話し方教室 ● 一級弁士養成塾
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コミュニケーション論(The Art of Communication)の理論に則り、どんな聞き手をも魅了(Charm),説得(Persuade),鼓舞(Inspire)し、明確な目的(Specific Purpose)を意図的(Intentional)に行うことのできる力を「弁力」と定義します。
人前で話す(Public Speaking/Communication)という行為はある目的達成の手段であって、それ自体が目的ではありません。会話や話し方を研究すること自体悪いことではありませんが、単なる趣味やお稽古事の域は超えません。英会話スクールや話し方教室に通っても実利(Profit)に結びつかないケースが多いのはこのことに起因しています。「上手に話せるようになりたい」と思うのは自由です。しかし聞き手にとってそれはどうでもいいことでしょう。「上手に話すコト」それ自体を最終目的として捉えている話し手は「上手に話す」という目的は達成できたとしても相手を魅了(charm)、説得(Persuade)、鼓舞(Inspire)することはできないのです。結果としてチャンスを逃してしまっているわけです。
授業におけるSpecific Purpose(明確な目的)とはいったい何でしょうか。目的が情報伝達(To Inform)だと考える先生は苦戦を強いられることでしょう。なぜか? 情報伝達が最も高度なコミュニケーション能力を必要とするからです。参考書やネットでは知ることのできない特別な情報でも提供しない限り、聞き手を引き付けることは至難の業です。一方生徒に絶大な支持を得ている塾講師の多くは生徒を鼓舞する(Inspire)する重要性を認識しています。この、相手を鼓舞・激励する力こそが「弁力」なのです。「受験合格」という明確な目的(Specific Purpose)が生徒をリードする大きな役割を果たしています。ユーモアも大切です。「立派な大人になる」という曖昧な目的を学校の先生がいくら連呼しても好意的な反応は期待でないでしょう。目的が明確ではありません。曖昧な目的(Ambiguous Purpose)ではなく明確な目的(Specific Purpose)を明示することが聞き手を動かす絶対条件なのです。これがコミュニケーション理論の基本です。学校と塾の違いをコミュニケーション学(The Art of Communication)の立場から考えると子供たちの多くが学校の先生より塾の先生を支持する理由が見えてきます。
巷に溢れる英会話スクールや「話し方教室」。その数の多さを見れば、いかに会話を苦手としている人が多いかがわかります。「上手く話したい」という潜在的な需要を満たす金儲けのマーケットがあるわけです。英会話に限ったことではありません。この点、スクール選びには慎重にならなければなりません。
「緊張したほうが良い!」と言うと驚かれる人もいらっしゃると思います。稚拙な話し方や緊張から脱却して今の自分を変えたいと思っている方が多いわけですから、この驚きも当然の反応と言えるかもしれません。しかし、スピーチ・コミュニケーション(The
Art of Speech Communication)の原理原則を少しでも学べばこれまでの悩みが単なる思い込みであることがわかります。
歴代最年少で米国大統領まで登りつめたジョン・F・ケネディー。彼の就任演説は英語学習者の絶好のテキストとして今でも讃えられています。演説の骨子を専属のライター5名が加筆訂正を何度も行い徹底的な反復復唱をケネディーに課したのです。それでも実際の就任演説の際には極言の緊張(butterfly
in the stomach)を体験したといわれています。
注目すべきは、ケネディーが緊張しているようには「見えなかった」という点です。そんな事実の影にはスピーチ・コミュニケーション理論の真実が隠されているのです。緊張を敵視する必要はありません。実際に緊張はしてはいても、聞き手から緊張しているように見えなければ問題がないのです。トレーニングを積むと緊張すること自体が快感にすら感じられるようになります。
話し方を無理に変える必要はありませんし、緊張心に怯え慄く必要もありません。学問的な理論体系(Scientific Method)に裏打ちされたホンモノの指導をうければ素晴しい演説をするためには緊張は欠かすことの出来ない要素であることがすぐに理解できます。それでも緊張の呪縛から解き放たれたいと思う方にはその方法をお伝えすることにしています。
もうひとつ忘れてはならないことがあります。「緊張」を精神的な問題と捉える傾向があるようですが、これは誤りです。緊張とは単に筋肉が過剰に反応することであり、人間なら誰にでも起こりうる現象です。運動中に足がつることがありますが、この程度のことなのです。
足がつることを恐れて歩くことを躊躇う人はいませんね。運動する度にそうなる人は別ですが、あくまで程度問題だという認識が大切です。「誰でも緊張しなくなる」と謳うスクールがありますが、騙されてはいけません。これでは人間を止めよに等しいとさえ私には感じられます。
インターネットの普及は産業革命(Industrial
Revolution)を超えたとさえ言われています。資本家(Capitalist)が社会を牛耳っていた時代ではもはやありません。小資本ではあってもビジネス・チャンスを捉えることができるようになりました。
YahooやGoogleの検索上位組にも小規模組織が名を連ねています。一気にのし上がるチャンスや一発逆転の可能性は以前にも増して増えたと言えるでしょう。
即断即決はもはやアタリマエ、懸案を持ち帰り再検討する余裕などありません。絶体絶命な状況をも覆す鉄壁の交渉術(The Art of
Negotiation)が求められる時代です。そこで「弁力」が登場するわけです。
これからの時代、「弁力」が武器となります。「話し方」云々のレベルはもはや過去のこと。利益(Profit)に直結する「弁力」をいち早く養成し一気に勝ち組入りを果たさなければなりません。但し、「弁力」は相手を騙したり落とし込めたりする力ではありません。この点、道徳(Moral)や倫理(Ethics)がより重要な位置を占めるような時代になったと言えるでしょう。
起業家を始め、弁護士、教師、医師、政治家など、専門職に就く人にとっては真価が問われる時代の到来です。肩書きだけではもはや通用しません。部下を説き伏せることの出来ない社長、当事者間の交渉が苦手な弁護士、生徒に相手にされない教師、患者から愛されない医師、などなど、枚挙にいとまがありません。彼らがけっして無能なわけではありません。「弁力」が不足しているだけなのです。 国家にとってこれほど不幸なことはありません。利益に直結する弁力を身につけ理想の自分を演出しようではありませんか。