。オレは英語を捨てたんだ。いくら勉強しても所詮ネイティブになんかなれないだろう“、と開き直る勇気さえない。
弁力 (benryoku) という言葉をメジャーなものにする。文化や人種、経済格差を越えた世界標準のコミュニケーション理論を確立する。これを成してこそ我が人生。
よし、決めた。何を? 自分でもよく分からないけど、決めたゾ!
頭が少し変になった今日の福澤先生です。
1ガロン (gallon) 3.78リットルのガソリン価格は4ドル31セント。今年で6回目の値上げだそうです。10年前の価格1ドル60センと比べると気の遠くなるような価格上昇です。
町中を走っていて気づいたのはオートバイの数が増えたこと。単独で通勤する人は車から単車に切り替え始め、オートバイが飛ぶように売れているとか。物価 (prices) も上昇。パン、卵、米などの生活必需品も去年と比べると30%のアップ、スーパーマッケットでの光景にも変化、大きなカートに次から次へと投げ込むスタイルから価格を確かめながら購入する人が増えていると聞きました。飽食と使い捨て一辺倒のアメリカ人でさえ危機意識を高め始めている、このこと事態が事の深刻さを鮮明に表現しています。
子どもの頃に親から“お百姓さんがせっかくつくってくれたお米だよ。感謝しなきゃね。最後の最後までし残さないで食べなさい。残すと目が見えなくなるよ”、などと言われたことを今、思い出しています。その後の高度成長期を生きてきた私たちは飽食の時代に生き、食べ物を残すことに無頓着になってしまいました。
温暖化は止まらず、世界の人口は間もなく70億。エネルギー危機、食料危機 (food crises) が引き金 (trigger) になって世界の紛争が始まることだけは避けなければなりません。
グアムで今いちばん話題になっている高級分譲地、タロベルデエステイツ( Talo Verde Estates )はヒルトンホテル前の坂を上ったオーシャンビューが望める絶好のロケーション。デザイナーブランドの豪華な家具つきのベッドルーム5部屋、日本のマンション1ユニット分のリビングルーム、キャッチボールやパターゴルフが出来そうな庭。そしてプール付き!こんな豪邸が6000万円~8000万円で買えちゃうグアムです。
本土ではサブプライムローンの焦げ付きで不動産の値下がりが顕著ですが、ここグアムはそれとは正反対、不動産ブームが勃発しています。米軍が沖縄からグアムに移転するタイミングにあわせた不動産投資がその理由です。グアムの平均的な家屋が2000万円ですから、これら、現在建築されている家屋は破格の値段だといえます。でも、こんな豪邸、誰が買うの?
グアム移転をめぐる経費分担。米軍家族住宅3500戸の建築費約2800億円を負担するのは誰? 2800億÷3500戸=? 答えは8000万円。ああ、ドンピシャの計算ですね。グアムで新規に建築されている豪邸に住むのは米軍さんとその家族。その負担をするのは我々日本人というわけです。
全額日本が負担することを約束しちゃったのは額賀防衛庁長官(当時)。相手はラムズフェルド国防長官(当時)。 すんなり“ Yes ”と言ってくれてラムズフェルド氏もさぞ驚かれたことでしょう。 日本の政治家と交渉するのはサルでも出来そうです。
日頃は教える立場の私ですが、今回は教わる側の息子の立場から”授業“を参観します。10歳から取得できる PADI のスキューバダイビングのライセンス、私の息子はただ今、猛勉強中です。
大人用に編集された全258ページの分厚い教科書。日本語版とはいえ10歳の子どもに理解させるには少々、無理がある気がします。今回の生徒は大人2人と私の息子。日本語の語彙レベルが異なる生徒たちをどのようにハンドリングするのか、私にとっては興味深い参観となりました。
難しいことをやさしく教えるのはアタリマエ。できれば楽しく、しかも飽きさせずに教えられれば、優秀な講師です。要は教える側の力量次第なのです。
眠そうな生徒と淡々と講義を続ける講師。かみ合っていません。それでもペーパーテストは誰でも合格してしまう PADI の方針に少々、興ざめしてしまった私です。
ライセンスにかかる多額の費用はなんのために払うのか。ダイビングを教えることを生業にしている人たちの生活の糧? それとも単なるお金儲け?
息子は無事、 PADI のライセンスを取得しましたが、カードの申請は見送ることにしました。近い将来、息子と一緒に勉強し直し、英語でのライセンス取得を目指そうと思います。世界の浜辺での共通言語は英語なのですから。
“ Pardon for my appearance ”。そのまま訳せば「顔がまずくてスイマセン」かな。一部施設が改装中の Westin ホテル、その改装部分に掲示されていたのがこの英語です。粋な英語ですね。こんな言い方もあるのだと関心してしまった私です。道路工事じゃあるまいし“ Under Construction ”では雰囲気台無しですよね。一流ホテルは英語にも気を遣のでしょうか。
英語圏の街中を歩くと色々な英語に出会います。レンタカーのフロントガラスには“ Rent me ”の掲示。中にはキスマーク付きの掲示もあるから笑えます。スタバの影響でしょうか“ To go ”は日本で普通に使われています。 アメリカで初めて“ Here or To Go? ”と聞かれたときはオロオロした覚えがあります。
“ Seven Days ”が「年中無休」、“ ” Fine ”が「罰金」、“ Dead End ”が「この先行き止まり」、“ Good ”が「まあまあ」等々、英語圏で私が始めて知った表現は数知れません。
TOEIC で900点をクリアー、それでも英語がまったく使えない人が意外に多い。これは悲劇です。
私の息子が通う小学校では1年生から英語の授業が行われています。そして今5年生。ビックリするほど英語が口から出てきません。なぜ? あえて私は息子に英語を教えてきませんでしたが、そろそろエンジン全開といきましょうかね。