◆2010年5月22日
“お体は大丈夫ですか?”
気遣ってくれる気持ちは嬉しい。それでも、朝から皆にこう聞かれると少しばかりムカッとします。
“退院したんだから大丈夫に決まってんだろぅ。
オレの顔色はそんなに悪いのか?”
こう叫びたくなってしまう私です。大人げないですね。
“ご心配おかけして申し訳ございません。
無理をしない程度に頑張ろうと思います。
お気遣い有難うございます”。
本音からは程遠いフレーズが私の口からポンポンと飛び出します。常識的な言葉を常識的に使うのは実に疲れます。
見舞ってもらうことも嬉しいもの。意外な人が意外なタイミングでやって来ることも知りました。それでも帰り際の一言が私の神経を逆なでます。
“頑張ってくださいね”。
他意もなければ悪意もないことはよくわかっている。見舞いに来てくれただけでも有難い。それでも、この言葉の余韻を残したまま病室のドアが閉じられると、何だか自分だけが取り残されたような気分になるのです。病人とはそういうものなのです。
“元気そうね。
宮崎産のマンゴを買ってきましたよ。
食べたいって言ってたでしょう?
また来ますね”。
こういう言葉の方がよほど癒されるものです。病人は言葉よりも食べ物に敏感なのかもしれませんね。
◆2010年5月21日
“蕎麦は音を立てて食べるものだ”。
私もこう考えていました。スパゲティーじゃあるまいし、ツルツル食べるのではお蕎麦の雰囲気が出ませんよね。
昨晩のことです。車を走らせ西新井大師近くのお蕎麦屋さんにやって来ました。私たちの隣のテーブルでは先客の4人組みがすでに盛り上がっています。
彼らのひとりがお蕎麦を食べ始めました。
“ズルッ・ズルズルズー”。
物凄い音が聞こえてきました。これまで聞いたことのない音です。
すする音は人それぞれです。私はこれまで他人がお蕎麦をすする音に違和感を抱いたことはありません。でも、それはこれまで聞いたことのない音だったのです。
音の大小の問題ではありません。とにかく耳障りでそして不快極まりない音だったのです。四足動物がエサを物色しているような、そんな音です。
自分がどんな風にお蕎麦を食べているのか、どんな音を立てて食べているのか、妙に気になってしまいました。
“人を不快にさせるような食べ方をしているのではないか?”
そんな不安がよぎります。
私たちのお蕎麦がテーブルに並びました。音のことを考えるといつものように“豪快に”食べる勇気がなくなってきます。
“ツルツル・ツルツル・ツッ・ツッ・ツッ”
お蕎麦がこんなに食べづらいと考えたことはありません。今夜はお蕎麦の正しい食べ方をネットで研究しようかなっ!
◆2010年5月20日
文化事業への投資をコストの観点からだけ考える。こういう国は豊かな国ではないと私は思います。
文化とは広い意味での“知的道楽”です。道楽にはお金がかかります。赤字だとか黒字だとか、そういった次元で考える類のものではありません。
文化事業下に集まるお金に群がる人たちもいます。こういう卑しい人たちを戒める姿勢は大切です。人件費やテナント費を圧縮し、不透明な活動費には直ちにメスを入れる必要があります。
だからといってコストの観点だけから仕分けをすると判断を誤ることになります。文化事業の芽を潰すことになってしまうからです。
“入館者は年に何名くらいですか?
1日に30名程度の計算ですね?
赤字ですね?
ヒステリックにこう言われても返答に困ってしまいますね。文化事業に携わる人たちには寡黙な人も多いのです。
赤字の文化事業をバッサリ斬ることよりも、正常な運営ができるよう皆で知恵を絞ることの方が大切です。
歴史を振り返ってみると興味深いことに気づきます。あっけなく滅んでいった国は侵略に負けた国ではありません。革命が起きた国でもありません。大衆文化を蔑ろにした国です。日本がこういう国であってはいけないのです。
◆2010年5月19日
“一発で的を射る!”
これを目指す人は相当の覚悟が必要です。若いうち、できれば20代のうちに射るべき的の種類を決め、それに向かってプロを目指すべきでしょう。
ダメなのはアマチュアに甘んじたまま、一発で的を射ることに心を奪われてしまうことです。物事が理想通りに運ばないのはその人がアマチュアだからに他なりません。
“アマチュアではダメなのか?”
そうではありません。自分がアマチュアであることを認識し、アマチュアなりの立ち回りに徹すればそれでいいのです。
“どの的がいいかな?”
“どう射ればいいかな?”
これはその道を極めた人のすること。アマチュアはそんなことは考えなくてもいいのです。射ることに専念する。そうすれば必ずや“その日”はやってきます。偶然、的を射ることのできる日が。
“その日はいつ来るの?”
こう考えてはいけません。
“ほんとうに来るの?”
こう疑ってもいけません。射って、射って、射りまくるのです。これが一流のアマチュアです。
最後に大切なことをひとつ。それは自分が射る弓にはお金をかけることです。今の経済力に到底見合わないくらいの大枚を叩くこと。これが“その日”を呼び込むための絶対条件です。
◆2010年5月18日
“もう米軍基地はいらない”。
これが国民の総意なのだとすればそうすればいい。事は極めて単純です。
日米安保条約は日米のどちらか一方が破棄を通告しない限り永遠に自動延長されるようになっています。条約破棄を相手国に通告すれば1年後には正式に破棄されることになります。
条約を破棄すれば全国の米軍基地が撤去され、不平等な日米地位協定も破棄されます。思いやり予算も不要ですし1兆円を超える防衛システムを購入する必要もなくなります。日本はほんとうの意味で独立国になることができるのです。
”アメリカの傘に守られている方が安全だ”。
こういう理由だけで安保に賛成するのは少しばかり危険です。第5条(Article5)をよく読んでみるとこのことがよくわかります。
“Each party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.”
(各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する)
5条の解釈にはこれまでも様々な議論がありました。唯一、言えるのは、有事の際にアメリカが日本を守るということが明確に語られている条約では必ずしもないということです。
日本のすすむべき方向を決めるのは私たち国民です。破棄するのも自由、改定するのも自由なのです。アメリカが日本からこの自由を奪うことだけはありません。
◆2010年5月17日
“先生って凄いですね。
メモも英語なんですね”。
恥ずかしい話です。実は私の手書き漢字は汚い、だから、仕方なく英語でメモを取っているだけのことなのです。
職業柄、人前で字を書くことを避けて通ることはできません。でも、黒板は苦手です。筆圧は心地よいのですが、どうしても綺麗に書くことができないです。ホワイト・ボードはもっと苦手です。マジックの滑る感じが手に馴染まないのです。
字を書くことが私にとっても大きなコンプレックスになってしまいました。
習字を習ったことがあります。
“字は人格を表すのです。
字が曲がっているのは精神が曲がっているからですよ”。
こんな偏屈な先生にブツブツ言われると、ますます上手に書けません。腹が立って、すぐに辞めてしまいました。
ペン習字にもトライしたことがあります。たくさん練習をしました。でも返送が面倒なので“作品”はデスクに放置したまま。添削はしてもらったことはありません。これでは上手くはなりませんね(笑)。
こんな私に添削の仕事が回ってきました。添削をしてもらうのではなく、私が添削をする側です。
“手書きが苦手だから”。
こんな理由で仕事を断るわけにはいきません。
英語の添削ですが、コメントや激励は日本語です。
“先生の添削は内容が素晴らしい。
字のこと気になさらないでくださいね”。
やっぱり私の字はダメなのでした。
◆2010年5月16日
休暇が取りやすくなった会社が増えてきた一方で、有給休暇(paid vacation)すら取れない会社もあります。直談判はまさに決死の覚悟です。
“休みを取りたいのですが”。
でも、返っていくる言葉は、
“えっ。何で?”
眉を吊り上げてこう言われてしまうと返す言葉がありません。
“有給すら返上して働くことが美しいのだ”。
上司がこういう価値観を持っていると働く人たちは大変です。振り回されながら“仕事”をしていくことになるからです。
他人の目を気にする、自分だけ突出することを嫌う、目立たないように集団に埋没する。こういった日本人独特の考え方がさらに拍車をかけることになります。
他人と異なることへの恐怖感、この感覚を払拭することができれば、人生はかなり楽になると思います。
自分が描いたフローチャートに沿って、内なる自分に素直に生きてみる。そうすれば、今の会社にしがみついてストレスを溜め込むことはないはず。上司の価値観と対決したり、喧嘩をしたり、あるいは我慢をし続けるという愚を犯してはいけません。
?“いま辞めるわけにはいかないよなあ”。
辞めた先の負の映像が見えてしまう。これは不幸です。だからこそ、いつでも会社を辞めてもいいように自分の腕を磨くこと、今いる会社から、上司から、そして部下から、学べることはすべて学んでしまうことが大切なのです。
アナタが腕を磨いてさえいれば、結果として、数年後には、休暇を懇願するする立場から、休暇を促す立場になっていることでしょう。
◆2010年5月15日
枕元に置いてあるナース・コール。私はこれが気になって仕方がありません。
“押したらすぐ看護師さんが来てくれるのかなあ?”
とにかく押してみます。
“福澤さん・どうしましたか?”
早いっ! これには驚きです。彼女たちの動きは実に機敏なのです。
“何となく呼んでみました”。
などとは言えませんね(笑い)。
“あの~、点滴はまだ終わりませんか?”
こんな質問にも笑顔で返答してくれます。
“もう少し我慢してくださいね”。
まるでお子ちゃまをあやすような口調に癒されます。“赤ちゃんプレー”に高じる人たちの気持ちが分かるようが気がしてきました。
入院生活はとにかくヒマです。ベッドの上でダラダラと過ごす以外することがないのです。ナース・コールを押すこと以外!
“どうしましたか”。
“あっ。すいません。
間違って押しちゃいました”。
こんな私にも、
“ダメですよ、イタズラしちゃ。
注射しちゃいますよ”。
と、暖かい言葉が返ってくるではありませんか。不快な素振りは一切見せません。まさにこれがプロ根性。流石です。
“色々な患者さんがいらっしゃるんですよ。
福澤さんはまだまだ楽な方ですから”。
こんなことを聞かされると、また、ナース・コールを押したくなってきました。
◆2010年5月14日
“たまには沖縄にでも行こうか。
でも、現地でけっこうお金がかかるから、
グアムやサイパンの方が安く済むかな?”
リゾート地としての沖縄、このこと以外には無頓着。これが多くの日本人の姿だと思います。
私自身、沖縄には何度も訪れたことがあります。北谷のビーチで泳いで、潜って、食べて、飲んで、そして帰る。それだけです。正直なところ基地問題を我が身のこととして深く考えたことはありません。
かりに沖縄がどこかの国に占領されたとして、今の日本人がどれだけ抵抗するか、懐疑的にならざるをえません。かつての学生運動のような暴動すら起こり得ないのではないでしょうか。
沖縄は“外国”なのです。不謹慎極まりない考え方ですが、これが本土に住む多くの日本人の本音なのではないでしょうか。
政治家の発言は肝要です。
“最低でも県外と申し上げたのは、
党の公約ではなく、
あくまで私個人の意見です”。
鳩山首相はこれで男を下げたと思います。民主党に期待した全国民の希望と期待をこの言葉が粉々にしてしまいました。
徳之島の人たちが基地移設に反対するのと同様、基地誘致を歓迎する場所は日本全国どこを探してもありません。すべての苦悩を沖縄に押し付けたまま、皆、他人事のように傍観しているだけなのです。
夏の参院選で政治家たちがどんな議論を繰り広げるのか、私たちはこのことだけには無頓着でいてはいけません。
◆2010年5月13日
“パパが死んじゃったらお前に頼みがあるんだ”。
“何、パパ?”
“棺にマルボロの絵を描いてくれないか?”
“ああ、面白そうだね。上手に描くよ”。
“普通は棺の中に花びらを入れるよね。あれ、やめてくれないかな。
“どうして”。
“花びらの代わりにマルボロを敷き詰めてほしいんだ”。
“そりゃいいアイデアだ(笑)”。
こんな冗談を言い合いながら息子と夕食をとりました。
病院食が驚くほど“質素”なのはどうしてでしょう。でも、とくに食事制限が課せられていないのは救いです。六本木に向かいます。
息子も私もOUTBACKが大好きです。アメリカでお腹が空いたら私たちは迷わずOUTBACKを選びます。巨大なステーキに山盛りのフライドポテト。何よりもリーズナブルな価格が魅力でひとり30ドルもあればフルコースのディナーが楽しめてしまうのです。
“パンにナイフが刺さってる。
アメリカと同じだね”。
久しく訪れていないアメリカを息子は思い出しているようです。
“パパ、手術が成功するといいね”?
“大丈夫だよ”。
“僕の心臓、パパにあげてもいいけど、ちょっと小さすぎるかな(笑)”。
ウソでもいいから実の息子からこう励まされると嬉しさがこみ上げてきます。
親としての責任を痛切に感じないわけにはいかない、手術前日の夕食での会話でした。
◆2010年5月12日
きっかけは左肩の違和感でした。
“いつもの肩こりとは違うな”。
こう感じたのが去年の末でした。マッサージをすると症状は収まります。ベリックスを飲むと気分もよくなります。それでも翌日にはまた同じような症状が表れるのです。喉が詰まったような症状もありました。
MRIの検査の結果を知らされた私は愕然とします。
“狭窄(きょうさく)99%”。
心臓に血液を送り込む冠動脈がほぼ“通行止め”になっていたのです。
狭窄が99%であれば、胸の痛みや、あるいは発作(spasm)等が起きるはず。でも私にはそういう前兆(sympton)がまったくありませんでした。
“血液検査の結果は正常なんですよね”。
担当医も首を傾げます。
“もしかしたらずっと以前に梗塞を起こしていて、自然治癒しているのかもしれません”。
こんなこともあるから人の体は不思議です。
入院1回目。足の付け根からカテーテルを入れ、冠動脈の状況を検査します。
“福澤さん、モニターを見てください。
狭窄はあるのですが、血液はしっかり流れていますね”。
少しだけ安心しました。MRIの画像はチョッピリ大袈裟だったのですね。
薬で治療する方法もあります。ただ、いつ心臓発作が起こるのかは運任せ? こんな風に怯えながら生きるのは御免です。
入院2回目。狭窄部分の冠動脈にステントを埋め込む手術を行います。血管の分岐点に狭窄が起きていたため手術は3時間にも及びました。
そして一昨日、無事退院。
“自分だけは病気になることはない”。
こういう“横柄”な気持ちも時には大切です。それでも、死が目の前に迫った体験をすることで考え方が少しだけ変わった気がします。
3ヶ月振りの塾長日記更新です。