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今月で10歳になる長男です。今から4年前、グアム沖に停泊した小型船から深海にダイビングする私の姿を見て以来、海の虜になってしまった息子もようやくライセンスが取得できる年齢になりました。PADIのジュニアライセンスです。
明日から始まるパラオでの研修にどうしても参加したいと懇願されます。まだ10歳ではないこと、規定体重の30キロに満たないことを説明して納得してもらいます。
一度だけ息子とダイビングをしたことがあります。違法です。耳ヌキが出来るとはいえ体力的にまだまだ未熟な6歳の子どもを10メートル前後まで潜らせることは危険極まりない行為なのです。父親失格の私ですがそれほど海の魅了されている私でもあるのです。
ニモや海亀を目の前で見た息子はそれ以降、性格がガラリと変わったような気がします。海には人を変えてくれる魔術があるのかも知れません。
上級のダイバーでもなかなか見ることが出来ないマンタを1度の体験で目撃できたこともラッキーな息子です。彼にとってはクリスマスやお正月よりもライセンス取得のほうが楽しみのようです。
“ゴーストライターはしない“と決めている私ですが生徒さんの情熱に押し切られ久々に禁を破ってしまいました。
7分から15分の長さのスピーチであれば原稿用紙数10枚以内に収まります。問題はそのリライト作業です。
私が正式なスピーチ(prepared speech)を準備する際には徹底したリライト作業を行います。紙切れ、メモ、原稿用紙はダンボール1箱からはみ出てしまうほどです。大袈裟な話ではありません。カンペキなスピーチを求めるのならばこの程度の作業は当然のことなのです。
美辞麗句を並び立てるのではありません。口でムニュムニュ発音しながら自分の口に心地よい言葉を選ぶ作業を行うのです。手間のかかる作業ですがこれがいちばん大切です。
日頃自分が使うことばを使う。これが鉄則です。使い慣れない言葉を無理に使おうとするとそれだけで顔が歪み、聞き手を不快にさせてしまいます。
訂正にはワードは使わず昔ながらの赤ぺンを使用します。訂正した箇所に赤字を入れたり元に戻したりする作業が延々と続きます。
最終原稿が完成した瞬間は出産に似ていると勝手に思い込んでいる福澤です。
コンチネンタル航空962便でグアムに向います。パラオ研修までの数日間、プライベートの時間を確保できそうです。
ビジネスクラスに革命をもたらしたコンチですが、ここ数年の他社航空会社の追撃に少々、押され気味でしょうか。トレンドであるフラットシートと比べると見劣りします。
背広を着たまま常夏の島に到着、汗だくのままウェスティンに直行します。
海の見えないウェスティンで最低の部屋をウェブで予約し、切り札のスターウッドカードでアップグレードする。これだけで69ドルの節約になるのです。
スターウッドって何? いやいや、特別なカードではないのですよ。ウェスティングループのホテルに年間規定回数宿泊すれば誰でも取得できるポイントカードのようなものです。オーシャンビューのクラブルームにチェックインすることができました。
日頃の睡眠不足もあり、今日は夕食も食べないまま爆睡です。
ハワイをはじめニューヨーク、サンフランシスコなどに30店舗を越えるレストランチェーンに発展したロイズ(Roy’s)。一昨年には六本木ヒルズにロイズ東京バー&グリルがオープンしました。
中でも私の一番のお気に入りがグアム・ヒルトンのロイズです。ハワイのロイズが欧米人好みの味付けならグアムのロイズは日本人好みだと思います。数々の伝説を築いたシェフ坂田氏はもういませんが伝統は受け継がれているようです。
メニューの豊富さにはいつも驚かされます。おすすめはノブスタイルのクリスピー・ソフト・シェル・クラブ(Crispy Soft Shell Club)。香ばしく揚げたソフトシェルクラブをアボカドと共にのり、大根で巻いた手の込んだ前菜です。フライの独特なオイリーさとアボガドの濃厚な旨味を大根のさっぱりとした味わいが緩和し何個でも食べられる一品です。見た目はお寿司のカリフォルニア巻に似ています。
タモン湾の夕陽を眺めながら至極の時を過ごすことができました。
“帰って参りました・・・恥ずかしながら生き永らえて帰って参りました”。横井庄一さん帰国の第一声です(1972年2月2日)。この言葉はその年の流行語大賞にもなったのでご存知の方も多いと思います。
横井氏が最後に潜んでいた洞窟を売り物にした公園がグアム島東部にあります。韓国人が経営しロープウェイでタロホホ川の渓流に客を呼んでいるテーマパークです。ここにある“ヨコイケーブ”が偽物だと知り、哀しい気持になった私です。ホンモノの洞窟は近くの私有地にあるようです。
“主食はパンの実をはじめとした木の実であったがなかなか手に入らない。タンパク質は野ブタ、ネズミ、トカゲ、牛、鹿から取った。ネズミは調理できないときは生で食べることもあったが焼くと簡単に皮がむけ天日で乾燥させて保存食にした。ネコは肉が少なくネコが寒がりなのが理解できた。ヘビは少なく毒ガマカエルから慎重に毒を抜いて食べることが多かった。川エビは殻をむいて生で食べた。たいへんな美味だった。近くに原住民の住居があったが村人の食料にはけっして手を出さなかった”。
横井氏が亡くなって今年で10年。戦争の悲惨さを風化させてはいけません。
コロール(Koror)から船で5分。ウルクターブル島のドルフィンズ・パシフィックはイルカに関する知識を身につけ触れ合いを通して理解を深める非営利団体の施設です。総面積10万平方メートルの施設にバンドウイルカ11頭が暮らしています。
さて、イルカとクジラの違いは? 実はイルカはクジラなんですよ。クジラの中で大人の平均サイズが4メートルを越えないクジラのことをイルカと分類しているのです。だからイルカはクジラなんです。 こんなことまで学べちゃうのがドルフィン・パシフィックなのです。
良いことばかりではありません。タッチングなどのストレスにさらされるイルカの寿命は短いこと、イルカの訓練途上でその扱いの醜さにやめていくトレーナもいる等の問題も指摘されています。イルカの頭を叩くとか蹴るといった悪い噂も耳にしました。
イルカの生態にはまだまだ未知の部分があります。海を愛する一人として今後もプチ学習を続けていこうと思います。
1994年パラオはアメリカから独立(independent)します。国旗制定を一般公募した結果,日の丸を真似た今のデザインに決まったという経緯があります。パラオの国旗の満月は中心からズレています。日本に失礼だからという理由で故意にそうしたのだそうです。パラオの人たちの慎み深い態度が読み取れます。
パラオの国旗はかつて日本の統治下にあった国で日の丸を模して国旗がつくられるほど日本が尊敬されていたことを教えてくれる証拠なのです。
第2次世界大戦後、この国を占領(occupy)したアメリカは日本文化の影響を徹底的に壊します。南洋神社は取り壊され、学校の二宮金次郎の銅像も引きずり降ろされました。しかし、パラオの人々は心の中では勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い日本統治時代を懐かしんでいるのです。その証拠にパラオ人の8割が姓名のどちらかに日本式の名前をつけているのです。
国家予算の3割をアメリカからの補助で賄うパラオ共和国。2009年にはその援助も打ち切られることが決まっています。日本にできることは何なのか、考えさせられる今回のパラオ滞在です。
スプラッシュの山口さんの案内で沖海までクルージングです。スキューバをしない人に強制すれば“パワハラ”だなどと叱られてしまいそうですが、パラオに来て潜らないのはナンセンス。私の“潜るぞ”の掛け声に全員集合です。
宿泊先のパラオ・パシフィック・リーゾートから50分のセイリング、ダイバー憧れのスポット、ジャーマン・チャンネル(German Channel)に到着しました。内海と外海を繋ぐ水路出口付近の砂地とサンゴ礁のポイントです。マンタが高確率で現れる海として有名ですがネジリンボウを始め小さな魚たちの宝庫でもありダイバー初心者でも楽しめる場所なのです。
甲羅の尻尾あたりがギザギザしているのがタイマイと呼ばれている亀、アオウミガメも楽しそうに泳いでいます。サメもいます。体長1メートルくらいでしょうか、威厳のある顔つきをしています。餌付けなど不要。大量の魚たちがマリンブルーの海を埋め尽くしています。
潜ることを躊躇していた人も皆パラオの海の美しさ、神秘さに魅了されたことでしょう。至極の時を過ごすことができました。
どこまでも澄みきったパラオの海。その一角だけまるでミルクを流したように乳白色の水をたたえた入り江があります。ミルキーウェエイと呼ばれるこの入り江の底には粒子の細かな純白の泥、ホワイトクレイがあり“塗るだけで白くなる美肌の泥”として古くからパラオの人々に語り継がれてきたのです。
主成分は微細化されたサンゴの粉。この地帯は特殊な形状なため海の流れが穏やかに保たれサンゴの粉が何十万年という長い年月をかけて堆積したと考えられています。平均気温28度の環境でサンゴの粉は温められ発酵し様々な美容効果が育まれていったのです。ホワイトクレイは地球が生んだ奇跡の美容成分なのです。
スプラッシュの和(なごみ)さんが海底に潜りホワイトクレイを運んでくれました。子ども時代の泥んこ遊びを思い出してしまいます。福澤先生も体中真っ白!日焼けで痛んだ僕のお肌もピチピチになったかな。
パラオ最終日はジャパンナイト。宿泊のパシフィック・リゾート内のココナッツ・レストランで現地の小学生や中学生が伝統の踊りを披露してくれました。彼女たちが奏でる歌声は素晴しく心が洗われる気分になった福澤です。
今夜は盛り上がるぞ。あまりお酒が飲めない私ですがガンガン飲んじゃいました。でも、チェックアウトは深夜0時、午前2時半の便、グアム経由で東京に戻るのです。大丈夫かな? 福澤先生、久々の泥酔です。お部屋に戻ったのは午後10時頃でしょうか、アラームをセットして超爆睡。このまま朝まで眠りた~い、と思っているともう時間。頭はガンガン、目は充血。こんな状態で搭乗できるのでしょうかね?
空港に行くと酔っ払っている人もチラホラ。眠ればいいものの機内でまたシャンパンなど飲んでしまいました。グアム着午前5時半。乗り継いで成田へ向います。
箱根新弁塾館のソフトオープニングまで残り僅か、現場では土日返上で作業が行われています。
環境に優しいルナファーザーを使った内装も無事終了、壁面に映る光の影は予想以上の美しさです。床張りの作業が急ピッチで進められています。
石垣を削ったエントランス部分をどうするか、意見が割れました。むき出しになっている土部分に苗木を植える案もありましたが春になれば自然と緑が生い茂ることを想定、あえて自然の姿を残すことにしました。石垣の間にはライトを埋め込み演出にも一工夫です。
建物中心部から南傾斜の部分にはウッドデッキを配置、春になれば屋外でのバーベキューも楽しめそうです。デッキの先は急斜面になっていますが、このスペースを使い迷い道の造作を進めています。樹木の伐採が僅か3本で済んだため自然のままの森が残されました。
ペニンシュラ仕様の寝具の搬入が間に合うかどうかが唯一の不安です。
日記の更新が大幅に遅れてしまいました。申し訳ございません。
“先生大丈夫?”、“病気ですか?”、等々、たくさんのメールをいただきました。昔の生徒さんからも心配や激励の連絡をいただき責任の重さを痛感しているところです。12月3日からのパラオ研修は無事終了し帰国しております。私は元気いっぱいです。皆様、ご安心くださいね。
3年ぶりのパラオは雨季が終わり絶好の天候に恵まれました。ただ、ネット環境がこれほど遅れているとはまったくの想定外、旧ボーダフォンの携帯は信号が弱すぎてなかなか通じず、携帯メールは完全な圏外、無線ランを使ったインターネットへのアクセスも限られた場所でしか交信できない状況でした。コロール島の中心部まで移動すればどうにか携帯が使えたのが救いでしょうか。
滞在中に仕入れた“日記ネタ”は近日中に更新しますので楽しみにしていただいたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
あなたに能力(competence)がありながらその能力が正当に評価されない。上司があなたより年下で専門分野の知識もない。しかもその上司は会社から絶大な信頼を得ている。ストレスがたまりますね。
辞めるのも一考? でも生活のことを考えると今すぐにやめるわけにもいかない。さて、どうする?
人が集まれば摩擦(friction)が生じる。至極当然の現象です。嫉みやひがみもあるでしょう。日本の社会は絶妙なバランスで成り立っています。そのバランスを壊そうとする存在は悪と見なされ社会から抹殺される運命にあります。
目に見えない(invisible)鎖でつながれ、ロープで縛られ、そしてローソクを垂らさせる。いやだ、いやだ、と言いつつ、その組織に所属し続ける。
もしかしたら日本企業の職場はSM社会? あなたの会社はどうでしょう。
相手を論破すること。これはディベートの世界です。日常の生活を円滑におくるには論破だけでは足りません。論破して且つ友好な人間関係を維持することが大切です。“相手に喜んで納得してもらう“こと。それが弁力です。
論破された相手は降参状態にあります。降参した相手をこき下ろしたり面子を潰してはいけません。
私の日常は論破に始まり論破に終わると言っても過言ではありません。指導以外の時間はまさに戦場なのです。運営、企画、交渉はもちろんお金の問題やトラブルにも迅速に対応しなければならないのです。
論破した相手とは一呼吸置く、納得モードになるまで時間を惜しまない。“喜んで納得してもらう”には笑いも大切です。論破のプロセスで生み出したネガティブ・オーラを一気に解消させてくれるのは笑いだからです。
交渉力は“交笑力”だと私は思っています。
現代人の多くはテレビ、新聞、ネットの奴隷のような存在です。最新のニュースを見逃すことで社会から取り残されたたような錯覚に陥る中毒患者、それが現代人です。
人里離れたパラオの無人島。電気も水道もありません。ネット、テレビはもちろん携帯電話の電波すら届かないこの環境に身を置いてみる。聞こえてくるのはさざ波の音と鳥の鳴き声。
こんな環境に身を委ねることで本来の自分、素直な自分を発見できるような気がします。仲間、友人、愛する人がそばにいるだけで満足できる充実感。言葉を交わすことがなくても理解し合えるような奇妙な感覚。こんな体験が私に生きる勇気を与えてくれました。
弁力指導の究極の“教室は”は無人島だと私は思います。“癒されたいと思う人は永遠に癒されない”という名言があるように、”自分を変えたい“、”声を変えたい“、”話し方を変えたい“と思う人は永遠に変わることはできないのです。
天から与えられたありのままの自分を素直に受け入れることで初めて、弁力開眼の道が開かれるような気がします。
箱根新弁塾館。間もなく開校です。
“服装は自分より相手のため。服装で相手の態度も変わる”。メイ牛山さんの名言です。スピーチ理論のツボをズバリ言い当ててしまうあたり、一流の人生を歩んだ人はどこまでも一流なんだなあという気がします。
“こんな話がしたい。あんな話がしたい。” スピーチであれ日常会話であれ、話をするには相手が必要です。アナタの話を聞いてくれるだけで、これはかなり有り難い状況なのです。その、有り難い状況を最大限に活かすことができるかどうかで人生が大きく変わってくるのです。
聞き手はアナタのストレス解消の道具ではありません。聞き手に最大限の敬意を払える人。こういう人は服装や髪型にも自然と気合が入るものです。言葉の選択にも敏感になりますし、丁寧にもなります。 服装は自分のため以上に相手のためでもあるのです。
“綺麗な人は心も綺麗”だ! こんな発言をすればお叱りを受けるかもしれません。でもこれが私のホンネでもあるのです。
メイ牛山さん、享年96歳。最後の最後まで綺麗なおばあちゃんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
暖房はつけない。まめに手を洗いイソジンでうがい(gargle)する。これだけで扁桃腺を腫らすことが少なくなりました。
10年前の冬のことです。唾を飲み込むことすらできないほど扁桃腺が腫れたことがありました。39度を越える熱で合宿に参加できるのか。授業を休むことへの罪悪感が私を襲います。
そのとき私の命を救ってくれたのが弁塾恋愛講座を担当する宮崎先生でした。“先生の命には代えられない”と言ってくれたのは彼だけです。
もともと扁桃腺が弱い私です。“声を使わない仕事をしなさい”、とは主治医の言葉。人生とは皮肉(irony)なものですね。私から声を取ったら何が残るのでしょうか。
昨年は乾燥する日本を避け、年末の1ヶ月をホノルルで過ごしました。そのホノルルで風邪をひいて寝込んでしまったバカな私でした。今年は新弁塾館のオープンもあり、休んでいる暇はありません。
財布を忘れてもイソジンだけは忘れない冬の福澤先生です。
顔もない、声もないコミュニケーション・ツール。それがメールです。
対面での意思伝達の度合いを100とすれば電話は30、メールは10以下。それほどメールは本来の意思(intent)が伝わり難いのです。顔文字や絵文字は不足分を補ってくれます。これがせめてもの救いでしょうか。
ニコニコ顔で対面しながら“早くしてね”とお願して人間関係にヒビが入ることは稀でしょう。電話でもとりあえずはOK。しかし、メールでの“早くしてね”は微妙です。“電話したんだけど”。これも危険です。“昨日どうしたの?”。これは最悪です。
相手を詮索したり追い込んだりするニュアンスが少しでもあれば、それは即、危険なメールになり得るのです。メールは誤解を招く宝庫なのです。
送信してから即、電話。これがキホンです。電話で概要を話し、詳細はメールで報告。これがいちばん賢明です。メールだけ送信して音沙汰なし。これが一番危険な方法なのです。
アナタは今日何通メールを送信しましたか?
26日のプレ・オープンを控え箱根の現場は大忙しです。
外溝工事の職人さんたちは早朝から深夜まで黙々と作業を続けています。基礎工事の変更で玄関に段差ができてしまいました。これでは車椅子の人が出入りできません。ダメです。アプローチ部分から玄関までの僅かな距離ですがスロープ状の形状に変更です。
大工さんもタイル屋さんも塗装屋さんも総出で走り回っています。1日でも雨が降れば26日オープンは間に合わない状況だけにコトは深刻なのです。でも大丈夫。福澤先生は“晴男”なのです。
クリスマスの飾りつけは大ちゃんに任せっきりでしたがどうなったのでしょうか。アレアレ、新規の仕事で手が回らないっ? 電飾屋さんの見積もりを見てビックリ。総額が80万円。そんなに高いなら自分たちでやってしまいましょう。スタッフ総出で飾りの買出です。息子も学校を休ませお婆ちゃんにも協力を要請、経費を抑えます。
赤がいいやら青がいいやら意見が衝突しますが、ココは私がリーダーシップを発揮、“間”をとって黄色に決定しました。
声は磨けば変わります。椅子に座りながらダラダラやっても効果はありません。空手の組み手を想像してみてください。背筋をピーンと伸ばして体全体で声を出すのです。真剣に声を出す練習をすれば3分で汗が出てきます。10分もすればクタクタになるはずです。お腹も空くでしょう。要は“鍛え方”の問題なのです。お肌や爪の手入れと同様、声も磨けば変わるのです。
“他のスクールで発声練習をしたがダメだった”と訴える方がいらっしゃいます。そういう方と直接お話することもあります。スクールもダメなら本人もダメ。ダメなスクールとダメな生徒が美しいように調和する。その結果、スクールを転々とすることになります。これは不幸です。
生まれつき声が綺麗な人は稀です。“先生はどうして声に迫力があるのですか?”と言われることがありますが、これは鍛えた結果であって天性の才能ではないのです。
昨日、無事、引渡しが終了した新弁塾館に来ています。今年のクリスマス・イブは此処で一夜を過ごします。
東面のロングガラスから真ん丸の月が覗いています。室内から夜空が見える光景はまさに非日常です。中央部の足湯に水を張りシャンパンを冷やしてみました。ホールに響くジャズの音色が癒しの空間を演出してくれます。
心身ともにリラックスしてはじめて理想的な弁力指導が実現する。そんなコンセプトから箱根新弁塾館の建築が始まりました。イメージ通りの出来映えに思わず自画自賛してしまいます。
生徒さんに利用していただくマスター・ベット・ルーム。私がこの部屋を利用するのは今日が最初で最後。併設した浴室の心地よさを体感しつつ、ゆっくりと湯船に浸かってみました。半月形のバスタブにテレビ付きのジャグジー。生徒さんにも喜んでいただけると確信することができました。
箱根弁塾館入り口に小山があります。2メートル以上あるその小山に、いつの間にかもみの木が植えられています。ホンモノのもみの木です。サンタが弁塾にやって来た?
スタッフに聞いてみても、建築業者の方に聞いてみても、もみの木を植えた人が誰なのか分からないのです。もしかして家族? 追求してみましたがどうやら家族でもなさそうです。誰がもみの木を植えたのでしょう? 謎です。
もっと嬉しいプレゼント。それは私が最も大切な人からもらったダンヒルのネクタイです。赤でもなく紅でもなく、柄でもなく無地でもない。でも、無地。なんともいえない気品に溢れるネクタイ。私の好みと外見をいちばん理解してくれている人でないと決して選ぶことのできないネクタイです。
そのネクタイを宿泊先の部屋に置き忘れた愚かな私です。遂に見つかることはありませんでした。無念です。
もみの木と赤いネクタイ。生涯忘れることのできないクリスマスです。
箱根新弁塾館が本日、午後5時ソフト・オープニングします。ソフト・オープニングとは本格的なオープン前の段階で宿泊や利用をしていただくことで、建築工事が遅れグランド・オープンできない海外の宿泊施設では頻繁にあることです。
弁塾の場合は予定通り工事は行われましたが、これまでお世話になった方や卒業生の方々から優先的にご利用いただくことになっているためいち早くソフト・オープニングさせていただきました。弁塾でのグランド・オープニングは来年の1月13日となります。
1階のホールは大理石を使ったことと5メートルを超える吹き抜けがあるため暖房面で心配していましたがむしろ暖かいくらいで安心しました。ピアノとベルの搬入は年明けになりそうです。クリスマスの飾りつけはグランド・オープニングまで続けようと思います。順次、施設内の写真や動画アップしますのでお楽しみに!
ミュージカル『ミス・サイゴン』の再演が決まりました(2008年8月/帝劇)。
16年前、ブロードウェイ初演時にはアジア人女性の蔑視だとかベトナム戦争の事実を歪曲している等の非難もされた作品でしたが、その後ロングラン、ロンドンや東京でも支持され続けた気ミュージカルです。チケットの料金がブロードウェイで初めて100ドルを越えたことでも話題になりました。
米兵と恋に落ちたベトナム人女性キム。実の父とその妻に子どもの命を託し自ら命を絶つ結末は非現実的だと分かりながらも涙を誘う場面でもあります。ベトナム戦争での男女の問題はそれまでアメリカ社会では一種タブー視されてきました。このミュージカルによって”ブイドイ”と呼ばれる白人の血を継いだ多くのべトナム人たちの存在がクローズアップされた事実は見逃せません。
"I'd give up my life for you."は日本語版では「命をあげる」と訳されていますが、もう少し詳しく訳せば「もしおまえが幸せな人生をおくることができるのならば、自分の命は惜しくない」。ざっと、こんな意味になります。
親が子を殺し子が親を殺す事件が珍しくなくなってしまった今、このミュージカルが再演される意義は大きいと思います。
“新宿は騒がしくて狭い。だから嫌い”。この文には”騒がしい“、”狭い“、”嫌い“という否定的なイメージを与えがちな言葉が含まれていますね。
前半が「事実」、後半が「主張」を表すカンペキな表現ではあります。でも違和感を感じませんか? とかく無表情になりがちな日本人がこのようなネガティブ・ワードに満ち溢れた表現を使うと聞き手には心地よく感じられないものです。
“新宿は賑やかですね。奥が深そう。行ってみたら楽しそうですね”。騒がしい→賑やか/狭い→奥深い/嫌い→楽しそう、と肯定的な言葉に変換するだけで温かみが出てきます。自分の意思もちゃんと伝わりますし、聞き手にも心地よく響くはずです。
弁力指導をしている私自身、ネガティブ・ワードを使ってしまったことを後悔する毎日です。言葉の使い方には配慮してし過ぎることはないのです。
息子の通信簿を見忘れていました。学校の成績に一喜一憂するノリは私にはないのですが今回は成績が良かったらしく、こんな場合はやはり褒めてあげればよかったかな。反省する福澤です。
叱られ慣れているせいか褒めても喜ばない息子です。“少し成績がよいくらいで褒めるパパではない。何か魂胆があるに違いないと思っていたよ”。思わず苦笑してしまいました。
英単語の綴りが正しく書ける、児童英検で高得点を取る等々、で英語の評価を下しても意味がないと私は思うのです。
小学生に文字を見せながら英語教育をすること自体、賛成できません。英語の歌を歌わせることも条件が整わない限り弊害のほうが多いのです。英語を使ってナントナク遊ぶ。これで十分です。“笑い”も大切です。英語を学問としてとらえるのではなく遊びとしてとらえる気楽な感じ。これがミソです。
英語の成績は相変わらず悪い彼はそのことに負い目を感じているようです。”英語に関してはパパを信じなさい“と思いっきり抱きしめてあげました。
父、万俵大介は長男鉄平が祖父の子ではないかという“思い込み”から、鉄平に冷たい態度をとり続けます。しかし、鉄平の死後、彼が実の子だということが判明、棺の前で泣き崩れるのでした。再放送中の『華麗なる一族』の話です。
一夜の過ちから鉄平が生まれたのではないかという父の“思い込み”。その“思い込み”が誤りであることが鉄平自殺後の検視から判明します。
鉄平が祖父に余りにも似すぎていること、父自身が祖父の経営手腕にコンプレックスを持っていたことも“思い込み”に拍車をかけました。
さて、人生に“思い込み”はつきものです。“思い込み”が正しいことが判れば自分がさらに不幸になるかも知れない。そんな恐怖心から、”思い込み“の検証に人はなかなか踏み込めないのでしょうか。
私の心の中にも“思い込みが”潜んでいます。悪魔の囁きに胸が引き裂かれそうになり人生の判断を誤ってしまう。こんなことが私の人生に先日起こりました。恐怖心を凌ぐだけの勇気が私には欠けていたのでした。
今年の僕のキーワードは“積み残し”。今年は積み残したことがたくさんあって大晦日という気分にはなれません。
アメリカから届く原書の山積は私の背丈ほどに。就寝前に一冊読むペースは何処へやら。布団に入ったら即、爆睡。これではダメですね。指導が少ないこの時期に一気に遅れを取り戻すゾ。
夏から始めたダイエット生活。ただ今94キロ前後で頑張り続けています。食の誘惑に駆られるこの時期ですが90キロを目指ずゾ。
塾長日記の動画化。これも皆さんにお約束したことですが、未だ文字のみ。少しだけデザインは変わって文字も大きくしてみました。来年は動画にするゾ。
弁塾、ニューヨークcomとは別に立ち上げが進行している新会社設立。弁塾とは直接の関係はない異業種の仕事です。ミーティングを何度かサボった私を許してね。これからはサボらないゾ。
“積み残した”ということは楽しみを先延ばしにしたと自分に言い聞かせ、何ごともプラス思考で頑張るゾ。