◆塾長日記2011年9月20日
●細野さんの英語・・・
“ここがダメ、あれがダメ”。
こいう風に指導をすると、スピーチはますます不自然になっていきます。ダメだしされたことだけに意識が向いて、自然な(spontaneous)話し方からどんどん遠ざかってしまうのです。
“本番では注意してくださいね”。
“はい、わかりました”。
そしてどうなるか? 見事に失敗するのです(笑)。
これではスピーチがますます苦手になってしまいますね。
“正しい話し方”というものあって、そのお手本を見習って学んでいく?
スピーチとはこういう性質のものではありません。話し手自身の中に、その人らしさを発揮するコア・エネルギーがあって、それをうまく引き出してあげること、これが指導の要なのです。
コア・エネルギーとは、話し手の“持ち味”です。これは、スピーチの練習をしているときよりも、休憩しているとき、あるいは食事をしているときや世間話をしているとき、さらには電話やメールでやり取りをしているときに偶然、発見するものです。
“コレだけは指摘したい”。
指導者であれば誰でもこういう衝動に駆られるものです。でも、そういう気持をグッと抑え、持ち味を引き出すタイミングを確実につかみ取る。これが優れた指導者なのです。
スピーチの醍醐味、それは“持ち味”が存分に発揮されると、欠点さえも個性に見えてくるということ。
スピーチ指導には、
“ここがダメ、あれがダメ”。
という言葉は不要なのです。
細野大臣がIAEAの総会で演説を行いました。
“持ち味”を引き出すことで、今後、もっと英語が上手になるのではないか。こんな風に聞こえた細野氏の演説でした。
◆塾長日記2011年9月19日
●店員さんをいじめちゃう
ネクタイ売り場に行って、店員さんに選んでもらう。そして一言、
“センス悪いですね”。
ちょっぴり意地悪でしょうか(笑)。ときにはこんな会話を交わしてみる。それだけで多くのことが学べます。
ムッとする人⇒“センス悪いね”の言葉にカッとなり心の中はパニック状態。お客さまの前で素の自分が出てしまっては接客業は勤まりませんね。
苦笑いする人⇒このパターンがいちばん多い。心の中ではかなりムカついているのでしょう。グッと堪えている様子が手に取るように伝わってしまいます。苦笑いしつつも会話が途切れないようにできればOKです。
引きつった笑顔の人⇒笑顔を装いながらも目だけは笑っていない。実はかなり頭に来ているのかも知れませんね。“好みがありますからねえ”などと迫ってくることも。勝ち気な人、自分に自信がある人がこのタイプです。
反論する人⇒“そうですか。私はいいと思うんですけど・・・。” ショッピングはディベートではありません。こういう勘違いをしている人も意外に多い。
平常心の人⇒笑顔・笑顔・笑顔。意地悪な質問にもまったく動じる様子もなく淡々と接客ができる人。こういう店員さんなら安心して任せられますね。
超一流の接客ができる人。それは、
“ネガティブな言葉に惑わされることなく、
楽しい会話が継続できる人”
です。
“センス悪いね。”
という言葉が放つネガティブ・オーラをプラスに転じる接客、これができればネクタイは飛ぶように売れるはずです。凡人はネガティブな言葉に翻弄され、自分が接客をしていることすら忘れてしまうのです。
◆塾長日記2011年4月30日
●血液型別話し方
O型はテンポのよい軽快な会話が得意です。気さくで親しみやすい話し方は多くの人に好かれます。笑うことも笑わせることも大好きです。聞き上手ですが話す側にまわると相手が口を挟むスキがありません。とにかくおしゃべりが大好きです。自分が成功するイメージを密かに抱いています。
O型は効率よく作業を行うのが得意です。仕上げが早くスピーチの全体像を把握する能力に優れています。言葉は明快ですが、断定的な話し方をすることもあります。同意してくれる人をひときわ大切にします。正義感からくる言葉の不和も少なくありません。
O型は表舞台で力を発揮するタイプです。晴れ舞台が似合うナルシストでもあります。抜群の演技力は生まれながらの俳優、女優といえるでしょう。緊張することはあまりなく、初対面の人の前でも堂々としています。情熱的に語り始めたら止まりません。内に秘めた熱い心がときに名スピーチを生み出します。
O型は派手な衣裳を好みます。用件は早く、無類のメール好きです。複雑な構成や列挙は好みません。自己主張はハッキリしていて、人の話に耳を傾けることに消極的です。自分が説教をすることは得意ですが、されることは苦手です。異性の声には男女ともに敏感です。
O型は負けず嫌いで、ディベートには燃えるタイプです。チームを組んで好結果をもたらします。負けを認めたがらない気質から、会話が口論になることも少なくありません。明るい議論を好みますが、反論されるとキレることもあります。自分の感情には素直です。
O型は上司の意見は尊重しますが、自分の信念を曲げることはしません。現実的なスピーチを好む一方で、ロマンチストでもあります。教えることは好きですから講師に向いています。ただ教わることは得意ではありません。独学で開拓することに積極的です。
AB型は理屈と感覚のスイッチを自由に切り替える能力を持っています。二重人格というわけではありません。多角的な発想・解釈が活かされたときにスピーチは大成功します。分析力にも優れていますが、それを言葉にするのに時間がかかることもあります。神秘的な魅力が異性の心を惑わすことも少なくありません。
AB型はストレートに表現することには消極的です。スピーチになるとそれができてしまう才能の持ち主です。冷淡と思えるほど論理思考に優れています。毒舌とユーモアが合体して一気に会話名人になることもあります。無類の食いしん坊ですが生ものは苦手です。
AB型は気分が向いたときの集中力は他を圧倒します。ただそれがいつなのかは本人にもわかりません。争いは避けようとしますが、それを避けるために争ったりする一面もあります。時間差で怒るので、まわりの人には理解されにくい面もあります。合理的な学習で結果を出します。努力家ですが、根気に欠ける一面もあります。十分な睡眠で実力を発揮します。
AB型は会話のセンスが抜群です。皮肉やユーモアが会場を笑いの渦に巻き込む場面も少なくありません。批判分折に優れ、角度を変えた解釈も巧みです。社会問題を扱ったテーマが得意です。不正に対する正義感が強く、尋問や答弁で真価を発揮する人も少なくありません。価値観をぶつけられることはあまり好みません。
AB型は公平に接しようとするためジャッジに向いています。ディベートは否定側にまわると底力を発揮します。女性はおしゃれで華があります。コンテストスピーチでは常に人気者です。壇上に立った途端に大胆な発言をして周囲を驚かせることもあります。話し方は優雅でゆっくりですが、気分が乗ったときの早口ぶりは周囲を驚かすこともあります。
◆塾長日記2011年4月29日
●血液型別話し方
A型の人は言葉の使い方が非常に上手です。丁寧で繊細なフレーズを選ぶため皆から信頼されます。舞台に立ったときにも礼儀正しく振舞うことができます。細かいところまで気配りができる反面、同じフレーズを何度も使って、くどい印象を与えてしまうことがあります。
A型の人は感性が細かく、他人にも自分の感性を共有してもらいたいと願っています。誠実な一面、本心を文章化するまでに時間がかかることもあります。リズムをつかむとスピーチは最高の出来映えになる可能性があります。スピーチを褒めると素直に喜びます。
A型の人は芯が強く、選んだテーマの研究は徹底的に行います。途中で方向転換することには消極的です。理想が高く、詩の世界に生きる傾向があります。この面ばかりが強調されると抽象的なトークに終始することもあります。スピーチで人を笑わせることに少しばかりの抵抗があるようです。男性はとくに議論が好きで、理路整然とした話し方を好みます。
A型の人は準備にぬかりがなく、前もって原稿を用意することに積極的です。指導者の言うことには、しっかりと耳を傾けます。理解しようと努力します。準備の段階でダメ出しされると固まります。でも途中で投げ出すことはしません。頑張って最後までやり通します。
A型の人は面と向かって他人のスピーチは非難しません。心の中では非難していることも少なくありません。意地っ張りで勝気な面もあるので、質疑応答などで自分のスピーチが反論されると表情に出ます。自分ではなかなか気づきません。内に秘めた闘志があるので、コンテストスピーチではいちばんの頑張り屋さんです。
A型の人は緊張しても、周囲に励まされると勇気づけられます。スピーチの会場には色々なものを持ってきます。手ぶらで来るようなことはしません。即興スピーチは得意ではありませんが、信頼した人から頼まれると引き受けようとします。司会の仕事は上手にこなします。
B型はサービス精神が旺盛です。人を笑わせる研究にも積極的です。聞き手が思うように笑ってくれないと極度に落ち込む人もいます。誇張表現や擬音語、擬態語を好んで使います。誤字、脱字には無頓着です。抜群の集中力で一気にスピーチを仕上げ、周囲を驚かすこともあります。
B型は好奇心が旺盛で話題も豊富です。それゆえにテーマを決めるのに時間がかかりすぎてしまうこともあります。準備の途中で方向転換することにはこだわりません。前日に平気で原稿を書き直すこともあります。それでも本番はうまく乗り切ります。列挙型のスピーチを好みます。
B型は臨機応変な対応を苦にしません。質疑応答や即興スピーチも上手くこなします。原稿通りに話すことには抵抗があります。アドリブも大好きです。メモを見ながらスピーチをする上手さは他の血液型を圧倒します。既存の考え方や他人と同じでいることに抵抗があり、ユニークなスピーチを好みます。聴衆の反応には敏感です。
B型は本音トークが大好きです。このことが誤解を招いたり、人を傷つけてしまう原因になることもあります。思い込みの強さが指導者を手こずらせることも少なくありません。一気に結論を導き出す直観力に優れています。自分の主張は誰に対しても徹底的に理解させようとします。地道に理屈を組み立てていくことには積極的ではありません。
B型は楽観的に見える一方、スピーチで緊張することもあります。照れ屋で口下手な人も少なくありません。メモはよく取りますが、後で見返すことはあまりしません。メモを失くしてしまう人もいます。サービス精神が旺盛で、失言には無頓着。柔軟な発想と豊富なアイデアが活かされるとスピーチは大成功します。
B型は困っている人を見ると黙っていられません。その意味では指導者向けだといえます。ただ、最後まで面倒を見るかどうかは相手を気に入るか次第です。苦手な人とのコミュニケーションには消極的です。
◆塾長日記2011年4月28日
●思考回路が破綻している
自分が鮮明な思考回路を持っているかどうか。このことはスピーチをしてみれば一目瞭然です。
私がパブリック・スピーキングの訓練を始めたばかりのことでした。
“どう考えているんですか?
どうして?
その理由は?
具体例は?”
等々、矢継ぎ早に先生から質問されたことを鮮明に覚えています。
“どう考えてるかって、それを言葉で説明するのは難しいんだよなあ”。
これが私の心の中の反応でした。言葉で説明することがスピーチなのだという感覚すらない私だったのです。おかしいですね(笑)。
さて、言葉で説明できないのには2つの理由があります。ひとつは言語運用能力が欠けている場合。もうひとつは思考回路が破綻している場合です。何とも大袈裟な言い方ですがこれが真実なのです。
英語のスピーチを指導するとこのことが鮮明に分かります。
“英語で言うのは難しいんですよね”。
こう言う生徒さんに、
“日本語でもOKですよ”、
と水を向けても沈黙してしまうことがあります。
うまく説明できないのは英語ができないからでもない、
日本語ができないからでもない、
単に思考回路が破綻しているだけのことなのだ。
このことに気づかされることは当事者にとっては大きな衝撃です。
“ああ、そうお考えなのですね。
それをスピーチにしてみましょうね”。
などとお茶を濁していては私の存在意義がありません。思考回路が破綻していることを円やかな言葉で知らしめること。それが私の使命なのです。
”先生、私ってバカなんですよね。
自分で考えているようで実は考えてないんですね。
最近このことがよくわかってきました”。
こういう声が聞こえてくる頃、その人のパブリック・スピーキング能力は飛躍的に向上します。
◆塾長日記2011年4月27日
●考えない人たち
桜井邦朋氏は『考え方の風土』の中でこう述べています。
“(日本が)自分の意見を持たなくても大人として生きていかれる国であることは、暮らしやすいに違いないが、こうした世界では、思考が感覚的となり、散漫となることを免れない”。
日本人はスピーチが不得意だといわれます。でも実はそうではなく、自分の意見を持っていないので、それが言葉にならないのではないか。だから結果としてスピーチが不得意なのではないか。ふとこんなことを考えてしまいました。
“選挙に行ったって日本が変わるわけじゃない”。
これは意見ではありません。あきらめの感情です。
“税金ばかりとりやがって”。
これは、ぼやき。
“自分の生活さえ守られればそれでいい”。
これは、エゴです。
あきらめ、ぼやき、エゴではなく、どんな日本が理想の日本なのか、どんな社会が理想の社会なのか、一本筋の通った持論を展開する、あるいは、それができる。こういう日本人の数の多さに比例してこの国の未来が切り開かれていくのではないか、私にはそんな気がします。
人に受け入れられることのみを自分の“意見”とする。このことが村社会の掟なのだとすれば、日本は議論をしたり、自分独自の意見を持つことが難しい国ということになります。
意見を仕切るのはもっぱら体勢の側。民はそれに背かないことのみを礎(いしずえ)とする。これでは奴隷と変わありません。自分が奴隷であることさえも気づかないのだとすれば不幸です。
“日本には、理屈、言いかえれば、論理的な思考を妙に卑しみ、さげすむ傾向が大人たちのなかにはある”。
桜井氏の言葉は私の胸にグサリと突き刺さります。
◆塾長日記2011年4月26日
●恋愛とスピーチ
“面白くないかもしれないけど云々”。
こういうプレビューを省く。それだけで会話はグーンと引き締まります。
面白くないと思っていることでも“面白くない”とは絶対に言わない。無理やりにでも面白いと思い込む。背筋をピーンと伸ばして一気に語る。これだけでアナタのイメージはアップするはずです。
腹をかかえて笑い転げるような話は滅多にあるものではありません。大切なのは話のネタではなくアナタ自身の語り口調(delivery)なのです。
“女性の前で面白い話ができない!”
と悩んでいる男性。こういう人は話のネタで勝負しようとして失敗してしまうタイプです。
A:バードウォッチングなんて興味ありませんよね。
B:えっ。
A:マニアックな話ですいません。
これではせっかくの会話も台無しです。“興味ありませんよね”。この一言が面白くない話をさらに面白くなくさせてしまうのです。
目の前に話す相手がいる。実は、これだけでかなり有難いことです。アナタをアピールする最大のチャンス、これをぶち壊してしまう最大の敵が“無駄なプレビュー”なのです。
“女性を楽しませるテクニック”。
こういう本に興味を段階で恋愛は失敗しています。女性を会話でリードする本質はテクニックやネタではないのですから。
バードウォッチングに興味ある女性は少ない。だからその話はしない? こういうアナタだからモテないままなのです。アナタからバードウォッチングを取ったら何が残るのか、考えてみてください(笑)。
話のネタはバードウォッチングで大いに結構。本来ならば面白くないであろうバードウォッチングのネタ、これだけで会話のきっかけを掴むことはできるのです。ありのままのアナタを素直に表現する。その姿勢を貫くことがアナタ自身を輝かせる唯一の方法です。
◆塾長日記2011年4月25日
●助言
助言は実に難しい。人間関係に悩んでいる人に、
“気にするなよ”。
こういう言葉を投げかけるのは簡単です。
“それができないから悩んでるんだよ”。
これが当事者の胸の内だと思います。
悩みを打ち明けている人が何を求めているのか、このことを見極めることは大切です。
助言をする側の舌は常に滑らかです。次から次へと解決策が口からついて出てくる。自分のことはなかなか決めることはできない。でも、他人のこととなるとみな饒舌(eloquent)になるのです。
こんなとき、相手の側は言葉少なげです。
“ウン、ウン”。
悩みを打ち明けている人は助言を求めているように見えて、実はそうでもない。私自身、このことに気づくまでに40年以上の歳月を費やしてしまいました。
“お願いです。
どうか助言をお授けください”。
こうやって懇願されることは稀ですね(笑)。
相手の側は多くの友人、知人の中からアナタを選びました。アナタを指名して悩みを打ち明けてくれたのです。この事実を軽んじてはいけません。アナタに理解してもらいたい、気持を汲んでもらいたい、思いを共有してもらいたいと、勇気を奮い起こしてアナタに声をかけてきたのです。
心無い助言は相手を傷つけます。こういう傷はなかなか癒えないもの、悩んでいる人をさらに悩ませることになるのです。
◆塾長日記2011年4月24日
●政党交付金VS義援金
“政治家に寄付するの?
そんな余裕はないね。
何かしてくれるなら別だけど”。
これが人々のホンネなのだとすれば、談合、癒着、不正を一掃することは難しい。
個人が寄付をして政治家を育てる草の根(grass-roots)の民主主義。日本にこの発想が根付くにはもう少し時間がかかりそうです。
さて、政党助成金は特定企業と政治家の癒着を一掃するために導入された制度です。毎年、数十億から数百億の助成金が各政党に支払われています。
“国民一人当たり250円の負担で政治がクリーンになる”。
実に響きのよい言葉でした。コーヒー一杯分の小銭で日本が変わるなら安いもの。こう思った人も多かったはず。しかし助成金の制度が導入されて以降、政治がクリーンになった気配はありません。それどころか不透明化したというのが現実ではないでしょうか。
オバマ大統領はインターネットを使って資金を募りました。多くが100ドル未満、最低15ドルから最高でも50万円の寄付で集めた総額はおよそ600億円でした。個人献金でこれだけのお金が集まるのです。
個人献金を制度化することによって大多数の無名の人々の支えを基盤に政治を行うことも可能なのです。このことを日本も学ぶべきだと思います。
2011年分の政党助成金の年間総額はおよそ320億円。これを復興財源に回そうとする議論が高まらないのはなぜでしょうか。
◆塾長日記2011年4月23日
●気持ちを引き出すこと
“母ちゃん、お小遣い上げて”。
“ダメっ”。
説得失敗です(笑)。
一気に説得せずに時間をかけること、少しずつ歩み寄ってもらうことは私たちが日常行っていることです。タイミングや相手の心の状態、あるいは天気や季節によっても結果は左右されます。
会話がマラソンならばスピーチは短距離走です。時間をかけたり、少しづつ説明することはできません。だからこそ創意と工夫が必要です。
ディベートは感情を介さない知的遊戯です。スピーチは違います。聞き手の感情が決定権を握っているのです。
“理屈は正しいけど、
でも、そうは思わないな”。
こういう結果を導かないためには、
“目標設定を低く設定する”
ことが大切です。
ビジネスでは小さな一歩はどこまでも小さな一歩ですがスピーチでは小さな一歩が大きな一歩です。
“そうかもしれないっ!”
こういう気持を引き出すことができればスピーチは大成功です。理屈やデータを駆使するのは後回しでいい。このことを間違えているスピーチが実に多いのです。
“理屈はともかく、
そういう気がする!”。
相手にこう思ってもらうこと。これがスピーチの醍醐味です。
“母ちゃん、お小遣い上げて”。
“もう財布に入れてあるわよ”。
語らずして説得ができてしまいました(笑)。これが究極のスピーチです。
◆塾長日記2011年4月22日
●スピーチは爆発だ!
今この瞬間を爆発するようにエネルギーを注入すること、瞬間の密度を濃くするように生きること。故岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』はこのことを再認識させてくれる名著です。
私たちは過去や未来について考えることに労力を注ぎます。その割には今を、この瞬間を本気で生きることには少しばかり無頓着なのではないでしょうか。私自身、過ぎてしまったことに心を奪われ、まだ見ぬ先のことに不安を抱きながら日々を過ごしています。
“芸術は爆発だ”。
人を動かす源はすべて爆発なのではないかと私も思います。
聞き手の五臓六腑にズシリと染み渡る、そんなエネルギーを一気に爆発させること。これが出来るかどうかがスピーチの評価を大きく左右します。
過去を捨て、未来をも捨てる。そして今、この瞬間にすべてのエネルギーを注入する。こういう心構えが人を動かすスピーチの起爆剤です。今が過去と未来をつなぐ通過ではいけないのです。
話し方は人それぞれです。絶叫が似合う人もいれば、ソフトな語り口が得意な人もいます。スピーチらしいスピーチではなく、その人の心の叫びが素直に伝わり、共感を呼べるかどうか。その決め手が爆発なのだと思います。
“自分のいのちを純粋に賭ける為に、ぼくは芸術の道を選んだといってもいい。
芸術はまったく自由である。
現在、多くの人が失っている自由をとりもどす為に芸術は大きな役割を持っている。
ぼくは朝から夜まで、まる一日、絵を描き、文章を書き、彫刻にナタをふるう。
全部まったく無条件に自分を外に向けて爆発させていく営みだ。
この瞬間に、無条件な情熱をもって挑む。
いのちが、ぱあっとひらく。
それが生きがい。
瞬間瞬間が新しい。
好奇心といえば、これが好奇心の源だろう(岡本太郎)”。
◆塾長日記2011年4月21日
●遊びの体験値を増やせ
話し手とテーマが完全にシンクロするスピーチ。これが上手なスピーチです。
“Why are you concerned?”
(どうしてアナタがそのスピーチをするのか?)
老人介護と接点がない人、こういう人が介護のスピーチをしても聞く側にはピンときませんね。介護の経験もなければ身近にそういう人もいない。そういう人が唐突に介護の話を語ると滑稽に響きます。話し手自身とテーマが遊離しているためです。
“パラオに旅行に行く度に思うことがあります。
小島がどんどん少なくなっていくのです。
以前バカンスで過ごした無人島が海の中に沈んでしまいました。
温暖化の影響は実に深刻です”。
これが上手なスピーチです。海面上昇を目の当たりにしたアナタの体験がそのままスピーチの素材になるのです。
“体験値が少ない人はどうすればいいのか?”
誰でも抱く疑問だと思います。そういう人はスピーチをする必要はない。残念ながらこれが偽らざる真実です。
話し手とテーマがピッタリと一致すること。この条件が整ってはじめて人の心を打つスピーチが完成します。豊富な体験値が必要なのです。
“All work and no play makes Jack a dull boy”
(よく遊びよく学べ)
有名な諺ですね。このboyをspeakerに変えてみれば分かりやすいと思います。勉強や仕事ばかりしていて遊びをしなければジャックはdull speaker(面白みのないスピーカー)になってしまうのです。
スピーチ上手になるための条件。それは遊びの体験値を増やすこと。非日常の体験値を増やし素材の引き出しを豊富に蓄える。これだけでアナタのスピーチはキラリと光るものになるのです。
◆塾長日記2011年4月20日
●ワニ革ですか?
“あっ、同じサイフですね”。
“あら、ほんとうだ”。
同じサイフを持っている人と出会うことがあります。気が利いたことが言えないものだろうか。こう思う間もなくおたがいにサイフをしまいこんでしまいます。会話が続かないのは少し寂しい気もしますね。
“あっ、同じサイフですね。
コレって使いやすいですよね”。
言われた側もそう思っていれば少しは会話が弾みます。でもそうでもないこともよくある話です。
“(このサイフ使いづらいんだよな)”。
こんな風に思っていると反応に戸惑ってしまいます。
“アッ・ソウデスネ”。
会話のリズムが合いません(笑)。不自然な返答に自分自身が恥ずかしくなってしまいます。
“あっ、同じサイフですね。
キレイにお使いですね”。
こういう言葉を返されると実に嬉しい。キレイかどうかは別にしてそのサイフを大切に使っていることだけは確か。そんなときにこう言われると
“自分自身が褒められているような気分”
になるのです。
会話上手な人はモノ(物)からヒト(人)への変換が見事です。サイフという単なるモノを起点にヒトへと話題を変換してしまうのです。こういう言葉が自然に使える人になりたいものです。
“キレイなサイフですね。
ワニ革ですか?
高級感漂いますね。
ドンキで安売りしてましたよ”。
こういう話し方は避けたいものですね(笑)。
◆塾長日記2011年4月19日
●スピーチはマジックだ
アヒルが10メートル先のかごの中に瞬間移動する。信じられないようなこの光景を私は2度目撃しています。
1度目はただただビックリ、2度目は私自身、空のかごを抱え舞台の後方で待機。すると一瞬にしてアヒルが移動してしまうのです。かごの蓋は閉じたまま。自分で持っているかごですから間違いありません。
近くにいた息子も唖然としています。
“パパ、サクラじゃないよね?(笑)”。
イリュージョニスト・J・Stormのマジックです。種はいまだに謎です。アヒルが移動する瞬間をライブで見る衝撃。
“種も仕掛けもありません”。
と言われればただただ脱帽するしかありません。でも、マジックには必ず
“種も仕掛けもアル”
のです。
スピーチも同様です。話が上手い人は生まれつき上手いわけではありませんし、人を笑わす人もその場でネタを考えているわけではありません。マジック同様、“仕込み”があるのです。僅か2分のスピーチのために2ヶ月の”仕込み“をできるかどうか、これがプロとアマチュアの差です。
私は最初の指導で“僕を笑わせてみて”と生徒さんにリクエストします。どの生徒さんもギブアップしてしまいます。私が面白い話を次から次へと披露すると皆さん”凄い“と言ってくれます。
私が凄いのではありません(笑)。凄いのは私の“仕込み”にかける情熱とその量、ただそれだけなのです。
“種も仕掛けもある!”
その“種”を明かし共にマジックの練習をする。これが弁塾の指導です。
◆塾長日記2011年4月18日
●スランプとは?
“最近、スランプなんです”。
よく耳にする文言ですね。
スランプとは一定期間、成果を収めた人が少しのあいだだけ足踏みすること。それにも関わらず飛躍した気配がない人に限ってスランプという言葉を使うことが多い。実に面白い現象です。
人は誰でも自分がかわいいもの。自分がダメ人間だとは認めたくありませんね。こんなときの絶好の受け皿がスランプという言葉なのです。
スランプだと感じたことは私にもあります。この言葉を口にしたこともあります。スランプだということを公言するとなぜかホッとするのです。
この言葉は聞き手のウケが実にいい。スランプを口にした途端に周囲の人たちが優しく接してくれるのです。
“大丈夫だよ。
いつも頑張っているんだから”。
皆がこう慰めてくれます。
“君っていつもスランプだよね”。
こんな辛口の助言をしてくれる人にめぐり会うことは稀です。それ故、私たちは余計にスランプの本質を見失ってしまうのです。そもそもスランプとは長く続くものではありません。悩んだりする間もなく脱出してしまう性質のものなのです。
“真のリーダーはスランプという言葉を使わない”。
スランプに逃げ込まないクセをつけること。このことだけで人生が大きく前進するような気がします。
◆塾長日記2011年4月17日
●バカ社長は実は・・・?
ダメな人がミスを犯す。その人の評判はますます低下します。
“やっぱりアイツじゃダメだ”。
一方、優秀な人がミスをするとどうなるでしょうか? 意外や意外、高感度がアップするのです。
“あんな人でもポカをするんだ。
親近感が沸いてきたぁ”。
人は高学歴や高収入、ハンサムや美人といった優れた点に惹かれます。その一方で抱く感情、それが反感です。
“冷たい感じ”、
“冷淡な感じ”、
“近づき難い感じ”。
クレディビリティー(credibility)が高く信頼されるはずの話し手がクレディビリティーの高さ故に印象を悪くしてしまうことがあります。
“頭脳明晰な人がいかにバカを演じることができるか”。
リーダーに求められる条件のひとつだと思います。
劣等感や嫉妬という感情は想像以上に厄介です。事業主であろうと上司であろうと教師であろうと人の上に立つ者はこのことを甘く見てはいけません。
自分にも届きそうな感じ、
ヤレば出来そうな感じ、
どうにかなりそうな感じ、
こういう雰囲気を醸し出せるかはリーダーに求められる能力です。
“うちの社長はバカだよな。
俺たちが頑張らなきゃ潰れちゃうよ”。
こんな会話が居酒屋で交わされている会社は安泰です。ほんとにバカならばとっくに倒産しているはずです。
完全無欠の社長が時折見せる可愛らしいミスの数々。こんな頼りなさを演出することも、社長業の仕事なのかも知れません。
◆塾長日記2011年4月16日
●やり抜くことは善なのか?
“いったん始めたことは最後までやり抜く”。
これが日本社会に脈々と受け継がれている考え方だと思います。私のDNAにも物事をやり抜くための司令塔が埋め込まれているような気がします。
日本が独特な点、それは途中でやめようとする人への処遇です。反応はきまって冷ややかです。
“落伍者”、
”負け犬“。
これが定番のレッテル(label)です。
いったん箸をつけた食べ物は美味しくなくても完食する。これでは辛すぎます。
始めてみたら自分には合っていなかった、
やってみたら思うようにいかなかった。
気が変わった。
こう感じる瞬間は誰にもあるはずです。こういう心の叫びに正直に生きることを邪魔するのが“落伍者”や“負け犬”等のレッテルです。
集団から抜け出した人への処遇はさらに冷ややかです。実際に裏切り行為に及んだわけでもない。それでも、去った人へのレッテルはきまって“裏切り者”なのです。悪口、グチ、暴露のネタは尽きることはありません。
“やめた人の悪口はやめよう。”
こう発言するのはきまって少数派です。擁護しようものならその人までもが“裏切り者”の烙印を押されてしまうのです。
集団の中にあって単にわがままなだけの人もいます。強烈な個性や能力を発揮する人もいます。その境目は微妙です。だから人心を掌握するのは難しい。
舵取りをうまく行うのはリーダーの仕事です。来る者は拒まず、去る者は温かくおくり出す。このことが素直にできるリーダーが私にとっての理想です。
◆塾長日記2011年4月15日
●男を操るマジック・ワード
暗い話題は封印して、久々に楽しいお話をしましょう!
唐突ですが男は繊細で単純です。古今東西、この法則に例外はありません。試しに上司であろうが恋人であろうがとりあえず
“すご~い”
と言ってみてあげてください。それだけで男は自分の人生が肯定され気分になれるのです。ほんとうです。両目を大きく開けて
“すご~い”。
大袈裟すぎるくらいが丁度いい。躊躇せずに一気に言ってみましょう。
夜の街には“すご~い”を連発する女性がいます。これはダメ。“すご~い”は伝家の宝刀、多様は逆効果。使うのは最初だけ。いいですネ。
“すご~い”に気をよくした男性は延々とウンチク話を始めます。女性にとってはここが我慢のしどころでしょうか。ウンチクは下手なスピーチのようなモノ、いつまで続くか分からないのです。
“そうなんだ~”、
“あら・あら・びっくり”、
“そしてどうなったの?”
等々、うんちくを聞きながら相槌を打ってあげるのです。ここがポイントです。
繰り返しますが男性は繊細です。社交辞令や中途半端な反応には敏感に反応します。悟られないように上手に接してあげてください。
さてさて、長~いウンチクが終わりました。ホッとしているアナタ。ダメ・ダメ。油断は禁物ですよ。
“素敵ですね”
と一言添えてあげましょう。この言葉が男性のプライドをくすぐるのです。
“何々さんて素敵ですね”
と、名前を入れると一層効果があります。
“男の人ってこんなに単純なの?
そんなはずない?”。
こんな疑問を抱いているアナタ。疑っちゃダメですよ。最初に言ったでしょう。法則に例外はありません。世の男はみな金太郎飴なのですから。
最後に最強の言葉。それは
“わあ~・こんなの初めて~”。
これで決まりです。男性は”初めて“に弱いのでした。
◆塾長日記2011年4月14日
●震災の責任は誰にあるのか?
アメリカで生活して思うのは、
“At your own risk”
という感覚が万人に浸透していることです。
“自己責任”、
あるいは、
“人のせいにしない”
と訳してもいいかも知れません。いずれにしても、突き放したようなこの感覚に慣れるまでにはかなりの期間がかかったという記憶があります。
断崖絶壁が続くマウイ島ハレアカラのハイウェイには、一部の箇所を除きガードレールがありません。
“Drive at your own risk.”
という考え方です。
ライフガードがいないビーチでは、
“Swim at your own risk”
という看板も目立ちます。
“死ぬのは勝手。でも他人には迷惑はかけるなよ”。
少し意訳しすぎでしょうか? でも大きく的は外していないと思います。
警告を無視して事故に遭遇しても保険金が支払われることはありません。一切の補償がないどころか、救護等に要した莫大な額を後々、請求されることになるのです。
今回の東日本大震災と“アット・ヨア・オウン・リスク”をリンクさせて考えることはできません。ただ、責任の所在が曖昧なまま、結局は弱者が切り捨てられていくことには、私自身、人生を賭けて抵抗していこうと考えています。
◆塾長日記2011年4月13日
●スマトラ沖地震で被災する運命だった?
2004年12月、我が家ではプーケット島で冬休みを過ごそうと計画を立てていました。7歳になったばかりの息子に私はスキューバ・ダイビングの手ほどきをしようと考えていたのです。
“10歳になったらPADIのライセンスを取ろうね。
それまでは少し潜るだけだよ”。
バンコクからの復路が確保できず、スケジュールをお正月明けに変更したと記憶しています。とりあえず、私たち家族は年内を日本で過ごすことにしたのです。
12月26日、私たちは朝のニュースで信じられない光景を目にします。地震が起きたのは午前7時58分、プーケットにいれば沖合にいたはずの時間でした。
“ダイビングに出ていたから助かった”。
ダイバーたちの多くが命拾いをしたことを私は報道で知りました。私たち親子はかりにプーケットに滞在していたとしても命だけは助かったのかも知れません。それでも心の中は、
“行かなくてよかった”。
これが偽らざる私の気持ちでした。
その後、日本人を含め多くの国々がタイやインドネシアへの渡航自粛勧告、一時脱出、避難、旅行取りやめなどを行います。風評の始まりです。私たち自身、その後数年間、プーケットを旅行先に選ぶことはありませんでした。
日本のメディアはプーケットが復興してからも被害当時の建物や津波の映像を何度も流し続けました。CNNやBBCも当初は同じような映像を流しましたが、徐々に視点を変えて“正しい”報道をし始めます。欧米人がプーケット旅行を比較的早期に再開し、その後の復興に大きく寄与したことは現地の人たちにとっては福音だったに違いありません。
さて、“福島原発事故レベル7”の報道が世界中に配信されています。スキャンダラスな報道も少なくありません。風評という言葉が適切かどうかは別にして、日本全体が放射能で覆われていると思い始めている人の数が日に日に増していることだけは間違いありません。
◆塾長日記2011年4月12日
●石原都知事は勝ったのか?
再選を目指す政治家にとって最大の関心ごとは、
“前回よりも票数を増やす”
ことです。
票を減らして当選したのと増やして当選したのとでは、その後の“利権地図”に雲泥の差が出てきます。再選を重ねる毎に票を増やし、磐石な権力を維持し続けることは政治家の宿命です。生前、父の元で選挙用の“現金管理”をしていた私はこのことをよく知っています。
2007年都知事選で石原氏が獲得した票数は281万1486表(得票率51.06%)、一方、今回は261万5120表(得票率43.40%)。票数で19万6366票、得票率で7.66ポイント失ったことになります。
東国原氏と渡邊氏の票数を加算すると石原氏を8万8681票上回ったことも注目に値します。石原氏圧勝と報道されていますが、実質的には新人候補が大健闘したと言えそうです。
石原氏が4選出馬を発表したのは3月11日の午後、震災直前のことでした。震災後であれば石原氏の出馬はなかったか、あるいは 選挙自体が延期されたかもしれません。
“天罰発言”が曲解されずに報道されたこと、そして、謝罪には無頓着な石原氏が速やかに撤回、謝罪したこと、さらには浄水所汚染に対する速やかな対策がメディアで大きく取り上げたことも石原氏を後押ししました。
東国原氏だけには都政を任せるわけにはいかないと考えていた石原氏にとってはすべてがうまくいった今回の都知事選でした。
◆塾長日記2011年4月11日
●消費電力と石原都知事
“日本の電力消費は世界的に見たら奇形だよ。
パチンコと自動販売機で合わせて1000万キロワット近い量が使われている。
自動販売機は便利かもしれないが自分の家で冷やせばよい(石原新都知事)”。
勝者の弁は実に滑らかでした。
石原氏の発言から、
“だからパチンコは潰しちゃえ!
自販機も潰しちゃえ!”
と世論が極端な方向にすすんでしまうことがいちばん危険です。特定の業界をヤリ玉に挙げることがベスト・ソリューション(best solution)だとは思えません。従事している人たちを経済的に追い込むことになるからです。
“何々がなくても生きていける”
という理屈が通るならば、デズニーランドも、カラオケも、24時間営業のコンビニも、無くても生活できるではありませんか。
消費電力はすべての業界でシェアーすべきだと私は思います。皆で少しずつシェアーして少ないパイを分け合うこと。サマータイムなどの導入だけでもかなりの節電になるはずです。ソーラー住宅の導入も急務でしょう。
最後に二言。パチンコ台1台に費やす電気量が息子がいま使っているプレステ1台と大差が無いということ、そして、我が家のある田園調布近辺は、美観を損ねるという理由から自販機が置かれていないということ、を申し添えておきたいと思います。
◆塾長日記2011年4月10日
●妊婦に冷たい候補者
日本では100万人を超える数の妊婦の方々が出産を控えています。彼女たちが、そしてそのご家族の方々が、今どれだけ不安な気持ちでいるのか、そのことに言及した都知事候補者が少ないのに愕然とします。
政治家は“未来の子どもたち”というフレーズを好んで用います。100年後の将来を見据えて政治を行うことは政治家の手腕です。その手腕を発揮するには“今の”子どもたちがすくすくと育って、“未来の子どもたち”に引き継がれることが条件です。“今”の子どもたちや、これから生まれてくれる子どもたちが日本の将来の担うということを、候補者も私たちも忘れてはいけません。
”妊婦が東京の水を飲むのは危険だ”
と結論づけるのは無知が導く出す不安なのでしょうが、妊婦であるが故に迷信に陥りやすいということにも、私たちは敏感でなければなりません。
母子にとって最も大切なのは心の安寧なのです。少しの不安さえも招かない環境づくりが“未来の子どもたち”を世におくりだす絶対条件だと私は思います。
さて、ソフトバンク孫正義氏のツイッター発言が話題になっています。
“「直ちに健康被害無し」というのは、おかしい。
「直ちに健康被害有り。
但し症状が直ちに出るわけではない。
出た時は、概ね手遅れ」
これが、正しい表現なのではないでしょうか?”。
スピーチを専門にする私個人の立場からは大絶賛した言い方ですが、妊婦の方々のことを考えると胸中は複雑です。
◆塾長日記2011年4月9日
●自粛VS萎縮
“自粛は自分たちも何かよいことをしているという気持にさせる最も安易な方法だ。しかしそれがどのような効果をもたらすかまで考えることはあまりない”。
(Jishuku is the easiest way to feel like you’re doing something, though perhaps there isn’t much thought put into how much these actions make a difference over all)
ニューヨーク・タイムズが引用した関西学院大学・鈴木謙介准教授のコメントです。
自粛は経済にプラスに働かないことを私たちはよく知っています。それでも、
“こんな暮らしをしていてよいのだろうか?”
と心の中で自問自答してしまうのは私だけではないと思います。
被災した人々と少しでも苦労を分かちあおうとすること。このことに一定の美徳を見出すことに反対する理由はありません。日本が自粛ムードに包まれてしまうのは、私たちが慈悲の心を失っていない数少ない証のひとつだと思うからです。
崇高だと私たちが思いこんでいる自粛という行為は、実は、“萎縮”から生じた陳腐な行動なのではないか。鈴木氏のコメントから私はこんなことを考えてしまいました。
“地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、
被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった”。
(With hundreds of thousands of people displaced up north from the earthquake, tsunami and nuclear crisis, anything with the barest hint of luxury invites condemnation.)
(2011年3月29日ニューヨークタイムズより引用)
◆塾長日記2011年4月8日
● 政治なんかどうでもいい?
“食べ物と、
少しばかりの酒さえあれば、
政治なんかどうでもいい”。
中国人の友人がかつてこう呟いたことがありました。
日本という国家が消滅しても誰も驚けない今の状況下において、ショーと化した日本の政治にどれだけの意義が見出せるのは、私には甚だ疑問です。日本の政治家が被災した人々の安寧を第一に考えているのだとすれば、大連立の話に時間を費やす余裕などないと思うからです。
大地震が起きた翌日、アメリカ政府は食料等を米軍機から投下する案を日本政府に打診しました。実にアメリカ人らしい発想だと思います。何よりも仙台空港の正常化が大切だと提案したのもアメリカ政府でした。
有事の際の対応こそ、政治家が最大の手腕を発揮するときなのだとすれば、日本政府の対応はお粗末だったと言わざるを得ません。
”食べ物と、
少しばかりの暖があれば、
政治なんかどうでもいい”。
これが今、被災した方々の偽らざる本音なのではないでしょうか。
◆塾長日記2011年4月7日
●菅総理はもっとメッセージを!
やっぱり民主党じゃダメなんだ”。
“菅総理じゃダメなんだ”。
国民の多くがこう思っているときだからからこそ、国家の最高責任者である菅総理がすべきことがあります。国民に直接メッセージを送り続けることです。
人が極限まで追い込まれたときに最も力を発揮してくれるもの。それは言葉です。水、食べ物、暖、これら必要なのは言うまでもありませんが、“
“最後の最後に
想像を超えた奇跡を引き出してくれるのは
リーダーが発する言葉“
なのです。
菅総理が身を粉にして陣頭指揮に当たっていることは私たちの誰もが知っています。伝達役を官房長官に任せる手法はこれまでの慣習でもあるでしょう。
でも、今回は事情が異なります。“腐っても鯛”という言い方が妥当だとは思いませんが、日本という国家の最高責任者は枝野氏ではなく菅直人という侍です。国民は総理の言葉を待っているのだということを総理自身が認識しなければなりません。
日本はアメリカのような“演説大国”ではありません。役人が書いた原稿でなければ発信しない風土も邪魔をしています。
“自民党だったらこんなことにはならなかった”。
こういう風潮が復興のために何ら寄与しないことを私たちは知らなければなりません。
◆塾長日記2011年4月6日
●日本はすでに破綻している?
“目に見えない、不可視の領域で起きたことに対処できず、日頃の問題意識の限界点が如実に示された。見える社会だけでなく、これまで重きを置いてこなかった見えない部分、見えない価値観にどう対処するか、決算を迫られているわけです。想像力そのものを愚弄せずに、万に一つも起こり得ないことにもコストを掛けなければいけないんだとね”。
作家の保阪正康氏が毎日新聞のインタビューで語った一節です。
高度成長期以降の日本は“コスト万能主義”にどっぷりと浸かり、金銭的な価値観に身を委ねました。これが目に見える価値観なのだとすれば、私たちは目に見えない価値観をなおざりにしたといえると思います。
想定の範囲を超えたことにコストをかけること。これには勇気が必要です。原発に関して警鐘を鳴らす学者もいたのでしょうが、そういう人たちを“異端者”として排除する空気があったことも否定できません。これが日本の姿です。
原発は道具です。使い方次第では多大な恩恵を受けることができることを私たちはよく知っています。もし私たちが誤っていたのだとすれば、それは、想定外の出来事にコストをかける勇気がなかったことだと思います。
もしかしたら、日本社会全体が、親子関係が、教育が、経済が、すべて福島原発のようにすでに破綻しているのではないか? こう想像する私は考えすぎなのでしょうか?
◆塾長日記2011年4月5日
●放射能と向き合う生活へシフトする?
“チェルノブイリとは根本的に違うんです。
どうか安心してください”。
専門家たちは一様にこう口にします。
セシウムだのヨウ素だの私たち素人には何がなんだかよくわかりません。半減期とか言われてもピンとこないのです。安心しろと言われても安心のしようがありません。本来浴びてはいけないモノを浴びなければならない状況に私たちはすでに陥ってしまったのです。
チェルノブイリとの違いについて私たちが知ることは大切なことでしょう。でも、それ以上に私たちが知りたいのは、汚染されたであろう野菜や魚とどう付き合っていったらいいのかという点です。
高萩市のほうれん草から検出されたヨウ素は微量だといいます。それなら、
“なぜ政府は出荷を停止したのか”、
“やはり食べない方が安全なのではないか”、
等々、次から次へと疑問が沸いてくるのは私だけではないと思います。
水で洗えばヨウ素の大部分は取れるといいますが、水道水が汚染されていればどうしたらいいのでしょうか。
私たちは、今、思考の大転換を迫られています。放射能を避ける生活から、放射能と向き合う生活への転換です。
“民間防衛”(原書房)はスイス政府が“あらゆる危険から身を守る”ために全戸に配布した本です。核攻撃を受けたときの民間レベルでの対処法が具体的に書いてあります。
チェルノブイリ事故のあと、近隣人民がどんな苦しみを被ったかは、ネットを叩けば一目瞭然です。彼らの体験から学べることもたくさんあるはずだと思います。
◆塾長日記2011年4月4日
●何人殺したかわかりません
“何人殺したかわかりません。現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、原発のせいだとは全然考えもしないのです。
作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です(平井憲夫)”。
原発の現場で陣頭指揮をとっていた故平井氏の証言はあまりにも衝撃的です。彼の告発をどうとらえるかは皆さん個々人の判断に委ねるとして、これまで私たちが原発の問題に無頓着だったことは否定できないと思います。原発の設計自体は安全でも、ヒューマンエラー(human error)が事故を誘発することがあるのです。
“私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです(平井憲夫)”。
消費電力における我が国の原発への依存率は全体のおよそ25%です。皆さんはこの数字をどうお考えになりますか?
◆塾長日記2011年2月13日
●中国に賠償を迫る?
大量生産と大量消費。人件費の安い中国でモノをつくりそれを日本で売る。
値段を見て納得、
Made in China を見て納得。
安いけど脆い (fragile) 、
安いけどダサイ、
安いけど危険 (hazard) 。
これまでの中国のイメージです。
この国の人々が脆い・ダサイ・危険のレッテル (label) を剥がし始め、品質管理が徹底されたとしたらどうなるか、日本と同じような労働力を持つようになったらどうなるか。
世界の三大発明:羅針盤、火薬、印刷。その元祖が中国であることを忘れてはいけません。本気で勝負できる環境さえ整えば彼らのパワーは強大です。
“中国なんかに負けるはずがない”。
ほんとうにそうでしょうか。環境問題や民族問題、知的所有権問題に加え歪な政治体制。それゆえ中国の発展には懐疑的 (dubious) な学者も少なくありません。
世界に人脈を張り巡らせている中国人です。想像を絶するスピードと迫力でそれらの問題を解決してしまうかも知れません。中国の底力は歴史が物語っています。
尖閣諸島沖の衝突事件で海上保安庁が修理代等の賠償責任を中国漁船の船長に請求しました。
“日本に賠償を請求する権利はない(中国外務省)”。
船長を不起訴した段階で修理費を請求していれば違った反応が引き出せたかも知れません。したたかな中国を交渉するにはそれ以上の戦略が必要です。このことは北方領土の問題にも当てはまります。
◆塾長日記2011年2月12日
●浮気はダメ
“先生はどうやって英語脳をつくったんですか?”
こんな質問に戸惑うことがります。
世間では脳が大流行。書店に並ぶベストセラーには必ずと言っていいほど脳の文字が刻まれています。
“英語脳を新たにつくらなければ英語はできるようにならない”。
なるほど。こんな本が売れるんですね。
私が英語を勉強するときに右脳と左脳のことを意識した覚えはありません。
日本語と英語の周波数の違いを意識したこともありません。
英語が好きだった。
たから英語に触れる時間が人より長かった。
ただそれだけのことです。
世間では暗記を馬鹿にする風潮があります。でも私は暗記をして英語を覚えました。暗記・暗記・暗記。そして暗記した表現を先生にチェックしてもらった。ただこれだけです。
“そんなことしなければもっと英語ができるようになりましたよ。”
こんな声も聞こえてきますが余計なお世話です(笑)。
英語の勉強には人一倍苦労しましたが、後悔などしていません。効率のよい勉強方法などには興味がないからです。苦労したことはむしろよい思い出です。
英語の勉強法に迷いは禁物です。
コレだっと思った方法でやってみる。
ダメだっと思っても続けてみる。
浮気はしない。
決めた方法と心中する。
それでいい。
英語脳とは無関係に英語ができるようになった人は星の数ほどいます。
◆塾長日記2011年2月11日
●その後の展開を楽しむ!
“思いを伝えるのがどうも苦手のようで・・・
いろいろ本を読んでみたのですが・・・な
かなかうまくいかないのです。”
こういう悩みを持つ人は多い。
“なぜ本を読むのですか?”
私はいつもこんな質問をします。
日本人共通の弱点。それは書物に頼ろうとするクセです。とにかく書物に解決の糸口を見出そうとする人が実に多い。それでも苦手意識は消えない。そしてもっと本を読む。
思いを伝える方法は実にシンプルです。それは伝えてみること。ややこしいことは考えないでとにかく口に出してみる。どれだけ伝わるか、相手がどう反応するか等々。それは伝えてみて初めてわかることです。
“誤解されたらどうしよう?”
そのときになったら考えればいい。思いを伝えた後の展開は誰にもわからないのです。
どうなるかわからないその後の展開を楽しむクセをつける。このクセが身につくと人生はまわりはじめます。その後の展開が新たな展開を呼び込み、予想もしなかった幸運にもめぐり合えるのです。伝えることで生じるであろう不運や不幸は一時的なこと。そう思えるようになればもう安心です。
伝えることをためらい続けると気持ちが萎え、遂には妄想に縛られるようになります。
さあさあ、上を向いて伝えてみましょう。そう・そう・その調子。どんな展開が待っているやら・楽しみですね。
◆塾長日記2011年2月10日
●名古屋市長選に学ぶ ②パフォーマンスは悪なのか?
“パフォーマンスばっかりじゃダメだ”。
政治家をこう評する人がいます。
“普段はあんな話し方はしない。
あんな不自然な名古屋弁はない!”。
東京育ちの私には河村氏の口調が典型的な名古屋弁に聞こえます(笑)。そういえば出張に行っても名古屋の人たちは標準語を話していますね。
①わざとらしいくらいに誇張すること、
②ダメだしされても方針を変えないこと、
③徹底的に目立つこと、
これがパフォーマンスの極意です。嫌われても否定されても淡々と我が道をすすむ姿が実は大衆を引きつける大きな要因なのです。河村氏はこのことを熟知しています。
日本語のパフォーマンスは英語では“show off(誇示/自己顕示)”で表現します。英語のperformanceにはそういった意味はありません。このギャップが面白いですね。
出る釘は叩かれるのが日本文化なのでしょうが、“出すぎた釘”はときに圧倒的なパワーとなって人を動かします。これがパフォーマンスの凄さです。ピンクの衣装で人気者の林家ペーパ夫妻がいい例です。目立った芸がなくても芸人としてやっていけるのです。
“パフォーマンスばっかりじゃダメだ”。
こう言われ続けることが河村氏の戦略であり、彼が人気を維持することのできる要因なのです。パフォーマンスが悪なのだとすれば、悪だからこそ政治家にとっては実に都合のいい道具なのです。
◆塾長日記2011年2月9日
●名古屋市長選に学ぶ ①“やってみなけりゃ分からない”
いま流行のマニフェスト。これがいかに非力なものかは民主党が証明してくれました。
マニフェストよりも人を動かす要素、それは、
“この人なら何かやってくれるのではないか!”
という期待感(expectation)です。
名古屋市長選は河村たかし氏が圧倒的大差で勝利しました。66万2251名の有権者が河村氏に一票を投じたことは、抜群の知名度があったとはいえ、期待感が人を動かすことを如実に表した結果だと思います。
河村氏に対して懐疑的(skeptical)な人がいることも事実です。
“中京都構想といい、減税といい、
本当に中身を理解した上で有権者が判断したのか疑問を感じざるを得ない選挙だった(熊谷俊人千葉市長談)”
“本当に理解した上で”投票しなければならないのだとすれば、有権者は仕事どころではありませんね(笑)。
この点、政治家選びと結婚は似ています。
“やってみなけりゃ分からない”
のです。選ぶ前にダメだしをすると政治家も結婚相手もなかなか決まりません。
ダメだと思ったらリコールすればいい。民主主義にはこういう選択肢も与えられているのです。大切なのは、河村氏が選ばれたことを危惧することではなく、これからの彼の仕事ぶりを注視すること。
“本職をもった人が議員になり、
平日の夜や休日に議会を開いても
やっていけるのではないか?
議員の給与は半分でいい。”
是非はともかく、こういう議論ができるようになったこと自体、河村氏の功績は大きいと私は思います。
“やってみなけりゃ分からない”。
◆塾長日記2011年2月8日
●自己紹介で損をしていませんか?
スピーチは主に
①情報提供型、
②説得/行動に訴える型
③エンターテイン型
の3つに分類されます。
“どれがいちばん難しいか?”
ズバリ、情報提供型です。
“聞き手がその情報を欲しているかどうか”。
これが第1のポイントです。
聞き手は知りたい情報には敏感に反応します。興味のない情報には実に無頓着(indifferent)です。
第2のポイントは、
“聞き手にとって重要な情報かどうか?”
この2点を満たしてはじめて情報提供型のスピーチが成立します。
“自己紹介くらいなら出来ますが・・・”。
これがいちばん危険です。
“東京太郎と申します。
趣味は盆栽です。
家族は・・・”。
聞き手にとってこんなことはどうでもいい(笑)。
“早く終わってくれないかなぁ”。
儀礼的に聞いているふりをしている、そういう聴衆が圧倒的に多いのです。
さて、学校の授業は情報提供型だと考えられています。果たしてそうでしょうか。
一部の“ガリ勉君”を除いて、教師が発信する“情報”に子どもたちは実に無頓着です。授業の内容は多くの子どもたちにとって、
“欲しい情報でもなければ
重要な情報でもない”
のです。
授業を説得型、行動に訴える型、あるいはエンターテインメント型だと発想を変えてみる。一方的に情報を垂れ流す授業ではなく、生徒を鼓舞・激励するスタイル、笑わせるスタイルに変えてみる。こういう発想をする先生は人気があります。
自己紹介も同様です。
◆塾長日記2011年2月7日
●ものの哀れーーー日本
不正が外部に漏れると“犯人探し”が行われ、告発した人物が解雇されたり村八分になる。これが日本の風土なのでしょうか。
イギリスの“公益開示法”。
これは安全への加害、環境破壊、隠蔽等に関して内部告発を行った人を保護する法律です。日本にはこのような法律がありません。
儲けのためには手段を選ばない、
違法行為も辞さない、
バレたらトカゲの尻尾を切る。
こういう環境で内部告発を行うには並々ならぬ勇気が必要です。内部告発が“善”ではなく“悪”なのですから。
告発した人がその代償として“切腹”しなければならないのだとすれば、その社会はかなり歪です。
作家で横綱審議委員会の委員長を務めたこともある故舟橋聖一氏はかつて“物の哀れ”という言葉で相撲の世界を論じたことがあります。お相撲さんたちが“相互扶助”を行って星の貸し借りをする行為は、英語でいう“fixed match”とは趣が異なるような気がします。だからといって八百長がいいとは思いませんが・・・。
さて、1995年に公開されたアメリカの映画『告発』(Murder in the First)は、刑務所での過剰な虐待を告発し刑務所を閉鎖に追い込んだ実話を基に製作された映画です。ご覧になってはいかがでしょうか。
◆塾長日記2011年2月6日
●日本全国『腹』だらけ
日本語には“腹”を使った慣用表現がたくさんあります。「怒る」ことを“腹を立てる”と表現すること自体ユニークな発想ですね。
探せばいくらでも出てくる“腹”。
“腹に一物がある”
なんて人から言われたら、それこそ“腹”を開いて見せなけりゃいけないのかな。開いてみたら“腹が黒かった”・・・。
平和な日本なのに、
“腹が減ったら戦(いくさ)に行けぬ”
などと言ったりもします。ダイエット中に食べてしまういい訳にもなる?
英語に訳そうと思ってもなかなか難しい表現もあります。
“腹の虫が収まらない”、
“腹を割って話す”、
“腹が見え透く”。
直訳したら凄い英語になりそうですね。経費節減で日本の企業戦士が
“自腹を切る”。
誤訳されたら大変です。
“腹切り”大国日本。
さてさて、“腹の探りあい”は自民党と民主党、
“腹が煮えくり返る”のが国民。
“腹が据わっている”のはお相撲さん?
この国で起きていることは“腹”だけで全て語れてしまいそうです。
◆塾長日記2011年2月5日
●服装は誰のため?
“服装は自分より相手のため。
服装で相手の態度も変わる”。
故メイ牛山さんの名言です。
スピーチ理論のツボをズバリ言い当ててしまうあたり、一流の人生を歩んだ人はどこまでも一流なんだなあという気がします。
“こんな話がしたい。
あんな話がしたい。”
スピーチであれ日常会話であれ、話をするには相手が必要です。アナタの話を聞いてくれる、これだけで実はかなり有り難いはず。その、状況を活かすことができるかどうかでスピーチも恋愛も、そして人生も大きく変わってくるのです。
聞き手はストレス解消の道具ではありません。聞き手に最大限の敬意を払える人。こういう人は服装や髪型にも自然と気合が入るものです。言葉の選択にも敏感になりますし、丁寧にもなります。 服装は自分のため以上に相手のためでもあるのです。
メイ牛山さん、96歳で他界される最後の最後まで綺麗で可憐なおばあちゃまでした。
◆塾長日記2011年2月4日
●八百長は文化なのか?
お歳暮のルーツは中国。日本では江戸時代にその習慣が始まります。組合をつくっていた当時の武士たちが組頭に贈り物をする習慣として根付いていきました。
『日本歳時記』には
“我が力に隋って財物を賑わうべし”。
と記されています。
商人の世界でも1年間の親交を感謝する意味から得意先に贈答を行っていたようです。
明治時代になって官吏が権力を持つようになると官吏に対し高価な贈り物をするようになります。お歳暮は自分の生活の安寧を約束してもらうという性格を帯びるようになったのです。お歳暮に込められていた贈答思想は100年で違った意味を持つように変わっていきました。
“日本は賄賂社会なのか?”
と外国人に聞かれたことがあります。正しい認識だとは思いますが、見方を変えればお歳暮や贈り物は賄賂なのかも知れませんね。
“お土産”持参で相手先を訪問
”Why?”
と聞かれた
“習慣だから受け取れ。
受け取らぬならば切腹するゾ“
とやり返したことがあります。もちろんジョークですが、思った以上にウケました(笑)。
アメリカでの話です。
最近、相撲界を賑わしている八百長問題。これも日本の文化なのでしょうか?
◆塾長日記2011年2月3日
●3990回、噛んでますか?
神奈川歯科大学の斎藤滋教授は弥生時代の日本人の食事を再現、当時の人々が1度の食事で何回噛んでいたかを調査しました。
弥生時代の食事では3990回の咀嚼が必要で、食事を終えるまでに51分かかっていた計算になるそうです。
一方、我々現代人が1回の食事で噛む回数は620回、わずか11分で食べ終えてしまうことになります。戦前の日本でも咀嚼の回数は1420回だったことを考えると現代人の噛む回数がいかに少ないかがわかります。
咀嚼の回数が多くなると唾液が出ます。唾液の中には身体に有効な働きをする成分がたくさん含まれています。ムチンという成分は食品の刺激を抑え胃の負担を軽くします。アミラーゼはでんぷんを分解、ガスチンは味覚を敏感にさせ、また、食事を美味しくしてくれます。リゾチームは体内に侵入した細菌を退治してくれます。EGF(表皮成長因子)と呼ばれるホルモンは新陳代謝が活発になり体が若返るのです。
噛むことにより性痴呆症の予防にもなります。それだけではありません。記憶、認識、思考力、判断力、集中力までもが高まるのです。
スピーチで“かまない”ためには“噛む”ことが大切なのかも知れません。
◆塾長日記2011年2月2日
●再放送が決定!
昨年末にスタートさせた動画de弁塾。
“ネーミングがねえ・・・”。
スタッフのあいだでは色々な意見があったようですが(笑)、予想以上の反響に胸をなで下ろしているところです。アクセス数がカウントされるのですが、その数が日に日に増えていくのが快感になってしまいました。
“前の映像は見れないのでしょうか?”
こんな質問が寄せられます。
新しい映像が更新されると古い映像が削除されてしまうのは、私たちの“作戦”です(笑)。
“いつでも見れる。
誰でも見れる。
無料で見れる”。
これではなかなか見ないもの。人間とは不思議なものですね。古い番組を削除してしまうのはこういう理由からなのです。いじわるではありません(笑)。
“利用規約に同意する? なんだか怖い”。
ご安心ください。常識的なことが書いてあるだけです(笑)。
さて、これまでアクセス数が多かったもの、とくに好評だったものを“アンコール月間”と銘打ち再放映をすることになりました。明日3日は『三点凝視法』です。お楽しみに!
◆塾長日記2011年2月1日
●民主党は無知だった?
“民主党は無知だったと言わざるを得ない”。
与謝野大臣は予算委員会でこう言い放ちました。
政治家が委員会の場でこう発言をしても黙っていられる日本人は凄い。エジプトならデモどころでは済まないと思います。
“無知”
とは、
“知らないこと。知識がないこと。知恵のないこと”。
政治家に求められる3つの要素が欠如していることを自ら認めたことになります。
“私たちはバカだったことは認めます。
でも、国民もバカなんだから許してね”。
私には政治家がこんな風に思っているように感じてしまいました。実に腹立たしい。
たとえ無知だったとしてもそうは言ってほしくはなかった。行動によって成果を出してほしかった。
“日本という国は政治家がいなくても成り立ってしまうのでは・・・?”
そんな錯覚にさえ陥ってしまいそうです。
驚いたのは翌日になって与謝野氏が陳謝したことです。
“やや礼を欠く表現になり、たいへん申し訳ないと思っている”。
“礼を欠いたこと”に対して謝ったのは実に日本的だと思います。事実の精査よりも儀や礼を重んじる国に私たちは生きているのですね。
合掌!
◆塾長日記2011年1月31日
●ニューヨークのタクシードライバーに学ぶ
ニューヨークにはインド、パキスタン、バングラディシュ、韓国、中国出身のタクシードライバーがたくさんいます。皆発音は上手ではありませんがペラペラ喋ります。意味不明な発言に困惑することもありますが、無理やりにでも意思疎通を成立させて目的地(destination)までたどり着くわけです。道を間違えられたことは幾度となく経験しましたが目的地に行けなかったことはありません。
先日乗り合わせたドライバーはパキスタンから移民した女性ドライバーでした。離婚後、小学生の息子さんを育てるために昼はドライバー、夜は音楽関係の仕事をしているそうです。
“Your English is superb!”
と私が褒めると嬉しそうにしていました。
日本人の英語下手は今に始まったことではありませんが、留学準備のために英語学校に通う人が多いのには驚きます。どうせ行くならさっさとアメリカに行けばいいのです。もっと驚くのは現地アメリカにいながら、付属の学校で英会話の勉強をしている人がいることです。もったいない話ですね。この点、日本人はニューヨークのタクシードライバーに学ぶべきだと思います。
ちなみにニューヨークで日本人ドライバーに出会ったことは一度もありません。皆さん事前準備で忙しいのでしょうか?
◆塾長日記2011年1月30日
●英語の骨格はシンプル
英語が少しできるようになると誰もが思う疑問、それがネーティブ・スピーカーの
“ Why? ”です。
“面倒だな。
言わなくてもわかるだろう。
だからアメリカ人はイヤなんだよ。あ~あ、疲れた”。
私にもこんな風に感じる時期がありました。
日本語は人間関係、面子、儀礼を重んじる言語です。遠慮や控えめさを美徳とすることも特徴のひとつだと思います。
本音をチョットでも漏らせば“ハレンチ”、“不謹慎”と罵られる。だから皆、一斉に口を閉ざそうとする。 こういう背景からディベートの風土は育ちづらいと思います。
ロジック(logic)云々の話はさて置き、とにかく英語は非常にシンプルな言語です。骨格は Why-Because、直線的で分かりやすい。“Why? ”と聞かれれば素直に“Because”で返す。それだけです。
日本人が
“Why?”
と聞かれてシンプルに返答をする障害となっている要因、それが人間関係であり、面子であり、儀礼なのです。
英語は論理的で日本語は非論理的だという発想には私は反対です。英語という言語の側面から見ると日本語が非論理的に“見える”、だだ、それだけのことなのだと思います。
英語の学習にディベート的な要素を少しだけでも組み込む。これだけのことで日本人全体の英語力は大きく伸びる、私にはそんな気がします。
◆塾長日記2011年1月29日
●迫り来る余暇の時代
人類がこのまま進化し続け最終的に抱える問題、それが余暇の問題だといわれてます。
週休3日が現実のものとなりつつある今、余暇の問題から目を背けることはできません。
週末は家族で過ごすことはアメリカではごく普通のライフスタイルです。庭いじり、日曜大工、バーベキュー。郊外の別荘に出向き釣りや狩を楽しむ生活もごく一般的です。
“週に3日もこんな生活をしていたら飽きないだろうか?”
私がアメリカ人に感じる素朴な疑問です。
アメリカ人は家族を大切にします。誰に聞いても仕事よりも家族を優先すると答えます。それでいて離婚率は50%を越えるのですから不思議ですね。
マンハッタンから北90マイルの Red Hook 。ハイウェイーから丘を登ると見えてくるのが私の親友Tokuの別宅です。日本を離れ30年、アメリカの生活様式に慣れ親しんでいます。敷地面積2400坪、針葉樹と広葉樹が織りなす広大な森、築60年とは思えないほどメンテが施された建物。マンハッタンの雑踏を逃れ週末はここで過ごしているそうです。
“日本の人たちはどうやって週末を過ごしているのですか?”
こう聞かれても私にはうまく説明することができません。
“Nothing in particular...”
(とくに何をするわけでも・・・)
などと意味不明な言い方になってしまいます(笑)。
私たちが欧米の休暇スタイルを真似る必要はありませんが、先ずは余暇イコールさぼること、という公式を打ち破らなければなりません。
◆塾長日記2011年1月28日
●森鴎外の『日本回帰』
“This passport is valid for all countries and areas unless otherwise endorsed.”
日本国籍を保有する全員に与えられた渡航先条件です。日本人として生まれた瞬間に私たちには世界のあらゆる国、地域を訪問することができます。
日本に生まれて日本で生活していると、これがとてつもなく大きなアドバンテージであることになかなか気づきません。
外から見ると日本がより鮮明に見えてくる。
若いうちに外から日本を見る。
そうすることで日本をよりよくする可能性がグーンと広がる。
森鴎外の『日本回帰』という言葉はあまりにも有名です。
アメリカに行けば、国民の政治参加の大切さが体感できます。
オーストラリアに行けば、食料自給率の大切さが体感できます。
シンガポールに行けば、政治家の知恵が大切であることが体感できます。
若者が様々な体感をする。このことは日本の未来にとって最も大切なことのひとつです。
コーチクラスに限れば日本発券の航空運賃は世界でいちばん安いはず。誰でも気軽に世界を旅する環境が日本には備わっているのです。それでも海外に足を運ぶ若者が増えないのは残念です。
政治の腐敗は日本国民をしらけさせてしまいました。粋な日本男児を演じる政治家は姿を消し、私利私欲、物欲に塗れた政治屋の姿に若者は幻滅してしまったのです。
貯蓄に走り海外に目が向かない若者が増えた原因。その責任は堕落した政治家にあると私は思います。
◆塾長日記2011年1月27日
●ミッドタウンのホテル事情
需要と供給のバランスに応じてホテルの価格は常時変動する。これがニューヨークのホテル事情です。
日本と違うのはレベニュー・マネージメント (revenue management) を採用していること。ラスト・ミニット (last minute) といって最後の最後に価格が下がることもあります。でもこれを期待していると痛い目に会うことも覚悟しなければなりません。
客室の平均単価は330ドル。これに13.375%の税金と客室専有税(occupancy tax)
$3.50を加えたものが総額になります。
これだけ払ってもサービスを期待することはできません。
従業員は完全な分業制を採っています。担当する部署以外のことには無頓着。
“I don't know.”
こんな素っ気無い返事しか返ってこないのです。これが日常です。
ネガティブな要素はこれだけではありません。部屋が狭い、窓の外は隣の壁、お湯が出ない、テレビが壊れている等々、挙げればきりがありません。
チェッインの際に部屋を確認して気に入らなければ部屋を変えてもらう。これはニューヨークでは常識です。代わりの部屋がないと言われても
“すべての部屋をノックして本当に満室かどうかチェックするぞ。”
このくらいのことを言って、やっとフロントが本気で動いてくれるのです。こんな状況であってもニューヨークを訪れる人は絶えることがありません。 これが東京との決定的な違いです。
ホテルは寝るだけと割り切るか、500ドル~800ドルを払ってプチセレブの雰囲気を楽しむか。どちらを選択するのも“自由”なニューヨークです。
◆塾長日記2011年1月26日
●アメリカ人が日本をスルーする理由
私自身、米ドルで預金をしてきました。現金で米ドルを使う機会が多いからです。
それにしても米ドルがこれほど弱くなるとは・・・。私の頭の中にはアメリカドル>カナダドル>オーストラリアドルという公式が染み付いていたのです。
米ドル預金の金利が高いのは救いでしょうか。それでも日本円に切り崩して使う気にはなれません。米ドルから見ると日本円は恐ろしく高価なのです。円高なのですから当然ですね(笑)。
さて、アメリカの新聞では“GREAT ESCAPE”という広告をよく見かけます。エスケープ(escape)とはつまり“旅行”のこと。いちばん目についたのが中国への旅行広告です。費用は1200ドル前後、期間は7日~10日が多かったと思います。
“Add only$299”
これは日本に立ち寄るオプション料金です。日本への立ち寄りはあくまでオプションでアジア旅行の目玉は中国なのです。Hakone(箱根)やMt.Fuji(富士山)などの文字が小さく刻まれているのはチョッピリ寂しい気がします。
地元の眼科医でコンタクトレンズを処方していただきました。担当医のJack先生がこんなことを言っていました。
“Can you make it less than 100 dollars?”
東京で1泊100ドルに抑えるのが難しいという趣旨の内容です。日本の物価が高いこと、空港からのアクセスが悪いこと、タクシー代が高い等、驚くほど日本のことをよく知っています。
民主党政権は訪日外国人数を16年に2000万人、19年に2500万人、将来的には3000万人にすると宣言しています。中国の新富裕層だけを頼りにするわけにはいきませんね。
◆塾長日記2011年1月25日
●機内の9チャンネル
“Try channel 9.
Could be your English training!”
(9チャンネルを聞いてごらん。
英語の勉強になるよ)
アテンダントの方が息子に話しかけています。
UA機内のオーディオにはコックピットと管制塔のリアルタイムのやり取りが聞けるチャンネルがあります。それが“From the Flight Deck”と呼ばれている9チャンネルの放送です。
長年UAを利用してきましたがこれがユナイテッド航空だけのサービスとは知りませんでした。
“Do you copy?”
(聞こえますか?)
“I read you.”
(聞こえます)
なるほどこういう言い方をするんですね。感動です(笑)。
管制区間がシンガポール→ホーチミン→マニラ→香港→沖縄→東京と変わっていき、各地域の管制官の英語が変化する様子は勉強になります。
“パパ、変な英語が聞こえてくるよ。”
成田に近づくにつれて独特の英語になってきました。
同じノン・ネイティブでも成田の管制官の英語の発音には驚かされます。
機長らしき人物が、
“Sorry?”
を連発しています。
アーティキュレーション(articulation)、つまり、歯切れが悪いため聞き取りづらいのです。発音やアクセント以前の問題ですね。難事の際は大丈夫なのでしょうか?
UA876便、定刻より20分早く、15時10分、成田に到着です。
◆塾長日記2011年1月24日
●父子家庭と海外出張
“学校を休ませるわけにはいかないなあ?”。
こう思いつつ、私はこれまで息子を海外出張に同行させてきました。
人の輪の中で生きていくこと、一定のルールに従って学校生活をおくること、この大切さは私自身がいちばん認識しています。ただ、母親不在の我が家にあって、息子を東京に残すことにはどうしても抵抗があったのです。
日頃は厳しく接している私も、
“パパと一緒がいい”。
こう言われると判断が鈍ってしまいます。
“今回は特別だからな”。
そしていつも“特別”になってしまいます。
プロゴルファーになるという息子の気持ちに迷いはないようです。シーズンオフのNYでも打ちっぱなしの練習は欠かしませんでした。常夏のシンガポールでは思う存分プレイを楽しんでいます。13歳で身長152cm、体重38キロ。母親似の息子は小柄です。
“ジュニアを卒業したらレディースのクラブかな?”
今後身長が伸びることを期待して、大人用のクラブに切り替えました。それでもドライバーでの飛距離は220ヤードがやっと。300ヤードをはるかに超える遼君やタイガーは凄いのです。
“ナイス・ボギー”でまとめてスコアは90前後。今後どれだけ伸びるかはやってみなければ分かりません。
いよいよ明日帰国です。
◆塾長日記2011年1月23日
●ビルの上に戦艦大和?
“タイムマシンに乗って未来都市にやって来た!”
シンガポールの摩天楼を眺めていると思わずこんな気分になってしまいます。整備された町並み、緑の美しさ、綺麗な空気。三拍子そろったこの街が人々に愛されるのも頷けます。
それにしても奇抜で個性的な建物が多い。地震のリスクが少ないこともその理由なのでしょう。ひときわ目立つ建物が見えてきました。
“ビルの上に戦艦大和が乗っている?”
マリーナ・ベイ・サンズ(Marina Bay Sands)は2560室のホテル、カジノを含む総合リゾートです。頂上部分は340メートルの長さがあり、3900人を収容できるスカイパークと150メートルのスイミングプールが用意されています。頂上部の北側は建物本体よりも67メートルも突き出ています。戦略的でダイナミックな仕掛けに圧倒された私です。
“こういうホテルに泊まりたかったんだよな”。
息子がぼやいています。聞けば250Sドルで泊まれるとのこと。私たちが宿泊しているシティーのホテルと大差ありませんでした。
“May be next time.”(笑)。
品川から羽田のウォーター・フロント地区はこれから開発されていくのだと思います。ビル開発の側面から考えると、シンガポールの方が圧倒的に元気に見えるのは私だけでしょうか。
◆塾長日記2011年1月22日
●アイ・ワーク・フォー・マネー
“日本とアメリカは違う。
そもそも国力が違う。だから日本人は働き続けなければならない”。
生前、父がよく口にしていたことです。
日本の会社に勤めてみて私が感じたこと。それは無意味な残業でした。
仕事は終わった。でもまわりの人間はまだ仕事をしている。編集長もまだ残っている。局長が帰る。すると部長が帰る。そして編集長が一言、
“そろそろ我々も帰ろうか?”。
午後8時、就業終了時刻から既に3時間が経過しています。
仕事があって残業する。これは幸せなことです。好きな仕事を好きなだけすればいい。仕事がないのに上司に気を遣って会社に居残ること。これは愚かです。愚かだと分かりながらダラダラ会社に残る。かつての私もそうでした。
一方、
“I work for money.”
と言い切るのがアメリカ人です。
9時ギリギリに出社し遅刻する人がいても“Never mind”。
5時には必ず業務終了。
金曜に有給を取り週末3連休は恒例行事。
不満があればどんどん会社を変える。実に羨ましい。
アメリカ人にはこのままでいてもらいたいと思います。彼らが日本人のように働き始めたら日本は勝ち残ることはできないからです。ヤル気のない労働者がいても成立してしまっているのがアメリカなのです。
◆塾長日記2011年1月21日
●ニューヨークVS東京
レンタカーの保険代、マンハッタンでの駐車料金30分12ドルは経費を圧迫しましたが、食費や外食代の安さには助けられました。
ビールは1本80セント前後、水はペットボトル1本10セント~20セント、スイカ5ドル、マンゴ1ドル、オレンジ50セント、牛肉は数キロ単位のかたまりで買っても10ドル~20ドル、米国産ササニシキのお米は10キロで20ドル等々。物価が高いことばかりが強調されがちなニューヨークですが、普通の生活をする限り、東京よりも暮らしやすいと思います。
高価なのがノート類、電池、ティッシュ、書籍、そしてタバコ。マルボロライトが1箱で11ドル25セントでは喫煙人口が激減するのも頷けます。
雰囲気のよいレストランでも日本のファミレス程度の価格で楽しむことができます。マンハッタンの夜景を独り占めできる和食レストラン松島は穴場です。 中華料理やピザはどこで食べてもハズレがないのも魅力です。
ニュージャージの森の中に住む感覚は箱根と似ています。狭い家でも敷地は120坪~200坪。週末のバーベキューが自宅でできるのは魅力です。そんな家が50万ドル前後から購入できるフォート・リー、レオニア地区。GW ブリッジを渡ってマンハッタンまで20分はアドバンテージです。
◆塾長日記2011年1月20日
●英語の勉強にゴールはない?
日本語を母国語として生活をしている私たちが、英語のNon-native-speakerとして、どれだけの英語力を身につければいいのか? 古くて新しいテーマだと思います。
英語と出会ったのは私が8歳のときでした。サクラメント(Sacramento)出身のJack Campbell先生です。”青い目のgaijin“に出会うことすら珍しかったその時代、勉強が終わるともらえるアメリカ製のキャンディーが楽しみで、先生の自宅まで通い続けた記憶があります。勉強は私が社会人になってからも続き、21年間通いつめたことになります。
“いつになったらアメリカ人のようになるのだろう?”
こういう自問自答をしながら勉強を続け、41年の歳月が流れてしまいました。
そこそこの英語力は身につけた。英語で困ることもない。不便を感じることもない。 それでも私の体の中でウズウズする何かが私を刺激 (stimulate) して止まないのです。
“もっとヤレー、もっとヤレー”。
と私に問いかけてくる。
それは何なのか? 私にもわかりません。とにかくウズクのです。
“黙れ!いくら勉強しても所詮ネイティブになんかなれないじゃないか”。
こう開き直って英語から遠ざかる勇気すら私にはありません。
“そこそこの英語力と磐石な弁力。”
が日本人には必要です。これが弁塾の信条 (creed) でもあります。
文化や人種、経済格差を越えた世界標準のコミュニケーション理論を確立する。あるいはその下地をつくる。これが私に課せられた責務だと思っています。
SQ21便でシンガポールに戻ります。復路は大西洋便、事実上、地球をぐるり一周することになります。
◆塾長日記2011年1月19日
●「年中無休」はSeven Days
“Pardon for my appearance.”
そのまま訳せば
“顔がまずくてすいません”。
でしょうか。
一部施設が改装中のホテルに掲示されていたのがこの英語です。粋な言い方ですね。こんな言い方もあるのだと感心してしまいました。
道路工事じゃあるまいし“Under Construction”では雰囲気が出ない。一流ホテルは英語にも気を使います。
街中を歩くと色々な英語に出会います。
レンタカーのフロントガラスには“ Rent me ”の掲示。中にはキスマーク付きの掲示もあるから笑えます。
“Seven Days”が「年中無休」、
“Fine”は「罰金」、
“Dead End”は「この先行き止まり」、
“Good”は「まあまあ」等々、
英語圏で私が始めて出会った表現は数知れません。
TOEIC で900点をクリアー、それでも英語がまったく使えない人が意外に多いのは悲劇です。テストの英語と現実にはかなりの開きがあると思います。
息子が通っていた小学校では1年生から英語の授業が行われていました。そして今、中学1年生。ビックリするほど英語が口から出てきません。
“そろそろ私の出番だ!!
こんな風に勝手に考えている親ばかの私です。
◆塾長日記2011年1月18日
●過労死しないアメリカ人
道端に落ちているお金を交番に届ける。こんなことをするのは世界で日本人くらいのものでしょう。善良・正直・和・正義。これが日本人の姿だったはず。そんな日本人のイメージが根底から崩れてしまうような事件が次々と起きています。
“日本は一体どうなっているのか?”。ニューヨークに住んでいる日本人からこう質問をされることがあります。引きこもり、過労死、家族間殺人。その背景や理由を私は明確に説明することができません。とにかく、今の日本は普通ではありません。どこか病んでいます。かなり重症です。
実数は不明ですが引きこもりはニューヨークでは稀です。過労死はまずあり得ません。凶悪事件も起きていますが親が子を殺す、子が親を殺すこともありません。
これら日本独特の社会現象の原因はどこにあるのか?
モノは溢れていても実は日本は夢も希望もない国なのか?
日本人はもともとダメな民族なのか?
善良・正直・和・正義は虚構だったのか?
寡黙さを美徳とする日本人にとって“メール文化”は実に好都合でした。面と向っては言えないことが、メールなら言いやすいからです。でも、これが落とし穴。対面でもなかなか人の気持は伝わらないのです。
携帯メールの普及時期と凶悪事件が増大した時期が一致すること。これが偶然ではないのだとすれば事は重大です。日本人のコミュニケーション能力はますます削がれていくのでしょうか?
◆塾長日記2011年1月17日
●アメリカの「平等」?
自宅からジョージ・ワシントン・ブリッジまでは徒歩で12分、料金1ドルのシャトルバスに乗り地下鉄の175丁目へ、そこからAラインの急行で42丁目のMTW社まで移動します。計40分の通勤時間は慣れれば快適です。
日本との違い、それはどこまで行っても料金が一律の2ドル50セントだということ。どこに住んでいようとも、どこへ行こうとも目的地までかかる費用は一律。これがこの国のイークワリティー (equality) に対する考えです。“平等”という日本語と equality にはかなりのギャップがあるような気がします。日本のように距離別の料金体系であれば、計算に弱いニューヨーカーは混乱してしまうかも知れませんね(笑)。
日本との違いをもうひとつ。それは24時間運行していることです。小銭さえあればいつでも移動することができます。MLBの試合には引き分けがありません。試合が朝まで続いてもとりあえず帰る足はある。これは魅力だと思います。東京の山手線も24時間運行すれば経済効果は上がると思うのですが・・・。タクシー会社と国土交通省の癒着があるのでしょうか。
路線が複雑なのは東京と同様です。慣れればこれほど便利な移動手段はありません。自家用車での移動が困難なマンハッタンにおいては、地下鉄を乗りこなせることでその行動範囲は格段に広がります。
◆塾長日記2011年1月16日
●NYのスーパー・マーケット
食文化が最もよくわかる場所がスーパー・マーケット。133丁目12番街、ハドソン川沿いにあるFairwayもそのひとつです。
野菜や果物が山積みになったダイナミックなディスプレイは新鮮に映ります。キュウリ、ピーマン、スイカ、どれもアメリカサイズ。水の安さにも驚きです。ペットボトル24本5ドル95セントは日本と比べると破格です。
店の奥には部屋全体がマイナス2℃に設定されたコールド・ルームがあります。そこは巨大な冷蔵庫、新鮮な魚や肉類が陳列されています。防寒具を着て中に入ります。物価の高さばかりが強調されがちなニューヨークですがミッドタウンを離れれば庶民的なお店がたくさんあるのです。
日本のテレビ番組『料理の鉄人』が大ヒットしたアメリカでは今、“グルメの国”に変わりつつあります。アメリカで交配された和牛(wagyu)ステーキの専門店はニューヨーカーにも大人気。草鞋のようなかたいステーキを食べる人はいません。スターバックスの大成功も20年前では考えられなかったことです。アメリカンコーヒーを飲むニューヨーカーはもういない?
◆塾長日記2011年1月15日
●人種を超えた英語力
英語で相手を怒らせる。これができれば英語力は一定の水準に達していると思います。私自身、こんな自分に酔っていた頃がありました。
周りからは“英語のできるヤツ”と言われディベート (debate) にも自信がつき始める。ネイティブを知的格闘の相手に見立て喧嘩をする。相手を怒らせることで快感を感じるレベルです。このレベルに達していると英語で困ることはありません。ちょっとしたトラブルや問題も自力で解決できるからです。
さて、英語を使ってビジネスをしている今、過去の自分がいかに陳腐なレベルに甘んじていたかがよく分かります。舐められてしまうレベルは論外ですが、相手を怒らせるだけでは仕事は成立しないのです。
相手の意向には耳を傾ける。
相手の利益に寄与することに全力で取り組む。
可能な限り相手の要望にも応える。
時間や労力は惜しまない。
私がこれまでに学んだ教訓 (lesson) です。
大袈裟な言い方ですが、これこそが"人種を超えた語学力“なのだと思います。
相手の幸福・安寧を心から願い、全身全霊で取り組む姿勢を明確に示す。この姿勢こそが実は自分の幸福・安寧を生み出す大きな原動力にもなり得るのです。
弁力の観点から英語力を推し量ると、これまで見えなかったことが鮮明に見えてくるような気がします。
◆塾長日記2011年1月14日
●ガンガン言って一呼吸
私が好んで使う英語、それが、
“Sorry to bother you.”
相手が忙しそうにしているとき、
少々面倒なお願いをするとき、
そんなときに使ってみると腰の重いアメリカ人でも積極的に耳を傾けてくれます。例外もありますが・・・。
とかく無表情になりがちな日本人が“Excuse me.”を連発するのはおすすめできません。相手を非難しているニュアンスが出てしまうことがあるからです。
相手の立場や面子を重んじる言い方が円滑なコミュニケーションを演出してくれるのだと思います。文句が言いたくなるような場面はアメリカでは日常茶飯事です。
“どう考えても自分は悪くない!”
そんなときでも、言いたいことをガンガン言った後に
“You see, it ' s not a complaint.”
と笑顔で添えてあげる。そうすることで喧嘩になることが少なくなる気がします。
日本人は物腰が柔らかい。
丁寧な英語が似合う。
そして舐められてしまう。
こんな公式が成立してしまうのだとすれば残念です。
あくまで言いたいことがズバリ言う。ガンガン言った後に一呼吸置く。そういう英語が使えれば仕事もプライベートもスムーズに運べると思います。
◆塾長日記2011年1月13日
●ニューヨークと私
1980年代のニューヨーク8番街42丁目付近。盗品を売りさばく露天商が路上を埋め尽くしていた時代です。置き引き、スリ、引ったくりは日常茶飯事、いったん奥の路地に入れば何をされても不思議ではない街、それがニューヨークでした。
ホームレスの人たちの英語さえ聞き取ることができず、英語を猛勉強しようと誓ったのもこの頃です。
インターネットがない時代、すべてが行き当たりばったりでした。JFKに到着するとその日の宿泊先を探すのに四苦八苦したことを覚えています。時代は1ドル240円、1泊数10ドルの簡易宿泊施設に泊まりながら貧乏旅行を楽しんでいた私です。
深夜まで泊まる場所が見つからず、と途方に暮れていた私に手を差し伸べてくれたのがアパーイーストにあったホテルBarbizon です。1泊100ドルは今思えば“温情料金”でした。
朝はデリ、昼はピザ、夕食はチャイナタウンで済ましマンハッタンの隅々を歩いて探索するのが日課でした。唯一の頼りは『地球の歩き方』、創刊当時は体験者の口コミがページの大半を占めていました。当てにはならない口コミ情報でしたが、騙されたり相手にされなかったりすること自体が当時の私には大きな刺激だったのです。
そして、今、私はこの土地で仕事をしています。パブリック・スピーカーとしての福澤がどれだけ受け入れられるのか、それはまったくの未知の世界。明日から今年最初のセミナーが始まります。
◆塾長日記2011年1月12日
●ニューヨークの道路は無法地帯
譲りの精神は皆無、
ハザードは使わない、
車線変更は気まぐれ、
無秩序な合流、
すぐに怒鳴る等々。
運転に関してはニューヨーカーは野蛮です。
肩にチョット触れただけでも“ Excuse me ”と言うアメリカ人、
建物の出入り口では相手に譲るアメリカ人、
レディーファーストが徹底しているアメリカ人。
真摯なアメリカ人と乱暴に車を運転するアメリカ人。どちらが本当の姿なのか? あまりにも大きいこのギャップには驚くばかりです。
この国の運転免許事情。ハンドブックを読んで交通ルールを独学、筆記試験に合格すれば仮免が発効されます。ドライビングスクールもありますが日本のような練習場はありません。ニューヨーク州の法律では免許保持者同乗であれば路上練習が可能です。路上試験では自分の車を持ち込み試験官を助手席に乗せて言われた通りに運転する、これで万事OK。この国で運転免許を取得するのは簡単なのです。
彼らは交通マナーや交通道徳を学ぶ機会に恵まれていません。無秩序で傲慢なドライバーが多いのも頷けます。
◆塾長日記2011年1月11日
●ニューヨークの家は築50年!
17時23分、ニューワーク(Newark)国際空港に到着しました。
“あっ・ニューヨークの匂いだ”。
心の中で思わず叫んでしまいます。花の香りとは程遠いニューヨーク独特の匂い。これが私にワクワク感を与えてくれる魔法の匂いなのです。それにしても寒さが身にしみます。この雨が雪に変わらないか少々、不安です。
車を借りて自宅に向かいます。車両代は日本の半額、保険料(insurance)は2倍、無保険で走るのも、高額な保険に入るのも自由、これがアメリカのレンタカー事情です。左ハンドルに右車線には慣れていますが、久々の運転に緊張してしまいます。
右手にマンハッタンを眺めながらハドソン川を北上します。ニュージャージーのハイウェイーは渋滞もなくスムーズです。車を走らせておよそ30分、ジョージ・ワシントン・ブジッジ(George Washington Bridge) が見えてきました。私たちの住処はマンハッタンから橋を渡ってすぐのレオニア(Leonia)という町です。
別荘地のような個性溢れる住宅街、その一角にある我が家は築50年の古さです。これでも比較的“young”なのですから驚きです。アメリカでは築100年の家も目珍しくありません。周辺の豪邸よりも劣りますが、それでも3ベッド。ルームにバスルームが2箇所、地下室や屋根裏部屋もある立派な住宅です。
私が歩くと床がきしみます(笑)。
◆塾長日記2011年1月10日
●日本の過ち
“日本が東南アジアに負けるはずがない”。
こういう驕りが成田、羽田の今を作り出したような気がします。
成田のことが話題に上がったのは私が小学生の頃でした。
“羽田では国際化についていけない。
新幹線で東京から成田まで30分!
将来はリニア何とかもできるらしい”
チャンギ空港にはシンガポールに入国することなく宿泊できるトランジット・ホテルや仮眠所(napping area)があります。ハブ(hub)空港として機能するための必須条件ですが、成田にはこういった施設がありません。いったん日本に入国して、それから成田市内のホテルに移動しなければならないのです。欧米のビジネス・パーソンが日本をスルーしてアジアへ移動する理由も分ります。
チャンギ空港にあるような無料の映画館、スパ、プール、庭園とまではいかないまでも、成田の施設はあまりにも無機質で冷たい印象を与えます。新制羽田がどこまでチャンギに追いつけるかは疑問です。香港、バンコク、ソウルの空港も日本より秀でています。日本の航空行政が失敗したことは歴然です。
シンガポール航空(SQ)22便でニューヨークに向かいます。片道9529マイル、およそ18時間のフライトです。日本に立ち寄らない欧米便はこれからますます増えるはずです。
◆塾長日記2011年1月9日
●シンガポールの英語じゃダメなのか?
“I go to the park yesterday.”
これが“誤った"言い方なのは一目瞭然です。昨日の話であればgoはwentでなければなりません。
ところがどうでしょう。シンガポールの人たちはこういう英語を実に巧みに使いこなします。
“あんなのは英語じゃない”。
こうやって彼らの英語を批判的に論じる人もいます。
“そんな英語じゃ通じない”。
あるいは、
“そんな英語じゃ笑われる”。
果たしてそうでしょうか? 私が体感した限りでは、シンガポールの人たちは皆、朗らかに、楽しく、そして堂々と英語を使って生活をしています。意思疎通が見事に成立しているのです。
言葉は進化のプロセスで簡素化を行います。動詞の変化、goを例に考えれば、go-went-goneという不規則変化をスルーして、とにかくgoですべてを表現する。過去の表現はyesterdayに任せてしまう。これこそが簡素化された未来型の英語なのではないのか、私にはそんな風に感じられます。
“I go to the park tomorrow.”
こんな風に、willがなくても明日の話であることは分るのです。
文法の誤りに怯え、文法の規則に怯え、英語を使うことに怯えてしまうこと。これこそが最も避けなければならないことなのだとすれば、私たちがシンガポーリアンから学ぶことはたくさんあると思います。
皆さんはどうお考えになりますか?
◆塾長日記2011年1月8日
●シンガポールはタバコが吸えない国?
“シンガポールはタバコが吸えない国?”
こういうイメージを持っているとかなり驚くことになります。
私自身、これまで何度かシンガポールに来たことがありますが、とりわけタバコに厳しいという印象は持っていませんでした。
“最近は事情が違うんじゃ”。
こういう声に少しばかり怯えていた私です。
チャンギ空港から一歩外に出れば灰皿があちらこちらに置いてあります。街中にも、観光の名所にも、そしてレストランから出た所にも、喫煙者が困らない程度の灰皿が置いてあるのです。歩きタバコをしている人もいます。
東京の“路上禁煙地区”と比べればシンガポールは喫煙者には実に寛大です。街中でタバコを買うのに困ることもありません。日本と同じようにコンビニやデリ等で誰でも気軽に購入することができます。物価と比較するとタバコは高価です。マルボロライトが1パックで$11.50(約800円)、タクシーの初乗り運賃(initial charge)の2倍以上します。それでもタバコを吸う人はよく見かけました。
匂いがしない街、それがシンガポールです。よほど空気が澄んでいるのでしょう。町並みの美しさは私が語るまでもありませんね。オーストラリアのパースと双璧だと思います。
◆塾長日記2011年1月7日
●13歳のビジネス・パーソン
“What would like to drink?”
と聞かれ息子が、
“WINE! ”
と叫び、大問題になったことがあります。彼が5歳のときです。
“Sir, we don’t know what to do with your son.”
(お子さまの対応に苦慮しております)
当時は“教育的配慮”と称し、あえて息子をコーチクラスに搭乗させていました。息子のジョークを真に受けたアテンダントが真っ赤な顔をして私のところまでやってきたのです。
“What if he should drink on board?”
(もし未成年者が機内でお酒を飲んだらどうなりますか?)
と私が聞くと、
“Getting fired on the spot!”
(即刻解雇されてしまいます)
と、全うな返事が返ってきました。
未成年者の喫煙や飲酒はアメリカではジョークにもならない一大事なのです。
そんな息子も13歳。英語はまだまだ未熟ですが、パブリックの場でどう振舞えばいいのか、ある程度の所作は身につけているようです。
学校を休んで出張に同行させることの是非はともかく、これからの時代を生き抜いていく彼には広い意味での勉強をしてもらいたいと願っています。
◆塾長日記2011年1月6日
●成田はアジアのハブ空港ではない?
“ニューヨークに行くのにどうしてシンガポールまで行くの?”
これには訳があります。今回は久々にユナイテッド航空(UA)を利用します。旧NW,統合されたデルタ(Delta)と比べると破格のマイル数で移動ができるのです。
セイバー(saver)特典の利用で僅か4万マイル。往路のスケジュールがフィックス(Fix)になること以外、条件はほぼノーマルチケットと変わりありません。UAはアジア内の移動には実に寛大です。
シンガポールから米国本土への移動は驚くほどスムーズです。日本国内で発券するのと比べると3分の1、場合によっては5分の1の価格で航空券を購入することができるのです。クラス差も日本ほどではありません。シンガポールからの直行便もありますし、スケジュールに余裕があれば、バンコクや香港を経由することも可能です。
昨年末はエアーアジア(Air Asia)の日本就航が話題になりました。アジア圏内のハブ空港は事実上、成田からシンガポールへと変わったと言えます。アジアの地図はいま劇的に変化しています。
搭乗するUA875便はANAと共同運航をしています。日頃、,あまり縁のないANAラウンジが利用できるのもメリットもひとつ。喫煙ルームがあるのも助かります。
ラウンジでおとなしくしてればいいものを、”貧乏性“が頭をもたげます。穴子丼を美味しくいただきました。とくにお腹が空いているわけでもないのに色々と食べてしまうのは私が貧乏性だからでしょうか。悲しい性です。
◆塾長日記2011年1月5日
●ニューヨークまで198万円?
日本人にとってJALは圧倒的な信頼感があります。
“できればJALがいいんだけど、高いんだよなあ”。
これが多くの人の声でした。
私はアジアやホノルルを経由してニューヨークに行くことにしています。ホノルル便はJAL以外どの航空会社も廉価なチケットを販売しています。
ホノルル~JFKは時期にもよりますが往復で2200ドル前後、しかもファーストクラスでこの価格なのです。ミネアポリスやデトロイト経由になりますが気になることはありません。JAL便を利用すれば成田から直行でJFKに行けますがビジネスクラス早割り料金を使っても40万円前後、ファーストクラスなら運賃だけで198万7500円もするのです。
香港や韓国をはじめ海外ではJALの大幅割引を行っています。アジアの人たちはJALの格安ファーストクラスを利用しているのに、成田発は定価でしか利用できない。こういう矛盾に対してこれまでJALは明確な説明をしてきませんでした。
一方、ANAの企業努力は利用する私たちの側から見ても顕著でした。ビジネスクラスの座席フラット化やスペースの拡大、割引料金の導入はJALに先んじて行っていたという記憶があります。サービスはエコノミー、座席がビジネスクラス利用のサービスを始めたのもANAです。JALを追い越そうと懸命の努力をしてきたのがANAなのです。
“JALをつぶすわけにはいかない”。
こういう声に脅かされ私たちは税金投入を容認してきました。これがJALの悪しき体質を生み出してきたのです。
救いは未だ根強いJAL神話です。適性価格であればもつと多くの人がJALを利用するはず。国際線を縮小することは得策ではないと私は思います。
明日からシンガポール経由でニューヨークまで出張です。
◆塾長日記2011年1月4日
●“銀座のクラブに行きたいんです!”
東京マラソン2011は日本を世界にアピールする絶好のチャンス。このようなイベントはどんどん開催すべきだと思います。
日本を訪問する外国人観光客の数は約733万人。これは世界で30位、アジア諸国・地域の中では中国本土、マレーシア、香港、タイ、シンガポールよりも下回っています。
成田ヒルトンのバーにいると、あちこちから英語で談笑する声が聞こえてきます。ここは日本の中の“外国”です。彼らの多くは日本を経由してアジア諸国へ移動する人たちです。日本はトランジットをするだけの単なる経由地で、733万人の中にはそんな人たちが多く含まれているのです。
日本を敬遠する最大の原因は何なのか? 世界一高いタクシー代、ニューヨーク並の宿泊費、交通渋滞。 理由はこれだけではないはず。何よりも大切なのは東京が魅力ある町なのか、日本が魅力ある国なのかどうかという点です。
“フジヤマに芸者”。こんなイメージを抱いている外国人がまだまだ多いのが実情です。日本を世界にアピールする方法を模索することが今の日本に必要なことではないでしょうか。
成田の喫煙所でこんな青年と出会いました。二十台前半のバックパッカーです。
“I’ve come to Japan for the purpose of going to the club in Ginza.”
銀座のクラブが目的で日本に来る人もいるんですね。
(訪問者データ2006年)
◆塾長日記2011年1月3日
●水の徳
初詣は明治神宮。子どもの頃からの習慣です。今年はどんなおみくじを引き当てるでしょうか。
“器には したがいながら いはがねも
とほすは 水のちからなりけり”
(大御心二十九)
“水は円(まる)に四角に、さまざまな容器に順(したが)って逆らわないけれども、時と場合によっては、堅い岩石をも貫き通す、実に驚くべく力があります”。裏面にはこう記されていました。
水は万物を育てながら、何も関係ないように黙々として争うことをしません。水には柔よく剛を制する力が潜んでいます。“万物を利して争わず”と言われる所以ですね。
おみくじを木の枝に結ぶのはいったい誰が始めた習慣なのでしょうか。大吉だとか金運だとか、方位だとか、そういうことばかりに心を奪われて、大切な言葉はすぐに忘れてしまう。何と勿体ないことでしょう。私はおみくじを持ち帰ります。そして引き出しの中にしまってしまいます(笑)。
人との出会いが縁なら、引いたおみくじも縁なのだと私は思います。所詮、おみくじですが、されどおみくじなのです。
“水の徳に学ぶこと”。
こう肝に銘じることで今年1年が充実したものになる気がするから不思議です。
◆塾長日記2011年1月2日
●アナタの花は必ず咲くのです
努力しても結果が出ない。
もっと努力する。
それでも結果が出ない。
“方法が悪いのかなあ?
運が悪いのかなあ?
努力が足りないのかなあ?”
歩みをとめてふと考えてみる。自分の不甲斐なさを冷静に分析しようとする。こういう経験は誰にでもあると思います。
春に種を植え、夏に花が咲き、秋に収穫をする。こういうリズムで事が運ぶこともあります。そうでないこともあります。これが人生です。種を植えないことには始まりませんがいつ開花するのかは誰にも分からないのです。我が身を振り返り、咲かない原因を探ることも時には大切でしょう。でも大切なことは努力の歩みを停めないこと、停止しないことです。
開花させるための最大の敵、それは他人と自分を比べること。
“アノ人はこうだ。
コノ人はこうだ”、
とばかり、他人の成功を羨みタメ息をつく。そして努力の歩みを停めてしまうのです。これでは咲くはずの花も咲きようがありません。
歩みのペースはその人次第。ときには速度を落としてみることも必要です。それでも他人と比較することだけは避けなければなりません。
この世に咲かない花はありません。アナタの花も私の花も必ずや咲くのです。いつ咲くか、これだけは誰にも分からない。これが人生です。だから面白いのです。
◆塾長日記2011年1月1日
●新しい弁塾
昨年は3度の入院を繰り返し、私的には波乱万丈の1年でした。組織の大幅変更、手狭だったオフィスを渋谷に移したこと、実力ある若手のスタッフが先頭を切って仕事に没頭してくれたこと等、とにかく変化の多かった1年でした。
そんな中、『動画de弁塾』と『ライブ弁塾』をスタートできたことは大きな収穫だったと思います。動画に関しては予想を超える数のアクセスに心から感謝申し上げます。スピーチ・コミュニケーションの学習が今こそ求められているのだと思います。
通信講座の開設には賛否(pro con)両論がありました。
“弁塾の指導は対面でなければ意味がない”。
私自身がこういう考え方をしていたからです。
“所詮、通信講座だろう?”
こういう考え方があったことも事実です。
『ライブ弁塾』はそんな不安を一掃してくれるシステムだと確信しています。できるだけ多くの人たちに弁塾の指導の素晴らしさを体感していただくこと、このために私たちは努力を惜しみません。
将来の指導者を育成すること。この仕事にも積極的にならなければなりません。日本語と英語の双方から指導できる講師の育成には思った以上に時間がかかっています。私が第一線を退くまでには後継者をできるだけ多く輩出しなければなりません。それが今年のテーマのひとつでもあると考えています。
今年も弁塾をよろしくお願いいたします。
(2011年元旦 自宅にて記す)
◆塾長日記2010年12月17日
●比喩の使い方
スピーチや会話のスパイス、それが比喩 (metaphor) です。
複雑な内容、イメージが沸きにくい事柄などは比喩を使ったほうが分かりやすいかも知れません。抽象的なことは具体的に、曖昧なことは明確に。これが上手な比喩の使い方です。
比喩なら何でもOKというわけではありません。聞き手の理解を促す比喩かどうか、吟味検討する必要があります。聞き手を不快にさせること、ネガティブなイメージを連想させること、こういう比喩には注意が必要です。
議論が割れるたとえも危険です。
“愛とは空気のようなもの”。
そう思わない人もいるはず。たとえは、あくまでトークの隠し味だということを覚えておきましょう。
“迷ったら比喩は使わない”。
実はこれがコミュニケーション学における鉄則なのです。故事成句や諺も同様です。
“難しい話は分かりやすく。
分かりやすい話は面白く”。
このキホンを忘れてはいけません。誰も知らないフレーズは横綱の昇進挨拶のときだけで十分ですね。
◆塾長日記2010年12月16日
●What can I do for YOU?
“私のために何をしてくださるのかしら?”
“残念だけど何もしてあげられないんだ”。
“あら、どうして?”
“君だって何もしてくれないじゃない”。
こういう末期の男女関係と今の日本が似ているような気がします。
ケネディー大統領が就任演説で語った、
“Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.”
は今の時代にも通じるものがあると思います。
日本が我々を幸せにしてくれるのではなく、我々一人ひとりが自助努力で幸せになる。そして、結果として豊かな国家が出来上がる。こういう姿勢が実は非常に大切なのです。
“政治家は何もしてくれない”。
こういう声も聞こえてきます。果たしてそうでしょうか。たしかに政治家はアナタの家を修理したり、肩を揉んだりはしてくれませんが、我々はみな間接的な恩恵を受けているのです。このことに無頓着ではいけません。
“じゃあ、何をすればいいの?”
この質問は私自身のテーマでもあります。明確な答は出せないまま日々を生きているというのが正直なところです。先ずは今の自分の仕事に切磋琢磨する。このことによって社会的な貢献をする。月並みですがこれが正直な私の気持です。
自民党もダメ。民主党もダメ。その他大勢もダメ。でもアナタ自身はどうなのか? 私自身はどうなのか? このことを真摯に考えてみれば我々国民が何をすればいいのか、より鮮明に分るのではないでしょうか。
◆2010年12月15日
●直感力(hunch)の法則とは?
“直感(hunch)が正しい”。
これが私の結論です。
2者択一を迫られて迷った挙句、ハズレを選んでしまう経験は誰にでもあると思います。
“ほら、やっぱりだ。
こうなると思ってたんだよな”。
ハズレを選んだ人の弁です。
“どうしてうまくいかないのかなあ?”
妙な反省をするとますます直感力が鈍くなっていきます。データや他人の声が気になり始めます。ネットという便利な道具も登場しました。そしてますますアタリから遠ざかってしまうのです。
直感力と右脳の関係を饒舌に話してくれた人がいます。
“右脳を開発するといいよ云々”。
なるほど彼の話は面白かった。でもその人がFXでいつも損をしているのはなぜ?(笑)。
“直”に“感”じているのはアナタ自身です。そういうアナタの皮膚感覚に素直に生きてみる。背いたり後悔したりはしない。そういう生き方をしている人の直感が実はいちばん当たるのではないか、私にはそんな気がしています。
私たちの体は宇宙から飛来した元素で構成されています。人間はみな宇宙の子です。東から登る太陽を素直に受け入れ、西に沈む太陽も素直に受け入れる。そういう宇宙の法則に逆らわずに真っ直ぐ生きる人。2者択一を迫られたり、決断を下さなければならないことをも楽しむ心の余裕のある人。そういう人の直感が実はいちばん当たるのだと思います。
今、アナタが家族、友人、恋人から愛されているのはなぜか? それは既にアナタ自身に最高の直観力が備わっているからなのです。
◆2010年12月14日
“政治信条をズバッと言う。
党には気兼ねしない。
50年後を見据えた独自の政策を打ち出す”。
こういう政治家を支持する人たちが増えるまでにはもう少し時間がかかりそうです。
国民を振り向かせるには飴とムチのバランスが肝要です。飴が9でムチが1。こうでなければ大衆を納得させることは難しい。これが現実です。
国民もバカではありません。苦味の飴ではないかと薄々気づいてはいる。それでも目の前に飴を差し出されると思わず手に取ってしまうのです。
“無駄遣いを減らします”。
飴の一例です。こういうフレーズが日本人には受け入れられやすい。“質素倹約”が日本人の心の機微に触れる言葉なのです。
日本が車社会になることを想定できなかったのは誰か?
似非の民主主義とホンモノの民主主義の違いを曖昧にし続けてきたのは誰か?
中国やインドの台頭を予想できなかったのは誰か?
国家の舵取りをしているのは政治家のように見えて実際には私たち国民なのだということ。このことに私たちは気づかなければなりません。
マニフェストに記されている飴を容易に口にして食べてみたら苦かった。こういう愚を繰り返す時代はもう終わりにしなければなりません。
政治家を批判することは大切です。もっと大切なこと。それは私たち自身のこれまでの姿勢を批判することです。見かけの飴に心を奪われてきたこと。物欲にまみれた生活を享受することだけに関心を向けてきたこと。このことを猛反省しなければならないのです。
“日々の生活さえ守られればそれでいい”。
大多数の人がこう考えている国はいずれは滅びます。私たち一人ひとりが社会にどう貢献できるのか? このことを真剣に考えることが未来の扉を開く唯一のカギだと私は思っています。
◆塾長日記2010年12月13日
●我が成すことは吾のみぞ知る
“人から好かれたい”。
こういう感情に翻弄される人生は辛いと思います。
“人から好かれたことがない”。
これも辛い。
“どうせわかってもらえない”。
これもまた辛い。
人にわかってもらいたい、認められたい、好かれたい。こういう欲求に心を奪われてばかりいる限り、心の平安が訪れることはない。私はそんな風に考えます。
アナタの人生の最大の理解者はアナタ自身です。人は自分にだけは嘘をつくことはできません。自身の心の叫びに耳を傾けてみるだけで自分がどう生きたいのか、何を為すべきなのかアナタには判るはずです。この声に蓋をしてはいけません。その瞬間に他人の評価ばかりが気になり始めるからです。辛い人生はこういうことから始まるのです。
人からどう噂されようが、どう評価されようがどんなことは今の時点ではどうでもいい。人はアナタの人格の断片だけを見て勝手に裁きを下しているだけなのです。そんな無責任な判断に一喜一憂する価値がどこにあるのでしょうか。評価に怯えることで本来の自分を見失ってしまうこと。これが人生最大の敵です。その時々の感情や思いつきで人は皆、好き勝手に発言するのです。
世の中の人は何とも言わば言え。我が成すことは吾のみぞ知る。(坂本竜馬)
他人の評価に身を任せるほど人生は長くはありません。大切なのは自分らしさをどこまでも貫くことです。アナタが行ったこと、いま行っていること、そして将来行うであろうこと。それらすべてのいちばんの理解者は他人ではなくアナタ自身なのです。
◆塾長日記2010年12月12日
●イントロで勝負する!
スピーチを成功させるための第一関門がイントロ (introduction) です。ここで失敗している人が実に多い。 イントロの役割はズバリ2つ、1つ目がテーマを提示すること、2つ目が注意を喚起すること (getting attention) です。
テーマを切り出すことに躊躇してはダメ。聞き手は飽きっぽいものなのです。即座にテーマを提示して本題に入る。これが王道です。
注意を引く工夫はもっと大切です。胸ポケットからハトを出すのは無理だとしても、これくらいのインパクトが必要です。具体的には、 .
① 聞き手に質問する:スピーチのほとんどは肯定文です。これが聞き手の睡魔を誘います。そこで、イントロで聞き手に質問を投げかけてみるのです。簡単にできる方法ですね。
② モノを見せる:何事も実物がベスト。テーマに関係のあるモノを聞き手に見せてしまうのです。視覚に訴えることで聞き手の注意を引く方法です。
③ 秘密を告白する:聞き手は告白に弱い。テーマに関する話し手の秘密、裏話を開示することで聞き手を釘づけにすることができます。
④ 笑い話:イントロに限らず笑いはスピーチの潤滑油。テーマに関する笑い話や失敗談を語ることで聴衆を引きつける方法です。
⑤ 数字を示す:具体的な数字を示すことで聞き手に注目してもらう方法です。その数字が意外であればあるほど効き目がある方法です。
◆塾長日記2010年12月11日
●相手の顔が思い出せない?
初対面の人との名刺交換。
“初めましてドウモドウモ”。
翌日、名刺を整理していると、同じ名前の名刺が出てきてビックリ。
挨拶した人とは先週会ったばかり!
こんな笑い話を生徒さんが披露してくれました。相手の人も彼の顔を覚えていなかったのでしょうか?
渡す方も渡される方も緊張するのが名刺交換です。名刺を渡すことにエネルギーを使いすぎると、相手の顔を忘れてしまいます。ありがちですね。
名刺を交換するときに頭を下げて挨拶をします。これが盲点です。目や顔を見ないまま儀式が終了することも珍しくありません。
相手から名刺を渡されたら先ずは相手の名前を音読してみる。私が実践している習慣です。声に出して音の響きを確めてみるのです。
“いいお名前ですね”。
“珍しいお名前ですね”。
等々、ひと言添えて相手の顔を見るのです。これだけで相手は嬉しいもの。
笑顔を引き出したら、その表情を脳裏に記憶させる。無表情な顔よりも笑顔のほうが記憶に残りやすいものです。
名刺の裏には①会った日②場所③相手の服装、を必ずメモします。その夜には名刺を見ながら相手の”笑顔“を思い出します。何事も復習が大切なのです。週末には集めた名刺を机に並べて総復習。ほんの5分で終わる作業です。
その人と次に会った際には自分から声をかける。相手よりも自分が先に挨拶をする。
こんな習慣が仕事以上に大切なのです。
◆塾長日記2010年12月10日
●夜の街の私
日頃は指導をする立場の私が接客される立場に立つ。福澤先生は日頃どんな心境でお酒を飲んでいるのでしょうか。 括弧の中が私のホンネです。
① “背がお高いですね~”。
“ええ”。→“(ああ、またか。他に言うことないのかなあ?)
私の靴を見て、
“あっ・凄いっ。大きいっ。履いてみていいですか?”
と言った人がいました。初対面で靴を話題にするとはお見事。新鮮なトークに◎。
②“おモテになるでしょう?”
“いやいや・それほどでも”。→(味気ない会話だなあ。俺の返しもイマイチ)
“モテるよ”と言っても白けそうだし“モテない”と言うのも悔しい気がする。だからついつい味気のない返答になってしまう私です。“父子家庭です”というと“凄いっ”との反応が。なぜ凄い? 意味不明な反応に◎
③ “ガイジンさんみたいですね。ハーフですか?”
“純粋な日本人ですよ”。(ほめてるつもりなのかなあ?)
顔立ちがチョッピリ日本人離れしている福澤です。面倒なので最近では
“カメハメハ大王の親戚だ。”
と言うことにしています。真に受ける人も多い! すぐ信じる人に◎。
④ “どんなタイプがお好みなんですか?”
“優しいひとかな”。→(こういう陳腐な質問をしない女性がタイプなんだよなあ)
ウケを狙って
“すぐ誘いにのる女性。”
って言ったら皆さんドン引き。会話が中断してしまったことがありました。巧い返しだと思うんだけどなあ。そんな自分に◎。
結局、私が場を盛り上げることになるのです。帰宅する頃には自分がグッタリしてしまいます。昼間も喋って夜も喋る。天命なのかなあ? ほんとうは私は無口なんだけど。→(誰も信じてくれない)
◆塾長日記2010年12月9日
●愛する人に誓ったこと
“事情が変わればおのれも変わるような愛、
相手が心を移せばおのれも心を移そうとする愛、
そんな愛は愛ではない。
とんでもない。
愛は嵐を見つめながら、揺るぎもせず、
いつまでも、しっかりと立ち続ける灯台なのだ。
すべての小船をみちびく星なのだ。
その高さは測れようとも、
その力を知ることはできない”。(Shakespeare)
文学のセンスがまったくない落第生、シェイクスピアの言葉がまったくピンとこなかったのが30年前の私。 そして今、書斎で独り、私はこのシェイクスピアの言葉を再び読み返しています。言葉の意味が少しだけ、ほんの少しだけわかってきたような気がします。
今にも崩れそうな軟な絶壁に佇むちっぽけな灯台。
激しく燃える生命の輝きからは程遠い、
小船を導くどころか、自分さえも導ききれない無力な灯台。
嫉妬、嫉み、驕り、物欲に惑わされ続け、“しっかりと立ち続ける灯台”からは程遠い今の自分。ああ、何と恥ずかしい人生なのでしょうか。
自分の人生が終焉に近づいたとき、このシェイクスピアの言葉に大きくうなずくことができる人生、そんな人生をおくることを私は愛する人に誓いました。
◆塾長日記2010年12月8日
●恋愛のINGって?
“福澤先生! 恋のアイ・エヌ・ジーってご存知ですか?”
宮崎先生から突然の質問です。正解は “Feeling & Timing & Happening.”
なるほど! そんな気がしてきました。
弁塾では“3分割法”を使ってスピーチの練習を行います。“3分割法”とはモノゴトを3つに分類して説明する方法です。
“複雑なことは簡単に!
簡単なことは面白く!”。
これがスピーチの鉄則です。複雑で難しそうなことには誰も耳を傾けてくれません。無理やりにでも3つに分類することでシンプルな説明が可能になるのです。
スピーチはときに、理屈よりもシンプルさが功を奏すことがあります。リズムを刻んでサーッと説明しちゃう、そのスピード感がスピーチを分かりやすいものにしてくれるのです。
宮崎先生は“恋のアイ・エヌ・ジー”というフレーズで私の関心を引き、“三分割法”で見事に聞かせスピーチを行いました。リズムが良いから聞き手もそんな気になってくる。お見事です。たしかに恋にはフィーリングもタイミングもハプニングも大切ですよね。
“恋のINGはFeeling & Timing & Happening”.
プライベートでも使えそうな気がします(笑)。
◆塾長日記2010年12月7日
●美食家はスピーチ上手?
目がキラキラと輝いている人は心も輝いているように見えてきます。こういう人はスピーチで得をします。内容が乏しくてもついつい聞き惚れてしまうのです。目から発する印象は想像以上に大切です。
“旬(しゅん)のネタを瞬(しゅん)時に掴み、春(しゅん)の気持でいざ出陣”。
話し手自身がワクワク・ドキドキできること。これが春(しゅん)の気持です。こういう気持は聞き手に伝わります。“目で語る”ことができているからです。
“The eye is the mirror of the soul”
(目は口ほどにものを言う)。
心の中の真実はなかなか隠せないものです。
人前で話すのは苦手。
でも仕事だから仕方がない。
こういう思いでスピーチやプレゼンをしてもなかなかうまくいきません。
目の輝きをアップさせるには夢中になることを見つけること。これがいちばん大切です。興味のあることに集中すると瞳孔が開いた状態になるからです。
アメリカの心理学者E.H.Hessの実験は有名です。女性のヌード写真を男性に見せると瞳孔が20%も開いたそうです。
私は生徒さんを積極的に食事に誘います。“美味しい”と生徒さんが叫んだその瞬間の目の輝きを私は自分の脳に刻み込みます。この“データ”が指導に役立つのです。
美味しい食事と楽しい会話をしているときのアナタの目はキラキラと輝いているはず。
スピーチを成功させるヒントは実はこんなこところに隠されているのです。
◆塾長日記2010年12月6日
●出だしの18秒が勝負
“わかりづらいとは思いますが・・・”。
日常会話であろうとプレゼンであろうと冒頭がこれではダメ。ややこしい話や難しい話はできれば聞きたくない。これが聞く側の本音でだからです。
“わかりづらい”、
“難しい”、
“複雑だ”、
“厄介だ”。
これらのネガティブ・ワードはバッサリと切り捨てましょう。
最初の18秒が勝負です。話し手に対するイニシャル・イメージ (Initial Image) は瞬時に形成されてしまうのです。
“分かりやすいですよ、楽しいですよ。”
という雰囲気をどれだけ伝えることができるか。これができれば聞き手の印象はグーンとアップします。
ときには謙虚さを表出する枕詞も大切ではあります。しかし謙虚さだけでは人を動かすことはできないのです。相手の気持がホットなうちに本題に入りエンターテインする。この姿勢が謙虚さ以上に大切な要素です。
難しいは話をさらに難しく説明する人の代表格。それは大学教授でしょうか。居眠りしてしまう学生を非難するのは的外れです。
“すべての責任は話し手に有り”。
これがスピーチコミュニケーションの根本思想だからです。
“難しい話は分かりやすく。分かりやすい話は面白く”。
こんな感覚が身についた人。それが一級弁士なのです。
◆塾長日記2010年12月5日
●嘘をつくとき女性は・・・
“変なもの食べてないでしょうね。
お母さんの目を見てごらんなさい!”
我が家では駄菓子の買い食いは禁止でした。私が小学校の頃の話です。
ある祭りの日、私は禁を破ってワタ飴を食べてしまいます。隠れて食べたつもりが嘘は簡単に見破られてしまったのです。
どうしてバレテしまったのだろう?
母ちゃんは何でも見抜いてしまうのか?
当時の私にはそれが大きな疑問でした。
人は嘘をついているときは相手の目を見ることができません。ついつい目をそらしてしまうものです。福澤少年の目線はキョロキョロしていたのでしょう。
さて、これらの“定説”を覆したのが心理学者のエクスライン(Julie Exline)博士です(Stony Brook University)。
“嘘をつくときに男性は嘘を隠そうとして視線をそらす。
女性は相手を見つめることで嘘を取り繕おうとする傾向がある。”
実に衝撃的です。これが本当なら大変なことになります。なぜか?
男の私は毎日女性に騙されていることになるからです。
痛っ!
◆塾長日記2010年12月4日
●ある生徒のつぶやき
“地位も名誉もお金も手に入れました。
でもスピーチだけは苦手なんです。
努力はしました。
人並み以上、いや、それ以上の努力をしたつもりです。
それでもダメなんです。
スピーチ以外のことであれば大概のことには自信があります。
でもスピーチだけはどうしても巧くならないんです。
これまで多くの先生方に指導をしていただきました。
言われた通りの勉強を一生懸命したつもりです。
継続することの大切さも心得ているつもりです。
継続して頑張った。
そして、福澤先生、私は今63歳になってしまいました。”。
こういう切実な声を目の当たりにすると身が引き締まります。
“平凡な才能”に恵まれた私自身、かつては話し下手な少年でした。今でも自分が饒舌だとは思っていません。
私がスピーチが上手なのだとすれば、それは単にスピーチ・コミュニケーションの体系を学問的に修め、同時に実践トレーニングを積んだから、この1点に尽きるのです。
大切なのは正しい方法で勉強をすること。学問は私たちを裏切ることはありません。
日本はスピーチやコミュニケーションの分野の研究が遅れています。日本人が自信を持って生きていくためには、この学問を避けて通ることはできません。
◆塾長日記2010年12月3日
●赤いドレスの女
魅力的な女性の写真の背景色だけを赤、白、灰、緑に変え、それぞれ4枚の写真を男性に見せる。男性たちが選んだのは何色の写真?
赤いシャツを着た女性と青いシャツを着た女性の2枚の写真。男性がデートに誘うのはどちらの女性?
女性をデートに誘う場面を想定させる。男性がお金を使う気になったのは何色の女性?
ニューヨーク州Rochester大学のAndrew Elliot教授らが行った実験結果が“The Journal of Personality and Social Psychology”に発表されました。その結果は赤でした。男性から見ると赤いドレスを着た女性がhotに映るようです。
“女性が男性に対して抱いてきた印象、つまり男は性の領域ではケモノになるという考えが裏付けられた。女性には思慮深さと洗練さをもって接していると男性は考えようとする。しかし男性の女性に対する好みは少なくともある程度までは原始的であるようだ”。
教授の実験結果はスピーチ理論とも噛み合います。赤とは情熱、エネルギー、興奮、生命をイメージする色。服装に赤の要素を取り入れることはスピーチの常識です。“赤い人”のほうが躍動感を演出できる。だからスピーチでは赤を取り入れることが鉄則なのです。
初対面の際には私自身、赤を意識します。赤の柄・色がデザインされているネクタイを着用するのです。 赤いスーツは持っていませんが(笑)。
弁塾のトレードマークは赤いダルマです。ダルマ自体に深い意味はないのですがおそらく私の無意識下で選んだ色、それが赤なのだと思います。
◆塾長日記2010年12月2日
●パンツをはいたサル?
スピーチとは“魂の叫び”をコトバを使って表現すること。オバマ氏のスピーチを聞けばこのことが大袈裟ではないことがわかります。日本の中学レベルの英語でアメリカの政治、世界の平和について語れてしまう。これぞスピーチの醍醐味です。
日々、指導していて感じること、それは明確な主張(claim)を持っていない人が意外に多いということです。
“言いたいことはあるんですけど・・・。
なかなかコトバにならないんです”。
コトバにならないのですから伝わらないのは当然ですね。
”言いたいこと“の欠片 (fragment)を頼りに生徒さんの脳をツンツン突いてみます。脳を刺激するのです。使うのは目には見えない(invisible)心の針。この針が指導の重要な道具です。この作業のことを私は”知的尋問“と呼んでいます。
“知的尋問”は数時間続くこともあります。そしてひとつの結論に達します。
“言いたいことがなかなかコトバにならない”。
こう悩んでいる人の多くは初めから明確な主張を持っていないのだということ。
この気づきは衝撃です。思わず泣き出してしまう人もいます。
自分が動物並みの発想しか出来ていないのだ。
自分はパンツをはいたサルなのだ。
このことに気づいた瞬間に、人は大きく成長します。
これでスピーチをする準備が完了です。
◆塾長日記2010年12月1日
●迷いを打ち砕く
“迷ったら3日待て。
3日後に、やろうと思ったらやめてみよ”。
生前、父がよく口にしていた言葉です。矛盾したような教訓 (lesson) ですがこれが私の五臓六腑にグサリと刻まれています。
人生に迷いはつきものです。迷った挙句、
“よ~し。やるぞ~”。
こう心に決めたら、
“やめてみよ”。
これが父の言葉の不可解なところです。これでは前に進むことはできません。迷ったら一体どうすればいいのでしょうか。
父独特の迷いの法則。それはつまり、
迷いが生じた時点で行動する価値がない、
あるいは事がうまくいかない可能性が大だということです。
迷いの根源は邪念です。
あるときは金銭の問題、
あるときは面子や見栄、
またあるときは虚栄 (vanity) 、
それが邪念の正体です。それらを天秤にかけ数日考えてみる。すると邪念の気持ちはミルミル増幅し、
“やってみるか。”
といいう結論に達するのです。そして失敗する。しかもその多くは大失敗 (blunder) であることが多いのです。
迷った時点で“やらない”という選択肢が賢明なのだ。これが父の意図したことだと私は解釈しています。地獄と天国を何度もくぐり抜けた父の人生訓です。
◆塾長日記2010年11月30日
●映像+ドリル?
“映像だけじゃ何かが足りない気がするんですが・・・”。
スタッフのこんな言葉に少しムッとした私です。
『動画de弁塾』の意図、それは皆さんに弁塾を気軽に体感していただきたいということです。
見るだけで参考になること、
だれでも実践できること、
短時間で身につけることができること、
この3点が動画配信の意図です。
“何かが足りないのでは?”
このコメントがきっかけで生まれたアイデアがドリルでした。たしかに、勉強したらドリルが必要ですね。
頁の中央に『チェック』のコーナーを設けました。これがドリルです。2択問題で計5題、これができれば“卒業”です(笑)。遊びの感覚を取り入れた仕掛けを作成していますのでもう少しお待ちください。
以下、年内の配信スケジュールとタイトルです。
2010年12月02日 『しゃべるな』
2010年12月06日 『18秒で運命が決まる』
2010年12月09日 『声は鍛えるな』
2010年12月13日 『棒立ちのすすめ』
2010年12月16日 『ユニティーとは?』
2010年12月20日 『それから君って』
2010年12月23日 『こんなフレーズはいらない』
2010年12月27日 『アナタのその手が邪魔なのよ』
2010年12月30日 『???』
◆塾長日記2010年11月29日
●葛藤
『動画de弁塾』の配信が無事スタートしました。
“そのままの私を配信する”。
このことに抵抗がなかったと言えばウソになります。
オシャレをしたり、
着飾ったり、
髪型を整えたり・・・。
私なりに見栄を張りたい気持ちもありました。
品行方正を演じること、
人畜無害を演じること、
いい人を演じること。
そうすればするほど、本来の私からどんどん遠ざかってしまうのです。これでは動画を配信する意味がありませんね。
私がいちばん不安だったのは、体重です。手術後はとくに激しい運動ができませんでした。体重はミルミル増え、アンパンマンのような顔になってしまったのです。
もう少し痩せてから・・・。
動画はなくても・・・。
無料で配信するのは・・・。
こうやって先延ばしにすることで得ることは何もありません。
小さな葛藤ですが、そういった紆余曲折を経て本日の動画発信に至ったのです。
◆塾長日記2010年11月28日
●そのままの私を配信する
明日から『動画de弁塾』の配信を開始します。
“ライブでの指導をどうやって映像に活かすか?”
これが長年のテーマでした。
“映像での指導は難しいかな・・・”。
こんな不安を一掃してくれたのがTJ塾長の言葉でした。
“Show yourself as you are.”
(あるがままの自分を示せばいい)
たしかにこれがいちばん素直で自然な発想ですね。等身大の私をそのまま映像で配信すればいいのです。
“アレも言いたい。
コレも言いたい“。
こういう発想をするといつまでたっても映像は完成しません。1回の映像を3分程度にまとめ、速習が可能な内容になっています。
言い直し等も編集はせずに、あえて
“そのままの私”
を再現しています。
当面は月曜、木曜の週2回の配信、近い将来には毎日更新を予定しています。課金はされませんので、どうか気楽にご覧ください。
◆塾長日記2010年11月15日
●中国の悲劇
孔子の中心的思想として知られている“仁”。
“仁”とは元々、人と人が親しむことを意味します。孔子が言いたかったこと、それは
“仁”、つまり人を愛することを最高の道徳とし、
“徳”を以って民を導き、
“礼”を以って民を治めることだったはずです。孔子の思想は弁力にも通ずるところがあります。
今の中国に孔子は存在しません。経済の超急成長の背景に潜む度を越した歪(distortion)。想像を絶するほどの衛生管理不備の問題です。
“仁”の代わりに“金”を最高の道徳とし、
“金”を以って民を導き、
“金”を以って民を治める、
これが拝金主義が生み出した今の中国の現状なのでしょうか。
レストランで使用される紙ナプキンに大腸菌や結核菌、肝炎ウィルスが含まれていたという報道は誇張ではありません。
中国人の友人が放った言葉が私の脳裏に焼きついています。
“お金持ちになれば
不衛生なレストランになんか行かなくても済むわ。
高級レストランやホテルを利用すれば済む問題よ”。
◆塾長日記2010年11月14日
●子どもたちを鼓舞・激励する
スピーチは主に
①情報提供型、
②説得型、
③行動に訴える型、
の3つに分類されます。
話し手にとって扱いが最も難しいのが実は情報提供型です。聞き手がその情報を欲しているかどうか、これが第1のポイントです。聞き手は自分が欲している情報には敏感に反応しますが、興味のない情報には無頓着(indifferent)です。
第2のポイントは、その情報が聞き手にとって重要な情報なのかどうかという点です。この2点を満たして初めて情報提供型のスピーチが成り立ちます。どちらが欠けても聞き手を満足させることはできません。
学校や塾での授業は情報提供型だと考えられていますが、果たしてそうでしょうか。モチベーションの高い“ガリ勉君”を除いて、教師が発信する“情報”に子どもたちは無頓着なものです。
授業を情報提供型から説得型、行動に訴える型に変えてみる。鼓舞・激励するスタイルに変えてみる。
これこそが今の子どもたちにピッタリの授業スタイルなのではないでしょうか。
◆塾長日記2010年11月13日
●服装は誰のため?
“服装は自分より相手のため。
服装で相手の態度も変わる”。
メイ牛山さん(故人)の言葉です。スピーチ理論のツボをズバリ言い当てています。一流の人生を歩んだ人はどこまでも一流なのですね。名言です。
“こんな話がしたい。
あんな話がしたい。”
スピーチであれ日常会話であれ、話をするには相手が必要です。話を聞いてくれるだけで、実はかなり有り難い状況なのです。それを最大限に活かすことができるかどうか、このことでスピーチも人生も大きく変わります。
聞き手に最大限の敬意を払える人。こういう人は服装や髪型にも自然と気合が入ります。言葉の選択にも敏感になりますし、丁寧にもなります。
服装は自分のため以上に相手のためでもあるのです。
◆塾長日記2010年11月12日
●イギリス英語の原型は?
“汚名を晴らす”が間違えだとは知りませんでした。正しくは“汚名をすすぐ”だとか。言葉は奥が深いですね。
文化庁の国語世論調査の結果が発表されました。こういう報道がなされる度に英語教育がヤリ玉にあがります。英語よりも母国語が大切だという説教です。
言葉や文法は時代時代で変化します。
“イギリス英語は気品がある”。
などとバカなことを言う人がいます。300年前のイギリス人は今のアメリカ英語を話していたのです。
大半の人が使っている表現あれば、それは許容(acceptable)範囲。こういう考え方でもいいような気もします。
高校時代のことです。授業中に”truck”という単語が入った英文を訳しました。私は
“トラックが…”
と答えました。でも、
“チャンと訳しなさい!”
と叱られたのです。
どう訳せばいいのか聞き返しました。先生は、
“貨物自動車だ!”
と説明、教室は爆笑の渦でした。
誤りの氾濫は正さなければなりませんが厳しすぎるものも問題です。寡黙な日本人がますます寡黙になってしまいます。
言葉はあくまで意思疎通の手段(means)であって、それ自体目的(end)ではないのです。主役は人自身なのですから。
◆塾長日記2010年11月11日
●ホール博士と尖閣諸島
生き物には個体独特の縄張(territory)りがあります。人にも心地良いと感じられる距離があり、その距離が侵されると本能的(instinct)に不快を感じます。
近接学(proxemics)を体系化したのがホール博士(Edward.T.Hall)です。
博士は人がコミュニケーションをする際の距離を“親密距離”、“個体距離”、“社会距離”、“公衆距離”に分類、その特徴を説明しています。
“親密距離”とは抱擁(embrace)、接触、囁き(whisper)などが可能な距離(15cm~45cm)で、恋人などの特定の間柄でない限り近づくと不快感が伴います。
“個体距離”は普通の友人、
“社会距離”は知人、
“社会距離”はスピーチで保たれる距離と考えれば分かりやすいと思います。
文化や性別なども保つ距離に影響を与えます。
ラテン系の人は個体距離が小さく、北欧では逆に大きくなるようです。
親密だと思っていても相手がそう思わなければ摩擦(friction)が起るのも当然です。
尖閣諸島の問題を重ね合わせて考えると・・・。
◆塾長日記2010年11月10日
●日本と語学学習
“美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ”。
元文科相の伊吹文明議員の発言です。
物事には相乗効果(synergy)があります。
英語を学習することによって、私自身、より日本語を大切にするようになりました。外国から日本を見ると真の日本が見えてくることもあります。外国語を勉強するとはつまり外国の文化に触れることです。世界の多様な文化・習慣に触れることは日本を見つめることにもつながるのです。これが外国語教育の大切な所以です。森鴎外は『日本回帰』という言葉で説明しました。
美しい日本語が書けることは大切です。しかし、これが外国語の学習を否定する理由にはなりません。両方やればいいのです。
小学五年生はダメで中学からはOK?
なぜ?
“英語は日本人には不要だからすべて取っ払え!”
こうとでも言ってくれれば議論のし甲斐もあります。
私自身、英語の学習は中学からでも間に合うと思っています。ただ、これだけグローバル化がすすむ時代に外国語に触れる機会をあえて否定しようとする人たちの意図はどこにあるのでしょうか。
政治家のご子息の多くが語学留学をしている姿に矛盾を感じないわけにはいきません。
◆塾長日記2010年11月9日
●いじめと村社会
残業を断ったことがきっかけで上司から執拗ないじめ(bully)を受ける。
上司はささいな事で怒鳴りつける。
始末書や反省書を書かせ、
他の社員も同調、
彼を行事から締め出す。
朝晩の挨拶はなし。
大手企業に勤務する社員の裁判での告白です。
いじめに批判的な態度を取ることが理由で、いじめられる場合もあります。標的にされるのを避けるため皆でいじめに加担することになります。多数の傍観者の壁に守られ、いじめはさらにエスカレートするのです。
日本の企業社会に蔓延(prevalent)しているいじめ。社員間の熾烈な競争と構造的ないじめによって利益を上げていく村社会がそこにはあります。オモテの仕組みとしての競争とウラの仕組みとしてのいじめによって日本の企業が貫かれているとすれば事は深刻です。
いじめにまつわる教育現場での事件が報道されています。メディアに学校や先生を非難する資格はありません。ワイドショー自身がマイクという武器を用い、弱い立場に置かれた者をいじめているのですから。
子どもたちは大人を見て育っています。私たち大人がそのことに気付かない限りいじめがなくなることはありません。
◆塾長日記2010年11月8日
●聞き手を非難する?
息子のピアノの先生から電話がありました。電話をいただくときは必ず息子が何か“やらかした”時です。
“家では上手に弾けた!”
こう言い張る息子と
“ココ(先生宅)で弾けなければ意味がない”。
と説明する先生が言い合いになったようです。
私が驚いたのはこの対立ではありません。息子が
“強情(obstinacy)すぎて困ってしまう”。
という発言に驚いたのです。
自我に目覚めた少年が多少の反抗(resistence)をするのは当然です。何でもハイハイではそのほうが恐ろしい。
教師の先生の仕事とは何なのか?
強制力の欠如を棚に置き、
ストレスの矛先を親に向けるのではプロとは言えません。
"素直なお子様“を誘導するなら素人でも出来ます。子どもの性格をプロの眼で見抜き、その子にあった指導をする、これが指導する側に求められるコミュニケーションの能力です。
”話し手自身がコミュニケーション上の全責任を負う“が弁力の大前提です。
ルーカス(Lucus)教授の
“弁力の無い話し手ほど聞き手を非難する”。
が思い起こされます。
◆塾長日記2010年11月7日
●モノを売る仕事
モノやサービスを売る人にとって弁力は最大の武器になります。
飛び込みの営業の方に私はまず
“特徴を3つあげてください。”
と聞くことにしてします。営業マンの弁力はおおよそ把握することができます。以下、典型的(typical)な返答パターンです。
①言葉につまる人
②特徴とは無関係の話をする人
③特徴が3つにまとまらない人
④他社の批判をする人
⑤延々と列挙して話が終わらない人。
特徴を3つ説明できる人が少ないのには驚かされます。
いちばん多いのは⑤のパターンでしょうか。アピールしたい気持は分かるのですが聞き手を飽きさせては逆効果です。
①のパターンの人は完全な勉強不足です。営業のプロとしては失格です
②や③のパターンの人はトレーニングをすれば伸びる可能性があります。
3つの特徴を上手に説明できる人ほど接客や服装の面でも秀でています。弁力の水準が一定に達している人は全ての面で秀でています。
意地悪(mean)な私の質問にもニコニコ顔で対応できる人。そういう人とは契約するようにしています。
◆塾長日記2010年11月6日
●エンスージアズムとは?
..“あの人の話って説得力があるよね”。
こんな人はエンスージアズム(enthusiasm)に満ち溢れています。
本気でそう思っているのか?
真剣か?
このことによって伝わる度合いは変化します。 それがエンスージアズムの正体です。
“熱気”、
“情熱”、
“ヤル気”
“エネルギー”
というコトバで言い換えられると思います。
説得とはコトバを羅列する作業ではありません。
単なる伝達 (transmit) 作業でもありません。
聞き手との共感(sympathy)を呼び込む作業です。エンスージアズムは、だから、話の組み立てやロジック以上に大切な要素なのです。
エンスージアズムは十人十色です。元気溌剌なものもあれば、静かで穏やかなものもあります。自分自身のエンスージアズムを素直に、そのまま表現すればいいのです。
コトバ自体が稚拙であったとしても、
スピーチのハウツーが身についていなくても、
エンスージアズムさえ表現されれば、話し手の気持ちはかなりの部分が伝わります。これがコミュニケーションの本質なのですから。
◆塾長日記2010年11月5日
●“娘に何の用ですか?”
オヤジ越え。
この関門を通り抜けない限り、ガールフレンドとのコンタクトは叶わない。
私が学生時代の話です。娘のボーイフレンドから電話がかかってくると日本の“オヤジ”はなぜだか機嫌が悪いのです。
“娘は留守にしています!
ガチャン”。
こんなのアタリマエ。
“娘に何の用事ですか!”
低い声でこう囁かれるとタジタジです。
“バカ野郎”
と言われて電話を切られたこともありました(笑)。
当時の私にとっては“オヤジ越え”は高いハードルだったのです。
思えば相手のお母様はやさしかった。
“こうちゃん、11時頃だったら大丈夫よ”。
携帯電話がない時代に、こう言われるとホイホイ電話をしてしまうわけですね。
するとその日に限って酔っ払った“オヤジ”さんが電話に出たりするわけです。
“コラ、お前!”
ですよ。実にタイミングが悪いっ。
こんな時代ですから相手のガール・フレンドが電話に出てくれた夜はもうアドレナリン大放出。嬉しさのあまり朝まで話し続けたこともありました。
さて、携帯電話がある今では“オヤジ越え”は不用です。
内閣府の調査によれば「恋人がいる」「過去にいた」と答えた258人のうち、男性の53.1%、女性の44.6%が携帯電話に絡む被害を経験していというから驚きです。
“オヤジ越え”よりも新種の“携帯DV”の方が根が深い?
◆塾長日記2010年11月4日
●ダラダラのススメ
子どもに勉強をさせるにはどうしたらいいのでしょうか?
電話相談でよくある質問です。
“長時間ダラダラ作業させる”。
これが私の結論です。
ダラダラ”では効果がないのでは?
長時間はチョット?
短期集中させたほうがいいのでは?
私の考えに対する反応は様々です。
シンクロの選手は一日10時間以上、水の中で“生活”します。栄養補給も水の中で行います。何事もドップリと水に浸かる(immerse)ことが大切なのです。
時間は集中に勝ります。
“1時間集中”
よりも
“10時間ダラダラ”
が勝るのです。
勉強とはある種の“作業”です。子どもには書き込み式のドリルで“作業”をさせるのが効果的です。6年生であれば5年生向けのドリル、5年生であれば4年生のドリル、というふうに気楽に解ける喜びを感じさせる。ココがポイントです。
作業がすすめば自ずと集中力も身についてくる。1冊のドリルを1日でやり終えた子どもの目は輝いています。
この法則は大人に仕事をさせるときにも当てはまります。
◆塾長日記2010年11月3日
●違い?
エスノセントリズム(ethnocentrism)とは、
“自分が育ってきた文化を基準に
他文化を否定的に判断したり
低く評価したりする態度”。
のことです。日本語で『自民族中心主義』、社会進化論者ウィリアム・G・サムナー(William Graham Sumner)氏の造語です。
島国、農耕民族、村社会、鎖国。日本はこれらのキーワードをすべて満たしています。こういう国が最もエスノセントリズムに陥りやすいとは実に深刻な問題だと思います。
私が青い目のガイジンに“遭遇”したのは9歳のときでした。カリフォルニア州サクラメント出身の青年です。生まれて初めて目の前で見るアメリカ人。髪はブロンド、瞳は青、カタコトの日本語を喋る穏やかな性格の先生でした。
私が彼から学んだこと、それは“違い”です。
日本とアメリカは“違う”ということ。
日本語と英語は“違う”ということ。
このことが私の人格形成に大きな影響を与えたような気がします。
“日本が、
日本人が、
国家として、
個人として、
あるいは日本民族として、
他文化の人々を見下すことも畏怖することもなく、
あくまで対等な立場で毅然とお付き合いしてゆく術を身につけていかなければならない”。
かつての英語学校NOVAの文言です。
◆塾長日記2010年11月2日
●腹を侮るなかれ?
“腹を割って話す”。
文字通り(literally)に解釈するとチョッピリ怖い表現ですね。
日本語には“腹”を使った表現が多くあります。
“腹がすわっている”、
“腹に収める”、
“腹をさらけ出す”、
“腹にしまう”、
“腹黒い”等々。
日本語の世界は“腹”だらけです。
人間の行動を制御しているのは脳であること。生理学的にはこれが正しい解釈です。でも私は心の中枢が脳だとは思っていません。脳で話すよりも“腹を割って話す”方が気持が伝わるような気がするからです。“腹”を侮ってはいけません。
私たちの祖先は精神の中心が“腹”にあると考えました。私はこの考えを大いに支持したいと思います。ヘソの裏側あたりに群がる無数の神経の先端。放射線状にヘソをとりまく形になっています。
“生命の総司令部は脳だ。
でも、最後の決め手は腹にある!”
こういう考え方でもいいのではないか。私にはそんな気がします。
皆さんはどうお考えになるでしょうか。
◆塾長日記2010年11月1日
●日本の国際化
今から26年前、初めて渡米した私はサンフランシスコの書店で1冊のスピーチ本に出会いました。
“スピーチのトレーニング法には一定の法則がある”。
この事実を知らされた衝撃は今でも鮮明に覚えています。
スピーチは生まれ持った能力ではないこと、
成功させるには秘訣があること、
秘訣とは奇抜なハウツーではなく、
自分自身の中に解決法があること。
こんなことが書いてあったと記憶しています。
スピーチ指導の分野ではアメリカは日本よりも数十年すすんでいます。それらのノウハウをできるだけ早く日本に移植し、話し方スクール全体の底上げをしたいと私は考えてきました。アジアの中ではインド、シンガポール、韓国が一歩も二歩もリードしています。
日本が真の国際化を図るには英語教育の本格化も急務です。英語の授業を英語で行うことに抵抗しているのは現場の“英語の先生たち”です。日本語で勉強したほうが分かりやすいというのは詭弁でしかありません。英語が話せない人が教壇に立っている状況はどう考えても理不尽だと思います。
◆塾長日記2010年10月31日
●善く生きるとは?
アリストテレス(Aristotle)の著作を息子のニコマコスらが編集した『ニコマコス倫理学』。ギリシアで初めて倫理学を確立した名著です。
万人の人生の究極の目的は、
“善く生きること”。
その実現には優れた倫理観が不可欠だと説いています。
今の日本社会では倫理観に優れている人よりも、頭のよい人、才覚に優れた人に目を向けます。善悪ではなく損得が価値判断になっているのです。
損得だけで生き方が決まれば
“正直者がバカを見る”
という考え方が蔓延する(prevail)のも当然です。昨今の経済事件の増加は歪んだ(distorted)日本の社会を反映しています。
2000年前と比べると、たしかに文明は進歩しました。
“善く生きること”に関してはどうでしょうか。
コミュニケーション能力に関してはどうでしょうか。
人と人の関係はどうでしょうか。
進歩どころか後退しているのではないかと思うだけで憂鬱な気分になります。
私をさらに憂鬱にさせること、それは私自身が“善く生きること”をいまだに模索中でいるということです。
もしかしたら、“善く生きること”を追求し続けることが“善く生きること”の正体なのではないか。こう考えると少しだけ気分が落ちつきます。
◆塾長日記2010年10月30日
●外から見た日本
ドイツ人医学者エルヴィン・ベルツ博士。温泉研究のため箱根・熱海・伊香保を訪問、『日本鉱泉論(明治13年)』を著しました。当時の日本政府に温泉場改革の提案を行った人物です。博士が著した『ベルツの日記』には西洋の文化を無条件に受け入れようとする日本人に対する手厳しい批判が記されています。
“不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。
それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。
「いや、なにもかもすべて野蛮でした」、
「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」
という日本人さえいる。
このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。
なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ”。
迷走する今の日本。ベルツ博士の言葉がズシリと響きます。
◆塾長日記2010年10月29日
●ヘンリー・フォードに学ぶ
V - 8エンジンを開発したヘンリー・フォード (Henry Ford) は部下を扱うプロだったといわれています。
“褒めまくること。
励まし続けること”。
これが彼の部下を操るテクニックでした。
このテクニックを普通の人が真似るとどうなるか? 何も起きないのです。
褒めたり励ましたりされて人が動くには一定の条件があります。
信頼している人、
尊敬している人、
好意を寄せている人。
こういう人物に褒められ励まされてはじめて人は行動を起こす。これが間関係のキモ中のキモです。
フォードの戦略をもうひとつ。それは彼が
“つきっきりで部下の面倒を見た”。
ということです。
時間を惜しまず時間無制限で愛情を注ぐこと。なかなか出来る芸当ではありませんね。
“将来を恐れるものは失敗を恐れておのれの活動を制限する。
しかし、失敗は成長に続く唯一の機会である。
まじめな失敗は、なんら恥ではない。
失敗を恐れる心の中にこそ恥辱は住む。”
(Henry Ford)
◆塾長日記2010年10月28日
●好きな人にはたまらないかも
レストランで美味しくない料理が出されたら、どう表現したらいいのでしょうか。
身内の会話であれば、
“わっ。何これ?”。
これでもOKでしょう。公的な食事会ではそうはいきませんね。
会食での出来事です。小皿の中に盛られていた食材は腐乳でした。豆腐を塩漬けにして発酵させたもので、調味料として用いたり、お粥に入れて食べることもあるようです。チーズに醤油をかけたような味がします。
私が思わず吐いた言葉、それは
“臭っ”。
チーズでさえ苦手な私です。とにかく臭いのです。これが偽らざる私の印象でした。
すると、ある女性がニッコリと言い放ちます。
“好きな人にはたまらないかも”。
この言葉には感心しました。実に品のある言い方です。
誰もが”マズイ“と思っていたに違いありません。そんな中、彼女の一言が重苦しい雰囲気を一変させたのです。
“そうそう、慣れれば結構イケルかも”。
“中華は奥が深いね”。
“福澤先生をイジメルには腐乳だね”。
等々、次から次へと模範解答が飛び交います。腐乳とお陰で会食は大盛り上がりでした。
“好きな人にはたまらないかも”。
覚えておいて損はないフレーズだと思います。
◆塾長日記2010年10月27日
●アメリカ人のメール
メールはビジネスの最重要ツールになってきました。弁塾にも毎日200通程度のメールが届きます。時候の挨拶から始まるものが多く、丁寧(polite)な文面が特徴です。手紙に似ています。
さて、アメリカからのメールは短さが特徴です。
その多くは3行以内で完結、中には1行だけのものもあります。時候の挨拶はなく、用件をズバリ述べているものがほとんど。日本とは大違いです。
肯定文で綴るのも特徴のひとつです。
“どうでしょうか?”
“如何いたしましょう?”
こういう文面は見たことがありません。
厳しい提案に対してはできない旨、ハッキリと返信してきます。条件(condition)をクリアーすれば可能だという内容のメールもあります。
休日(day off)の考え方も日本とは異なります。
“金曜日に有休を取るので、
返信は4日後になります”。
言語明瞭、即断即決が彼らのルールのです。日本のような情やゆとりは感じられませんが、仕事ははかどります。
顔の見えないメールはコミュニケーションの中では最も難しい部類です。アメリカ人には簡素なメールを送信して即、電話を入れるとスムーズに事が運びます。
◆塾長日記2010年10月26日
●日本はスピーチ先進国なのだ!
“Come to the point!”
(要するにどういうことなのか)
とアメリカ人が迫ると、
”I’m sorry.”
と返答した日本人がいました。
アメリカ人にとって日本人の思考回路はストレスが貯まることでしょう。
“日本人はバカだ”。
こう言うアメリカ人もいます。これが誤解であることは私たちがいちばんよく知っています。
日本人に主張が無いのではありません。“面子”に配慮しつつ自分の見解を述べることが日本流なのです。 このことがなかなか理解されないのは残念です。
意中の女性をデートに誘い、瞬時に断られ落ち込んでしまうアメリカ人青年。このことを例に私は“面子”の感覚をアメリカ人に説明したことがあります。
デートを断るにしても日本人は相手の“面子”を潰すことはしません。“イエス・ノー”よりも“人間関係”を優先させる日本文化、その美しさを説明するとみな大きく頷いてくれました。日本的な発想も説明すれば分かってもらえるのです。
“究極の弁力を身につけたければ日本に学べ!”
私がアメリカ人の前で力説していることです。弁力を通じて日米の架け橋になれれば、それは私にとって最高の喜びです。
今アメリカでは俳句が静かなブームです。言葉の中の曖昧さ(ambiguity)を楽しむ俳句。英語を話す人たちには新鮮に響くのかも知れません。
◆塾長日記2010年10月25日
●人は笑いに飢えている
欧米人はよくジョークを飛ばします。絶妙なタイミングで人を笑わせる彼らに私自身、劣等感を感じた時期もありました。
アメリカでの生活で私が知ったこと。それは彼らはジョーク集を買い込み、密かにネタを収集しているということです。あたかも今、思いついたようにジョークを飛ばすアメリカ人も、実は日頃から仕込みを行っているのです。
アメリカに限れば
“ジョークが上手い人=良い人”
という公式が成り立ちます。ジョークも言わずに価格交渉にだけ敏感に反応すれば大いに軽蔑されることでしょう。これがアメリカという国です。
日本人はジョークが下手だと言われますが、単に準備ができていないだけのことです。ユーモアのセンスがないわけではありません。
綾小路きみまろさんは既に一級弁士です。老いる悲しみや切なさを笑い一本で吹き飛ばしてしまいます。彼の舞台裏を紹介した番組がありました。仕込みには想像を絶するほどの時間をかけています。当然ですね。
人は笑いに飢えています。笑いを求め、お金を払ってまで会場に足を運ぶのです。
さて、大学生活で最も不満なのは講義だとか。ジャストシステムが発表したアンケート調査です。理想の大学教授は北野武さんでした。なるほど分かるような気がしますね。大学の講義に欠けているのはユーモアです。
◆塾長日記2010年10月24日
●ゆらぎのある声
理路整然と並んでいるものが少しズレルこと。これが“ゆらぎ”です。
ブザーなどの電子音には“ゆらぎ”がありません。音の波自体が機械的で振動数や周期が固定されているからです。一方、人間が弾いたピアノの音は手の微妙なゆれなどで“ゆらぎ”が生じます。人間味のある心地良い音色が生まれるのです。
人の声も同様です。
“f分の1のゆらぎ”は人々に快感を与えてくれます。“ゆらぎ”のある声を出すには
“意識して声を使う環境”
が必要です。日本では声を鍛える機会が少ないですね。本格的なスピーチ教育が遅れているからです。
声の出し方を一つの技術(art)としてとらえること。着実なトレーニングを積むこと。そうすれば誰でも“ゆらぎ”のある声が出るようになります。
声を生み出すのは声帯です。肺や横隔膜、唇、舌なども重要な役割を果しています。鍛えることにより声は確実に輝きを増します。退化の速度を遅らせることも可能です。
アナタの声はアナタだけのものです。アナウンサーのような声を目指す必要はありません。アナタという個性が“ゆらぎ”を演出してくれるいちばんの功労者なのです。
世界で一つだけの美しい声にさらなる磨きをかける。これがホンモノのボイストレーニングです。
◆塾長日記2010年10月23日
●銀座の母に学ぶ
“仕事が面白くない?
何だったらやりがいがあるの?
わからない?
アンタみたいな社員に給料払ってる会社も迷惑な話だね”。
銀座の母は叱ります。ガンガン叱って時にはポンポン頭もたたきます。相談に来た人たちはそれでも満足して帰っていきます。料金まで支払って。
銀座の母がウケるのは相談者たちが信頼感を寄せているからです。占いや手相はあくまでコミュニケーションの道具。主役はあくまで銀座の母その人自身なのです。信頼を寄せているその人に叱咤激励されたい。だからみな並んでまで足を運ぶのです。
部下の叱り方に悩む経営者は銀座の母から学ぶべきでしょう。
部下からどれだけ信頼されているか?
約束したことはすべて守っているか?
部下に気を配り安心して仕事に打ち込めるよう創意工夫をしているか?
いつも明るく朗らかでいるか?
部下の家族構成や記念日、誕生日をすべて暗記しているか?
模範となるべき倫理観と道徳心を持っているか?”
実践できているならば自信を持って部下を叱ってもよろしい。叱り方など十人十色です。ガツーンと叱ってあげればいい。迷う必要はありません。
信頼を寄せていない人からは、叱られることはもちろん、褒められることすら嬉しくは感じないものです。経営者たる者、自分の胸に手をあてて考えればどうすべきかは明らかだと思います。自戒の念も込めて・・・。
◆塾長日記2010年10月22日
●アナタの画廊
ここに1枚の絵があります。南国の風景を描いた絵です。この絵を模写してみる。オリジナルを忠実に再現してみる。さあ、仕上がり具体はどうでしょうか。どんなに上手に描いてもオリジナルを再現することはなかなかできませんね。他人の絵を再現することは難しいのです。
オリジナルの絵。
これが人が頭の中で考えていることです。自分で考えたオリジナルの絵、目では見ることのできない心の中の絵です。絵の様子を相手に伝える(encode)作業がコミュニケーションです。
心の中の絵を絵画で表現する人。これが画家。
心の中の絵を彫刻で表現する人。これが彫刻家。
心の中の絵を音楽で表現する人。これが音楽家。
心の中の絵を言葉で表現する。これが私たちの日頃の言語活動です。言葉を使う人は、だから、みな芸術家です。
芸術家も様々。レベルがあります。言葉の勉強は大切です。感性やセンスも試されます。語彙の豊富さ、常識、教養も大切です。
心の中の絵は他人にはよく見えません。その絵をどれだけ丁寧に再現することができるか。それが言語運用の能力(competence)です。
“とりあえず絵は描いた。
相手が見た。
そして理解を示した。
文句ある?”
殴り書きの絵をたくさん描いても人の心には届きません。乱暴に描けば描くほどそれは真のアナタから遠ざかってしまうのです。
乱暴に描くことはやめましょう。
丁寧に描きましょう。
上手に描けないからといって絵を隠すのもやめましょう。
アナタの画廊には今日もたくさんのお客様が訪問されるのです。
◆塾長日記2010年10月21日
●勘違い男
隣のテーブルから女性たちの会話が聞こえてきます。
“参っちゃうわよ。
アノ男、ちょっと優しくしたら勘違いしちゃって。
メルアド教えなければよかった”。
次から次へと繰り広げられる彼女たちのオトコ分析に笑い転げてしまった私です。
男とは愚かな(idiot)生き物です。女性のチョットした行動にも勘違してしまうのです。美人の受付嬢が笑顔を振りまいてくれるだけで妙な気分になってしまいます。誰にでも笑顔でいることが受付嬢の仕事のはず。そんなことはわかっている。それでも、
“自分だけに笑顔をふりまいている”
と、勘違してしまうのです。
”相談があるんだけどぉ”
この言葉にも男は勘違いしやすい。
“ヨッシャ~。
相談なんて言っちゃって。
実はオレのこと好きなんだなあ”。
女性から相談を持ちかけられるとどんな男でもソノ気になってしまうのです。
嫌いと言っても勘違い、ダメ出ししても勘違い。これが男です。
男は年中、勘違いをしています。だから男には勘違いをさせてあげればいい。それがいいオンナの“仕事”です。
男の奇妙なところ。それは彼らには自分が勘違いをしていることがわかっているということです。勘違いをしている自分に酔うこと。これが男がオトコとして生きる最高の精力剤なのです。
◆塾長日記2010年10月20日
●理解される日本を目指して
“先生は日本が嫌いなのですか?”
生徒さんからこう聞かれたことがあります。私が日頃、英語的感覚で日本を斬ることが多いため、このような質問をされたのだと思います。
婉曲的な表現法、遠慮、寡黙さ。このような日本古来の美徳(virtue)が将来的には、世界平和に寄与するだろうと私は考えています。問題はそれら日本的メンタリティーが、世界の人たちに理解されないままであり続けていることです。
言い訳はしない。
黙して語らない。
これが欧米人には、
“真実を隠している”。
“ウソをついている”。
と解釈されてしまいます。
日本語と英語の落差は想像以上に大きいのです。
“ガイジンには分からない・・・”。
これでは夢も希望もありません。無理矢理にでも私たちの考え方を世界の人たちに分からせなければならないのです。
英語が共通語である以上、英語的発想から逃れることはできません。だからといって、日本人であることを捨て去るわけにもいきません。状況は切実です。
私は日本が大好きです。日本が世界に理解されることに少しでも寄与することが私に課せられた使命だと考えています。
◆塾長日記2010年10月19日
◆言葉をフィットさせる
原稿を書く。推敲する。覚える。練習をする。そして本番を迎える。これがプリペアード・スピーチ(prepared speech)です。
原稿が用意されているのですから本人にはスピーチの展開がハッキリと見えています。このことがジェスチャーに微妙な影響を与えることになります。
“言葉に合わせて手を動かす。
そうしなければならない”。
こういう心理が働くと手の動きが微妙に早くなります。人によっては場合によっては遅くなることもあります。
完ぺきに話そうと思えば思うほど、スピーチは不自然な(artificial)なものになってしまうこと。これがプリペアード・スピーチで陥りやすい落とし穴です。
だからこそ、一旦完成させた(learn)スピーチを一度、壊してみる期間が必要です。アンラーン(unlearn)という作業です。アドリブで言葉を加えたり入れ替えたりする練習期間です。
アンラーンを行うことによってスピーチの言葉が体中に染み渡り、より自然なデリバリーで語ることができるようになるのです。
新調した背広やドレスを着ると体にフィットしません。これと似ています。言葉が体に馴染むまで少しだけ時間が必要なのです。
“原稿が出来上がったから大丈夫”。
そうではありません。
原稿が出来上がってからがプリペアード・スピーチの本格的な練習が始まるのです。
◆塾長日記2010年10月18日
●魔法の杖は磨いていますか?
考えていること(idea)を言葉に変換する作業、これがエンコード(encode)です。
どんな言葉を選ぶか、
どう組み合わせて表現するか、
どういう言い方をするか。
膨大な数の中から私たちは最も適切だと思う言葉を選択しています。だから、言葉に二言はないはず。
それでも私たちは、
“そんなつもりはなかったんです。
つい口が滑っただけですから”。
こんな言葉をしばしば口にします。発言を撤回する決まり文句ですね。
どんなに巧みな”釈明“を試みてみても、言葉を選んだのはアナタ自身です。口から出た言葉は偶然の産物ではありません。
選んだ言葉はアナタ自身を投影(reflect)しています。日頃考えていること、感じていること、その一部を言葉が映し出しているのです。
丁寧な人生をおくっている人ほど言葉の選択も丁寧です。
文法や尊敬語の問題ではありません。
学歴や社会的地位、経済力の問題でもありません。
熟慮を重ねた深みのある言葉が即座に使えるかどうかという問題なのです。
“ああ、面倒だ。
ややこしい考えはウンザリ。
もっと気楽にやろうよ”。
こういう考えも悪くはありません。
それでも私が力説したいこと。
それは、言葉の選択が億劫(reluctant)にならない程度の我慢と教養が大切だということ。言葉の選択はアナタの人生をより豊かにしてくれる魔法の杖なのです。
◆塾長日記2010年10月17日
●友情とは?
“Friendship is above reason, for, though you find virtues in a friend, he was your friend before you found them.”
(友情は理屈では説明がつかないものである。というのも、たとえある友人が立派な人間であったとしても、その友人が立派な人間であることがまだわからないうちに、すでに友人になっていたからである)
こういう英文を口ずさんでいると心が癒されます。日本語とは違った言葉の響きが心地よいのです。
“どうしてアノ人と友だちになったの?”
“わかんな~い。
気づいたときにはもう友だちだったんだもん”。
これが本来の友人関係の姿です。特殊な愛人関係とは違います。
人には友人をつくる能力がある。そういう能力を与えられてこの世に生まれてくる。だから、どんな人と友人になるかは天から授かった力(divine power)に身を任せるのがいい。これが英文の趣旨です。
“この人と友人関係を結んでいれば得するかも知れない”。
こういう人に真の友人はやって来ません。
“この人と友人関係を結んでも得することはないだろう”。
こういう人にも友人はやって来ません。
友情に値札をつけようとする人、打算的な理由だけで友情関係を結ぼうとする人、こういう人には偶然の巡り合わせさえも与えられません。人生とは不思議なものです。
私は多くの友人に囲まれています。彼らの献身的な援助、助言、奉仕の大きさと比べると自分の施しがいかに小さなものか。私はそのギャップの大きさに日々、心を悩ませています。
◆塾長日記2010年10月16日
●聴衆をリラックスさせる
“A pin might have been heard to drop.”
(針1本落ちる音が聞こえるくらいの静寂さだった)
スピーチを始める直前、会場が妙に静まり返っていることがあります。壇上に向かう自分の歩く音がハッキリ聞こえます。背後からは矢のような視線を感じます。さあ、今からスピーチが始まります。
“おはようございます。
アラアラどうしたのですか?
皆さん緊張していますね。
私が熊に見えますか?
襲ったりはしませんからどうぞリラックスしてください。
さあさあ、皆さん両手を天井に向けて、そうそうその調子です。
気楽にしてくださいね。
はい。もう下げていいですよ。
手を挙げたままだと辛いですよ。
私のスピーチは朝まで続きますから”。
この瞬間に会場がドッと沸きます。
会場が妙に静まり返っているとき。それは聴衆が緊張しているときです。そんなときこそ聞き手をリラックスさせることが大切です。
スピーチを早く終わらせたいと思っている人は壇上に立った瞬間に本題に入ろうとします。これでは聞き手との呼吸は噛み合いません。まずは聴衆を安心させること、緊張から解放してあげることが大切です。
“ウケルと思ったエピソードがウケナかったんですよ”。
よく耳にする話ですね。ネタ自体は面白いのにウケなかった。なぜか? それは聴衆がユーモアに反応する心の準備ができていなかったからです。体も心もリラックスしていないと笑いたくても笑えません。心の中では面白いと思っていてもその感情を表に出す勇気が出てこないのです。
聴衆を味方にするのはアナタの仕事です。アナタの話を聞くために会場に足を運んでくれ人に感謝し、リラックスさせてあげましょう。本題に入るのはそれからでも遅くはありません。
◆塾長日記2010年10月15日
●悔しがるのが快感なの?
野球はクライマックス・シリーズで盛り上がっています。
“負けられない一戦です”。
実況アナウンサーがよく叫ぶ言葉です。
“崖っぷちに立たされました。
どうにか意地を見せてもらいたいところです”。
ネガテイブ・ワードを連呼して視聴者の気持を煽ること。これも局側の方針なのでしょうが、負けられないと言いながらあっさりと負けてしまう試合も多い気がします。観ている側にはストレスがたまりますね。もしかしたら、このストレスが快感なのでしょうか?
“あっ、牽制球です。
アウト!
これはもったいない。
実にもったいないっ”
これも日本人が好む言葉です。もったいないのは周知の事実。先のことを考えればいいのです。それでもアナウンサーは絶叫しながら悔しい気持を連呼する。悔しがること、残念がることが日本人には快感なのでしょう。
リードしているときでさえもネガティブ・ワードは健在です。
“3点リードとはいっても、
満塁ホームランで逆転ですからね”。
塁にランナーはいないのです。それでも逆転されることを想定してしまうのです。
大量リードをしているときでさえ、
“野球は何が起きるかわかりません。
1点をやらないという気持で、
ピシャリと抑えてもらいたいですね”。
無理矢理に負の状況を設定して視聴者を不安に陥れる。こういう実況を好むのが日本人なのでしょうか。
私はストレスのたまらない実況中継を望みます。
◆塾長日記2010年10月14日
●感謝してますか?
スピーチを成功させるシンプル法則。それは、
“Thank you for coming”.
“Thank you for listening”.
自分の目の前に話を聞いてく・だ・さ・る人がいらっしゃる。このことに感謝する。心の底から感謝する。アタリマエのようですが、つい忘れがちなことです。
“できれば避けたい。
早く終われ。
面倒だ。
スピーチなんて大嫌い”。
なんと傲慢(arrogant)な態度でしょう。聴衆は時間を割いてアナタに会いに来て下さった。雨の中、風の中、遠方から出向いてくださったのです。このことに感謝ができない人にスピーチの神様は微笑みません。会話であろうとスピーチであろうとプレゼンであろうと講演会であろうと例外はありません。
人の話を聞くにはエネルギーを消費します。下手なスピーチならなおさらです。それでも素直に耳を傾けてみたくなるスピーチがあります。感謝の気持が感じられるスピーチです。
見た目は平凡。服装はチグハグ。声には特徴がなく、内容も乏しい。それでも聞き入ってしまうスピーチがあります。感謝の気持を体全体で表現しているスピーチです。
緊張してしまうと悩んでいるアナタ。スピーチが苦手だと嘆いているアナタ。頭の中が真っ白になるというアナタ。自分のことばかり考えて聞き手への感謝の気持を忘れてはいませんか。
“来てくださって有難う。
聞いてくださって有難う”。
感謝の気持はテクニックを凌ぎ(surpass)ます。
◆塾長日記2010年10月13日
●黙るが勝ち?
“第一声、3秒あとには人が散る”。
聴衆はアナタに注目しています。そしてアナタが話を切り出した、その瞬間に一定の判決を下します。
“ダメなスピーチかな?”。
聴衆はせっかちです。ある意味、身勝手でもあります。ネガティブな判断を下すのが実に早い。だから出だし(introduction))は大切なのです。聴衆とのファースト・コンタクトに全身全霊を注ぎ込む。これができれば第一段階は成功です。
質問をする(rhetorical question)、体験談を話す、数字を示す、名言を引用する(quotation)等々、ハウツー本にはこれら様々な“テクニック”が紹介されています。
そんな悠長なことをしていてはいけません。 口を開いて3秒、長くても17秒~18秒の間にアナタは聴衆に捨てられてしまうらかです。聴衆はいとも簡単にアナタを見限り、不適切なレッテルを貼りつけてしまうのです。
“沈黙の法則”。これがアナタの救世主です。
壇上から聴衆の顔をジット見つめます。すぐに話し始めてはいけません。黙り続けるのです。その時間、およそ3秒。これが沈黙の法則です。
不必要にニコニコする必要はありません。背筋を伸ばして壇上に立つ。そして黙る。これだけのことで会場の人全員がアナタに注目してくれるはずです。
壇上に“到着”する前に話し始める人がいます。これはダメ。聞く準備がまだ整っていないからです。だらしない印象も与えてしまいます。繰り返しますが、黙ることが大切です。
“黙るが勝ち”。
これがスピーチの出だしで成功させる“沈黙の法則”です。
◆塾長日記2010年10月12日
●接客の本質とは?
ブレーキを踏みながらアクセル全開。
こんな運転では車が悲鳴をあげてしまいますね。
接客も同様です。
本来の意思(true intent)に反して、つくり笑いや愛想笑いをしても、そのギャップはすぐに見抜かれてしまいます。
“私は大丈夫。
取り繕うのは得意だから・・・”。
果たしてそうでしょうか?
相手の側に悟られていないと言い切ることはできるでしょうか?
言葉で取り繕うことは可能です。でもそれには限界があります。アナタの本来の意思は言葉以外の部分に表れます。アナタの心が表情筋をコントロールする司令塔だからです。
表情筋はたがいに複雑に関連し合い、言葉以上の働きをしてくれるのです。
表情筋をトレーニングすると、しわ、たるみ、無駄な脂肪を軽減することができます。ネガティブな印象を軽減する役割も果たします。それでもアナタの心の中は表情筋によって支配、コントロールされているのです。
心の中の“安寧”、“余裕”、“優しさ”、“温もり”。それらすべてが言葉と表情に反映されるのが人間です。澄んだ心と、言葉と、顔の表情がピッタリと一致すること。これが接客の本質であり、弁力の目指すところです。
◆塾長日記2010年10月11日
●おしぼりJapan?
宿場町の茶屋で水桶と手ぬぐいを用意、手足の汚れを拭き旅人の疲れを癒す。これが“おしぼりサービス”の始まりです。相手をもてなす日本独自の文化だといえます。
おしぼりはおやじの必需品です。
パーンと音をたてるのは“ビックリ”おやじ。
顔を丁寧に拭くのは“潔癖”おやじ。
首まで拭くのは”抗菌“おやじ。
よく見かけるタイプですね。
私はおしぼりでテーブルを拭くクセがあります。なぜかテーブルを拭いてしまうのです。私は“潔癖”おやじの仲間なのでしょう(笑)。
おやじのタイプはこれだけではありません。メガネを拭くおやじ、ワイシャツの中に入れてしまうおやじ、中には鼻をかんでしまうおやじもいます。ピカピカの頭を念入りに磨くおやじもいます。おやじは皆おしぼりが大好きなのです。
さて、日本橋のざくろはカンペキな接客をする料理屋です。和服姿のお姉さま方がおしぼり運びに余念がありません。
“おしぼりがあればいいかな・・・”。
そう思った瞬間におしぼりが届けられます。そのタイミングは絶妙です。状況に合わせて冷たいおしぼりと温かいおしぼりを使い分けるのですから素晴らしい。顧客の好みを即座に判断しているのだと思います。
◆塾長日記2010年10月10日
●教養ある声
“或日の事でございます。
御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、
独りでぶらぶら御歩きになってらっしゃいました。
池の中に咲いている蓮の花は、
みんな玉のようにまっ白で、
そのまん中になる金色の蕊(ずい)からは、
何ともいえない好い匂いが、
絶え間なくあたりへあふれております。
極楽は丁度朝なのでございましょう”。
『蜘蛛の糸』の冒頭部分です。
音読してみてわかること。それは、
”心地よいリズムを感じさせる日本語”
だということです。英語とは異なるズッシリと落ち着いたリズムです。
こういう文章を音読してみる。すらすら読めるまで繰り返す。暗唱できるまで毎日繰り返す。名文を音読することは教養ある声をつくり出す下地になると私は考えています。
音読をすると前頭前野が活発に働きます。記憶や学習、感情をコントロールしている部分です。脳は音読のような単純な作業をしているときの方がより活性化することが分かっています。
①午前中に音読する。
②できるだけ早口で音読する。
③聞いてくれる相手がいる。
音読は即効性のある学習法ではありませんが、この3つの条件を満たすことで効果は倍増します。日々繰り返し、焦ることなく続けることが大切です。
◆塾長日記2010年10月9日
●feel顔とthink顔
とくに理由はないけれど、何となくこう思う。こういうとき英語は feelを使います。自分はこう思う。理由もある。これが think です。日本語では feel も think もどちらも“思う”で表現します。
“私はこう思うんです”。
“どうしてそう思うんですか?”
“えっ。そんなこと聞かれても・・・”。
こんなときの“思う”は間違いなく feelです。別に理由はない。何となくそう“感じた”だけのことです。
間の悪さを解消するためなのでしょうか、英語と比べると日本語での会話には“なぜ?”が少ない気がします。“なぜ”で切り出すのが何となく気が引けてしまう。 feel している人に think を求めても気まずくなるばかりです。
さて、スピーチは feel ではなく think の世界です。独善的でもいいから、とにかく主張と理由がほしい。両者がセットになってはじめてスピーチが成立します。”考える”ことが苦手な人にはピーチが億劫に感じられるはずです。
feel一辺倒でも人生は成立します。お酒とパンさえあればどうにかなる。そういう生き方も悪くはありません。 feelの感覚を共有できる人たちと仲良く暮らせばいいからです。
問題があるとすれば、それはfeelだけが体内に染み込んで、thinkの感覚が麻痺してしまうことです。これは危険です。
人の顔には“feel顔”と“think顔”があります。日本の政治家がどちらの顔を持っているのか、私たちはよく見定めなくてはなりません。
◆塾長日記2010年10月8日
●追い込まれたときの弁
蓮舫議員の“ファッション撮影”が話題になっています。
私が好印象を抱いたのは小池百合子議員のコメントでした。
“たたかれる対象になったことを自覚して、
これからいい仕事をしてほしい”。
賛否はともかく、多くの野党議員たちの言葉と比べると、素直で勇気ある発言だったと思います。
墓穴を彫ってしまったのが片山さつき議員です。
“”片山さんも過去に国会内で撮影をしていますよね?”
記者からこう質問されてハッと思い出したのでしょう。
“私は大臣ではないから・・・
仕分け人ではないし・・・”。
こう返すのが精一杯でした。気づいたときには遅かった。
“あら・まあ・そうでしたわ。
人間って、あさましいですね。
自分も同じことをしたのに、すっかり忘れてしまうんですから。
今回のことで私自身、反省しなければなりませんね。
ごめんアソバセ”。
こんな風に切り返す余裕はありませんでした。
自分のことを棚にあげてしまうのは、片山議員だけではありません。私たちも日頃、同じようなことをしているはず。だからこそ正直な弁が大切なのです。
窮地に追い込まれた時が実はクレディビリティー(credibility)をアップさせるチャンスです。片山議員は千載一遇のチャンスを逃しました。
◆塾長日記2010年10月7日
●デクラメーションって?
私がケネディー大統領の就任演説 (The inaugural address) を暗唱したのは17歳の夏でした。演説の1行目から意味不明、“祝福する”の意味で用いられている observe を“観察する”と思っていたのですから笑えます。“何となくカッコイイ”ケネディーの語り、独特の雰囲気、そして聴衆との一体感に心を動かされたのを覚えています。
“これがホンモノのスピーチなんだ”。
私とスピーチとの出会いです。現カプラン・ジャパン(Kaplan Japan)の石渡誠代表と渋谷の英語学校で情熱を燃やしていた頃でした。
“意味も分からない英語を暗唱しても意味ないじゃん”。
これが周囲の反応でした。
“ケネディーの英語ばかり聞いていたら
ケネディーみたいな発音になっちゃうよ”。
暗唱に打ち込む私たちに皆、懐疑的だったことを覚えています。
今振り返れば、これがデクラメーション( declamation )教育でした。政治家、神父、牧師、教師、演劇家、声楽家等が用いている、ギリシア・ローマの時代から継承されたトレーニング方法です。
文部科学省の専門家会議が、朗読・暗唱教材を増やす旨の提言をまとめました。明治維新から約140年、日本の教育現場にもようやくデクラメーションが導入されそうです。
さて、先日、国会で原稿を棒読みすることを指摘された菅総理ですが、指摘する側の野党議員も原稿を見ながら質問をしていました。どちらの側もデクラメーション教育を受けることができなかった被害者です。
◆塾長日記2010年10月6日
●理想のリーダー
“いったん始めたことは最後までやり抜く”。
これが日本社会の根底に脈々と受け継がれている哲学です。私のDNAにも物事をやり抜くための司令塔が埋め込まれているのでしょう。
日本が独特な点、それは途中でやめようとする人への処遇です。反応はきまって冷ややかです。落伍者。負け犬。これが定番のレッテル(label)です。
“いったん箸をつけた食べ物は美味しくなくても完食せよ”。
これでは辛すぎます。
始めてみたら自分には合っていなかった。
やってみたら思うようにいかなかった。
気が変わった。
こう感じる瞬間は誰にもあるはずです。そんな心の叫びに正直に生きることを邪魔する悪魔、それが落伍者や負け犬といったレッテルです。
集団から抜け出した人への処遇はさらに冷ややかです。実際に裏切り行為に及んだわけでもない。それでも去った人へのレッテルはきまって“裏切り者”なのです。悪口、グチ、暴露のネタは尽きることはありません。
“やめた人の悪口はやめよう”。
こう発言するのは少数派、擁護しようものならその人までもが“裏切り者”の烙印を押されてしまうのです。
集団の中にあって単にわがままなだけの人もいます。強烈な個性や能力を発揮する人もいます。その境目は微妙です。だから人心を掌握するのは難しい。この舵取りをうまく行うのがリーダーの仕事です。来る人は拒まず、去る人は温かくおくり出すことが素直にできる人。これが私にとっての理想のリーダーです。
◆塾長日記2010年10月5日
●話し方と人格は連動している
物事が理想通りにいかないと人は悩みます。原因を探ろうとします。そして、辿り着くひとつの結論、それが
“自分は話し方に問題がある”。
果たしてこれは正しい判断なのでしょうか。
“暗いね”。
“あまり喋らないね”。
“面白みがないね”。
こんな風に人から言われれば誰でも凹んでしまいます。
“話し方さえ変えれば明るい未来が待っているのだ”。
こう確信して学校の門を叩いてみる。そしてどうなったか。
人間関係は元のまま。
仕事関係も元のまま。
異性関係も、家族関係も元のまま。
すべてが以前と何も変わらないのです。
どうしてこういうことになるのでしょうか?
“話し方を変えて、今の自分から脱皮したい”。
この発想がそもそも間違っています。
今の自分から脱皮する。
暗い自分から脱皮する。
喋らない自分から脱皮する。
面白みのない自分から脱皮する。
そして、その結果、
話し方が変わる。これが本来の順番のはず。このことに気づくだけで人生は大きく変わります。
仕事は熱心。人柄もいい。人間的魅力に溢れ、人望も厚い。問題は話し方だけ。こんな人に私は出会ったことはありません。
仕事はダメ。人柄もダメ。魅力にも欠ける。人望もない。でも弁塾に来れば変わりますよ。そんなはずはありませんね。
“話し方と人格は連動している”。
2000年前に既にアリストテレスが指摘していることです。人格を磨くことでそれに比例した話し方が身についていきます。この原理原則に従って指導することが私の役目です。
◆塾長日記2010年10月4日
●ポーズ・ソリューション
“ゆっくり話しましょう”。
こう指導する人が多いのはどうしてでしょうか。
聞き手をハラハラ・ドキドキさせ最後の最後まで飽きさせない。グッと惹きつける。これが上手なスピーチです。であれば“ゆっくり話すこと”はむしろ天敵のはず。
早口を否定する人の言い分はこうです。
“早口だと分かりにくい”。
なるほど。でも競馬の実況中継はどうでしょうか。早口なのに分かりやすいですね。黒柳徹子さんのトークはどうでしょう。早口だからこそ魅力的なのです。
早口がダメなのではありません。分かりにくい、聞き取りにくいことがダメなのです。聞き手を飽きさせないという観点からいえば、むしろテンポよくリズミカルに話すほうがよい。
早口を最大限に引き出してくれる技、それがポーズ・ソリューション(pause solution)です。
“落語家の、
ネタは真似せず、
間を真似よ”。
ココゾという場面で思いっきり間を置く。一流の落語家はこの頃合いが実に巧みです。笑いを引き出すツボも間の置き方次第です。文と文のあいだはもちろん、文節と文節のあいだいや単語と単語のあいだにも意味のある間を置くこと。それだけでスピーチが生きるのです。
“早口で分かりやすい!”
これが目指すべき理想形です。
◆塾長日記2010年10月3日
●教養のある人
“教養とは何か?
どうやって身につけることができるのか?”。
こういう質問には戸惑います。私自身、教養の意味がわからないままこのコトバを使っているからです。
中身のある文章が書ける人、書いた文章に品がある人、文にリズムと美しさがある人。こういう人は教養人なのではないかと私は思います。“塾長日記ってドンダケ~”と言われてしまうそうですね。教養のある人の文章は一文一文が短い。このことも申し添えておきたいと思います。
さて・さて・私が思いつくままの教養人とは・・・
自分の魂を自力で治癒できる人。
哲学を茶化さない人。
小学生に全科目教えることのできる人。
心の年輪が顔に表れている人。
達筆な人。
母国語を丁寧に使う人。そうしようと試みる人。
母国語以外の言語に堪能な人。
母国に生まれたことを誇りに思える人。
お金の遣い方がキレイな人。
冷静でありながらあたたかみのある人。
職業に誇りが持てる人。
そして、
顔に教養と描いてある人。
教養のある人がスピーチをすれば万事うまくいくような気がします。
“気力は眼に出る。
生活は顔に出る。
教養は声に出る。
悲しいかな、声は写真のモチーフにならない”。(土門拳:写真家)
◆塾長日記2010年10月2日
●この洋服似合う?
パブリックスピーキング (public speaking) を“演説”と翻訳したのは福澤諭吉です。演じて説明する。実に分かりやすい翻訳ですね。
演劇やミュージカルを観て陶酔する。時には笑い、また時には泣く。フィクションだとは承知の上で私たちは感動を求め、劇場に足を運びます。
プロの舞台俳優と比べると一般の私たちは演じることが苦手です。
“どう? この洋服似合う?”。
男性のアナタはどう反応するか。
“ウン・ウン・ウン。タバコ吸ってくるわ”。
演じるどころかこれでは無視したも同然ですね。
反省すべきは男性だけではありませんよ。
“これっておじさん臭いかな?”
女性のアナタはどう反応しますか。
“いいんじゃない。おじさんなんだから”。
素っ気ないっ!
舞台俳優とは言わないまでも、日常会話に演じる要素を取り入れる。チョッピリ大袈裟に褒めてみる。照れる気持をグイと抑え演じてみる。何気ない会話も華やかなものになるはずです。
心にもないことを口にすればそれはウソ。でも演じるとは嘘をつくことではありません。少しだけ、チョットだけ誇張することなのです。
日常生活は実に単調です。単調だからこそ無理やりにでも演じる要素を取り入れる。演じた先のことは考えず、演じることにエネルギーを使う。そうすることで台詞は後からついてくるのです。
“演じることはイイコトだ!”
◆塾長日記2010年10月1日
●内なる敵
“プレゼンテーションが不安だ”。
こう口にした時点でそのプレゼンはすでに失敗しています。不安を抱いていること自体、セルフ・コントロールができていない証だからです。
“大勢の前で話すから不安?”
“経験がないから不安?”
果たしてそうなのでしょうか。
不安の源は実は自分自身にある。これが私たちの結論です。NYのTJ塾長は、
“The Enemy Within”(自分の中の敵)
という言葉でこのことを説明しています。
不安の種を自分で撒き、
不安という名の畑を耕し、不安という名の大輪を咲かせてしまう。
終始ネガティブな行動をとっているのは話し手本人です。失敗する姿を見事に映像化 (visualize) して、自分分をとことん追い込んでしまうこと。実はこれが不安を招くいちばんの源なのです。
“前もって原稿を用意したい”。
こういう人は原稿を用意することをある種のお守りにして、どうにかして不安から逃れようとしているだけなのです。そして見事に失敗します。こういう体験を繰り返すと、不安の大輪はさらなる種を生み、内なる敵はアナタの心を打ち砕きます。負の連鎖は今すぐに断ち切らなければなりません。
“不安の源は自分自身にあるのだ”。
こういう認識が大切です。
◆塾長日記2010年9月30日
●男と女はなぜ理解し合えないのか?
日本で200万部、全世界で600万部、42カ国で大ベストセラーになった“Why men don’t listen and woman can ' t read maps.” 『話を聞かない男、地図が読めない女』。男と女はなぜ理解し合えないのかという謎にメスを入れた痛快な1冊です。
“男性は女性から問題を聞いたとき、
解決策を提示しなければならないと思う。
だから女性の話を最後まで聞かない。
でも女性は解決策よりも最後まで話を聞いてもらうことを望んでいる”。
男性は大いに反省しなければなりませんね。私自身、これまで何度、解決策を論じてきたことでしょう(笑)。
“ちょっと聞いてくれるかしら?”
女性からこう言われたら、まずは黙って聞けばいい。でも、それができないのが男なのです。解決策の山を築くことに自己陶酔してしまうのです。
セックスで男性が女性を満足させるには、
“身体に触れ、賛美し、甘やかし、良いところを思いっきり褒める。
肩を揉み、共感し、セレナーデを奏でお世辞を言う。
からかい、喜ばせ、強く抱きしめて、気ままを許し、偶像視して信仰する”。
一方、女性が男性を満足させるには、
“裸で目の前に立つだけでいい”。
こういう記述もプレーン (plain) な英語で分かりやすく記述されています。英検2級レベルで読める原書としてお勧めの1冊です。
◆塾長日記2010年9月29日
●スピーチは叩き売れ?
巧みな口上で人を集め、少しずつ値下げしながらバナナを売りさばく。これがバナナの叩き売りです。
“さあさあ、そこのお兄さん、お姉さん、
せっかくだから、寄っといで。
お代は見てのお帰りだい、
見るのはタダ、タダの0円だよ。
叩き売り、見るもん、聞くもん、笑うもん、お代があって、お代なし。
バナナを買わなきゃ、お代はいらないときもんだ”。
なんとリズム感溢れる日本語でしょう。人情味ある語り口は聞き手を魅了します。瞬時に判断しなければ買うタイミングを逸してしまいそうです。ほどよい緊張感が買い手をのめり込ませていくのです。
発祥の地は北九州市の門司。日本では当時栽培されていなかったバナナが貿易港として発展した門司に輸入されたのがきっかけです。日持ちしないバナナ。冷蔵倉庫がなかった当時は口上売りが必要だったのです。
スピーチにも応用してみましょう。
“温暖化の問題は極めて深刻ですが、とにかく私たち皆の知恵を駆使して解決しなければなりません”。
これがダメな口上です。
重苦しい響きだけが耳に残ってしまいますね。
“温暖化!
問題ですね。
実に深刻です。
解決の方法。
ズバリ知恵です。
知恵こそが大切なのです”。
内容はともかく、これでリズムのある口上の完成です。
①文章を圧縮すること。
②フレーズで語ること。
これだけの工夫で見違えるほどリズム感が出てくるのです。
◆塾長日記2010年9月28日
●満腹感がアガリを招く?
弁塾の相談で多いのが緊張(nervousness)に関するものです。アメリカ人のアンケート調査の結果も同様で、恐れるもの第1位は「スピーチ」、「高さ」や「蛇」なども上位にランキングされています。「死」に対する恐怖心が第14位というのが意外な結果ですね。
人はどうして聴衆の前で話をすることに恐怖心を感じるのでしょうか。
Georgia大学のCharles R.Gruner教授は、
“聞き手の評価を過剰に気にしすぎることが緊張の原因だ。”
と説明しています。
Rowan大学のSuzanne.S.Fitszerald教授はアガリと食生活の関係について、興味深い研究を発表しています。
“満たされた食生活をおくっている人ほど
プレゼン等で緊張しやすい”。
満腹感がアガリを招くことは私自身、感じていたことでした。腹八分目でやや睡眠不足のときのほうが舌がも滑らかに動くのです。カフェインの過剰摂取やミルクも緊張には味方しないようです。
教授はまた、成功体験を振り返る重要性についても触れています。以前にはできなかったこと、不得意だったり、不安だったことが、今ではできるようになった。そんな体験を瞑想することによって緊張の度合いをコントロールするという方法です。
私の仕事、それは一人ひとりの生徒さんが緊張することなく、自信に満ち溢れたスピーチができるように指導すること。それが生徒さんの喜びであり、また、私自身の喜びでもあるのです。
◆塾長日記2010年9月27日
●軌道修正のテクニック
スピーチをしている最中に不安になることがあります。
“皆、分かってないのかな?”
こういう予想ほど当たっていることが多い。
“分かんない、
つまんない、
聞きたくない”。
こういう雰囲気が会場全体に行きわたっている、そんな中でスピーチを続けるのは辛いものです。聴衆の刺すような視線にその場から逃げ出したくなってしまいますね。私にも経験があります(笑)。
さて、こんなときこそスピーチを軌道修正するチャンスです。
“皆さん、これまでの説明で分かるなら、
苦労はしませんよね。
ここからが本番ですよ。
これが仕切り直しのフレーズです。ちょっとした一言でも、それが聴衆に安心感を与えてくれるものです。
“眠っていた方も、ここからは起きてください”。
こんな風に笑いを誘うこともひとつの方法です。失いかけた聴衆の関心を喚起することができるでしょう。
原稿を前もって準備するスピーチがダメなのは、この軌道修正が効かないからです。仕切り直しのフレーズも使うことができません。
アウトラインだけは決めておく。状況に応じていくつかの説明パターン、例示のパターンを用意しておく。そうすることで本番中の軌道修正にも対応できるのです。
“難しかったとは思いますが、これで私の話は終わりです!”
こういうスピーチにならないためにも、軌道修正のテクニックは大切なのです。
◆塾長日記2010年9月26日
●それから・・・それから・・・それから・・・!
“部長、明日は朝イチから現場に行くことになりまして・・・。
それから例の企画の件は遅れてまして・・・。
それから仮払いの認ですが・・・
それから・・・それから・・・それから”。
“スマンが後にしてくれたまえ”。
“はい。それから・・・今月で退職したいのですが”。
“それを先に言え!”。
言いたいことが整理できていない人、その場しのぎで会話やスピーチをする人ほど“それから”というフレーズを使います。便利な言い方ですが、使いすぎると聞き手の側はストレスが溜まってしまいます。
①大切なことから順に列挙する。
②聞き手の関心事から順に列挙する。
③数を明らかにしてから列挙する。
こう心掛けるだけで、聞き手の負担はかなり少なくなるはずです。
話をしているプロセスで、新たに言うべきことを思い出すこともありますね。そんなときには、
“○○さんとお話していて思い出したんですが・・・”。
こう切り出すといいでしょう。“それから”を連発するよりもずっと効果的です。
“アレも話さなきゃ。
コレも話さなきゃ”。
こういう焦りの気持ちをコントロールすること。これが上手な話し方です。
◆塾長日記2010年9月25日
●“私なら話し合えた?”
私個人が知り得る中国人の姿、それは何らかのトラブルが起きた際に彼らは事実関係には関心を示さないということです。
中国人にとっていちばんの関心事は、
“どういうシナリオが得なのか?”
ということです。
事実をもとに主張を展開すること。これが私たちにとっての常識です。中国人は違います。まずは主張を固定させ、それに基づいた事実を並べ立てるのです。文化の違いという言葉ではおおよそ想像できない思考回路だと思います。
“中国の船が日本の海保船に故意にぶつかった”。
こういう“事実”を基に日本は主張を展開します。
中国は違います。
“日本が悪い”。
この結論が先にあり、その上で事実を組み立てるのです。思考のプロセスがまるで逆です。
“そんなロジックは通用しない!
悪いのは中国の方じゃないか”。
日本人のひとりとして私もこう思います。しかし、日本がとった行動は、こういう世論とは正反対のものだったのです。
“経済が発展し、軍事力があれば、世界は屈するはずだ”。
中国人がもし、こういう考え方をしているのだとすれば、日本は“屈した”ことになります。日本は外交で負けたのです。
鳩山前首相は、
“私なら温家宝首相と腹を割って話し合えた”。
と述べました。
彼ならば腹を割って話すことができたことでしょう。
謝罪と補償に関する綿密な話し合いを。
◆塾長日記2010年9月24日
●クレディビリティーとは?
スピーチの中身(what)は大切です。話し方(how)はもっと大切です。そして、中身よりも、話し方よりも大切なのが、
“誰が話をするのか(who)”
ということです。
“この人が言っているのだから本当だろう”。
聴衆にこういうイメージを抱いてもらうことができれば、成功の可能性はグーンとアップします。これが、クレディビリティー(credibility)です。
“この話題なら、私に任せて!”。
こういう気概(enthusiasm)があるのならば、それについて語るのがベストです。
“世界平和”をテーマに、新聞やテレビで述べられていることを復誦するようなスピーチ、これがいちばんダメなスピーチです。
どんなに美しい言葉を並べ立てたとしても、それは借り物でしかありません。“世界平和”と結びつきがある、自身の体験がない限り、聴衆を引きつけることはできないのです。
アナタがこれまでに体験したこと、そういう身近な事柄について語ることで聴衆は、
“聞いてみようかな”
という気持ちを抱きます。
クレディビリティーはスピーチを成功させる上で、非常に大切な要素です。内容や話し方でなく、自分が信頼を寄せている話し手の話を聴衆は受け入れるものなのです。
“どんな内容にしようかな?”
“どんな話し方がいいのかな?”
こう考える前に、アナタが信頼される話し手になり得るのか、このことの方がずっと大切なのです。
◆塾長日記2010年9月23日
●怒る上司
“こんなミスしてたら、
仕事にならないじゃないか!”
こうやって部下を責める上司がいます。
“どうするつもりなんだ。
黙ってないで何とか言えよ”。
こんな風に叱られ続けると、どんな人でも落ち込んでしまいますね。
こういう上司には共通の特徴があります。
①ミスの大小に関わらず、
②いつも同じ口調で、
③同僚に聞こえるように、
怒るのです。なかなか解決策を示そうとはしません。最後はお決まりの口上で締めくくります。
“オレが責任を取らされるんだぞ”。
この言葉がすべてを表していますね。この上司は自分の立場を守ること、つまり、保身が目的で仕事をしているのです。部下の心情を汲んだり、職場の雰囲気を和やかにすることには無頓着なのです。
怒っているだけでは誰もついてこないこと。このことをいちばん知っているのは、実は、そういう上司本人なのです。部下から慕われていないこと、食事に誘ってもやんわりと断られてしまうこと、思うように仕事ができていないことに傷ついているのです。
それでも怒ってしまうのは、不甲斐ない自分に対して強烈な劣等感を抱いているからです。部下や職場の雰囲気を考えるだけの心の余裕がない、寂しく、孤独な人なのです。
◆塾長日記2010年9月22日
●失敗談の三効用
“宝くじを買ったら当たっちゃいましたよ。
ガハハ”。
こういう自慢話は聞きたくありませんね。失敗したこと、恥をかいたこと話、損をしたこと。こういう話の方がずっと面白い。失敗談はスピーチの“宝の山”です。上手に加工してアナタの武器にしてしまいましょう。
コミカルに伝わるかどうか、これがポイントです。“今だから笑える”という感覚が大切なのです。
まずは自分の体験をまわりの人に聞いてもらいましょう。ウケなくても気にする必要はありません。シミュレーションをすること自体に意義があるからです。
シンプル且つテンポよく語ることを心掛けます。声のトーンや表情は大袈裟なくらいでちょうどいい。瞳は大きく開いて聞き手をじっと見つめます。うまく話すことよりも、素のアナタを表現することが大切です。間抜けなアナタの映像が見えてくれば、皆、笑ってくれるはずです。
“失敗談を話したら同情されてしまいました”。
こうならないためにシミュレーションがあるのです。悲壮感を漂わせることだけは禁物です。失敗談を披露して失敗したというスピーチも面白いかもしれませんが・・・(笑)。
失敗談の効用は
①アナタと聞き手との距離を縮めてくれること。
②アナタと、聞き手の緊張を和らげてくれること。
③アナタのクレディビリティー(credibility)を上げてくれること。
3番目がとくに重要ですね。聞き手は笑わせてくれる人に信頼感を抱きやすいのです。
◆塾長日記2010年9月21日
●男のハードルと女のハードル
女性に理想の男性像を尋ねると、
“やさしい人”
という言葉が上位にランクされます。
男性の側もこのことはよくわかっています。どんな男性でも自分が愛する女性のために“やさしい男”になろうと懸命に努力するのです。
“こんなにやさしい人はカレだけ。
私ってなんて幸せなのかしら”。
女性がこう思い続けてくれる限り、恋愛は安泰です。
“このやさしさは本物なのかしら?”
こう思った途端に女性はある行動に出ます。ハードルを課してみたいという衝動に駆られるのです。少しだけ無理をしてもらおうとする人、わがままを聞いてもらおうとする人、あるいは、無理と分かっていながら、その無理を聞いてもらおうとする人もいるかもしれません。ハードルの種類は人それぞれですが、それらはけっして疑念の気持ちから生じたものでありません。男性の“やさしさ”を確かめる儀式のようなものなのです。
“もっとハードルを上げても大丈夫?”
こんな風に心配する必要はありません。“やさしい人”であれば、どんなに高いハードルでも喜んでクリアしてくれるはずです。
さて、女性がクリアしなければならないハードルがひとつだけあります。“自分磨き”です。これで男性の“やさしさ”は永遠なものになるはずです。男性の私が言うのですから間違いありません。
女性にハードルを課そうとする男性は稀です。あえて口に出そうとはしないのです。賢い女性にはこのことがよく分かっています。
◆塾長日記2010年9月20日
●反論のススメ
“なるほど!
それは面白いですね。
おっしゃる通りです。
ただ、私は少し別の見方をしているんですよ”。
こうやって相手をかわす人がいます。とりあえずは相手に共感し、そのあとで持論を展開する人です。
相手の側にとって、こういう話し方が心地よいかといえば、そうではありません。とりあえずの面子は保たれたたとしても、反論されていることに変わりはないからです。
“要するに反対なんだろう?
だったらハッキリ言えよ”。
こう口にする人は少ないまでも、わだかまりだけが残ることも多いのです。
まずは相手の考えを理解することに全力を尽くしましょう。疑問点があれば、その場で相手に聞いてみる。そういうやり取りから新しいアイデアが生まれてくることもあります。相手の考え方と自分の考え方の共通点に焦点を当ててみることも大切です。建設的な妥協点を見出すことができるかも知れません。反論はそれからでも遅くはないのです。
反論があるならば、正々堂々と反論すればいい。これが私の結論です。反論がネガティブな人間関係を導き出すのだとすれば、それは、相手を十分に理解していないことに原因があることが圧倒的に多い。だからこそ、反論をする前の対話は大切です。
似非(えせ)の共感に身を任せること。おたがいの対面だけを保とうとすること。こういうことから活発な議論は生まれてきません。残るのは希薄な人間関係だけなのです。
◆塾長日記2010年9月19日
●モノからヒトへの変換
“お安くなっていますよ”。
この一言で私の気持が萎えてしまいました。
サングラスの品定めをしていたときのことです。商品を手に取った時点で、実は私は購入を決めていました。以前から欲しいと思っていたサングラスだったからです。
“まさか日本で手に入るとは!
しかもアメリカで買うよりもずっと安い”。
私は心の中でガッツ・ポーズを決めていました(笑)。
すぐに購入をしなかったのは、迷っていたからではありません。購入前のドキドキ感、その余韻に浸っていただけのことです。
そんなハッピーな私の気持を一変させたのが店員さんの一言でした。
私が無意識に望んでいたのは、
“お似合いですよ”。
という一言です。
“素敵ですよ”
という言葉でもよかったでしょうか。なかなな手が届かない高級品だからこそ、安さにだけは触れてもらいたくなかった、これが顧客である私の気持だったのです。
売る仕事に向いているのは、
“モノからヒトへの変換”。
が上手な人です。実際に販売するのはモノです。でも、使ったり、身につけるのは人なのです。この本質がわかっている人がモノが売れる人なのだと思います。
“コレって安いですよね”。
安さを語るのは、顧客の側が価格に言及してからでも遅くはないのです。
◆塾長日記2010年9月18日
●だから中国人は嫌いだ?
“世界の三大発明は何ですか?
“火薬と羅針盤と活版印刷です”。
“発明をしたのはどの国ですか?
“中国です”。
“この発明に対して中国が知的所有権を主張したことがありますか?”
“・・・”。
かつて中国とアメリカの外交で交わされた会話です。
日本の政治家にも、こういう“詭弁”を楽しむ余裕があれば、国の地位も大いに上がるのではないかと私は思っています。
“尖閣諸島は誰のモノか?”
深刻な外交問題です。この問題を正論だけ解決しようとしている国が日本です。詭弁も含めた広い意味での議論を通じて問題を解決しようとする心の余裕がないのです。日本では丸く収めることだけが唯一の善であり、詭弁や、ずる賢い論を展開することが悪だからです。
“無用に中国を刺激するのは如何なものか・・・?”
こういう考え方をしている限り中国人とうまくやっていくことはできません。おたがいが刺激し合い、詭弁を正論に変えてしまうような“暴論”さえも中国人は好むからです。
“そこまで言い切ったアナタの面子に乾杯!”
中国人にこう言わせれば、その瞬間から信頼関係が生まれます。これが中国であり、中国人気質なのです。
あくまで私の個人的な体感値ですが、事の真相から大きくは逸れていないはずです。
“だから中国人は嫌いだ!”。
こういう結論を導き出すことが、問題解決を遠ざけてしまういちばんの要因だと私は思います。
◆塾長日記2010年9月17日
●会話の主役はだれなのか?
ついさっきまでラブラブだったのに、険悪なムードになってしまうことがあります。
“ふざけるなっ!”。
“なによっ!”
よくありがちな喧嘩ですね。
会話の主役は人と人です。おたがいの気持ちがピッタリと一致すること、その感覚を共有すること、それが会話から得られる満足感です。“共感”という表現でも言い換えることができるでしょう。
この”共感“のリズムが壊されてしまうことがあります。怒りの気持ちが沸いてきたときです。カッとした気持ちを言葉にぶつけようとする行為、これが
“会話の主役を人から言葉に譲った瞬間”
です。主役であるはずのアナタはどこか別のところに行ってしまい、言葉だけが独り歩きを始めてしまうのです。言葉を使った宣戦布告です。
”共感“とは言葉と言葉が一致していることではありません。人と人、心と心が一致した状態、それが”共感“です。言葉はあくまで”共感“を引き出し、維持し、次の”共感“へと橋渡しをする手段に過ぎません。だから、会話の主役を言葉に譲ってはいけないのです。
宣戦布告をしたアナタに対して、相手も宣戦布告を始めること。これが言葉を使った喧嘩です。アナタもいなければ、相手もいません。主役不在のまま、延々と戦闘が繰り広げられるのです。
“ごめん。俺が悪かった”。
“私の方こそ、ごめんなさい”。
これが、会話の主役を言葉から奪い返した瞬間です。
言葉の使い方、言葉の返し方で人と人の関係は大きく変わります。だから、言葉の選択は大切です。
”会話の主役はだれなのか?“
このことをさえ意識している限り、ミスコミュニケーションの多くは避けることができるのです。
◆塾長日記2010年9月16日
●敗戦の弁と一兵卒
聞き手を鼓舞・激励すること、夢と希望を与えること、そして動かすこと。これがパブリック・スピーキングの醍醐味だとすれば、政治家の敗者の弁とは一体何なのか、興味深いところです。
“一兵卒として民主党政権のために頑張っていきたい(小沢一郎)”。
こういう弁に私たち国民は心を動かされることはありません。負けたときこそ正々堂々と明るく朗らかに語るべきです。勝利した菅氏を素直に讃えればいい。全力を尽くした自分を讃えるのもいいでしょう。大切なのはどちらの側が勝利したかではなく、日本という国がより豊かで住みやすい国になるということなのです。
“一兵卒”とは、
“ある活動をする大勢の中の一人として、下積みの任務に励む者。”
これが小沢氏の本音ではないことは首相代行の打診を蹴飛ばしたことからも明らかです。
徒党を組んで人を動かすこと。こういう政治には力があります。事実、過去数十年の日本はこういう力で政治的安定を図ってきました。
徒党の脆さは数の論理が崩壊したときに露呈します。
選挙前に、
“勝っても負けてもノーサイドだ”。
と言っていた人たちが火花を散らす姿、選挙で負けた犯人探しをしている姿は実に滑稽に映ります。国民はその姿を冷静に見ています。負けた政治家にはそのことが分かっていないのです。
代表代行の座を蹴飛ばすのはいい。面子もあることでしょう。それでも、小沢氏は“一兵卒”などという言葉は使わない方がよかった。勝利した菅氏を素直に讃え、来るべきチャンスに向かって体制を整えるべきだったのです。
政治生命を脅かすのは敗けた事実ではなく、敗戦の弁なのですから。
◆塾長日記2010年9月15日
●新しい日本
一方、菅首相のスピーチはどうだったでしょうか。
冒頭の挨拶は2分3秒と、長めでした。しかしそれが終わると首相はすぐに“民主党の原点”というフレーズを口にします。これがキー・ワードで、このキー・ワードにフォーカシングしながら全体の流れ(flaw)が構成されています。これが小沢氏と大きく異なる点です。
菅氏は“民主党の原点”を2つのフレーズに分けて説明しています。①不条理と闘うこと、②全員参加型民主主義です。菅氏のスピーチはこの2項目から逸れることなく展開されています。全体で14分23秒のスピーチでした。
スピーチ後半で、
“日本再生のプロジェクトは、
計画の段階から、
実行の段階に移っている”。
と言い切りました。リーダーとして自分がより相応しいのだということを暗に示している発言です。結び部分での気迫と迫力は小沢氏を圧倒していました。
全体の骨組みに沿ってフォーカシングに努めること、このことが分かりやすさと安心感を表出し、結果として、クレディビリティー(credibility)の向上に大きく寄与するのです。
さて、社会を改革するには、時として強引な手法が求められることもあります。人を引きつける力、それ以上に黙らせる力が必要なこともあるでしょう。
薬害エイズの問題と闘った頃の迫力を総理の立場でも押し通すことができるかどうか。このことが菅総理に科せられた課題だと思います。
◆塾長日記2010年9月14日
●選ばれなかった・・・
“言いたいことは色々あるんですが・・・”。
こういう気持をグッと抑え、焦点を絞り込む作業。これがフォーカシング(focusing)です。
フォーカシングを怠るとスピーチは失敗します。焦点がぼやけ、インパクトが削がれてしまうからです。スピーチの長さに関わらず、コア・メッセージ(core message)を鮮明に打ち出すことが成功に導く鉄則です。
民主党代表選、小沢氏のスピーチはフォーカシングで失敗しています。
“私には夢があります”。
全体で15分20秒のスピーチでしたが、小沢氏がこのフレーズを口にしたのが、7分45秒の時点でした。これでは遅すぎます。“夢”を語ること、病んだ日本を再生させること、これがコア・メッセージなのだとすれば、もっと早い時点で“夢”に言及すべきでした。
画面が映し出した聴衆の表情は実に淡白なものでした。山場にたどり着く前に、聴衆はすでに興味を削がれてしまっているのです。
①“私の夢”を説明、定義すること。
②“私の夢”を最大でも5点に集約し、具体的に語ること。
③方法に言及すること。
④実現可能であると言及すること。
⑤自分が最も相応しい人物であると言い切ること。
これがスピーチ全体の骨格です。この骨格に沿ってスピーチを行えば、もっと票を伸ばすことができたと私は思います。少なくとも国会議員票での劣勢は避けられたはずです。 (続く)
◆塾長日記2010年9月13日
●朝の一言
“スピーチには縁がないから・・・”。
こう思っている人は今すぐ考えを改めてください。アナタの人生を左右する一大事だからです。
私たちの日常はスピーチで溢れています。
“おはようございます”。
誰もが毎朝行っているこの一言、これは立派なスピーチです。この挨拶を単なる挨拶で終わらせるか、あるいは、究極のスピーチとして捉えるか、この差は実に大きいのです。
“皆さんのお陰で私の人生は今日も輝いています”。
これが理想のコア・メッセージ(core message)です。皆がこのメッセージを受け取ることができれば、アナタの今日だけでなく、まわりの人たちの今日も輝きを増します。挨拶は、だから、大切なのです。単なるルーティン・ワークではないのです。
体全体が映る鏡の前で、
“おはようございます”。
と言ってみる。自分の姿から学べることは多いはずです。
華麗で美しい挨拶ができるようになったら、それが毎日できるよう心がけましょう。“高品質”の挨拶を“安定供給”できれば、アナタの評価は劇的に変わるはずです。
“この人がいなければ仕事は始まらない”。
こう言われる人になることも大切ですが、
“この人の挨拶がなければ朝が始まらない”。
こう言われる人になることはもっと大切です。
朝の一言でまわりがパッと明るくなる。そんな挨拶ができるアナタのところに、新たな仕事、チャンス、人が集まってくるのです。
◆塾長日記2010年8月19日
●言い切る姿勢
“Be confident(自信を持て)”
これがアナタのスピーチを大成功に導いてくれます。
“そもそも話をすること自体が苦手なんだから、
自信を持てって言われても無理だよ・・・”。
こう愚痴っている人は今すぐに考えを改めてください。それがアナタにとって大切なことだからです。
独善的(dogmatic)だと言われようとも、臆することなく、思ったことを言い切ること。こういう姿勢を貫き通すことが自信(confidence)というオーラを生み出してくれます。
“こう思われたらどうしよう”。
“反論されたらどうしよう”。
””笑われたらどうしよう“。
こういう弱気な姿勢がアナタから自信のエキスを奪い取ってしまうのです。
どう思われようが、反論されようが、笑われようが、とにかくズバッと言い切ること。これが風圧となり、会場全体をアナタ色に染めてくれるのです。
言い切るためには、それなりの素材と組み立てが必要です。その点、事前の準備は大切です。練りに練った内容がアナタの手元に用意されているのであれば、もう迷う必要はありません。ズバッと言い切ればいい。
自信がないスピーチ、自信がないように見えるスピーチで人を動かすことはできません。だからこそ、アナタ自身が自信に満ち溢れたオーラーを発するべきなのです。
◆塾長日記2010年8月18日
●人を楽しませること
“会話が弾まないんです”
こういう悩みは深刻です。どうにかして楽しい会話がしたい。心の底からこう願ってはいても、なかなかうまくいいきません。自分の性格に問題があるのではと、ふさぎ込んでしまう人もいるほどです。
“昨日、渋谷に行ったんだけどね、
偶然、知り合いに出会ったわけ。
そしたら私のこと、気づいてくれないのよ。
考えてみたら私、その日は化粧してなかったのよ”。
こういうことがサラッと言える人がまわりを明るくする人です。会話は弾むものではなく、弾ませるものなのです。
場を盛り上げるにはどうすればいいか、どういう会話が喜ばれるのか、どういう話題がウケルのか。そのことを念頭に置きながら日常を過ごしている人が会話を弾ませる人なのです。
“お笑い芸人じゃあるまいし・・・”。
こういう気持も分かります。それでも、人を楽しませるためには時としてお笑い芸人のごとく振舞うことも大切なのです。
自分の過去の失敗談を振り返り、無理矢理にでもコミカルに演出してみるのです。どんな些細な失敗でも構いません。創意と工夫次第ではプロ顔負けのトークに仕立て上げることもできるのです。
会話を弾ませるコツをつかむとアナタのまわりに人が集まってくるようになります。食事に誘われる機会も多くなるはず。
“君が話すとどんなことでも面白く感じられるんだよな!”
アナタが会話を弾ませることを皆、心待ちにするようになるのです。
◆塾長日記2010年8月17日
●会社を辞めるタイミング?
“会社を辞めて独立したい。でも・・・”。
こういう声はあちらこちらから聞こえてきます。“でも”から先の話が実に長い。朝までたっても終わらないくらいの勢いで、皆、話を続けます。
“独立したらどうなるか?”
25日に自動的にお金が振り込まることだけはなくなります。独立するとこれだけは確実に変りますが、アナタ自身が変ることもなければ、家族が変ることもありません。劇的な変化がアナタを襲ってくるわけでもありません。
今、自分が勤めている会社がどうして存続しているのか、どうして利益を上げ続けているのか。それはアナタが身を粉にして働いているからであり、アナタが時間を会社に捧げているからです。
会社には給与以上に働く人とそうでない人がいます。前者が1割、後者が9割です。もしアナタが前者に属するなら今すぐに会社を辞めるべきです。これまでの余剰分は手土産に置いてくればいい。今のアナタを優遇しないような会社は、この先も優遇することはありません。これが日本の会社のトラップ(trap)です。
経済が右肩上がりの時代であれば、昇給すること、昇進するのを待つのも選択肢のひとつだったと思います。今はそういう時代ではありません。
“独立してもやっていけるだろうか”。
こういう不安が決断を鈍らせるいちばん大きな理由だと思いますが、今一度、冷静になってみる必要があります。会社はアナタから搾取し続けてきたのです。真面目に働くアナタを騙し続けてきたのです。このことに気づかなければなりません。
悶々とした気持ちで働くと一瞬で10年が過ぎ去ります。
“今、辞めるわけにはいかない”。
こう思ったときが辞めるタイミングだったと10年後に気づくのであれば、今すぐに会社を辞めるべきなのです。
◆塾長日記2010年8月16日
●チョークを投げる人たち
“ほら、ちゃんと聞いてなきゃダメじゃないか”。
こうやって生徒にチョークを投げる先生がいました。どうせ投げるのなら、授業の最初に投げて喚起する方がよほど効果的・・・?
さて、先生と呼ばれる人たちの頭の中は専門知識で満ち溢れています。先生ですから当然です。その知識をどう伝達(transmit)するか、その手腕が問われるのは今に始まった話ではありません。
板書が綺麗なのは当たり前です。説明が分かりやすいのも当たり前です。いい授業とは、
“ヤル気が出る授業”
です。この一言に尽きると思います。
鼓舞、激励することによってヤル気のない生徒をヤル気のある人間に変えていくこと。すでにヤル気のある生徒からは、さらなるヤル気を引き出すこと。そうしようとする気概がある人が先生という仕事に就くべきなのです。
“ヤル気がない生徒の前で授業を行うのは大変だ”。
こう愚痴る先生は大きな誤解をしています。
“話し手は聞き手を選ぶことができない”。
これが宿命だからです。
チョークを投げる先生にはこのことが分かっていないのです。
“どうして真面目に聞かないのか?”
単に授業が面白くないからであり、ヤル気が出ないからなのです。聞き手とは実に正直なのです。
前に立っているだけで生徒のヤル気が喚起される人。こういう人は民間にたくさんいるのではないかと私は思っています。
◆塾長日記2010年8月15日
●資本教?
問:おまえの名はなにか?
答:賃金労働者です。
問:おまえの宗教はなにか?
答:「資本教」です。
問:「資本教」はおまえにどのような義務を負わせるのか?
答:権利放棄の義務と労働の義務です。
問:社会に対するどのような義務を、これはおまえに負わせているのか?
答:社会の富を、まず私の労働によって、次いで私の倹約によって、増大させることです。
問:神はどのようにおまえを罰するのか?
答:失業を科すことによってです。そうなると私は破門され、パンも葡萄酒も火も取り上げられます。妻子も飢え死にすることになるのでしょう。
問:おまえの祈祷はどのようなものか?
答:言葉では祈りません。労働が私の祈祷です。
(『怠ける権利/ポール・ラファグル』
資本には国も人種も年齢も、そして性別にも区別はありません。みな“平等”です。利益を追求する組織に所属している限り働くことから逃れることはできませんが、中でも最も従順に働くのが日本人です。
すすんでサービス残業をすること、病欠をしないこと、有給を消化しないこと、これらのことが踏み絵になっています。資本教に対する疑念の気持ちが芽生えた人、こういう人には”村八分“という制裁が与えられます。だから、渋々であっても踏み絵を行うのです。
今年の日本は亜熱帯よりも暑い日々が続いています。それでも皆、黙々と働き続けられるのは、信仰心が深いからなのでしょうか。
20時40分、資本教が最も盛んな国、日本に戻ってきました。
◆塾長日記2010年8月14日
●父にこう言い返したい!
“背広がダメな人は仕事もダメ”。
生前、父がよく口にしていた言葉です。
背広に無頓着な男性は少ないでしょうが、背広に無制限にお金を使う男性も、また、少ないと思います。父は後者のタイプでした。
ステテコのまま家の中を歩き回っている父でしたが、背広を着るとビシッと紳士に様変わりするのです。
私自身、父の言葉は肝に銘じているつもりです。これまで、そこそこのお金を背広に使ってきました。それでも、高橋洋品店に赴いて、値札を気にすることなく生地を選び、背広を仕立てることは、ためらってしまうのです。
さて、タイに来たら洋品店に直行し、仮縫いをしたら翌日には日本に帰る人が増えているそうです。イタリア製の生地が驚くほどの価格で買えるのですから当然です。縫製の技術も進んでいます。事実、そういう店のテーラーが作った商品がブランド品として日本のデパートに並んでいるのです。
洋品店が乱立するバンコクにあって、観光客だけを相手にする店、中には詐欺まがいの店もあることは事実です。そういう店は店員の接客や態度を見れば一目瞭然です。100バーツ(270円)で背広を仕立てること自体、無理な話なのです。100バーツ・スーツがそれなりの品質であることにも驚かされるのですが・・・。
私が立ち寄ったお店のマネージャーはミャンマー人でした。生地の説明から採寸まで実に巧みな英語で接客をしてくれました。ガイドブックに載っている有名店ではありませんが、このお店で仕立てることに決めました。
“今風の仕事人はタイで背広を仕立てるのだ”。
こう、父に言い放ってみたい気持ちです(笑)。
◆塾長日記2010年8月13日
●潜りたい・・・!
じっとして体に負荷をかけないこと。これが今の私に与えられたミッションです。
“サウナはダメ”。
これは我慢できます。
“炎天下でのゴルフもダメ”。
朝の涼しいうちにすればいい。
“無理なセックスは論外”。
これにも納得です。
ステント治療の経過が判明するのが今年の年末です。それまでは多少の我慢は覚悟しています。
タイには数多くのダイビング・スポットがあります。サムイ島やタオ島はとくにタイバー憧れの場所です。息子にも10歳の誕生日後すぐにPADIのライセンスを取得させました。それくらい私は海が好き、潜るのが大好きなのです。
ダイブ・マスターを取得し、インストラクターを目指していた私自身、心臓疾患が致命的なリスクを伴なうことは重々承知しています。だからこそストレスがたまるのです。
“少しだけならいいかな?”
私の中のもうひとりの自分が語りかけてきます。
おそらく大丈夫だと思います。ごく普通の日常生活がおくれているのですから、15メートル程度のダイビングなら問題はありません。それでも、
“心臓が止まったらどうしよう”。
こういう不安を抱えている限りダイビングはNGなのです。
“パパ、おとなしく待っててね”。
息子が潜りました。
私はボートの上で今、これまでに潜った景色を思い浮かべています。クジラが出没するマウイ島沖、火山地形が圧巻のハワイ島周辺、グアムのイルカ群、パラオの銀カメやマンタ等、その映像は私の脳裏に焼きついています。
そう遠くない、いつの日か、タイの海で息子をエスコートすること。これが私の夢です。
◆塾長日記2010年8月12日
●不思議な国タイ
タイで私が気づいたこと、意外だったこと、驚いたこと・・・。
僧侶がタバコを吸っている、
僧侶が携帯メールをしている。
なぜか日本語が通じる。
タイ米の炒飯は美味しい。
お米は三毛作。
日本より国土が広い。
食料自給率が100%を越えている。
料理が辛くない。
ピザ屋さんがない。
日本の桃が500バーツ。
とんかつ屋さんが多い。
箸が上手に使えない人が多い。
土日も銀行が開いている。
散髪屋さんが多い。
エッチな散髪屋さんもある。
美容院も多い。
チップの習慣がある。
セブンイレブンが多い。
ファミリーマートもある。
108マートも人気がある。数字の意味は?
レジ横で肉まんを売っている。
王様は日本のSMAPより人気がある。
走らない。
皆、歩いている。
怒らない。
大声を出さない。
渋滞でも急がない。
ベンツが多い。
トヨタ車も多い。
太っている人が少ない。
痩せている人も少ない。
タクシーの運転手は赤信号になると眠る。
不浄の左手でチップを渡すと一瞬だけムッとされる。
タイ語が模様に見える。
バスの中で立っている人が少ない。
暑がりの人が多い。
会計が遅い。
MKレストランで店員が踊っている。
象がいない。
アメリカ人もいない。
今日は王妃の誕生日。
以上。
◆塾長日記2010年8月11日
●タイ人は怠け者なのか?
“今日は会社を休みます”。
“どうして?”
“シャワーの水が出ないから”。
こんなことが起こり得るのがタイという国です。
タイの人たちは汗を嫌います。“くさいっ”、とか、“不潔っ”と言われることを極端に嫌うのです。だから一日に何度もシャワーを浴びます。仕事場に着替えを持ち込む人もいるほどです。彼らにとって清潔でいることは仕事以上に大切なことなのです。
“だからタイはダメなんだ”。
こう決めつけるとうまくいきません。事実、タイに進出している一部の日系企業では現地労働者とのミス・コミュニケーションが社会問題になっています。
おたがいを干渉しない、くよくよしない、そして、気楽に、明るく、元気にその日を過ごす彼らにとって日本式の労働は過酷です。人件費が安いという理由だけでタイに進出した日本企業が撤退を余儀なくされるのは、タイ人独特の感覚に無頓着だからです。タイ人は“ルーズだ”、“怠け者だ”、“無責任だ”と決めつけてしまうと意思疎通の道は遮断されてしまいます。
“今日は会社を休みます”。
“どうして?”
“シャワーの水が出ないから”。
“そりゃ大変だ。
大丈夫?
いま業者を呼んであげるからすぐに修理をしなさい。
仕事のことは気にしないでいいから”。
こういう会話ができる人材を赴任させている企業はタイで成功しています。現地の風土をよく理解し、タイ人の心の機微に触れたコミュニケーションができるからです。タイ人が怠け者だと言い切る人は、タイ人のことを理解することを怠けているだけなのかも知れません。
“Do in Rome as the Romans do.”
古くて、そして、新しい諺です。
◆塾長日記2010年8月10日
●食中毒になったらどうするの!
私のスーツケースには薬がつまっています。胃薬、風邪薬、ビタミン剤、抗生剤、軟膏、バンドエイド・・・。虫除けスプレーや熱さまシートも入っています。保険は額を奮発しました。
“生水はダメですよ。
氷にも注意してください。
歯磨きやシャワーの水でお腹をこわす人いますから。
屋台にも注意が必要ですよ”。
水や屋台でお腹をこわす人もいるというにはよく聞く話です。私たちも神経質になっているのです。
“こんなところで食べたらお腹こわすだろうね”。
タイの屋台を初めて見たとき、私たちはこういう会話を交わしていました。少しばかり上から目線でタイの人たちを見下していたのです。
慣れてくると考え方が徐々に変ってきます。
“火を通しているから、大丈夫かも。
でも、お皿は水で洗っているからなあ”。
炭火が放つ香ばしい匂いに立止まることはあります。でも私たちが屋台で食事をすることはありませんでした。
バンコクに来て18日目の今日、私たちは初の体験をしています。
屋台で食事をしているのです!
“屋台で食べなきゃタイに来た意味ないじゃん”。
母も息子も、そして私もこんな調子です(笑)。”慣れ”とは恐ろしいもの?
屋台の多くは都衛生局の許可を取って営業しています。月に500バーツの料金を払い、許可証を発行してもらい、指導も受けています。このことだけで屋台が安全だと言い切れるわけではありませんが、私たちが過剰に反応しすぎていたことも事実です。
スーツケースの中はいまだに薬でいっぱいです。
◆塾長日記2010年8月9日
●英語とゴルフ
“息子さんはゴルフを習っているんですよね?”
“いや、私が教えているんですよ”。
こういう会話をするたびに、
“あのお父さんは相当の腕前なんだろうな”。
と思われていることでしょう。
ゴルフ音痴の私が指導することなど、“常識人”からしてみれば問題外のはず。このことは私も息子も承知しています。それでもスクールに入学させないのには、私なりの“作戦”があるのです。
英語とゴルフには共通点があります。好きになること。体で覚えること。萎縮しないことです。この3点さえクリアーすれば英語は相当できるようになります。ゴルフも同じことだと私は考えています。
“キホンができていないのにコースをまわっても意味がない”。
果たしてそうでしょうか。
“英語ができないうちにアメリカに行っても意味がない”。
こういう言葉に翻弄されて、未だに留学もしなければ英語もできない人を私はたくさん知っています。ゴルフにも当てはまると思います。
いつまでもこういうゴルフではいけません。もっと上達して、息子の側から私を拒絶する日が来るはずです。その時には自宅を売ってでも一流のプロに指導を仰ぎたいと考えています。
ラム・ルッ・カ(Lam Luk Ka)カントリークラブに来ています。息子が生まれた1997年にタイガー・ウッズが優勝したコースです。
“入れっ!”
今日、人生初のバーディーを体験しました。運も味方に全体を8オーバーでまとめてくれました。
母親に似て小柄な息子です。ゴルフ向きの体型でもありません。それでもゴルフをするときの彼の目はキラリと光っています。それでいいのです。
◆塾長日記2010年8月8日
●タイ式ソープランド初体験!
“ステント治療をしたと思ったらタイですか?
福澤さんもますますお盛んですね。
ワッハッハ”。
息子のゴルフと休養というのは実はウソで、タイに行くのは“オンナ”が目的。もしかしたら息子さんと同伴ではないのかも・・・。中にはこういう勘ぐりをする友人たちもいます。
さて、バンコクでタクシーに乗ると、きまって”お誘い“があります。どの運転手も“オンナ”、“カラオケ”、“バー”という単語を上手に話すのです。私が案内されたのはJ Oneというマッサージ・パーラーでした。立ち寄るだけでもお店から100バーツのコミッションがもらえるそうです。タクシーの料金よりも多いかも知れません(笑)。
中に入るとズラリと並んだ女性が目に入ります。50人はいるでしょうか。そこはまさに雛祭りの雛壇、この中から気に入った女性を選ぶのです。
店員が私に話しかけてきます。コンチアです。コンチアとは要するに店内にいる“客引き”のような存在で、女性を指名する際に、こと細かなアドバイスをしてくれるのです。その立ち居振る舞いはミュージカル“Miss Saigon”のエンジニア役とそっくりです。
左側の壇に座っている女性が3000バーツ、中央が4000バーツ、右が5000バーツ。実に分かりやすいシステムです。雛壇の外側に立っている女性もいます。サイドラインと呼ばれている、とくに若い女性たちで、5000バーツ以上するといいます。私に手を振る女性やウィンクをする女性もいます。
面白かったのがコンチアの話しぶりです。とりあえず英語は話します。でも自信がないのでしょう。強面の男が口ごもったり、まばたきをする姿は実に可愛らしい(笑)。部屋のリノベーションをしたとか、今日はとくに高い女性が多い等々、料金が高い説明を精一杯の言葉で続けるのです。
少しだけ、からかってみました。
“You know who I am?
I’m not willing to pay less than 10000Baht.”
こうやって立ち去ろうとする私に彼が放った言葉、それは、
“ソーリー・ソーリー・ミスター・ジェントルマン”。
思わず
笑い転げそうになってしまいました。
1万バーツも払ってくれるだろう上客を逃すわけにはいきませんね(笑)。
会話代としてそのコンチアに少しばかりのチップを渡し、私は店を後にしました。
◆塾長日記2010年8月7日
●消えたマンゴスチン?
“果物は?”
これが父の口癖でした。食事は質素でも、果物にはうるさいのです。
“今日は何かな?”
果物がないと機嫌が悪くなります。美味しくなくても機嫌が悪くなります。だから季節の果物を常に用意しておくのです。
父が食べなかった果物は私に回ってきます。だから私の口も肥えてしまったのです。
お肉や野菜は妥協しても、果物だけにはお金を使います。果物代だけでエンゲル係数が高くなってしまうのは、おそらく我が家くらいでしょう(笑)。
“果物をお腹いっぱい食べたいわね”。
母の希望を叶えるものひとつの親孝行、朝一に行って、マンゴスチンを買ってきました。3キロで100バーツ(270円)、40個くらいはあるでしょうか。
“私の大好きなマンゴスチンだわ。
高かったでしょう?”
ここはタイです。高いはずがありません。
“千疋屋で買ったらいくらかしら”。
ブツブツ言いながら母は3キロ分のマンゴスチンを食べきってしまいました。
“まだ食べられるけど、このへんにしておこうかな”。
町中のマンゴスチンを買ってきても母ならば平らげてしまうことでしょう(笑)。
“あら・今日は朝ごはん食べないの?”
私の母は食欲旺盛です。お腹をこわすこともなくタイでの生活をエンジョイしています。71歳のスーパーお婆ちゃんだと思います。
◆塾長日記2010年8月6日
●日本というお母さん
“日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産してその母体をそこなったが、
生まれた子どもはすくすくと育っている。
こんにち東南アジア諸国民が、米・英と対等に話ができるのはいったい誰のお陰であるか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。
さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない”。
これは、タイの元首相ククリット・プラモード氏が1955年6月、サイヤム・ラット紙に記した文章です。
タイという国が日本の同盟国だったことを考慮に入れたとしても、戦中の日本、戦後の日本をこのような言葉で表現してくれる人物がいたことに私の歴史観は、今、大いに揺さぶられています。自分の不勉強を反省すると同時に、太平洋戦争に対する自虐的な思想ばかりに囚われていた自分を恥ずかしく感じています。
“戦時中の日本は悪の権化だった”。
こういう歴史観だけが唯一正しい解釈ではないのだということを、元首相の言葉が教えてくれているのだと思います。
タイに滞在して、私のアジア観は変りました。そして過去のアジア観も大いに変わったのです。
◆塾長日記2010年8月5日
●古式マッサージの威力
日本との物価差を考慮したとしても、マッサージの安さは驚異的だと思います。街中にあるごく普通のお店でも2時間350~450バーツ、日本円で950円~1200円、これだけで古式マッサージができるのです。
“痛くないのかな?”
私もこういう不安を抱いていました。体験してみれば分かります。ズバリ、タイ古式は究極のマッサージです。按摩とは比べようもありません。気持ちがいいのはもちろん、マッサージが終わってからの爽快感が格別なのです。
“月に行って歩くとこんな感じなのかな?”
そう思えるほど足腰が楽になります。お釈迦様の時代から2500年以上も続いている理由が頷けます。
マッサージ師の方々の多くはカタコトの日本を話してくれます。私も少しだけタイ語を覚えました。
“サバーイ・サバーイ”は“気持ちいい”、
“マイジェップ”は“痛くない”、
“ティーニー”は“ここ”。
会話学校で勉強するよりも効率がいかもしれませんね(笑)。
さて、バンコクの面白さ、それは純粋な古式マッサージといわゆる風俗店が街中に混在していることです。外見からおおよその想像はできますが、お店に入ってみなければ分からないこともあります。
”パパ、ここ違うよ!”
扉を開けた瞬間に怪しい光景が視界に入ります。セクシーな衣裳を身につけた女性たちが私たち親子を見てニヤニヤしているではありませんか。息子と同伴でなければそのまま中に入ってしまいそうです(笑)。
◆塾長日記2010年8月4日
●Oh、Lady Boy!
噂通り、タイでは“おかまさん”を見かけることが実に多い。
“One out of five is a lady boy.”
男性の5人に1人なのか、人口の5人に1人なのか、定かではない説明ですが、とにかく“おかま”さんが多いのは紛れもない事実です。“Lady Boy”と呼ばれています。分かりやすい言い方ですね。
タイに来てみて、私はLady Boyたちの美しさにワクワクしています。こういう話をすると、
“福澤先生ってもしかして変態なの?”。
日本ではこう茶化する人が多い。だから私自身、人前で美を語ることを避けてしまいます。私には女装の趣味もありませんし化粧の趣味もありません。いつまでも凛々しいニッポン男児であり続けたいと思っています。それでも、美に対する願望や憧れは常に持ち続けています。
“ラスト・エンペラー”で有名なジョン・ローン(John Lone)は私が大好きな俳優です。彼の英語は実に華麗です。バリ島を舞台にした、彼が女性役を演じた映画がありました。香港出身ですから、おそらく英語は母国語ではないはずです。彼の話し方に憧れた私は一時、その喋り方を真似たことがありました。
タイのおかまさんたちも実に華麗な英語を話します。ジョーン・ローンに似た喋り方をするのです。私が彼女たちに遭遇したのはホテルのフロント、レストラン、デパートでした。
“What can I do for you, sir?”
Rの音を抑え、鼻から発する発音はイギリス英語のそれに似ています。話し方はゆっくりですが、Wの発音は実にしっかりしています。英語のツボは押さえているのです。
日本でいわゆるLady Boyさんたちに出会うことが少ないのは、数が少ないからではありません。社会の中枢で仕事をするチャンスに恵まれていないのだと思います。その点、タイは先進国です。
綺麗に歳をとること、赤いスポーツカーに乗り続けること、そして気品溢れるおじさまになること。これが私の夢です。タイのLady Boyたちに負けるわけにはいきませんね。
◆塾長日記2010年8月3日
●ニューヨークとの比較
“部屋にゴキブリが出るのよ。
どうにかして!”
当時のガールフレンドに私が紹介したホテルでの出来事です。
“狭くてもいいから”。
こういうリクエストに戸惑います。
”多少、古くてもいいから”。
こういう声に押し切られてしまいました。
ニューヨークに広い部屋を期待することはできません。古くない部屋を探すものたいへんです(笑)。1泊300ドル以上であれば大きな不満を感じることはないかも知れません。まともな部屋とホスピタリティーを望むのであれば400ドル以上は覚悟しなければならないのです。
“100ドルも払ってコレなの?
これ以下のホテルってどうなっちゃうのかしら(笑)”。
彼女の言い分もよく分かります。でもこれがニューヨークなのです。
さて、ニューヨークの実情は息子も熟知しています。だからこそ、初めて滞在するバンコクでのホテル選びには神経質になるのだと思います。
Expedia(エクスぺディア)で検索しながら息子がポツリと呟きます。
“こんな値段で5つ星なの?
怪しいんじゃない?”
そうやって決めたホテルに私たちは今滞在しています。
およそ80平米の1BRは家族3人には十分な広さ、53階のベランダから見下ろすチャオプラヤ川は絶景です。ミニバーの飲み物はすべて無料、アメニティーはブルガリ(Bulgari)、すべてが至れり尽くせりで、ニューヨークの“ゴキブリホテル”よりもはるかに安いのです。朝食も無料です。
世界中から毎日、3万数千人の観光客がこの街にやって来るのも頷けます。
◆塾長日記2010年8月2日
●池ポチャだ!
“アッ! 池に入っちゃった”。
息子が叫んでいます。タイのコースは池が多いのが特徴です。
“マイ・ベン・ライ(大丈夫)”
と言いながらキャディーさんが池の中を覗いています。私たちが驚いたのは彼女の行動です。素足になってズボンをまくり池の中に入っていくではありませんか。
“見つかるわけないよな?”
と思っているとキャディーさんが微笑みながら振り返ります。息子のボールを探し出してくれたのです。
私たちはアマチュアの中のアマチュアです。堂々とコースをまわるようなレベルではありません。こういうゴルフに付き合ってくれるだけでも有難い。池ポチャしたボールをも懸命に探してくれるのはタイならではだと思います。
キャディーさんは大忙しです。バンカーの整備、マーキング、旗抜き、傘もち等々、とにかくよく働いてくれます。ライン読みも丁寧にしてくれるので大助かりです。原則、キャディーさんの給料はありません。日当もありません。キャディーフィーの一部とチップが唯一の収入源です。
“だから一生懸命なのかなあ?”
そうではないと思います。お金のため、チップのためだけに働いているのだとすれば、私たちの“スロー・ゴルフ”には到底付き合えるはずはありません。
右の林に打っても
“マイベンライ(大丈夫)”、
左の池に入れても
“マイベンライ(大丈夫)”。
時間の効率の悪い私たちのゴルフに最後まで付き合ってくれたのが私たちのキャディーさんでした。
◆塾長日記2010年8月1日
●誇大広告?
腰にポチェを巻きつけ、手には”地球の歩き方“を抱え、そしてキョロキョロしながら歩いている。こういう人がスリと出会って、
“タイは危険なんだよ”。
と書き込むのだと思います。
“私は日本の観光客ですよ。
お金を持っていますよ。
どうか奪ってください”。
こういうオーラを発していればどこの町でも危険です。
バンコクの街を歩いてみて私が感じたこと。それは東京やニューヨークと同様、バンコクは危険ではないということです。過去のニューヨークのように、日中不意に襲われたり、金銭を奪われたりすることはないのです。
“公園で鳩の餌を売りつけられた”。
こういう人は買う前に額を確認してない人です。
“タクシーで迂回された”。
こういう人は街の地理に疎い人です。
“置き引きに遇った”。
こういう人は勝手に荷物を置き忘れた人なのです。
不注意の原因をタイの人々に押し付けること。タイが危険な国だというレッテルを貼り付けること。こういう愚を犯す少数派の人々がタイのイメージを悪化させているのだと私は思います。
日本のメディアで報道されるタイ、ネットで露出されているタイはこの国のほんの一部を切り取って誇大に表現されているだけなのです。