◆2010年2月21日
“I knew my actions were wrong, but I convinced myself that normal rules didn’t apply. I felt I was entitled.”
(自分の行動が誤りであったことが分かっていましたが私には通常のルールが当てはまらないと思っていたのです。自分が特別だと思っていたのです。)
訴訟社会のアメリカでは自分の非を人前で認めることは非常に稀です。その点、タイガー・ウッズ選手の定の評価をすべきだと私は思います。
“自分は特別だと思っていた”という件(くだり)はおそらく彼の本音なのでしょう。地位や名誉が時として判断を誤らせることがあります。自分を律することの難しさを彼は見事に表現しています。
原稿を棒読みしただけだとの批判がありますが、かえってそのことで信頼感が高まった気がします。懺悔のスピーチがあまりにも流暢ではかえって不自然だからです。意図的な演出なのだと思います。
感情を抑えた話し方も絶妙でした。麻薬に手を染めたことはないという件も淡々と話すことでかえって信憑感が生まれました。おそらくかなり前に原稿は仕上がってい読の練習をかなり積んで本番に臨んだのだと思います。
クレディビリティー(credibility)を失った人がスピーチでどんな仕打ちを受けるのか、このことをいちばん知っているのはタイガー本人のはずです。そのリスクを犯して会見を行ったのにはそれなりの背景があったのだと思います。離婚をしたくてもできない事情、ステロイド疑惑の払拭、復帰の時期等々。
どこまでも自分の言葉で表現しようとするアメリカの風土を感じるこできるタイガーのスピーチでした。
◆2010年2月20日
私は車の管理をある男に任せています。
“営業に向いてないんじゃないの?”
という印象すら感じさせる、実にもの静かな男です。
困ったときには彼に電話します。留守番電話サービスの音声を聞いたことがありません。 いつでも必ず電話に出てくれるのです。
“そんなにヒマなの?”
と、からかったことさえあるくらいです(笑)。
箱根で塾の車が故障したことがありました。早朝の5時過ぎです。眠そうな声でしたが彼は私の電話に出てくれたのです。
代車を運転して彼が箱根に到着したのが午前9時過ぎ。そのときの彼の第一声は、
“遅くなって申し訳ございませんでした”。
これには恐縮してしまいました。
結局、車は故障ではなく単にバッテリーが上がっただけ、近くのスタンドに飛び込めば済んだ話ですね(笑)。それでも彼の態度は誠実そのものでした。
車が元気に走ってくれさえすればいい。これが私の気持です。誕生日カードだとか、キャンペーンの告知だとか、そんなことはどうでもいい。この点、彼は私の気持をグッと掴んでいます。
“新型ってどうなの?”
“マイナーチェンジまで待った方がいいですよ。
コンユータ制御が複雑すぎますから”。
毎度、こんな調子です。彼は私に車を売ろうとしないのです。私がいつ乗り換えるのかもわからないのに淡々と要望に応えてくれる、こんな人を大切にしないわけにはいきません。
“話し方は朴訥でも立派な営業はできるのだ”。
私が彼から学んだことです。
◆2010年2月19日
“やあ、昇進おめでとう”。
こう言ってはみるものの、心の底では、
“なんでオレよりアイツが先なんだ”。
と悔しい思いをすることがあります。
悔しい気持ちは、
“なぜなんだ”。
から始まり、
“なぜだか分からない”。
で終わります。だから余計に悔しくなるのです。
アイツの能力が明らかに秀でているならば納得もいくでしょう。でもどう考えても、
“オレのほうが能力がある”。
という結論に達してしまうのです(笑)。納得がいきませんね。
アイツのほうが上司のウケがよかったのかもしれません。取り入るのが上手かったのかもしれません。あるいは不正を働いていたのかもしれません。とにかく、何らかの理由があって、あるいはそれらの理由が複合してアイツの昇進が決まったのです。
アイツの悪口を並べ立てることは実に爽快です。アイツが失敗することを想像してみただけで天にも昇る気持ちになります。いつの間にか同じような気持を共有する人たちが集まってきます。そして毎晩、居酒屋で“秘密会議”を繰り広げることになるのです。
“アイツが落ちていくことだけが人生の拠り所なのだ”。
少しでもこう感じたのならば、それは、アイツが落ちていくのではなく、オレが落ちていく兆候です。居酒屋ではなかなかこのことに気づきません。
人生を最も不幸にするのは羨望の気持だと私は思います。
◆2010年2月18日
“あっ、同じサイフですね”。
“あら、ほんとうだ”。
同じサイフを持っている人と出会うことがあります。気が利いたことが言えないものだろうか。こう思う間もなくおたがいにサイフをしまいこんでしまいます。会話が続かないのは少し寂しい気もします。
“あっ、同じサイフですね。
コレって使いやすいですよね”。
言われた側もそう思っていれば少しは会話が弾みます。でもそうでもないこともよくある話です。
“(このサイフ使いづらいんだよな)”。
こんな風に思っていると反応に戸惑ってしまいます(笑)。
“アッ・ソウデスネ”。
会話のリズムが合いません(笑)。不自然な返答に自分自身が恥ずかしくなってしまいます。
“あっ、同じサイフですね。
キレイにお使いですね”。
こういう言葉を返されると実に嬉しい。キレイかどうかは別としてそのサイフを大切に使っていることだけは確か。そんなときにこう言われるとあたかも自分自身が褒められているような気分になるのです。
会話上手な人はモノ(物)からヒト(人)への変換が見事です。サイフという単なるモノを起点にヒトへと話題を変換してしまうのです。こういう言葉が自然に使える人になりたいものです。
“キレイなサイフですね。
ワニ革ですか。
高級感漂いますね。
ドンキで安売りしてましたよ”。
こういう話し方は避けたいものですね(笑い)。
◆2010年2月17日
“最近、スランプなんですよ”。
よく耳にする文言です。
スランプとは一定期間、成果を収めた人が少しのあいだだけ足踏みすること。それにも関わらず飛躍した気配がない人に限ってスランプという言葉を使うことが多い。実に面白い現象です。
人は誰でも自分がかわいいもの。開き直るときを除いては自分がダメ人間だとは認めたくありません。こういうときの絶好の受け皿がスランプという言葉なのです。
自分がスランプだと感じたことは私にもあります。この言葉を口にしたこともあります。スランプだということを公言するとなぜかホッとするのです。
この言葉は聞き手のウケが実にいい。スランプを口にした途端に周囲の人たちが優しく接してくれるのです。
“大丈夫だよ。
いつも頑張っているんだから”。
皆がこう慰めてくれます。
“君っていつもスランプだよね”。
こんな辛口の助言をしてくれる人にめぐり会うことは稀です。それだからこそ、私たちは余計にスランプの本質を見失ってしまうのです。そもそもスランプとは長く続くものではありません。悩んだりする間もなく脱出してしまう性質のものなのです。
“真の実力者はスランプという言葉を使わない”。
スランプに逃げ込まないクセをつけること。このことだけで人生が大きく前進します。
◆2010年2月16日
“This is where you are mistaken.”
(そこが君の間違えているところだ)
よく使う自然な英語ですね。
学生にこんな質問をする先生がいます。
“このwhereは何かね?
関係副詞かい?
あるいは疑問詞かい?”
学生はコレで萎縮してしまいます。英語は難しいと感じてしまうのです。
アメリカ人のビジネスパーソンに同じ質問をしてみると、
“Don't ask me such a tough question!.”
と皆、顔を赤らめます。大学院を卒業したエリートでさえもこのwhereが先行詞を含む関係副詞であることはよく分かっていないのです。
質問してきたことに答えるのは教師の務めです。でも、学生が疑問にも思わないことにあえて踏み込む教育は問題だと思います。そもそもこういうアプローチでは語学の勉強が面白くありませんね。
“先生、whereの中に先行詞が含まれているということは、
This is something which you are mistaken.と言ってもいいのですね?”
学生のこういう質問に、
“文法的には可能”。
こんなヘンテコな説明になってしまうのです。ネイティブはこういう言い方はしません。だから誤りなのです。
帰国子女たちが日本に戻ってみると英語がダメになっていた。まったくおかしな話ですね。
“This is where you are mistaken.”
とは、多くの英語教師におくりたい言葉です。
◆2010年2月15日
“負けたときにどうするか?”
スポーツ選手の真価が問われるのは負けたときです。勝利を収めた相手を褒め称え、そして果敢に戦った自分に誇りを持つ。こういう選手がグッド・ルーザー(good loser)です。
スポーツでも仕事でもあるいは恋愛でもギャンブルでも、負けるより勝つほうがいい。負けたときにどうするか、負けたときにグッド・ルーザー(good loser)になれるかどうか。これが人生の大きな分かれ目になるのだと私は思います。
何事も果敢に挑戦すれば負けることもあります。負け続けることもあるでしょう。その負けが先々、活かされるかどうか、それはひとえにアナタがグッド・ルーザーであるかどうかにかかっているのです。
負けが重なると心が怯みます。臆病にもなります。それでもグッド・ルーザーは前に進もうとします。勝った相手を羨んだり、負けた自分を卑下するヒマはありません。果敢に立ち向かって突き進んでいくのです。
負けが活かされる日はいつ来るのか? それは誰にもわかりません。活かされる保証もありません。だからといって歩みを止めてしまうこと、これはバッド・ルーザー(bad loser)がすることです。バッド・ルーザーの行く末は、ザ・ルーザー(The loser)、負けが確定してしまった人生です。負けてさらに強くなるか、あるいは、負けてさらに弱くなるか? この差は実に大きいと思います。負けることで見えるものまで見えなくなってしまうのだとすれば実に惜しい。
“幸せのひとつの扉が閉じると、
別の扉が開く。
しかし私たちは、閉ざされた扉を
いつまでも見ているために
せっかく開かれた扉のほうが
目に入らないのです”。(ヘレン・ケラー)
◆2010年2月14日
“ゴディバのチョコレート”。
これをもらっても男性はそれほど嬉しいわけではありません。
“えっ!”
という声が聞こえてきそうですね(笑)。
実はチョコは何でもいいのです。高級ブランドのチョコでなくてもコンビニのチョコでいい。それ以外にもっと大切なことがあります。メッセージカードです。
男性は皆ドキドキしながらチョコの包装紙を開けます。
“何か入っていないかなあ?”
男性は心の中でこう呟きます。どんなメッセージが記されているのかワクワク・ドキドキしているのです。
さて、問題です。カレの心をグイと引き寄せる言葉はどれでしょう?
①お口に合いますように。
②そばにいてくれて嬉しいです。
③来年もチョコをあげられるといいな。
④チョコ選びで初めて悩んじゃいました。
どれも悪くはありませんね。その中でもオトコ心をグイッと惹きつける一番のマジックワード、それが
“こんなの初めて”。
男性はこの言葉に実に弱い。
“オレだけのためにこんなにも悩んでくれたのか”。
これだけで世の中すべての男性に打ち勝った気分になるのです。
“自分がナンバーワンなのだ”。
こう妄想するだけで男性は天にも昇る気持ちになれるのです。実に単純ですね。
◆2010年2月8日
“母ちゃん、お小遣い上げて”。
“ダメっ”。
説得失敗です(笑)。
一気に説得せずに時間をかけること、少しずつ歩み寄ってもらうことは私たちが日常行っていることです。タイミングや相手の心の状態、あるいは天気や季節によっても結果は左右されます。
会話がマラソンならばスピーチは短距離走です。時間をかけたり、少しづつ説明することはできません。だからこそ工夫が必要なのです。
ディベートは感情を介さない知的遊戯です。スピーチは違います。聞き手の感情が決定権を握っているのです。
“理屈は正しいけど、
でも、そうは思わない”。
こういう結果を導かないためには、
“目標設定を低く設定する”
ことが大切です。
ビジネスでは小さな一歩はどこまでも小さな一歩ですがスピーチでは小さな一歩が大きな一歩です。
“そうかもしれない”。
聞き手からこういう気持を引き出すことができればスピーチは大成功です。理屈やデータを駆使するのは後回しでいいのです。このことを間違えているスピーチが実に多い。
“理屈は通ってない気がするけど、
でもそう思う”。
これが可能なのがスピーチの醍醐味です。理屈も通っていれば完ぺきです。
“母ちゃん、お小遣い上げて”。
“もう財布に入れてあるわよ”。
語らずして説得ができてしまいました(笑)。これが究極のスピーチです。
◆2010年2月7日
息子が図形の問題で悩んでいます。
“パパ。これ難しいよ”。
見るとたしかに難しい。補助線を引けば一発で解けそうな問題です。
“さあ、考えよう!”。
教えないのが私の教え方です。息子もこのことは承知しています。でも、
“明日提出しなきゃダメなんだよ”。
と、泣きを入れてきます。
それでも私は答を教えません。意地悪な父親なのです。
算数はひらめきが大切です。ひらめいたその瞬間の、
“わかった!”
という感動が醍醐味です。算数からこの感動を奪ったら何も残りません。
大きな紙に図形を描いてみます。彼も描いて、私も描く。親子で競争です。図形を模写することでひらめくことがあるからです。色分けしてみる。これも競争です。とにかく何でも一緒にやってみるのが私たちのやり方です。
“ひらめかないときはどうするか?”
放置します。何日か経った後でみると一瞬で解けることがあります。これもまた算数の醍醐味です。
さて、一緒に考えているうちに朝日が昇ってきました。眠くてたまりません。
“わかった!”
息子が満面の笑みを浮かべています。
“おい息子よ。一杯やるか?”
“うん!”。
◆2010年2月6日
ふたつの箱があります。入っている中身は安全パイと毒キノコ。外からは見えません。さあ、アナタならどちらを選びますか?
“どっちかな?”
こう悩む人はダメな事業家です。“えっ?”という声が聞こえてきそうですね(笑)。
優秀な事業家は人が開けるのを見届けようとします。
一流の事業家は匂いで嗅ぎ分けようとします。
超一流の事業家は違います。誰よりも先に箱を開けてしまうのです。
超一流の事業家は、だから、しばしば毒キノコを口にします。傍観している人は、
“ダメだなあ。
毒キノコを食べちゃったよ”。
とあざ笑います。
超一流の事業家は外野の声など気にしません。口から血を吐いています。でも次の箱を求めてもうすでに歩き始めているではありませんか。
超一流の事業家は箱を見つけるのが実に早い。能力があるからではありません。才能があるからでもありません。視力がいいからでもありません。いつも先を歩いているからです。そしてまた毒キノコを選んでしまいます(笑)。
超一流の事業家はこうやって免疫力を身につけます。毒キノコを食べ続けた恩恵です。
さて、ふたつの箱があります。中身は毒キノコと毒キノコ。箱にそう書いてあります。ダメな事業家も、優秀な事業家も、そして一流の事業家も、皆、見向きもしません。 超一流の事業家だけが叫んでいます。
”おーい、みんな。
松茸を見つけたぞ。
はやく来~い”。
◆2010年2月5日
欧米人に嫌われたい人にぜひ使っていただきたい英語があります。それは、
“To be frank with you(率直に言えば)”。
学校で教わる誰でも知っている言い方ですね。
英語はストレートな言語です。思ったことはズバリ言う、率直に発言する、とくにアメリカでは、
“You and I are equal.(アナタと私は対等ですよ)”
を前提としてコミュニケーションが行われます。元々が率直な人間関係のはず。あえて“フランク”さを表明する必要はないのです。
“これまでは率直じゃなかったのかよ”。
と口にする人はいませんが、相手の側はそう感じてしまうのです。
“I don’t think so.”
これはOK。でも、
“To be frank with you, I don’t think so.”
とヤルとダメなのです。
“賛成のフリをしていたけど、
実は初めから反対だったんです。
今まで黙っててゴメンなさい!”
こんな感じでしょうか(笑)。
“フランク”だけではありません。“to tell the truth”(本当のことを言うと)、“to say nothing of(言うまでもなく)”もアブナイ英語の部類です。
まだまだあります。“to begin with(まず初めに)”と言ってなかなか”次“の話に移らない人、“to be sure(確かに)”と言って全然確かなことを言わない人、“strange to say(奇妙なことに)”を連発してほんとうに奇妙がられる人等々。
“率直に言えば辺野古じゃダメなんです。
本当のことを言うと沖縄はダメなんです。
言うまでもなくこれが県民の総意です。
確かに前政権で約束しましたよ。
奇妙なことに私たちが政権を取ってしまったんです”。
さあ・さあ・皆さん一緒に英語に訳してみましょうか?
◆2010年2月4日
“何もないモンゴルの大草原の少年が横綱になって、
支えてくれた人に感謝したい”。
立派な引退会見でした。朝青龍は結局、相撲界に利用され(sacrifice)、甘やかされ、そして最後には捨てられた(abandon)のだと思います。
テレビのコメンテーターがこんなことを言っていました。
“日本人ナイズしなきゃダメですよね”。
これには驚きましたが、反論する人がいないことにはもっと驚きました。外国人を無理矢理、日本人に仕立て上げようとする発想は傲慢(arrogant)です。間違った行為です。
相撲が世界に誇れる国技なのであれば、その普遍性を世界の人々に説明できなければなりません。説明責任という言葉はこういうときに使うのだと思います。
地位は横綱。それでも朝青龍は未だモンゴルの大草原を駆け抜ける少年だった。日本文化に溶け込むことは大切です。でもそのことと同化する(assimilate)ことを混同してはいけません。
彼は母国モンゴルを愛し自分がモンゴル人であることに誇りをもっています。素晴らしいことです。モンゴル人であり続けながら同時に横綱でもあり続ける。このことを相撲界が許さなかったのだとすれば実に痛ましい。
“外国人に日本文化は分からない”。
こういう決めつけは危険です。分からないのではなく、分かるように指導、教育をしていないだけのことです。
相撲の国際化には妥協や修正も必要です。かつての柔道がそうでした。海外巡業を行ったり外国人力士を増やすことだけが国際化ではありません。
相撲が未だ国際舞台で認知されていないことは力士のことを英語で“スモー・レスラー”と言うことからも明らかです。朝青龍は最後までレスラーだったのだと思います。
◆2010年2月3日
人からの依頼を無下に断らないこと。断るにしてもやんわりと断ること。けっして相手の面子を潰さないこと。これが古くから引き継がれている日本の伝統です。
私の体の中にもこういうDNAが刻み込まれています。私は頼まれごとが大好きです。自分ができる仕事であれば依頼は必ず請けます。時間がなくても、たいへんでも、ギャラが安くても頼まれればその仕事は喜んでお請けします。
“福澤さんは人から利用されちゃうタイプですよね”。
こんなことを言われると少しばかり不機嫌になってしまいます。弁塾の仕事に特化して、“無駄な仕事”は一切請けない。その方がいいのかもしれません。
“福澤さんは見栄っ張りだから断れないんでしょう?”
ますます腹が立ってきます。余計なお世話です(笑)。
私はこれまで多くの“無駄な仕事”に関わってきました。振り返ってみて思うのはそういう“無駄な仕事”が今の私をつくり出してくれているということです。今の私があるのは“無駄な仕事”のお陰なのです。
自分が行った仕事に関する限り、無駄だと感じたことは一度もありません。それどころか私の能力を高めることに大いに寄与してくれたと思っています。“無駄な仕事”にもっと関わっていればよかった。
私の目指すところは、
“アノ人に頼めばどうにかなるかも知れない”。
こう思ってもらえるような仕事人になることです。
私自身、これまで多くのアノ人に支えられて生きてきました。数々のアノ人たちの愛情溢れる協力や叱咤激励によって今の私がある。だから私もアノ人になりたいのです。
“『断る力』を身につけましょう。
無駄な人とつきあうのはやめましょう。
無駄な仕事はやめましょう”。
こういう流行に私は興味がありません。“無駄な仕事”は鬼ではなく福なのです。
◆2010年2月2日
女性の二人組が楽しそうに話をしています。青山のカフェでの出来事です。
“おいらってさぁ、どうしてモテないのかなあ?”
思わず笑い転げそうになってしまいました。“おいら”という言葉の響きが妙に面白かった。彼女たちの風貌とこの言葉が妙にマッチしていたのです。彼女たちは男性の前でもこういう言葉を使うのでしょうか。
さて、男はみな美人が大好きです。美しい女性を見ると必ず振り向きます。でも、美しさだけで心が動くわけではありません。男は美しい女性にはそれに見合った言葉をも期待してしまうのです。男は実にわがままです。綺麗な女性が綺麗な言葉を使うと男は制御不能に陥ります。心も体もメロメロになってしまうのです。これにお酒が加わるとどうなるかは銀座の夜が証明しています。
問題はそのバランスが崩れたときです。綺麗な女性が汚い言葉を吐いたときの失望感は想像を絶するものがあります。綺麗だったはずの女性が普通の女性に見えてきてしまうのです。
美人に生まれた女性はたいへんです。いつまでも美人でい続けなければなりません。いくつになっても年齢不詳でいなければなりません。そして美人に見合った言葉を使い続けなければなりません。美人はこういう十字架を背負って生きていかなければならないのです。
“女の価値は容姿じゃないわ。
言葉でもないわ。
中身で勝負よ”。
たしかにその通りだと思います。でも、残念ながら中身を理解できる男は実に少ない。どうしても容姿と言葉に偏ってしまうのです。
けっして美人ではない。それでも男性から支持される女性がいます。こういう女性は十中八九、言葉の使い方が綺麗です。そして容姿まで綺麗になっていくから不思議です。
◆2010年2月1日
批判されても動じない。
破門されても動じない。
当選しても動じない。
ボソッと喋る貴乃花のには凄みさえ感じました。物凄いエネルギーです。
喋り方はけっして上手くはない。言葉数も多くはない。表情も硬い。それでも彼の口から語られる言葉にはズッシリとした重みを感じるのです。
“私も当選するとは思っていませんでした”。
おそらくこれが正直な気持なのでしょう。
人はとかく損得を考えます。損得を秤にかけながら世の中を生きていきます。批判をされると心が怯みます。これが普通です。破門をちらつかせられれば躊躇します。たいがいの人はこの時点で諦めてしまいます。でも彼は動じなかった。これが元横綱の品格なのでしょうか。
裏舞台で様々な取引や工作が行われたことは容易に想像できます。一部週刊誌で暴力団との関係が報道されたことも偶然ではないはずです。それでも彼は動じなかった。
おそらく彼は命を落としても自分の信念を曲げることはないでしょう。
“3票ほど足りないんですよ。
どうにかお願いできますかね。
色々と便宜を図りますから”。
こういう言葉を吐くことはけっしてしない。誰が何と言おうとも自らが決めた道を堂々と邁進する。こういう気概が人々に勇気と感動を与え、そして世の中を動かすのだと思います。
貴乃花の行動と言葉に私は弁力の原点を感じました。