◆2009年10月12日
“君の意見を言いたまえ。
好きなように発言してかまわないから”。
会議の場で上司からこう水を向けられ、
“業績が伸びないのは部長がアホだから”。
と発言した人がいます。私の友人です。この“事件”がきっかけで彼は会社を辞めることになりました。
今となっては笑い話です。その後彼は独立し今では熱血企業家として活躍しています。
日本の会議は独特です。自由に発言する場が会議のはず。それでも多くの人が口を閉ざしてしまうのはどうしてでしょうか。本音を吐露する場所はもっぱら居酒屋です。
“あの企画、おかしいよな。
絶対うまくいかないよ”。
居酒屋で“演説”をする日本人はみな饒舌です。会議室で口を閉ざしていた人物とは思えません(笑)。
“自分の意見は言わないほうがいい。
その方が身のためだ。
大樹に寄り添って生きるのがいちばんなのだ”。
事実、こういうタイプの人が出世していったという皮肉な歴史が日本にはあります。実に不思議な社会です。
日本の会議は実は会議ではなく、既に上層部で決定したことを確認(confirmation)するだけの儀式(ritual)なのではないか。こう考えると納得がいきそうです。
上司にゴマをすり、迎合し、徹底したイエスマンになりきる。指示されたタスクを黙々と遂行する背広を着た奴隷。これがサラリーマンの真の姿だと言えば失礼でしょうか。
“いいかい諸君!
キミたちにも一応、意見は聞いたよ。
責任はキミたちにもあるからね”。
言いたいことは言えない。それでも責任だけは負わされる。これでは心が磨耗してしまいます。
日本の企業が衰退しても最後まで存続するのが居酒屋です。サラリーマンが唯一、本音を語ることのできる居酒屋はサラリーマンにとって究極の憩いの場なのです。
◆2009年10月11日
“人から好かれたい”。
こういう感情に翻弄される人生は辛いと思います。
“人から好かれたことがない”。
これも辛い。
“どうせわかってもらえない”。
これもまた辛い。
人にわかってもらいたい、認められたい、好かれたい。こういう欲求に心を奪われてばかりいる限り、心の平安が訪れることはない。私はそんな風に考えます。
アナタの人生の最大の理解者はアナタ自身です。人は自分にだけは嘘をつくことはできません。自身の心の叫びに耳を傾けてみるだけで自分がどう生きたいのか、何を為すべきなのか、アナタには判るはずです。この声に蓋をしてはいけません。その瞬間に他人の評価ばかりが気になり始めるからです。辛い人生はこういうことから始まるのです。
人からどう噂されようが、どう評価されようがどんなことは今の時点ではどうでもいい。人はアナタの人格の断片だけを見て勝手に裁きを下しているだけなのです。そんな無責任な判断に一喜一憂する価値がどこにあるのでしょうか。評価に怯えることで本来の自分を見失ってしまうこと。これが人生最大の敵です。その時々の感情や思いつきで人は皆、好き勝手に発言するのです。
世の中の人は何とも言わば言え。我が成すことは吾のみぞ知る。(坂本竜馬)
他人の評価に身を任せるほど人生は長くはありません。大切なのは自分らしさをどこまでも貫くことです。アナタが行ったこと、いま行っていること、そして将来行うであろうこと。それらすべてのいちばんの理解者は他人ではなくアナタ自身なのです。