◆2010年1月31日
助言は実に難しい。人間関係に悩んでいる人に、
“気にするなよ”。
こういう言葉を投げかけるのは簡単です。
“それができないから悩んでるんだよ”。
これが当事者の胸の内だと思います。
悩みを打ち明けている人が何を求めているのか、このことを見極めることは大切です。
助言をする側の舌は常に滑らかです。次から次へと解決策が口からついて出てくる。自分のことはなかなか決めることはできなくても他人のこととなると人はみな饒舌(eloquent)になるのです。
こんなとき、相手の側は言葉少なげです。
“ウン、ウン”。
悩みを打ち明けている人というのは他人の目線から助言を求めているように見えますが、実はそうでもないのではないか。私自身、このことに気づくまでに40年以上の歳月を費やしてしまいました。
“お願いです。
どうか助言をお授けください”。
こうやって懇願されることは稀ですね(笑)。
相手の側は多くの友人、知人の中からアナタを選んだのです。アナタを指名して悩みを打ち明けてくれたのです。この事実を軽んじてはいけません。アナタに理解してもらいたい、気持を汲んでもらいたい、思いを共有してもらいたいと、勇気を奮い起こしてアナタに声をかけてきたのです。
心無い助言は相手を傷つけます。こういう傷はなかなか癒えないもの、悩んでいる人をさらに悩ませることにもなるのです。
◆2010年1月30日
相手がウンウンと頷いてくれる。するとついつい気持が高ぶってアレも言いたい、コレも言いたいという衝動に駆られます。
居酒屋談義ならこれもいい。お酒を飲みながら脱線することも楽しみのひとつです。スピーチがこれではいけません。アレコレ喋っているうちに、
“自分でも言いたいことが分からなくなってしまった”。
スペシフィック・パーパス(specific purpose:以下SP))を定めないままスピーチをするからです。
“そんなことは知らなかった”。
これが情報提供型のスピーチです。
“考えが変ったよ”。
これが説得型。
“ああ面白い”。
これがエンターテイン型です。
聞き手にどんなインパクトを与えたいのか、その方向性を定めることがSPです。SPを定め、SPに沿ってスピーチを行えばブレることはありません。
“留学体験について話す”。
これは、言いたいことではあってもSPではありません。
“稀有な留学体験のエピソードを3つ紹介することで留学の面白さを聞き手と共有すること”。
これがSPです。スピーチの主役は実のところ聞き手なのです。
“Koji, you haven’t handed in your SPs, right?”
(SPの提出はまだでしたね?)
私の担当教授はSPを提出しなければスピーチをさせてくれませんでした。今になってその意図がよくわかります。SPが不明確なスピーチは必ず失敗するからです。
“スピーチがうまくまとまらない”。
こう悩む前にぜひSPを記す習慣を身につけていただきたいと思います。
◆2010年1月29日
涙は女性の最終兵器です。
“涙・発射!”
たいがいの男はこれで撃沈してしまいます。私自身、この砲撃に何度遭遇したことでしょう(笑)。
さて、こんな男でも学習能力はあります。歳を重ねる毎に女性の涙に慣れてくるのです。未だに慣れないのは“涙もどき”。これは強烈です。
“大丈夫。
気にしないで。
ごめんなさいね”。
などと言われると実に弱い。泣くか泣かないか、この微妙な状況にオロオロしてしまうのです。自分の言葉次第では女性が泣いてしまうかも知れない。こう考えるだけで体中の神経が直立不動してしまいます。
こんなときの最重要アイテムはハンカチでしょう。バッグの中からハンカチを取り出した瞬間に男はモードを切り替えます。
“間もなく発射か?”
これでポロリと涙を発射してくれればいい。涙にはもう慣れています。でも、“涙もどき”とハンカチのダブルで攻められると、もう打つ手はありません。 ここで鼻をかんでくれれば一息つけるのですが、なかなかそうはいきません。
テーブルの上に食べ物があればまだいい。食べるフリをしながらでも相手を偵察することができるからです。こんなときに限ってタバコも切らしてしまうから間抜けです。
“おい自分よ。何かいい話題はないのか?”
自分を奮い立たせます。ても弁が鈍っていてはまともな言葉すら出てきません。姿勢を正してジッと座っている以外にないのです。
さて、こんな女性もデザートが運ばれてくると途端に笑顔に戻ります。不思議です。いつの間にかハンカチも姿を消しているではありませんか。
私はいつになったら女性の“涙もどき”に慣れることができるのでしょうか。私の白旗人生は永遠に続くのかも知れません。
女性は凄いっ!
◆2010年1月28日
“どうしても結論が平凡になってしまうんです”。
こういう人の結論を聞いてみると、やっぱり平凡であることが多い(笑)。
こんなことで落ち込んではいけません。スピーチはどれも平凡から始まるのです。
芸人さんがネタつくりに時間をかけるように、私たちも時間を惜しんではいけません。平凡な結論を熟成させ、練りこみ、仕立て上げること。これこそスピーチの醍醐味なのです。
誰が何と言おうとも、
“コレだけは譲れない”。
こういうジアル(zeal)を持っているかどうか。このことは思いのほか大切です。強い信念が平凡な結論にエネルギーを与えてくれるからです。これが平凡から脱却する上で最も大切なポイントです。
2つ目はビジュアリゼーション(visualization)です。スピーチでは体験も具体例も言葉で説明します。言葉で説明したことが言葉に“聞こえ”ればそのスピーチは失敗です。あたかも映画を観ているかのように映像が浮かんでくるスピーチ。これが上手なスピーチです。言葉の選択は、だから大切なのです。
3つ目はライティング・スタイル(writing style)です。書き言葉と話し言葉の最大の違いは長さです。話し言葉はとにかく1文が短い。単語をポンポン投げかけるイメージで語ることがスピーチ独特の文体です。出来れば1文が3秒以内に収まること、話すスピードにもよりますが5秒以上はNGだと考えてください。
情熱はない、絵にもならない、文が長い。だから平凡な結論が平凡に見えてくるのです。
“あの人が語るとなぜか新鮮に感じる”。
こういうスピーチをするための3つの肝、それがジアル、ビジュアリゼーション、ライティングスタイルなのです。
◆2010年1月27日
“平成19年3月12日生まれ。
名前は照広。
予防接種済み。
父の名、福広土井。
母の名、はるみ”。
我が家に届けられた贈り物、その中に『子牛登記証明書』が入っていました。セリの年月日やセリ番号、祖父母や曽祖父に関する細かなデータも克明に記されています。鼻紋も捺印されていました。
自分が今から食べようとしている牛が実は、
“名前もあった、生きていた牛だった”
ということを知らされると複雑な気持になります。動物愛護だとかそういった高尚な話ではなく、何となく食べる気が失せてしまうのです。
一連の食品偽装問題は生産者と消費者の信頼関係を見事に打ち砕きました。安全な商品であることを証明する方法として『子牛登録証明書』が添付されるようになったのだと思います。
“照広君は食べられるために生まれてきたのだ。
美味しく食べてあげよう”。
こう自分に言い聞かせますがどうしても彼を食べてしまう気にはなれません。証明書に記されている数字は忘れることはできても、鼻紋を見てしまうと彼のことが愛おしく感じてしまうのです。イヌやネコを飼ったことのある人ならばこの気持はわかると思います。
鼻紋の残像がまだ私の脳裏に焼きついています。
◆2010年1月26日
◆2010年1月25日
私の友人でタクシーをつかまえる“プロ”がいました。どんなに閑散とした場所で飲んでいても彼に頼めば数分でタクシーがやってくるのです。
とくに目立つヤツではありません。どこにでもいる普通の男です。でもタクシーをつかまえるという他愛もないことで彼は上司からたいへん重宝がられていました。
“コイツに頼めば大丈夫”。
こういうカードをどれだけ多く持っているか。このことで上司や仲間の評価は大きく変ります。それがタクシーをつかまえることでもいい。
“嫌な上司の対処法”。
こういうハウツーに心を奪われている限り、職場での人間関係の悩みは解決しないと私は思います。アナタに辛くあたる上司にストレスを溜め込み、悩みを募らせることにどんな意味があるのでしょうか。
自分の胸に手をあてて、
“自分にしかできないことは何なのだろうか?”
と考えてみる。 ささやかなアナタの貢献が人間関係の潤滑油になり得るのです。
誰よりも早く出社する、誰よりも綺麗な資料を作成する、誰よりもすばやく行動する、誰よりもお酒が強い等々、アナタが職場のオンリー・ワンになる要素はいくらでもあります。それが仕事であれば鬼に金棒です。職場の皆がアナタの味方になってくれるはずです。
職場の人間関係は複雑です。でも同時に単純でもあるのです。どちらのベクトルで人間関係を捉えるかで結果は大きく変ります。
私の友人は今もその会社に勤めています。タクシーをつかまえることしか芸がなかったヤツが今では多くの部下を抱えながら奮闘しているそうです。
◆2010年1月24日
“そのような不正の金は水谷建設はもちろん、ほかの会社からも一切受け取っていない。秘書や秘書だった者も受け取っていないと確信している(と申し上げた)”。
実に分かりやすい。誰にでもスーッと理解できてしまう、そんな言葉を小沢一郎氏は使います。
私が気になったのは“不正”、“会社”、“確信”という3つの言葉です。
“受け取ったといえばそういうことになるかな。
でもそれは不正なお金じゃないよ。
ちゃんとしたお金だから。
一時的に預かったという方が正確かな。
受け取ったのは会社からじゃないよ。
あくまで一個人から預かったわけだから。
そういうお金までアレコレ言われたらたまらないよ。
秘書たちがどうしたかまで分からないなあ。
でもオレは奴らを信じているから”。
これが小沢氏の本音だとは思いませんが、もしそうならば面白いなあ。こんな風に勝手に解釈してこの記者会見を楽しんでいた私です。
さて、3つのキーワードを省くと全体の意味は微妙に変ります。
“誰からもお金は受け取っていない。
秘書や元秘書らも受け取っていない”。
小沢氏はこう言っているわけではありません。意図的に言葉を選んでいるのだとすれば実に巧みな話し方です。明言しているように見えても実は逃げ道が用意されているのです。
記者の中にカンファーメーション(confirmation)を試みようとした人がいなかったのはチョッピリ残念でした。小沢氏の真意を再確認するチャンスはいくらでもあったはずです。
◆2010年1月9日
“思考回路”の話を続けます。
先ずは自分の思いを伝えること。
“なるほどそう考えるわけだ”。
聞き手にこう思わせること。これスピーチを成立させる第一段階です。
できれば説得すること。これが第二段階。そして動かすこと、これが最終段階です。
“スピーチって難しいんですね。
なんだか不安になってきました”。
こういう声も聞こえてきそうです(笑)。
考えているようで実は考えていない。このことは実は私にも当てはまることです。私自身、自分の壊れた思考回路を修復する日々を過ごしています。大切なのは自問自答を繰り返しながら自らの考えを整理すること、自力で“脳を耕す”能力です。
スピーチはディベートとは違い相手を論破する必要はありません。でも、分からせることは必要です。そのためにはスピーチを行う本人の思考回路が整理されていなくてはなりません。そのアシストをするのが講師の仕事です。
何となく一緒に話をしているうちに、
“そうそう!
私が考えていたことってコレなんです!”
こういう瞬間は必ず訪れます。思わぬ方向に話が逸れることもあります。逸れたことがきっかけで新しい発想が生まれることもあります。“脳を耕す”能力は辛抱強く話に付き合うことから養われるのです。スピーチの指導が居酒屋でもできる理由はここにあります。
◆2010年1月8日
自分が鮮明な思考回路を持っているかどうか。このことはスピーチをしてみれば一目瞭然です。
私がパブリック・スピーキングの訓練を始めたばかりのことでした。
“どう考えているんですか?
どうして?
その理由は?
具体例は?”
等々、矢継ぎ早に先生から質問されたことを鮮明に覚えています。
“どう考えてるかって、それを言葉で説明するのは難しいんだよなあ”。
これが私の心の中の反応でした。言葉で説明することがスピーチなのだという感覚すらない私だったのです。おかしいですね(笑)。
さて、言葉で説明できないのには2つの理由があります。ひとつは言語運用能力が欠けている場合。もうひとつは思考回路が破綻している場合です。何とも大袈裟な言い方ですがこれが真実なのです。
英語のスピーチを指導するとこのことが鮮明に分かります。
“英語で言うのは難しいんですよね”。
こう言う生徒さんに、
“日本語でもOKですよ”、
と水を向けても沈黙してしまうことがあります。
うまく説明できないのは英語ができないからでもない、日本語ができないからでもない、単に思考回路が破綻しているだけのことなのだ。このことに気づかされることは当事者にとっては大きな衝撃です。
“ああ、そうお考えなのですね。
それをスピーチにしてみましょうね”。
などとお茶を濁していては私の存在意義がありません。思考回路が破綻していることを円やかな言葉で知らしめること。それが私の使命なのです。
”先生、私ってバカなんですよね。
自分で考えているようで実は考えてないんですね。
最近このことがよくわかってきました”。
こういう声が聞こえてくる頃、その人のパブリック・スピーキング能力は飛躍的に向上します。
◆2010年1月7日
もし私が無職で、そして無一文の状態で派遣村に入所していたとしたらどうするか。
“就労活動費として2万円を支給します”。
こう言われれば私も飛びつくことでしょう。そしてどうするか? 仕事を探すために渡されたお金をはたして交通費として使うのか? おそらく私は一目散にコンビに飛び込むことでしょう。そしてお酒やタバコを買ってしまうかもしれません。いや、おそらくそうすると思います。追い込まれた状況下でモラルを維持する自信が私にはありません。
彼らに現金を渡しモラルや常識を求めること。これは正しい選択ではなかったと思います。現物支給やバスのフリーパスを配布することが制度上、難しかったというのは実施する側の言い訳にしか聞こえません。
アメリカには低所得者を対象にした食料費補助のプログラムがあります。補食栄養援助プログラム(Supplemental Nutrition Assistance Program)と呼ばれている制度です。受給資格は州によって異なりますが目安は4人家族で月収2500ドル以内、支給額は1人あたり最大で月130ドル。この制度で購入可能なものは食料品や消費目的で栽培される種子および作物です。アルコールやタバコ等を購入することはできません。税は免除されます。以前は5ドル券や10ドル券を切り取って支給されていました。今ではクレジットカード決済のようになっているため“恥ずかしさ”は薄らいでいるそうです。
さて、昨年末のことです。私はホームレスらしき一組のカップルと遭遇しました。厳密に言えばホームレスかどうかは定かではありません。ただ、日焼けとは異なる顔のどす黒さ、着古した服装、キャリーバッグに詰め込んだ荷物一式からこう想像したまでです。サンドイッチらしきものを仲むづまじく分けながら食べていました。クリスマスの晩だっただけに私には衝撃的な出来事でした。
◆2010年1月6日
日本人にとってJALは圧倒的な信頼感があります。
“できればJALがいいんだけど、高いんだよなあ”。
これが多くの人の声でした。
私はホノルルを経由してニューヨークに行くことにしています。ホノルル便はJAL以外どの航空会社も廉価なチケットを販売しています。ホノルル~JFKは時期にもよりますが往復で2200ドル前後、しかもファーストクラスでこの価格なのです。ミネアポリスやデトロイト経由になりますが気になることはありません。JAL便を利用すれば成田から直行でJFKに行けますがビジネスクラス早割り料金を使っても44万円、ファーストクラスなら195万円もするのです。
香港や韓国をはじめ海外ではJALの大幅割引を行っています。アジアの人たちはJALの格安ファーストクラスを利用しているのに、成田発は定価でしか利用できない。こういう矛盾に対してこれまでJALは明確な説明をしてきませんでした。
一方、ANAの企業努力は利用する私たちの側から見ても顕著でした。ビジネスクラスの座席フラット化やスペースの拡大、割引料金の導入はJALに先んじて行っていたという記憶があります。サービスはエコノミー、座席がビジネスクラス利用のサービスを始めたのもANAです。JALを追い越そうと懸命の努力をしてきたのがANAなのです。
“JALをつぶすわけにはいかない”。
こういう声に脅かされ私たちは税金投入を容認してきました。これがJALの悪しき体質を生み出してきたのです。
救いは未だ根強いJAL神話です。適性価格であればもつと多くの人がJALを利用するはず。国際線を廃止することは得策ではないと私は思います。
◆2010年1月5日
“演説とスピーチってどう違うんですか?”
生徒さんからよく聞かれる質問ですが、実は演説とスピーチはまったくの同義語です。私自身が日頃、演説とスピーチをごちゃ混ぜに使うため、疑問に持つ方が多かったようです。
演説という言葉を造ったのは福澤諭吉をはじめとする慶応義塾大学関係者らです。
“舌の字はあまりに俗なり、
同音の説の字に改めん”、
と演舌から演説という表記になったようです。
“演説とは英語にてスピイチと云い、
大勢の人を会して説を述べ、
席上にて我思ふ所を人に伝える法なり(『学問のすゝめ』十二編)”。
そもそも演説の概念すらなかった時代、多くの聴衆の前で自分の意見を述べる演説は試行錯誤をしながらの創造行為だったようです。討論、可決、否決などの言葉が造られたのもこの時代です。
さて、経済学や医学にも理論があるようにスピーチにも理論があります。アメリカ人は雄弁(eloquent)だと言われます。しかしこれは民族的性質というよりも教育システムが整っていることがその理由です。
古代ギリシャではレトリックと呼ばれる弁論術の原型が形成されソフィストによって弁論術が広められました。プラトン、ソクラテス、アリストテレスはその理論を構築した代表者です。アメリカでは建国後、これら古代ギリシャの弁論術を基にした教育が普及し実学的な演説教育が確立したのでした。
これが日本とは大きく異なる点です。演説を学問的に修める学者がいなければ指導者は育ちません。福澤諭吉がなぜ演説の学部(department)をつくらなかったのか、その理由は私にもよくわかりません。
◆2010年1月4日
“日本人のスピーチは前置きが長い”。
よく耳にする話です。
”日本人のスピーチは結論が見えない“。
これもそうかもしれません。
“だから結論を先に言えばいいのだ!”。
これには誤解があると思います。結論を先に言ってしまったらスピーチの醍醐味が薄れてしますからです。
スピーチを始める際に最も大切なのはアテンション(attention)です。何よりも先ず、聞き手を惹きつけることに全力を注ぐ。これが聴衆を結論に導くためのスタート地点です。テーマの提示をすることも忘れてはいけません。ここまでがイントロダクション(introduction)の役割です。
次がボディー(body)です。メインポイント(main point)や裏付けとなる体験談や資料など(supporting materials)を提示します。ここでもアテンションは大切です。聴衆に質問を投げかけたり笑いを喚起する工夫をしながらボディーを乗り切ります。
そして最後がクライマックス(climax)です。これまでの内容を整理しつつ、一定の結論(conclusion)に至るわけです。
スピーチはストリップとよく似ています。踊り子さんはなかなか服を脱いではくれません。チラ見せを巧みに繰り返すことで、“結論”は先延ばしにします。見えそうで見えない絶妙のタイミングが観客を釘付けにするのです。 踊り始めるやいなや、
“さあ、これが私の裸体じゃ”。
これでは興ざめですね(笑)。
惹きつけて、惹きつけて、そして、最後のクライマックスまで聴衆を釘付けにすること。これが弁士の仕事なのです。
“結論とは最後のクライマックスまでとっておく”。
これが上手なスピーチの基本法則です。
◆2010年1月3日
新年になると誰もが口にする言葉、それが
“今年も宜しくお願いします”。
一億数千万人の人々が一斉にこの言葉を使って新年の挨拶をするわけです。
さて、このフレーズを英語に訳すとどうなるのでしょうか。挨拶言葉の定番だから訳せないのかも知れませんが、とにかくトライしてみましょう。
最初に思いついたのが、
“Best regards.”
こんな英語じゃダメですね。チョイト堅苦しい。
“Happy to work with you!”
けっこうイケてるかも? 仕事仲間ならこれでいいのかな。
“Keep in touch!”
これも使えそう。
色々な表現が浮かびますがどれもシックリいきません。“よろしく”の感じがうまく表現できな いのです。
考え抜いた私の結論、それが、
“Don’t bully me .”
(いじめないでね)
ああ、何と大胆な翻訳でしょう(笑)。しかめっ面をした英語の先生の顔が浮かびそうです(笑)。
そもそも日本という国は相互扶助を基盤に成り立っています。島国、農耕民族、集団主義なども日本を象徴するキーワードだと思います。
こういう社会では1人だけが際立つこと、抜け駆けをすることはある種のタブー。苦楽は皆で共有するものなのです。
“今年も仲良く畑を耕しましょう。
苦楽を共にしましょう。
仲間外れにしないでくださいね”。
こういう私たちのDNAを象徴した言葉が“宜しく”なのだとすれば“ドント・ーブリー・ミー”という解釈も成立するのではないか。こんな勝手な解釈をしながらお正月を過ごしている私です。
◆2010年1月2日
私がケネディー大統領の就任演説(The inaugural address)と出会ったのは高校3年生のときのことでした。当時、一緒に勉強していたのが現カプランジャパン代表の石渡誠氏です。
“おい、これって偉い人の演説だって”。
“そうらしいな”。
“難しくってわかんないな”。
“そうだな”。
すべてがこんな調子の私たちに暗記を勧めてくれたのが森先生でした。暗記することに懐疑的(skeptical)だった大多数の生徒の意見はこうでした。
“意味が分からない英語を覚えても意味がない”。
たしかにそんな気もします。
“分からなくてもいいから。
その方がかえって好都合かもしれないな。
完ぺきに暗記した頃には意味がわかってくるから心配するな”。
私たちはこの言葉を受け入れ、演説を最初から最後まで暗記したのでした。
この演説を理屈から理解しようとしたら結局、暗記をしないままで終わったのではないかと思います。
“暗記偏重主義”とはマスコミが喜びそうなレッテルです。でも実は暗記こそが英語が堪能になるための古くて新しい公式なのです。
“先生、ケネディーのテープで発音を勉強するんですよね?
ケネディーみたいな発音になってしまうか心配なんですけど”。
こんな私たちに先生はこう答えてくれました。
“ケネディーを超えることはないから心配は無用だよ。
もしケネディー訛りの英語を話せるようになったらそれだけで凄いことだ。
日本にそんなヤツはひとりもいないからな”。
◆2010年1月1日
2010年の元旦は部分月食で始まりました。日本の歴史上、元旦に起こる月食は初めてのことだそうです。
さて、月といえばパラオ共和国のことを忘れるわけにはいきません。
“私たちの国旗は日本を真似ています。
日の丸部分を黄色い月、青地は海で表しています。
月は太陽に支えられ生命を保つのです。
太陽とは日本のことです。
月が中央にないのは日本を真似た遠慮の気持からです”。
心の底から日本を愛する国、それがパラオ共和国です。私たちはこのことに誇りと自信をもつべきだと思います。
第二次世界大戦の末期、事前に島民を避難させ、現地人の犠牲者を1人も出さなかった日本兵の話はあまり知られていません。戦いが終わって帰島した彼らは日本人の遺体を見て泣き崩れたそうです。
“アメリカ兵は日本人の遺体には見向きもせず、
自国兵の遺体だけを整理しました。
これが征服民族の本性なのです”。
島民は日本兵の遺体を葬りました。日本人がいつ来てもいいようにとその後も墓地の清掃を心がけているそうです。パラオにはいくつかの慰霊塔があります。この慰霊塔建立に尽力した父を私は誇りに思っています。
パラオの真実を日本のメディアはどうして報道しないのでしょうか。天皇陛下のパラオ訪問が直前になってサイパンに変更になったことがありました。背景にアメリカの圧力があったのではないか。私は今でもそう考えています。